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第8話 お風呂配信3/3

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 一転してセンシティブなところもなく、お風呂配信は落ち着いて進んでいった。

『――うんうん、今日はうちでお泊りなんです。夜ごはんはマリアの手料理だったのよ。ね、ダックちゃん?』
『うむ! ここ最近で一番満足した夕食であったぞ』

 二人はコメントに答えながら雑談配信みたいに話を広げていく。
 どうやら近くに置いたノートPCでコメントを拾いつつ、湯船で向かい合って喋っているらしい。時折ちゃぷちゃぷと水の音が入るものの、いつもの配信と同じのんびりとした空気感だから安心して聞いていられる。
 ちなみに、五十嵐は「もうエロはねーのか」と飽きて漫画を読んでいるが、配信にエロを求めるなと言いたい。

『夕食は全部美味かったが、あれほど白米が美味く感じたのは久方ぶりじゃ』
『そうなの? ふつうにスーパーのお米なんだけど』
『余はパックご飯オンリーじゃからな。やはり、米は炊いて茶碗によそったものが一番美味いのじゃ』
『そういえば、ダックちゃんのお家……パックご飯と冷凍食品のゴミが凄かったね』
『料理なんぞせんからなぁ。最近はコンビニもスーパーも行かなくなったゆえ、デリバリーが余の生命線まであるのじゃ。出るゴミも減ってゴミ出しもろくに行かんくなったの』
『えっ。デリバリーばかりだと、食費が天元突破しちゃわない……?』
『月に八万くらいかの』
『たかぁっ⁉』

 チャット欄を見ると、『私の家賃より高い』『同じく一人暮らしだけど僕の倍です』といったコメントがあるから月に八万円はかなり高いようだ。

『じゃがなぁ、大先輩を前に言うことでもないが……その食費を払えるのも、民どもの支えあってこそなのじゃ。一日の時間は限られておる。睡眠はこれ以上削れぬ。だから余は料理なんぞより、配信の企画を練るなり動画の編集をするなりして、皆が喜びそうなことに時間を割きたいのじゃ。……そのほうが落ち着けるんだ、わたしは』

 ちゃぷんと水が跳ね、沈黙が落ちた。
 今のがダークの本音なんだろう。ぽろっと漏れた〝わたし〟からそう感じた。
 前に有名VTuberの収益をランキング化した動画を見たことがある。
 それによると黒曜ダークの一年間の動画収益は、約八千万円。
 それだけの大金をファンから貰っていたら、「身を削ってでも配信を頑張らないとファンに申し訳ない」という考えに縛られてしまうのかもしれない。
 が、ファンはそこまで求めてはいないようだった。

コメント
:病む前に休んでくれ
:配信は毎日じゃなくていいからゆっくり寝てね
:倒れられてダックちゃんの配信見れなくなるのが、一番しんどい

 思いやりのあるコメントが続々と流れてくる。
 俺もみんなと同じ考えだ。ファンとしては、推しが楽しそうに活動してくれるのが一番嬉しい。体を壊すような無理をするくらいなら思い切って休んでほしいと思う。
 だが一方で、休め休めとコメントしても推しにとっては余計な心配かもしれない。労わったつもりのコメントが、ギリギリで踏ん張っている推しに「ファンが言うなら、もういいや」と諦めさせる決定打になってしまうことだってあり得る。
 こういうとき、「頑張れ」と「無理しないで」のどちらが正解なのかわからない。
 だから俺にできるのは黙って推しの無病息災を祈ってやることだけだ。マジですまん。

『ねえ、ダックちゃん……マリアがごはんを作りに行こっか?』
『うにゅ? どういうことじゃ……』
『ダックちゃんはそのまま配信に専念する。その代わり、マリアがダックちゃんのお家に通って、栄養たっぷりのごはんを作り置きするのよ』
『んなぁっ⁉』

 出やがった、母親特有のお節介ムーブ!

「頑張れ」でもなく「無理しないで」でもなく、母さんの回答は「ごはんを作りに行く」だった。完全に母である。
 数日前の俺なら「マリアママァァァ‼」とオギャっただろうが、中の人が母さんだとわかった今では、「おい、他所さんにお節介すんな」としか思えない。
 突然の提案にチャット欄はざわつき、ダークは慌てふためいた。

『だ、ダメじゃダメじゃ! メタライブの始祖たる大先輩に通い妻のような真似をさせてみろ、余は他のメンバーに刺されてしまうのじゃ……』
『大丈夫。ね、まずは三日に一回からデリバリーマリアしてみない?』
『三日に一回……徐々に頻度を落とすにしても多くないかの?』
『何を言ってるの。三日に一回から始めて、二日に一回、毎日と頻度を上げていって最後にはマリアの子どもになるんだよ……』ゴゴゴゴ……!
『うわあ、妖怪マリアママじゃあああっ! 養育されてしまうっ!』
『あ~、この可愛い女神を妖怪とか言っちゃう悪い子は……足の裏こちょこちょの刑~!』

 バシャバシャと水が激しく跳ね、マリアとダークの幸せそうな笑い声が上がる。
 笑い声しか聞こえないのに、すごく微笑ましい光景を見ているような気分だった。

「この二人ってよ、保護者とクソガキって感じでなんかいいよなぁ」

 五十嵐が漫画を読みながら呟いた。
 なんとも語彙力に欠けた感想だが言いたいことは伝わる。俺もダーマリのコラボは好きでよく見ていて、なんで好きなんだろうと考えたとき、一つのことに気づいた。
 それは、二人が素直だということ。
 VTuberは、人によって程度の差こそあるがキャラを演じる仕事だと俺は思う。
 だけど、あくまで俺の好みだが、キャラを演じるよりもありのままで喋ってくれるほうが親しみやすい。
 マリアママと呼ばれる母さんが普段から母親であるように、ダークの中の人もいたずら好きなクソガキなのだろう。だから演じている感がないし、お互いが本音で喋ってくれているのが伝わるから安心して楽しめる。嘘じゃないから、信頼できるんだ。

 俺なんかより、ダークのほうがよっぽど母さんと本音で話しているじゃないか……。

「なあ、五十嵐」
「あん?」
「母親の料理を食べたときってさ……〝美味い〟って言ってる?」

 なんだそりゃ、と五十嵐は笑い、

「そりゃあ、言うときもあるだろーよ。こっちの好きなもんを作ってくれてんだから」
「……だよなぁ」

 家で食べているとき、母さんに味を聞かれて「ああ」とか「うん」しか言ってなかった自分を思い出す。味を聞き始めたこと自体、俺が何も言わず食うようになったせいだろうか。
 いつだっけ。最後に母さんの前で、「美味い」と言ってあげたのは。

『はぁい。それじゃあ最後に、肩まで浸かってママと10数えたらエンディングいきますよぉ! いーち。にー。ほら、ダックちゃんも数えて?』
『やれやれ、付き合ってやるかの。……いぃ~ち! にぃ~い! さぁ~ん!』

 結局、そんな簡単なことも思い出せないまま、賑やかな配信は終わっていった。



 6月25日(日)8時34分

 五十嵐の家で一晩を過ごした翌朝、俺は帰宅した。念のため帰る一時間前には母さんに連絡を入れておいたから、黒曜ダークの中の人と鉢合わせずに済んだ。リアルではどんな人なのか気になるけど、だからって会いに来られても迷惑でしかないだろう。
 俺が帰宅すると、ぽふぽふとスリッパを鳴らして母さんがリビングから出てきた。

「おかえり、翔ちゃん! 朝ごはんは?」
「まだ」
「よぉし! じゃあすぐに作っちゃうから待ってて!」

 気合を入れるほどのことでもないだろうに、母さんは小走りでリビングに戻っていった。
 自分の部屋に荷物を置き、ジャージに着替えてから一階に下りる。
 俺がリビングに行くと、早くも母さんが朝飯をテーブルに並べている最中だった。トースト、ハムエッグ、ソーセージ、ツナサラダ。それら見慣れたメニューに、小皿に盛られた豚の生姜焼きがひっそりと混ざっている。
 ほどなく、俺と母さんは向かい合って座り、朝飯を食べ始めた。
 いつもどおりの美味い料理。
 今まで意識しなかったけど、これも忙しい配信の合間に作ってくれてるんだよな……。

「五十嵐くんのお家は楽しかった?」

 聞かれ、トーストをかじりながら「うん、まあ」とだけ答えた。

「お泊りかぁ。お母さんも昔はよくしたなー」

 噓つけ昨日もしてただろ。

「今の子ってどんなことして遊ぶの?」
「えっ、VTuberの配信見たり」
「…………ふぅ~~~ん?」

 しまった、「漫画を読んでた」とでも言えばよかったんだ。急な質問だったから一番印象に残っていたことを口走ってしまった。

 ふいに食卓が静まり返る。
 気まずい空気の中、俺がトーストをもそもそ食べていると、

「だ……誰の配信を見たの?」

 思わず「え?」と聞き返してしまった。

「VTuber見てたんでしょ? 誰の配信? お母さん実はVTuberにはちょ~~っとだけ詳しいから知ってるひとかも」

 ここで「天母マリア」と答えるのはやめたほうがいい気がする。
 お風呂配信を息子が見ていたと知って喜ぶ母親はいないと思う。いくら母さんでも、あれを見られて喜ぶほど残念じゃない。おそらく逆に、俺がお風呂配信を見ていなかったことを確かめたくて聞いてきたんだろう。

 さて、誰と答えようか……。

 ぱっと思いついたのは黒曜ダークだけど、あの人はお風呂配信の共犯だから駄目だ。
 となれば俺が選ぶべきは、マリアとダーク以外のVTuber――

「俺が見ていたのは……極姫ごくひめシルビアってひとだよ」
「なんで」

 と、母さんの目から光が消えた。

 極姫シルビアはメタライブの四期生でダークと同期だ。メタライブ公式サイトのメンバー紹介では、『いつもは清楚だけど、キレると極道の血筋が出てしまうお嬢様』とある。

 それはさておき、「なんで」と聞かれても困るんだが……。

「なんでって……シルビアは金髪のお嬢様で可愛いし、話がおもしろいから」
「お母さんが知ってるVTuberだとね、天母マリアさんも金髪で超絶可愛いし、お話だって笑いすぎて過呼吸になるくらいおもしろいんだよ?」
「人災かよ」
「昨日は生配信もあったのになんで翔ちゃんは見てないの? ねえなんで?」

 ぷくぅ、と頬を膨らませる34歳児。

「…………母さんさぁ……」

 俺は盛大な勘違いをしていたっぽい。
 うちの母は、息子がお風呂配信を見ていても喜ぶという残念さを通り越し、むしろ他の配信を見ていたら嫉妬するというワンランク上の怪物だった。
 なんかもう、すごくめんどくさい。

「あーはいはい。じゃあ今度ついでにその人の配信も見てみるよ」
「え~……。でもいっか、ついででも」

 ふふっ、と母さんは嬉しそうに笑い、

「こんなふうに翔ちゃんが好きなこと教えてくれるの、すごく久しぶりだねっ」
「…………」

 言われてみれば、好きなものを親の前で話さなくなった。
 いつからだっけか。小学生の頃は好きなゲームやアニメの話を母さんにしていたのを覚えている。あの頃は母さんに興味を持ってもらえるのが褒めてもらうことと同じくらいには嬉しかった……おぼろげな記憶だけどそんな気がする。
 なんでしなくなったのか。きっかけなんて思いつかないが、素直に話すのが恥ずかしくなったんだと思う。母さんに素直になるくらいなら隠し事をしたほうが楽になったんだ。
 だけど今日は、いつもより素直でいようと決めていた。
 俺は豚の生姜焼きに箸を伸ばし、口に運ぶ。

「あっ。それね、昨日お客さんが来たんだけど作りすぎたから余っちゃって」

「――美味いよ」

「へ? 翔ちゃん、今なんて……」

 まじかよ。もう一回言わなきゃいけないのか。
 今度は聞き返さないでくれよと内心で願いつつ、

「美味いよ、母さんの料理」
「~~~~っ⁉ むふっ、ふふふ。うへへぇ……」

 母さんはものすごくニヤニヤしながら頬っぺたを両手でむぎゅむぎゅとマッサージする。外見が若いからか、そのハムスターの毛づくろいみたいな動きが不覚にも可愛く思えてしまった。

「はい決めましたっ! お母さん今日から毎日、豚を生姜で焼き散らかすねっ!」
「散らかすなやめろ」

 久しぶりに母さんと話しながら食べる食事は、不思議な味がした。口に運ぶものがどれも普段より味がはっきりとしていて、温かく感じるんだ。
 いつも美味い料理が、いつもより美味い。
 たまには母親と本音で話すのも悪くない……かもしれない。なんてことを思ったのだった。
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カクヨムにも連載中 ⇒ https://kakuyomu.jp/works/16817139556518382199
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