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40話:調香
しおりを挟むそれから小半刻もせずに戻ってきた無風の手には大きな箱があって、こちらに近づくたびに香木のいい香りが部屋に広がった。
「これがお前が使っている香箱か。すごいたくさん種類があるんだな」
「季節や天候、暑さ寒さによって調合を変えたりしていますので」
「なるほど。香道なんて言われるぐらいだから、奥が深いんだな。それで、これでどうやって作るんだ?」
蓋をあけた香箱の中は、間仕切りされた木枠のなかに一つずつ蓋つきの椀が綺麗に並べられていた。その数、二十以上はあるだろうか。無風曰く、その椀の中に香木や乾燥させた根などが入っているらしい。
「まず、一番強く香らせたいものを選びます。それからその香に合うものや、次に好みのものを少量ずつ混ぜていくことで、炊き始めの香りや中間のもの、焚き終わったあとの残り香が変わっていくんです」
「強く香らせたいもの……か」
「はい。蒼翠様でしたら、伽羅がそれになりますね」
基本となる香りを決めてしまえば、あとは無風に相性のいいものを聞いてその中から決めればいい。仕組みを理解してふむふむと蒼翠は頷く。が、二十種以上ある原料をぐるりと見て、すぐにこれはかなりの難問だと気づいた。
「うーん……これだけあると迷うな。無風、お前はどうやって香りを決めていくんだ?」
「私は……そうですね、香を贈りたい相手を心に浮かべて決めていきます。蒼翠様にはどんな香りが合うのかとか、似合うのか、とか」
「つまり、お前は俺のことを思って作り上げたということか」
「はい……そう、なります」
少しだけ言葉がつっかえる。どうしたのだろうと無風の顔を覗けば、照れ臭そうに視線を下げる姿が映った。
相手のことを思って、なんて、きっと年頃の無風には気恥ずかしいことなんだろう。
――ハハッ、まだまだ可愛いな。
思わずニヤけながらそう言ってしまいそうになったが、無風の自尊心のために黙っていることにした。
「そうか、じゃあ俺も見習って無風に似合いそうなものを選んでみることにしよう」
基準さえ決まれば素人でもなんとかなりそうだ。蒼翠は香原料が入った椀を一つずつ手に取り、無風に似合うかどうかだけを考えて香りを探った。
―― 丁字は香りが高いけど、ちょっとスパイシーすぎるなぁ。
―― 大茴香も清涼感があっていいけど、なんか無風のイメージに合わない。
――あ、これはいい香りだ。でもベースの香りにするには弱いな。
頭の中であーだこーだと考えながら選ぶこと、半刻。
「よし、これに決めた」
「甘松に栂、藿香、そして白檀ですね」
「ああ。基本となるものが白檀で、あとは少しずつ混ぜたい」
「とてもいいですね。よい香ができそうです。ですが、どうしてこの四つを?」
「俺はお前みたいに香の相性に詳しくないからな。単純に『この匂いを無風が纏ってたらいいな』で、選んだだけだ』
無風にはエキゾチックな辛さやスパイシーな甘さより、隣にいるだけで落ち着く柔らかな香りが似合う。その中でも白檀は、昔の日本でも天皇や皇族が好んだと言われている雅な香りで、本当は聖界の皇子である無風にもしっくりくると思った。だから一番の香りに選んだのだ。
「すごくいい香りです」
蒼翠が渡した四つを慣れた手つきで調合した無風が、合わせ用のお椀に鼻を近づけてゆっくりと嗅ぐ。
「蒼翠様はやはり凄いですね。まるで最初から私の好みを知っていたかのようだ」
「世辞を言ってもなんにもでないぞ?」
「本心です」
「ハハッ、そういうことにしておこう。じゃあ、早速合わせたものを焚いてみようか」
これがどんな香りになるのか早く試したい。はやる気持ちで胸を躍らせながら香炉に視線を向ける。しかし。
「……あ、今、俺の香を焚いてる最中だった」
「そうですね。今さっき火を入れたばかりなので、一刻ほどは香りが抜けないかと」
「それまで待たないといけないのか。うーん、せっかく作ったのに…………あっ!」
「蒼翠様?」
「いいこと思いついた! 無風、お前の部屋だ」
「はい?」
「この香はお前のために作ったんだから、お前の部屋で焚くのが一番だろう!」
無風は普段から香を焚かないと言っていたから、逆にちょうどいい。
「いえ、私の部屋は……」
「なんだ、ダメなのか? ……ハッ、もしかして」
部屋には主である蒼翠に見られたくないものが置いてあるとか。
無風は年頃だ。年頃の男子といえばエロ本。この世界に葵衣が知っているようなエロ本はないが、それに近い春画――性風俗を描いた絵画本――ならある。もしやそれを目に見える場所に置いてあるため、人を招くことができないとか。
「蒼翠様が考えているようなものは、置いてありませんよ」
「……無風、お前最近ちょっと俺の思考読みすぎじゃないか?」
「蒼翠様が真正直なだけかと」
「どうせ考えてることが顔に出やすいっていいたいんだろう? 知ってるよ。自分でも嫌なぐらい自覚してるから。ったく、オブラートに包めばいつでも許されるとおもうなよ」
「オ、ブラ? ト?」
「……なんでもない。とにかく部屋に入って香を焚くぐらいなら、問題ないだろ? 変なところは漁らないから」
こちらでの生活が長くなってきたこともあって、ここ最近はあまり現代の言葉も使わなくなってきたが、気を抜くとまだ出てしまう。これはいけないと蒼翠は慌てて話題を逸らし、作り笑顔を浮かべる。
「別にどれだけ漁っていただいても構いませんよ。ただ、本当に何も面白味もない部屋なので笑わないでくださいね」
「大丈夫だよ。笑わないから」
変な形だったり、間抜けな顔した美術品が所狭しに置いてあったりしたら笑ってしまうかもしれないが、無風のことだからそんなことはないだろう。それは確信できたのだが、そういえば自分は無風の自室に入ったことがないと、蒼翠はふと気づく。
――まぁそりゃそうか、いつも無風がこちらにきて世話をしてくれるんだもんな。
ということは、今から自分は初めて無風の部屋に入る。
――え、すっごい楽しみなんだけど。
ドラマでも邪界での無風の部屋は描写されなかった。つまり世界で唯一、自分だけがドラマの裏設定に触れられるということ。
そう考えると一気に嬉しさが込み上げてきて、蒼翠は今にもスキップし出しそうになったが、なんとか堪えたとか堪えられなかったとか。
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