上 下
18 / 23

第18話:後ろめたい嘘

しおりを挟む
 あの夜から二週間。
 幸輝は何度も東岡から呼び出しを受けては、あの無駄に豪華なホテルで抱かれる日々を過ごしていた。

 東岡との関係は、昔と同じで非常に淡泊なものだ。呼ばれて、セックスして、帰る。その行程の中に愛情なんて一欠片もない。結局のところ東岡が気に入っているのは幸輝自身ではなく、幸輝の身体だけなのだ。

 昔はそれで良かった。例え愛情のない関係でも、他人の体温に飢えていた幸輝はそれだけで心地良さを得ていた。
だが誠一の体温を知ってしまった今、幸輝は東岡の体温を受け入れられなくなっていた。
抱かれる度に不快感が増していく。

 こういう時、一番に欲しいと思うのはやはり誠一の体温だ。けれど、今は仕事が忙しい時期だから邪魔をしたくないし、――――何より今の幸輝には誠一に抱かれる資格がない。 
こんな状態が、いつまで続くのだろう。いや、正しく言うならば、誠一との関係はいつまで続けられるだろう。幸輝の身体は既に他の男に汚され、触れて貰える価値もないものになっている。そのことを人一倍束縛の強い誠一が知ったら、彼はどんな決断を下すのか。
それを考えると、怖くなって自然に誠一から足が遠退いてしまった。せっかく合い鍵を貰ったのに、幸輝は毎日下手な理由をつけては自分の部屋へと帰るのだ。

「―――――それでさ、保険金の受取人を変えたいって言われたから顧客のところに話聞きに行ったら、そこで夫婦の修羅場に巻き込まれたんだよ」
「マジ? で、原因は?」

 事務所で仕事をしていた最中、不意に外勤社員達の話が聞こえて来て、幸輝は手を止めた。どうやら彼等は書類の整理をしながら、顧客の話をしているようだ。

「嫁さんの不倫。外に男作ってるのがバレて、旦那が離婚を切り出したんだ。そしたら嫁さんが怒りだしてさ。近くにある物、手当たり次第投げ付けてきたってわけ」

 その喧嘩に巻き込まれて、その社員は怪我をしたのだと言う。話を聞いていたもう一人の社員が労いの言葉を掛けていると、ちょうど外から戻って来た誠一が二人の頭を丸めた書類で叩いた。

「こら、顧客の内情ペラペラ話してんじゃねーよ」
「イテテテテ。すんません。でも、悪いとは思いますけど各務さんも酷いと思いません? やっぱ一度将来を誓った人間がいるなら、他の人間と関係持っちゃ駄目だと思うんですよね」
「まぁ、それが道理だろうな」

 同意を求められ、誠一が頷く。

「あっ、もし各務さんが好きになった相手にそういうことされた時、どう思います?」
「っ!」

 恋人が他の男と関係を持ったら――――。今の自分と全く同じ状況を誠一がどう思うかという質問に、幸輝は一瞬で心臓を締め上げられた。

「あぁ? 何で、んなこと俺に聞くんだよ」
「参考意見ですよ。人生の先輩として聞かせて下さい」

 誠一は何て答えるのだろう。
 聞きたい。でも、聞くのが怖い。
 幸輝は手を震わせながら、そっと聞き耳を立てた。

「不倫か……許せないというよりは、多分、相手が信じられなくなるだろうな。俺はそういうの、駄目だからよ」
「不倫や浮気はアウトってことですか?」
「ああ。相手がいるのにも関わらず、他の人間と関係を持つ奴の考えが理解出来ねぇよ」

 あからさまな嫌悪感を宿した声で、誠一が自身の意見を述べる。それが耳を通り抜けた瞬間、締め上げられた心臓を突き刺された。
あまりの衝撃に、持っていたペンを落としてしまう。だがそんなことにも気付かない幸輝は、何も言わずに立ち上がると、そのまま事務所を飛び出した。  





 誰も使わない会議室に逃げ込んだ幸輝は、震える身体を抱きしめながらその場に蹲った。

『許せないというよりは、多分、相手が信じられなくなるだろうな。俺はそういうの、駄目だからよ』 

 誠一の言葉が、頭の中で何度も再生される。
 東岡とのことを誠一に知られたら、何もかもおしまいだ。
だが必ず、誠一が真実を知る日は来る。

 今は忙しいという理由で頻繁に会えないからこそ露見していないようなもので、このまま十一月が終わって仕事が落ち着けば、幸輝の行動だけで誠一も気付いてしまうはずだ。
 怖い、知られたくない。
知られたら、誠一に捨てられてしまう。

 今更、誠一に捨てられたくないなんて身勝手な言い分だと分かってはいるが、それでもそんなことを願ってしまう。
 そんな時、幸輝の後を追うようにして誰かが会議室に入って来た。
 使われていない会議室に入ってくる人間なんて、一人しか思い浮かばない。幸輝が涙に滲んだ瞳で見上げると、そこには予想通り誠一の姿があった。

「誠一……さん」
「やっぱりここか。すげー調子悪そうな顔で出ていったって聞いたけど、大丈夫か?」

 会議室に入って来た誠一は、心配という言葉を全面に出した顔で幸輝に近づくと、膝を着いてこちらを覗きこんできた。 

「体調、悪いのか?」
「いえ……大丈夫です……」
「大丈夫って顔してねぇぞ。ったく、まだ入社二ヶ月目なんだから無理すんな」

 それでなくても幸輝は頑張りすぎだからと、労う言葉と共に頭を優しく撫でられる。しかし、ギリギリの精神状態で不意に優しくされると逆効果で、また恐怖が強くなった。
 耐えられず、誠一に思い切り抱きつく。

「おっと、突然だな。どうした? ……もしかして、寂しかったのか?」
「ごめんなさい……ごめ……な……」

 理由が話せない幸輝は、ただ謝ることしかできない。それでも誠一は何も言わず、幸輝の背中を包んではより深く抱き締めてくれた。

「謝るなよ。俺が迷惑だなんて、思うわけがないだろ?」

 求めて止まなかった体温と心臓の音に、誠一を失いたくない思いが更に大きくなる。僕を捨てないで、という心の叫びが今にも喉から飛び出て来そうになった。

「……ごめんな、忙しさとお前の優しさに甘えて放ったらかしにしちまって。もう少ししたら仕事に切りがつくから。そしたら、休み取って二人で旅行でもしようぜ」

 そう言って、誠一は幸輝の瞼に唇を落とした。 

「……はい」
「ん? やっぱり体調悪いんじゃないか? 顔色も悪いし……もし耐えられないようなら、本当に早退しろよ。部屋まで俺が送ってやるから」

 いつまでも笑顔が戻らない幸輝を、心から心配して早退を進める誠一。だが幸輝は、首を横に振って帰りたくないと願った。
 早退なんてしたら、誠一の顔が見られなくなる。今は少しでも長く、誠一の顔を見ていたいのだ。いつ東岡の命令で、会社を辞めさせられるか分からないから。

「大丈夫です、もう少しだけ頑張ります。もし駄目そうなら、ちゃんと帰りますから」
「そっか。でも、あまり無理はするなよ」

 誠一は穏やかに笑って、幸輝の頭を撫でた。

「――ああ、そうだ。体調悪い時に、こんなこと聞くのはどうかと思うんだけどよ」

 少しだけ聞きづらそうな顔で、誠一が尋ねて来る。

「お前って昨日の夜、どこにいた?」
「え……?」

 どうして突然、と幸輝は目を見開いた。

「あ、いや、な……昨日の夜、たまたまお前の部屋の近くで仕事があったもんだから帰りに寄ったんだけど、部屋に誰もいなかったからさ。俺の部屋かと思って帰ってもいなかったし」

 加えて最近、誠一の部屋にも言っていない理由を聞かれたが、幸輝は真実を言葉にすることが出来なかった。当たり前だ、昨日の夜は東岡に呼ばれてホテルに行っていたのだから。
 まさか、その間に誠一が部屋を訪ねていたなんて、思いもしなかった。

「どっか行ってたのか?」

 だが束縛の強い誠一を前に、沈黙を通すことなんて出来ない。考えあぐねた幸輝は、必死に嘘の理由を捻りだした。

「あ……昨日の夜は、実家に……寄っていました。祖母が体調を崩したというので様子を見に……」
「実家に? そっか、それならいなくても仕方ないか。おばあさんは、大丈夫だったか?」

 どうやら誠一は、幸輝の話を信じてくれたようだ。一安心して、笑顔を作る。

「え……ええ、僕と同じ風邪だったみたいです。今、風邪が流行ってるみたいですから、誠一さんも……気をつけてくださいね」

 誠一に嘘を吐くのは忍びなかったが、何とか不自然に見えないよう繕う。

「ああ、気をつける」

 口元だけで笑った誠一に、突然腕を引かれて胸の中に抱き込まれる。

「幸輝」
「はい……?」
「……今夜は冷えるらしいから、ちゃんと部屋に帰って温かくして寝るんだぞ」

 まるで子供に言うような言葉だったが、幸輝を気遣う優しさはひしひしと伝わって来た。
 自分はいつ、この優しさを失うのだろう。また幸輝の中に不安が芽吹く。誠一に優しくされればされるほど恐怖が募って、その度に不安に苛まれて。二人の関係が壊れるのが先か、自分が壊れるのが先か、誠一の腕の中でぼんやりと考えては、また眦に涙を溜めるのだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

次男は愛される

那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男 佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。 素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡ 無断転載は厳禁です。 【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

少年ペット契約

眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。 ↑上記作品を知らなくても読めます。  小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。  趣味は布団でゴロゴロする事。  ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。  文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。  文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。  文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。  三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。  文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。 ※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。 ※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

処理中です...