上 下
21 / 81

20話:邪界皇太子・炎禍①

しおりを挟む

 時は流れ、無風は八歳になった。
 
 謀略と欺瞞ぎまんが代名詞のこの邪界じゃかいで、二年もの間目立った事件が起こらなかったのは、おそらく雨尊村うそんの一件後、無風むふう偽言きげんを吹き込んだ半龍人はんりゅうじんに「村を完全復興させるまで戻ってくるな」という命を下したからだろう。ついでに特別な宝具で霊力も九割ほど封じてやった。

 筆頭配下ひっとうはいかの地位を失った半龍人は、役を終えて戻ってきたところで以前と同様の振る舞いはできない。他の配下たちも半龍人の処遇を見て大人しくなったので、当面の間は安全のはずだ。
 
 
 そんな平和な二年の間に、無風は無事結丹けったんに成功した。使える術も増え、今では小さな妖程度なら襲われても自身で対処できるまでになった。だが、邪界ではまだまだ無力に近いため、最近では仙人と蒼翠そうすいの二人体制で無風の修行を見るようにしている。
 
 
「まだ霊力を術に変えるための集中力が足りない。剣術も隙が多すぎる。これだと実戦では三秒も持たないぞ」

 今日は別件で予定があるからと姿を現さなかった仙人に代わり、屋敷近くの森で修行を見ることになった蒼翠が指示を出していた。
 
「はいっ、もっと精進しますっ!」

 蒼翠の素っ気ない助言にもかかわらず無風は拱手こうしゅの型を取り、嬉しそうに礼を述べる。以前、俺の言葉に従えと言ったが、それを律儀に守っているようだ。
 
 
「今日はあと千回剣を振れ。その後、毎日の水汲みも忘れるなよ。終わるまでは帰って――」
「おや? 我が弟が下賤の者にご執心だと信じられないような噂を聞いたが、まさか本当だったとはな」


 指示の途中、突然聞こえた声と複数の足音に、蒼翠は目を見開き弾かれるように振り返る。
 

「で…… 殿下でんか……それに兄上たちも……」


 深く茂った森の中にポツリと建っている蒼翠の屋敷は、朝議などが行われる邪君の殿舎から遠く離れた辺地にあるため、用がない限り訪問者など滅多にこない。邪君じゃくんの臣下たちからも「第八皇子の宮は、寵愛を失った妃を捨てる冷宮と同じ」とまで言われている場所だ。
 
 そんな静かな屋敷に知らせもなく現れたのは、蒼翠の腹違いの兄である邪界の皇太子こうたいし炎禍えんかと、他の兄皇子あにおうじたちだった。

 ギロリと吊り上がった利かん気の強そうな目に、ごつごつとした印象を抱かせる骨ばった頬と広い顎。炎禍は父親似で、歳を重ねるごとに邪君がそこにいるのではと緊張を覚えるようになったが、どうやら少し見ないうちにさらにその度合いが増したようだ。
 
 他の兄たちも、炎禍ほどではないが邪君の特徴をそれぞれ引き継いでいる。母にしか似なかった蒼翠とは真逆だ。
 蒼翠はチラリと視線だけで見遣ってから兄たちに拱手し、挨拶した。

「殿下、突然どうなさいましたか?」
「ふん、白々しい。そこにいる穢らわしい者はなんの力も持たない、ただの虫ケラであろう? 我ら黒龍族こくりゅうぞくにとって力を持たぬ者は家畜以下の存在。苦しむ様を見て楽しむぐらいしか価値のない塵屑ちりくずを弟子にするなど、恥ずべき行為だと分かっての愚行か?」


 あからさまな軽視と侮蔑をぶつけながら、炎禍たちがこちらを睨んでくる。そこに兄弟の情はわずかも感じられない。
 炎禍たちはドラマの中でも蒼翠を軽視し、見下していた。元より気質が合わなかったのもあるが、同じ邪君の子であっても後ろ盾もなければ重宝もされていない蒼翠は、炎禍たちにとって位の低い臣下と同じだからだ。
 
 そんな血の繋がった弟を弟とも思っていない兄たちが、予告もなくやってきた。これはただごとではない。
 炎禍を相手にする場合、下手に出てようが邪険に扱おうがその時の機嫌次第なので考えても意味がないとドラマで学んだ。ならばドラマの蒼翠の態度をそのまま習うのが賢明だろう。

 そう判断した蒼翠は気を引き締め、しっかり前を見据える。
 
 
「これは驚きましたね。殿下ほどのお方がそれだけの理由で、ぞろぞろと引き連れて見学に来られるなんて。邪界にいる力なき者はこの子だけではないでしょうに……ああ、それとも別の思惑あってのことでしょうか?」
「尋ねているのはこっちだっ」


 苛ついた様子で炎禍が怒鳴る。


「別に、ただの暇つぶしですよ。ほら、少し前にどこぞのどなたかが、聖界せいかいの将軍隊に大敗したせいで、今は国外に出るのも一苦労になりましたからね」


 そう、一年前、炎禍は邪界の威光を誇示するため聖界の軍に戦を挑み、一敗地いっぱいちまみれた。そのせいで邪界は聖界から厳しく監視されるようになってしまった。この失態のせいで炎禍は、邪君から酷く叱責され信用を失っている。
 おそらく大した用向きもないのにここへ来たのは、鬱憤うっぷん晴らしでもしたかっただけだろう。炎禍という男が常日頃から短絡的かつ短慮なのは熟知しているが、今日は特別苛立っているのが手に取るように分かる。

 
「なんだと貴様っ、身分の低い侍女の子の分際で、よくも私にそのような口がきけたものだ!」

 分かりやすく額に血管の筋を浮き上がらせた炎禍が、右腕を大きく振り上げる。するとたちまち掌にどす黒い霊気が渦を巻始め、間もなくそれが蒼翠に向かって放たれた。

「っぅ、ぐっ!」

 息を呑むよりも早く身体が衝撃に押し飛ばされ、気づいた時には蒼翠は後方にあった大木の幹に為す術もなく打ちつけられていた。

「う、っぐぅっ、はぁっ……」

 背中を強く打ったことで一瞬息が止まるも、すぐに肺の奥から一気に空気が込み上げてきて、蒼翠は堪えきれず詰まらせたものを吐き出すような咳を繰り返す。

「蒼翠様っ!」

 その時、無風が駆け寄ってくる足音が聞こえた。

「蒼翠様、大丈夫ですかっ! 蒼翠様っ!」
「な……んともない。お前は黙っていろ」
「ですがっ」
「いいから……っ……大人しくしてろ」


 ここで無風が前に出てきたら、炎禍の矛先を自分に向けた意味がなくなる。無風を手で押し退けて前に出ると、蒼翠は一息吐いてから着衣についた砂を払い、静かに炎禍に近づいた。


しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

宮廷の九訳士と後宮の生華

狭間夕
キャラ文芸
宮廷の通訳士である英明(インミン)は、文字を扱う仕事をしていることから「暗号の解読」を頼まれることもある。ある日、後宮入りした若い妃に充てられてた手紙が謎の文字で書かれていたことから、これは恋文ではないかと噂になった。真相は単純で、兄が妹に充てただけの悪意のない内容だったが、これをきっかけに静月(ジンユェ)という若い妃のことを知る。通訳士と、後宮の妃。立場は違えど、後宮に生きる華として、二人は陰謀の渦に巻き込まれることになって――

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

会長様を手に入れたい

槇瀬光琉
BL
生徒会長の聖はオメガでありながらも、特に大きな発情も起こさないまま過ごしていた。そんなある日、薬を服用しても制御することができないほどの発作が起きてしまい、色んな魔の手から逃れていきついた場所は謎が多いと噂されている風紀委員長の大我のもとだった…。 *「カクヨム」「小説家になろう」にて連載中

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

ザ・兄貴っ!

BL
俺の兄貴は自分のことを平凡だと思ってやがる。…が、俺は言い切れる!兄貴は… 平凡という皮を被った非凡であることを!! 実際、ぎゃぎゃあ五月蝿く喚く転校生に付き纏われてる兄貴は端から見れば、脇役になるのだろう…… が、実は違う。 顔も性格も容姿も運動能力も平凡並だと思い込んでいる兄貴… けど、その正体は――‥。

乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について

はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

次男は愛される

那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男 佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。 素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡ 無断転載は厳禁です。 【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】 12月末にこちらの作品は非公開といたします。ご了承くださいませ。 近況ボードをご覧下さい。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...