60 / 81
MK 6
しおりを挟む
会社では既に、正造の後任が配属されていた。社歴は僕より少し浅いくらいで、営業としては新人の27歳だった。
もちろん新人なので、もろもろと目につく部分もあり、指導をしていかないといけないのだが、僕は何かを言おうとする、その度に、正造が頭をよぎっていた。あり得ない話というのは重々承知しているが、どうしても、また記憶を失くすとまでいかなくとも、それに近いような症状になるんじゃないか。一瞬、そんな懸念が湧き上がっては、すぐに言いたい事も一つタイミングがずれたり、ワンクッション置いたり、そんな対応になっていた。
これもまた、支社長も同じく彼を思い出しているんじゃないか、そう考えると、後任営業に何かを言いたくても一瞬のストップがかかるその度に、またしても正造への怒りがぶり返していくのだった。
まきは、正造の前にはつかなかった。ずっと僕らの前にいた。ただもう、まきも痺れを切らしていたのだ。
「もう、言いたい事あんなら言いね?お客さんも他におらんなったし。」
まきは僕に言ってきた。気が付けば客は正造、そして僕と真理恵だった。他のスナックのママの息子はいい時間に店に戻ると言って切り上げていた。
僕は笑いながら、机の上の肘に顔を埋めた。
「え?椅子、壊していい?」
僕は彼の座っている椅子を蹴ったくりたい衝動にかられていた。
「んー…いやー椅子はねぇ…、でも、さとしが言うんやったらうちも言う!」
まきは続けて言った。
「うちも言いたい事めっちゃあるっちゃかい。」
結局、そのやり取りを何度か、繰り返したが、椅子を壊していいかどうかの返答を聞く事もなく、僕は一旦、トイレに向かった。
すると、正造の、変わらない歌声が、聞こえてきたのだ。これまでの事のみならず、今日、それまで楽しかった時間を、彼の登場によって一瞬にして食い潰された事、酔った僕はその事が正造の歌声によって何よりもフォーカスされていた。正造の歌で、気分が、悪くなっていた。
トイレから出た僕の心は、決まっていた。
気持ち良く歌っている正造が座っているその椅子の背もたれを、思いっ切り蹴飛ばした。
その瞬間、正造は立ち上がった。
まるでそれを待っていたかのように。
そして、
「あ?こら?なんかおまえ?」
と僕に相対して、近い距離で言ってきた。
「あ?」
と僕は返した。
それは予想外ではあったものの、正造のそれに凄みや恐れは全く感じなかった。
「いきなり椅子蹴るてなんや?あ?」
「あ?お前自分が何してきたか分かっちょっとか?」
一触触発のムードに見えたのか、まきや真理恵、他の女の子が止めてきた。
「いやいや、おかしいじゃないですか、いきなり椅子蹴るって、ねえ?」
正造は女の子達に同意を求めたのだが、誰一人賛同するはずもなく、とりあえず座って話そう、そんな言葉に正造は納得して座ったのだった。
酔っていて隅々の会話までは覚えていない事が残念だが、覚えている限り、次のような内容だった。
「おかしいですよ、ねえ?」
との彼の言葉に
「お前もうここにくんな!二度とくんな!」
僕は唇を震わせながら、そう言った。
「いやいや、それ、おかしいですよね?」
誰ぞの好きな「論破」でもしようとしているのか。そもそもの次元が違う。
正造はずっと、何かの反論や言い訳を準備しているようだった。それは幼稚で、浅ましいものでしかなく、僕やまきの言葉に、言葉を詰まらせる以外ない事は重々に感じられた。
「お前これからどんげすっとか?子供も4人おるっちゃろうが!」
この僕の言葉も、思いもよらない言葉だったらしく、言葉を詰まらせていた。
「ねえ、もうお願いやからはっきりして。」
まきは言っているのは、記憶のあるなしの事だった。
まきの周りのネットワーク、近くの友人なんかからの目撃情報、正造と話したという情報はいくつも入っていた。端的に言えば、「嘘をつくなら突き通せ」という話だった。ただそれに関しては正造は少し、反論、言い訳めいた事を言ってはいたが、
「いや!覚えてるやん!!」
というまきの今まで聞いた事がないような厳しい口調の言葉と、真理恵の同意の前に、身をすぼめていた。
正造のその「記憶がない」に対する挙動は、誰から見ても、ざるだった。
もちろん新人なので、もろもろと目につく部分もあり、指導をしていかないといけないのだが、僕は何かを言おうとする、その度に、正造が頭をよぎっていた。あり得ない話というのは重々承知しているが、どうしても、また記憶を失くすとまでいかなくとも、それに近いような症状になるんじゃないか。一瞬、そんな懸念が湧き上がっては、すぐに言いたい事も一つタイミングがずれたり、ワンクッション置いたり、そんな対応になっていた。
これもまた、支社長も同じく彼を思い出しているんじゃないか、そう考えると、後任営業に何かを言いたくても一瞬のストップがかかるその度に、またしても正造への怒りがぶり返していくのだった。
まきは、正造の前にはつかなかった。ずっと僕らの前にいた。ただもう、まきも痺れを切らしていたのだ。
「もう、言いたい事あんなら言いね?お客さんも他におらんなったし。」
まきは僕に言ってきた。気が付けば客は正造、そして僕と真理恵だった。他のスナックのママの息子はいい時間に店に戻ると言って切り上げていた。
僕は笑いながら、机の上の肘に顔を埋めた。
「え?椅子、壊していい?」
僕は彼の座っている椅子を蹴ったくりたい衝動にかられていた。
「んー…いやー椅子はねぇ…、でも、さとしが言うんやったらうちも言う!」
まきは続けて言った。
「うちも言いたい事めっちゃあるっちゃかい。」
結局、そのやり取りを何度か、繰り返したが、椅子を壊していいかどうかの返答を聞く事もなく、僕は一旦、トイレに向かった。
すると、正造の、変わらない歌声が、聞こえてきたのだ。これまでの事のみならず、今日、それまで楽しかった時間を、彼の登場によって一瞬にして食い潰された事、酔った僕はその事が正造の歌声によって何よりもフォーカスされていた。正造の歌で、気分が、悪くなっていた。
トイレから出た僕の心は、決まっていた。
気持ち良く歌っている正造が座っているその椅子の背もたれを、思いっ切り蹴飛ばした。
その瞬間、正造は立ち上がった。
まるでそれを待っていたかのように。
そして、
「あ?こら?なんかおまえ?」
と僕に相対して、近い距離で言ってきた。
「あ?」
と僕は返した。
それは予想外ではあったものの、正造のそれに凄みや恐れは全く感じなかった。
「いきなり椅子蹴るてなんや?あ?」
「あ?お前自分が何してきたか分かっちょっとか?」
一触触発のムードに見えたのか、まきや真理恵、他の女の子が止めてきた。
「いやいや、おかしいじゃないですか、いきなり椅子蹴るって、ねえ?」
正造は女の子達に同意を求めたのだが、誰一人賛同するはずもなく、とりあえず座って話そう、そんな言葉に正造は納得して座ったのだった。
酔っていて隅々の会話までは覚えていない事が残念だが、覚えている限り、次のような内容だった。
「おかしいですよ、ねえ?」
との彼の言葉に
「お前もうここにくんな!二度とくんな!」
僕は唇を震わせながら、そう言った。
「いやいや、それ、おかしいですよね?」
誰ぞの好きな「論破」でもしようとしているのか。そもそもの次元が違う。
正造はずっと、何かの反論や言い訳を準備しているようだった。それは幼稚で、浅ましいものでしかなく、僕やまきの言葉に、言葉を詰まらせる以外ない事は重々に感じられた。
「お前これからどんげすっとか?子供も4人おるっちゃろうが!」
この僕の言葉も、思いもよらない言葉だったらしく、言葉を詰まらせていた。
「ねえ、もうお願いやからはっきりして。」
まきは言っているのは、記憶のあるなしの事だった。
まきの周りのネットワーク、近くの友人なんかからの目撃情報、正造と話したという情報はいくつも入っていた。端的に言えば、「嘘をつくなら突き通せ」という話だった。ただそれに関しては正造は少し、反論、言い訳めいた事を言ってはいたが、
「いや!覚えてるやん!!」
というまきの今まで聞いた事がないような厳しい口調の言葉と、真理恵の同意の前に、身をすぼめていた。
正造のその「記憶がない」に対する挙動は、誰から見ても、ざるだった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
七人の魔族と森の小さな家
サイカ
ファンタジー
ここは……森の中、目の前には小さな家。
遭難を避けるために誰も住んでいないこの家に住み始めて一年。
結局誰にも会うこともなく一人言も増え始めた頃……
森の中で男の子を拾った。
魔力というものを目の当たりにしてやっぱり異世界に来てしまったのかと一年越しに改めて実感することになるとは……
魔王が誕生したとか勇者募集とか、周りは目まぐるしく変わるけれど……
異世界で安心して穏やかな生活を送りたいと願う私のお話。
『ようこそ 本屋へ 飲み物は無料です お気に召した本は差し上げます』
カエデネコ
ファンタジー
そこは不思議な本屋。美味しい飲み物、その人に合った本を差し上げましょう。
短編ですので、5分だけ不思議な空間を味わってみませんか?
前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています
矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜
――『偽聖女を処刑しろっ!』
民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。
何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。
人々の歓声に包まれながら私は処刑された。
そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。
――持たなければ、失うこともない。
だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。
『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』
基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。
※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)
まさか、こんな事になるとは思ってもいなかった
あとさん♪
恋愛
学園の卒業記念パーティでその断罪は行われた。
王孫殿下自ら婚約者を断罪し、婚約者である公爵令嬢は地下牢へ移されて——
だがその断罪は国王陛下にとって寝耳に水の出来事だった。彼は怒り、孫である王孫を改めて断罪する。関係者を集めた中で。
誰もが思った。『まさか、こんな事になるなんて』と。
この事件をきっかけに歴史は動いた。
無血革命が起こり、国名が変わった。
平和な時代になり、ひとりの女性が70年前の真実に近づく。
※R15は保険。
※設定はゆるんゆるん。
※異世界のなんちゃってだとお心にお留め置き下さいませm(_ _)m
※本編はオマケ込みで全24話
※番外編『フォーサイス公爵の走馬灯』(全5話)
※『ジョン、という人』(全1話)
※『乙女ゲーム“この恋をアナタと”の真実』(全2話)
※↑蛇足回2021,6,23加筆修正
※外伝『真か偽か』(全1話)
※小説家になろうにも投稿しております。
スペリオンズ~異なる地平に降り立つ巨人
バガン
キャラ文芸
光の人、炎の大輪、キングシュトローム、彼らには様々な呼び名があるが、彼らを良く知るものたちは『スペリオン』と呼ぶ。『アルティマ』と呼ばれる未来の地球を舞台に繰り広げられる戦端に、彼らは在る。
ガイ、彼はこの世界に召喚され、仲間、愛すべき者、逃れられない宿命と出会うべき運命と相対する。黄金の髪と光輪を戴く、完全無欠のヒーローが今、君の元に。
特撮ヒーローが好きなので、それっぽい作品を書きたいと思ったから書きました。
この作品はハーメルン https://syosetu.org/novel/198460/ 小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n9281fy/ でも同じものを投稿していますよかったら見てね。
ソング・バッファー・オンライン〜新人アイドルの日常〜
古森きり
BL
東雲学院芸能科に入学したミュージカル俳優志望の音無淳は、憧れの人がいた。
かつて東雲学院芸能科、星光騎士団第一騎士団というアイドルグループにいた神野栄治。
その人のようになりたいと高校も同じ場所を選び、今度歌の練習のために『ソング・バッファー・オンライン』を始めることにした。
ただし、どうせなら可愛い女の子のアバターがいいよね! と――。
BLoveさんに先行書き溜め。
なろう、アルファポリス、カクヨムにも掲載。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる