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第6話:愛のドタバタ大試練!

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 まさか古ぼけた灯台に、これほどまでのセキュリティシステムが置かれているとは思わなかった。壁面に並べられた五十台以上のモニタには、エドアルドの屋敷内だけでなく、人があまり通らないだろう砂浜の様子まで細かく映し出されている。

 マイゼッティーの屋敷は景観を優先させるためか、四方に壁や塀が一切設置されていない。これでは他のファミリーの奇襲があった時、その脆弱さから一気に攻め込まれるのではと初めは危惧したが、ここまで厳重な監視体制を敷いているなら不安はないだろう。
 エドアルドは長として、ちゃんとファミリーの安全を第一に考えられる男だ。さすが――――なんて、現実逃避したいがばかりに脳内で彼の絶賛を繰り広げていたが、そろそろ限界だ。

「あの……これはどういうことなのか、説明して……貰えるかな?」

 イヴァンと強面たちに連れられ部屋を後にしたセイは、監視灯台の最上階へ案内されると、モニタが一望できる位置に置かれた椅子に座らされた。そして、そのまま両手首を手触りのいい絹のリボンで一括りにされてしまったのだ。

 ただし、それはセイの目前で可愛らしい蝶々結びになっているが。
 これは拘束されたと考えていいのだろうか。

「もうすぐね、ボスが帰ってくるんだ。そしたら一番にここに来ると思うから、セイはそれまでここでボクと一緒に待っていて欲しい」
「待っているだけでいいの?」
「うん、でも退屈だったらモニタを見ててよ。どこかの画面には絶対にボスが映ると思うから」

 イヴァンは手慣れた手つきでパソコンを操作し、様々な場所にカメラのレンズが向くよう調節している。

「分かった、イヴァンの言うとおりにするよ」
 本来、他組織の人間に拘束されたとあれば、即座に脱出方法やヴィートへの連絡手段を講じるべきだ。なのに、そういった気持ちになれないのは、イヴァンを含めたマイゼッティーの人間たちから、セイを危険な目に遭わせようという空気が伝わってこないからだ。
 彼らは悪意でこんなことをしているのではない、むしろ――――。

「あ、ボスが帰ってきたよ!」

 イヴァンの嬉々した声に、セイは指が差されたモニタを見つめる。と、画面には部屋にいるはずのセイがいないことに気づき、不安そうな顔を浮かべたエドアルドの様子が鮮明に映し出されていた。

「ボス、ちゃんと手紙に気づいてくれるかなぁ?」

 悪戯が成功するかドキドキしながら待っているといった表情のイヴァンの懸念は、数秒で杞憂に終わった。ベッドの上に置かれたメモらしき紙を見つけたエドアルドが、慌てた表情で部屋から飛び出していく。

「手紙にはね、こう書いておいたんだ。『セイは預かった。返して欲しくば、監視灯台まで来い』って」
「何かそれ、ミステリー番組でよく出てくる誘拐事件の脅迫状みたいだね」
「みたい、じゃなくてそのものだよ。だってセイは僕たちに攫われたんだから脅迫状は必要でしょ?」
「確かに攫われた……ようだけど」

 手首を緩く結ぶピンク色のリボンに視線を落とす。

「でもこんなことして、エドは怒らない?」

 一応、自分は今、エドアルドの招待客としてここに滞在している。つまり形式上はドンの友人ということになるので、彼の部下はセイをエドアルドと同等に扱わなければならない。そんな人間を危険はないとはいえ、拉致したとなれば大問題だ。
 それを心配して聞いてみれば、たちまちイヴァンの背筋がピンと伸びた。表情もみるみる暗くなり、血色のよかった紅色の頬が真っ白になっていく。

「ボスは怒る……かもしれない。でも……それでも……」

 イヴァンは俯き、眦に大粒の涙を浮かべながら背中を震わせた。
 彼も裏の世界の人間として、マフィアの厳しい制裁を知っている。ドンの立場を著しく脅かす行為は裏切り行為とみなされることも。そして、この世界の掟に女や子どもは関係ないことも。

「それでもイヴァンたちには、意味のあることなんだね?」

 問い尋ねると、イヴァンは震えながらもしっかりと頷いた。その瞳には確かな覚悟があって、セイはもうこれ以上自分が口を出すべきではないと悟る。

「分かった。じゃあ、僕は大人しく君たちの言うことを聞くよ」
「え……セイは……怒らないの?」
「どうして僕が怒るの? 別に危害を加えられたわけじゃないから、その必要はないでしょ?」

 セイの微笑みに、緊張で強ばっていたイヴァンの表情が解れる。

「セイ、ありがとう」
「お礼なんていいんだよ。それより……ほら、エドがこの灯台の近くまで来たみたいだけど、あれ……入り口に誰か立ってる?」
「あれはボスの側近で、ファミリーで一番腕っ節が強いマーゾだよ」
「ファミリーで一番ってことは、エドよりも強いの?」
「うーん、どうかなぁ。あの二人が喧嘩したところ見たことないから分からないけど、マーゾはボスを除いたファミリーの中でたった一人しかいないアルファだし、毎日鍛錬してるから、もしかしたらボスよりも強いかも」

 エドアルドより強いかもしれない。一昨日の一件からエドアルドが相当な力の持ち主だということは知っているセイにとっては、それ以上の手練れがどれほどのものなのか想像すらできなかった。

「セイはボスとマーゾ、どっちが勝つと思う?」
「えっ? まさかあの二人、今から殴り合いでも始めるのっ?」

 イヴァンの言葉に驚いて、モニタを注視する。と、二人は一言二言話した後、腰を低く落として構え合った。
 次の瞬間、エドアルドよりも二回りも体格の勝るマーゾが、岩のような拳を振り上げる。

「エドっ…………っ」

 あんな強靭な肉体の大男に殴られれば、ただでは済まない。エドアルドは両腕を組み合わせてマーゾの拳を受け止めようとしたが、それすら見ていられなくてセイは目を固く閉じた。

「セイ、ダメだよ。ちゃんと見て。自分の運命の人を」

 イヴァンに背中を擦られ、促されたセイが恐る恐る瞼を上げる。と、二人を映すモニタにはマーゾの拳を受け止めたまま、しっかりとその場に立つエドアルドの姿があった。

「大丈夫、ボスだって強いよ」

 穏やかな言葉どおり、攻撃を受け止めたエドアルドは苦悶の表情など一切浮かべていなかった。それどころか逆に受け止めたマーゾの手首を掴んで動きを封じている。
 そこからはもうエドアルドの独壇場となった。
マーゾから繰り出される反撃を何度も躱しながら、攻防の隙を見て舞うように蹴り上げる。この型は日本の空手技だ。一目で気づいたセイは、母の国の武術で戦うエドアルドの姿に心を湧かせた。

「ボス、格好いいでしょ?」
「そ……れは……」

 問われ、セイは口籠もる。
 立場上、自分はエドアルドを賞賛してはいけない。けれど必死にマーゾと戦う姿を見ていると、勝手に胸が高鳴ってしまう。

「ボク、ボスのこんな姿、初めて見たよ。ボスはいつも優しく笑っているか、真面目な顔で仕事をしているかのどちらかだから」
「そうなんだ」
「ここまでボスが本気になるのは、相手がセイだからだよ。だからこの格好いい姿を、じっくり見てあげてね」

 子どもらしからぬ大人びた物言いを前に、セイは首を振って拒絶することはできなかった。いや、正直な話、イヴァンに諭されるよりも先に、セイの本能が拒絶できなかったと言った方が正しいのかもしれない。

 セイが攫われたと知って、いつもの冷静さを失うほど焦燥しながらも懸命に救い出そうとしてくれいる。そんな熱い姿に心が動かされないわけがない。

「あー、もうマーゾったら、ここでボスに負けちゃダメなのに」

 拳技を得意とするマーゾは耐久力では負けていないものの、腕と足の長さの違いからエドアルドになかなか攻撃を当てられないでいる。その様子を見て、イヴァンがやきもきした素振りを見せた。

「ええっ? ここでエドアルドが勝っちゃだめなの?」

 てっきりエドアルドがマーゾに勝利して、この誘拐騒動は終止符が打たれるものだと思っていたが、イヴァンの思惑は違うものらしい。

「まったく、こんな時に本気の力試しなんてしてないで、さっさと奥の手を使ってよ!」
「お、奥の手?」
「そう。マーゾがボスの隙を見て、『あー、あんなところにセイ様が!』って叫ぶの」
「……それってかなり古典的じゃ……」

 奥の手というものだからもっと凄い裏技でも隠しているのかと思ったのに、と違う意味で驚かされる。だが、モニタの中のマーゾが明後日の方向を指差し、何かを大きく叫ぶと、瞳を大きく開いたエドアルドが慌てて同じ方向に振り向いて。

「あー……」

 見事に引っかかってしまったようだ。
 その瞬間を狙って、マーゾがエドアルドに思い切り体当たりする。すると当然ながら構えを解いたエドアルドの身体は簡単に飛ばされ、砂浜の上に尻餅を着いてしまった。

「やっぱりボスはセイが大好きなんだね」
「……それ、喜ぶべきなのか、頭を抱えるべきなのか迷うところだよ」

 自分のせいでエドアルドが一本取られたなんて、申し訳ない気分にしかならない。眉間に指を当ててため息を吐いていると、隣でイヴァンがケラケラと笑いながら「見て見てっ」とモニタを指した。

「今度は何?」

 ため息を吐きながらも言われたとおり顔を上げると、モニタには尻餅をついたエドアルドが突然覆い被さってきたマーゾに靴を脱がされ、奪われるという奇妙な光景が映し出されていた。

 その後、エドアルドの靴を両手に、満身創痍のマーゾが全速力で逃げていく。
 当たり前だがその場に取り残されたエドアルドは、裸足のまま唖然としていて。

「ねぇイヴァン、これは一体……」
「大丈夫だよ、靴はちゃんと後で返すことになってるから」
「いや、返すとか返さないとかの前に、どうしてエドは靴を取られたの?」
「うーん……簡単に言えば、試練かなぁ?」
「試練?」

 マフィアの世界に裸足になる試練などあっただろうか。首を傾げるセイと一緒に、映像のエドアルドも困惑の表情を浮かべている。多分、彼自身も自分が置かれている状況を理解しきれていないのだ。
 だが、このまま座っていても埒が明かないと言わんばかりに立ち上がり、エドアルドは灯台の入り口へと入っていく。

「さて、今からがお楽しみの時間だよ」
「まだ試練が続くのっ?」
「勿論っ!」

 この子は天使の顔をした悪魔か何かか。イヴァンの笑顔に些か戦慄を覚え、肩が小さく震える。
 エドアルドは本当に大丈夫なのだろうか。これはもしや、こちらから進言して試練とやらの手を緩めて貰うべきなのだろうか。
 色々と思考を巡らせてみるが、そうこうしている内に次の試練が始まってしまう。

「ここからはね、色んな障害物を乗り越えていく試練だよ」

 イヴァン曰く、ここからはエドアルドに三つの困難が振りかかるらしい。
 言葉のとおり、まず低層階では階段の至る所に括り付けられた柄の長い箒が行く手を阻み、エドアルドは障害物を前にする度に飛び越えなければならないという状況に追いやられた。
 一本、二本程度なら余裕だが、何十本ともなると大幅に体力が奪われる。しかし、エドアルドは文字通り肩で息をしながら長い足で跳躍を続けて見せた。

「これ……僕なら途中で倒れてると思う」
「でもボスなら大丈夫!」
「であって欲しいけど……」 

 二人が話している内にも箒の苦行は続き、初めは勢いがあったエドアルドの進みが次第に遅くなっていく。

「エド、本当に大丈夫かな。かなり苦しそうだけど……」

 命の危険はないと思うが、それでも辛そうな顔に代わりはないし、額も汗でびっしょりと濡れている。映像に彼の心の声までは映し出されないが、今きっと極限状態の焦燥に胸を痛めていることだろう。許されるならすぐにこの部屋から飛び出し、エドアルドのところに行って「僕は無事だよ」と安心させてあげたい。気持ちを疼かせながらいつ立ち上がろうか考えていると。

「あ、ボスが箒の試練を突破したみたいだよ!」

 イヴァンの明るい声が、セイの一歩を止めた。モニタを確認すると、すでに障害物のない場所を進んでいるエドアルドの姿が映っている。どうやら試練の道を無事に通り抜けたようだ。

「よかった……」

 これで一安心と、セイは安堵の息を吐く。だがそんな心ゆるびも束の間、まるで機を見計らったかのように、上階から大量の焼き菓子がエドアルドの頭上に降り注いだ。

「何あれっ?」

 バラバラと音を立てながら散らばる菓子入りの小袋に、エドアルドがぽかんと口を開けて立ち尽くす。見ているセイも双子のシンクロのように、同じ顔で画面を見つめた。

「あのクッキーはね、昨日の夜、皆で作って一個ずつ袋詰めしたんだ! 確か百個以上はあるはずだよ」

 可愛い悪魔の話によると、あの場には『セイへの愛の分だけ小袋を持ってくるように』という指示紙とともに、中の一つに監視室へ入る鍵が隠されているのだそうだ。

「ボスなら絶対一つ残さず持ってくると思うよ! だってセイへの愛が、試されてるんだもん!」

 邪気のない笑みに、セイはもう乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
 唖然に続く唖然な展開の中、指示紙を読んで状況を把握したらしいエドアルドが、小袋を一つずつ拾いながら確認していく。
 その姿を見ながらセイはイヴァンに声をかけた。

「ねぇ、イヴァンはエドが大好きだから、こんな悪戯を始めたんだよね?」
「え? 勿論、ボクも皆もボスのことが大好きだけど……」
「うん、そっか」
「セイ?」
「ううん、別に何でもないよ」

 イヴァンたちはエドアルドが大好き。その言葉が本当なら、今し方不意に浮かんだこの予測は当たっているかもしれない。セイは納得の表情を浮かべて数度頷いた。
 モニタの中では菓子の中から鍵の入った小袋を見つけだしたエドアルドが、再び階段を登り始めている。

「さて、次は何があるのかな?」
「次が最後だよ。多分、次は今までの中で一番びっくりすると思う」
「びっくりかぁ、何だろうね…………って、もしかしてあれ」

 エドアルドの姿を捉えた画面の足下が、白く染まっている。いや、染まっているというよりも、何かがコンクリートの階段一面を覆っているといった方が早い。
 白い布でも綿でもない。楕円形の小さな玉のような物体。

「あれって、まさか……卵?」
「凄い、よく分かったね!」

 階段に敷き詰められていたのは直感どおり、大量の卵だった。
 いつの間に用意したのだろう。セイたちが最上階に登ってきた時は一つも置かれていなかったのに。
 しかし圧倒的な景色だ。卵の絨毯を目の前にしているエドアルドも、言葉もなく見つめている。ただ、純粋に卵の量に驚いているこちらと向こうでは、考えている意味が違うだろうが。

「ボスって足が長いけど、さすがに十段の階段を一跨ぎじゃ登れないよね」

 確かに、いくらエドアルドでも容易に越えられる段数ではない。しかも、今の彼の腕には愛の強さを確かめる大量のクッキーが積まれていて、卵を拾って退かせることもできない。
だが、そこを進まなければセイが捕まる管理室には辿り着けないとなると、選ぶ道は一つだけ。

 エドアルド大きく深呼吸してから、ゆっくりと真っ白の殻の上に足を進めた。
 パキ、グチュ、クチャ。
 成人男性の体重に耐えられない卵が、生々しい音を立てながらエドアルドの足下で無惨に割れていく。

「う……わ……」

 裸足の状態で卵を踏み割る。その感触は想像しただけで筆舌に尽くし難くて、頬が勝手に引き攣った。
 絶対に気持ち悪いはずだ。なのに、エドアルドは一度として足を止めることはなかった。一歩一歩確実に前へと進み、とうとう監視室の扉の前まで辿り着く。そして。

「エド……」

 カチャン、と鍵を開錠する音が響き、扉が性急に開かれた。

「セイっ!」

 雪崩込むように飛び込んできたエドアルドは、画面越しに見るよりも明らかに酷い有様だった。美しいハニーイエローの髪は乱れ、汗に濡れる額に張り付いている。質のいいシャツも皺が寄り、真っ白なスラックスなんて砂や埃、そして卵で無惨な汚れに染まっていた。

「大丈夫ですかっ!」

 監視室に入って来ると同時に見つけたセイが、リボンとはいえ手を縛られた状態にあることに気づくと、エドアルドの顔が一気に怒りの形相に変貌する。

「エド待って、あのね……」

 クッキーを机の上に置いたエドアルドが怒りの感情に囚われたと早々に悟ったセイは、少しでも穏便に進めようと先に口を開いた。

「イヴァン! これはどういうことですっ!」

 が、説明するよりも先に怒号が響き渡り、イヴァンとともに双肩を竦める結果となってしまう。

「セイを攫って監禁しただなんて、お前やマーゾはどれほどの裏切りを私にしたか、分かっているんですか?」
「ボス……あの、これは……」

 イヴァンが次第を説明しようと口を開こうとするが、何故か言葉がなかなか出てこない。どうしたのだろうと隣を見つめると、イヴァンは真っ青な顔でハクハクと唇を小刻みに開閉させていた。
 多分、エドアルドが発する威圧に押されてしまっているのだ。

「イヴァン、早く説明を――――」
「落ち着いて、エド。イヴァンはエドの怒りに驚いて言葉が出なくなってるんだ。それにイヴァンもマーゾも他の人たちも、エドを裏切ろうとしたんじゃなくて、僕らを祝福したいって気持ちで今回の行動を起こしたんだよ」
「え? 祝……福?」
「うん。そうだよね、イヴァン?」

 椅子から立ち上がり、結ばれたままの手で震える背を撫でると、イヴァンは瞳を伏せながら小さく頷いた。

「……うん。だってボスが……運命の相手に……巡り会ったから……」
「私がセイと出会ったから、セイを攫ったりここに来る邪魔したりした? それは一体どういう……」

 どうやら頭が切れる男でも、今回の騒動は読み切れないらしい。

「僕も最初、イヴァンたちの意図がまったく読めなかったんだけど、ここに来る途中でエドの頭上からお菓子が降ってきたでしょ? そこで気づいたんだ。皆は……僕たちの結婚のお祝いがしたかったんだと思う」
「けっ、結婚っ?」

 これにはさすがに驚愕したようで、エドアルドの頬は一気に赤く染まり上がった。

「僕も聞いた話でしか知らないんだけど、母の国では結婚式の日にお菓子を捲く風習のある地域があるんだ。それを思い出して他のも、と考えてみたら今回の悪戯は全部、色んな国の結婚行事だって気づいて」

 確か靴盗みはインドの風習、箒跳びはアフリカ系アメリカン、卵踏みはジャワだったはずだ。

「イヴァンも他の皆もエドが大好きだから、彼らなりの方法でお祝いしようって考えてくれたんだと思うよ」
「イヴァン、お前は……」

 二人で見つめると、イヴァンは大量の涙をポロポロと流していた。

「ごめんなさい、ボス。僕たち、ボスの運命が見つかったことが嬉しくて……ずっと、探してたって言ってたから……」

 ようやく喋られるようになったイヴァンが、鼻水を啜りながら真意を告げる。するとエドアルドは心から安心したかのように、深い息を吐き出した。

「まったく……祝ってくれるのは嬉しいですけど、心臓に悪いことはやめてください」

 エドアルドは涙声で謝るイヴァンに近寄り、微笑んで優しく頭を撫でる。その顔に怒りの色はもうなかった。

「それに、お前たちの気持ちは嬉しいですけど、私とセイはまだ一緒になれると決まったわけでは……」
「エドっ。その話は……」

 今はよそう、と目で訴える。
 ただただエドアルドを喜ばせたくて考えてくれたせっかくの計画に、水を差すようなことはしたくない。例え、彼らの思い描く未来が訪れないのだとしても、せめてイヴァンがいるこの場だけは穏やかに終わりたい。
 それは汚れた大人の柵を知らないイヴァンのためでもあったが、それとは別にエドアルドのファミリーの温かさに少しの間だけでも触れていたいと思う自分のためでもあった。

「ありがとう、イヴァン。君たちの気持ちはありがたく受け取らせて貰うね」
「ううん、セイの方こそ、ボクたちに付き合ってくれてありがとう。それと、ボスと絶対に幸せになってね」

 本当の結婚式では盛大にお祝いするから、と天使の笑顔を送られたセイとエドアルドは、ぎこちないながらも微笑んで返す。そして「あとは二人の時間だよ」と帰って行くイヴァンを見送った。

「……さて、じゃあ僕はバケツとタオルを探さなくちゃね」

 イヴァンは部屋から出て行ったところで一連の悪戯は終了だろうが、これが彼らのお祝いだというのなら、セイにはまだやらなければならないことがある。

「バケツとタオル、ですか……?」
「これも風習の一つだよ。生卵を踏んで汚れた新郎の足を、新婦が綺麗にするのが習わしなんだ」
「し、新婦……っ」

 既に十分赤いエドアルドの顔が、さらに沸騰する。今なら頬でコップ一杯分のお湯ぐらい沸かせそうだ。

「じゃあ僕はバケツ持ってくるから、エド、これ外してくれる?」

 頼みながらリボンのついた手首を出す。と、エドアルドはすぐに可憐に結ばれた蝶々の端を優しく引っ張って拘束を解いてくれたのだが、すぐにセイの足を止めるべく手首を柔く握った。

「セイ、バケツを取りに行く前に、一つお願いをしてもいいですか?」
「ん? 何?」
「貴方を抱き締めさせて下さい。帰ってきたらセイがいなくて……本当に心臓が潰れるかと思ったんです」

 まだその恐怖が全て拭い切れていないから、セイを抱きしめて不安を解消させたいとエドアルドは願う。
 まるで母親に捨てられた幼子のように消沈する姿に、胸が締め付けられた。こんな顔を見せられて拒絶できるほど、自分は頑なにはなれない。

「うん、いいよ」

 エドアルドの前で小さく腕を広げると、言葉もなく大きな身体が覆い被さってきた。
 南イタリアの日差しのように優しい体温と、薬で抑えていてもなお微かに香る彼のアルファフェロモン。そして汗の匂い。どれも本能が求めていたものばかりで、逃さぬよう思い切り吸い込むと、見る間に細胞全てが満たされる感覚に包まれた。

「エドは本当にファミリーが大好きなんだね。あんな悪戯、いくら理由があったとしても、うちじゃ絶対に許して貰えないよ?」

 少しでも彼のフェロモンに浸っていたくて、抱き合った形のまま、セイから会話を始める。

「自分でもボスとして甘いと思ってます。でも、それ以上にあの子たちが大切なんですよ」

 自分にとって彼らは部下ではなく、名前同様に家族なのだとエドアルドが語る。その声は至極穏やかで、それが心からの言葉だということはすぐに分かった。
 こんな風に思われている彼らが、同じマフィアの人間として羨ましい。

「その気持ちは、ちゃんと伝わってると思う。さっき、ここからモニタを見つめていたイヴァンからは、心底エドが大好きって気持ちが溢れ出ていたし、何度も『ボス、格好いい』って言ってたもん」
「そうですか、じゃあいつまでも格好いいと言って貰えるように、今よりもっと精進しなければいけませんね」
「え、今よりもっと?」

 耳に届いた言葉に、セイはさらなる強さと優しさを備えたエドアルドの姿を思い浮かべる。と、たちまち自分でも分かるほど顔がカァっと熱くなった。

「そ……れはちょっとやめて欲しいかも」
「どうしてです?」
「これ以上格好よくなられたら、僕の心臓がどうにかなっちゃう……から」

 今回だってあまりの魅力に、胸が潰れそうだったというのに、これ以上となったら完全に自制ができなくなってしまうかもしれない。それを危惧して自重を願うと、何故か抱き締める力がいっそう強くなった。

「ああ……なんて嬉しいことを。貴方に格好いいと言って貰えるなんて、私は今、世界で一番の幸せ者だ」

 固く閉じこめられていた腕から解放され、代わって吐息が聞こえる距離で見つめられる。

「セイ、顔をよく見せて」
「エド……」

 熱情を宿したエメラルド色の瞳で真っ直ぐに射抜かれ、緊張に身体が固まった。あっという間に高鳴り始めた鼓動がドラムの振動のように大きく震え、その音がセイ自身までを揺らす。

「私のオメガ……運命……貴方が愛おしくてたまりません。今にも爆発してしまいそうなこの感情を、私はどうすればいいのでしょう?」
「どう……すればって……」
「貴方の唇に触れるのは罪ですか? 項を噛むことができないのなら、せめて唇だけでも触れたい」

 指先でそっと撫でるように触れながら、エドアルドが泣きそうな顔で懇願してくる。

「そ、れは……」

 ヴィートとの誓約内容は、エドアルドがセイに不純な行為をしないこと。それはおそらく身体を重ねることを指しているがゆえ、キスは約束の中に入らないだろうが、セイに執着する男は決してそれを許さない。

 だけれど――――この美しい瞳の誘惑に、どう抗えというのだ。
 セイの欲望は既に白旗を挙げてしまっている。残る一握の理性だって今に弾けてしまいそうだ。

「ダ……メ、エド……僕らは……」
「セイ、お願いですから、どうか私を拒まないで。私に貴方という恵みを与えてください」

 願いとともに親指の腹でそっと唇を撫でられ。

「愛しています、貴方を、心から……」

 ゆっくりとエドアルドの綺麗な顔が、唇が、近づいてくる。
 フェロモンを抑制している今のエドアルドなら、きっと両手で押し返すことだってできるだろう。だが、それでもセイは自らの意志で瞳を閉じた。

 ――――やっぱり運命に抗うことなんて、できない。

 それが答えだった。






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