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20話:邪界皇太子・炎禍①
しおりを挟む時は流れ、無風は八歳になった。
謀略と欺瞞が代名詞のこの邪界で、二年もの間目立った事件が起こらなかったのは、おそらく雨尊村の一件後、無風に偽言を吹き込んだ半龍人に「村を完全復興させるまで戻ってくるな」という命を下したからだろう。ついでに特別な宝具で霊力も九割ほど封じてやった。
筆頭配下の地位を失った半龍人は、役を終えて戻ってきたところで以前と同様の振る舞いはできない。他の配下たちも半龍人の処遇を見て大人しくなったので、当面の間は安全のはずだ。
そんな平和な二年の間に、無風は無事結丹に成功した。使える術も増え、今では小さな妖程度なら襲われても自身で対処できるまでになった。だが、邪界ではまだまだ無力に近いため、最近では仙人と蒼翠の二人体制で無風の修行を見るようにしている。
「まだ霊力を術に変えるための集中力が足りない。剣術も隙が多すぎる。これだと実戦では三秒も持たないぞ」
今日は別件で予定があるからと姿を現さなかった仙人に代わり、屋敷近くの森で修行を見ることになった蒼翠が指示を出していた。
「はいっ、もっと精進しますっ!」
蒼翠の素っ気ない助言にもかかわらず無風は拱手の型を取り、嬉しそうに礼を述べる。以前、俺の言葉に従えと言ったが、それを律儀に守っているようだ。
「今日はあと千回剣を振れ。その後、毎日の水汲みも忘れるなよ。終わるまでは帰って――」
「おや? 我が弟が下賤の者にご執心だと信じられないような噂を聞いたが、まさか本当だったとはな」
指示の途中、突然聞こえた声と複数の足音に、蒼翠は目を見開き弾かれるように振り返る。
「で…… 殿下……それに兄上たちも……」
深く茂った森の中にポツリと建っている蒼翠の屋敷は、朝議などが行われる邪君の殿舎から遠く離れた辺地にあるため、用がない限り訪問者など滅多にこない。邪君の臣下たちからも「第八皇子の宮は、寵愛を失った妃を捨てる冷宮と同じ」とまで言われている場所だ。
そんな静かな屋敷に知らせもなく現れたのは、蒼翠の腹違いの兄である邪界の皇太子・炎禍と、他の兄皇子たちだった。
ギロリと吊り上がった利かん気の強そうな目に、ごつごつとした印象を抱かせる骨ばった頬と広い顎。炎禍は父親似で、歳を重ねるごとに邪君がそこにいるのではと緊張を覚えるようになったが、どうやら少し見ないうちにさらにその度合いが増したようだ。
他の兄たちも、炎禍ほどではないが邪君の特徴をそれぞれ引き継いでいる。母にしか似なかった蒼翠とは真逆だ。
蒼翠はチラリと視線だけで見遣ってから兄たちに拱手し、挨拶した。
「殿下、突然どうなさいましたか?」
「ふん、白々しい。そこにいる穢らわしい者はなんの力も持たない、ただの虫ケラであろう? 我ら黒龍族にとって力を持たぬ者は家畜以下の存在。苦しむ様を見て楽しむぐらいしか価値のない塵屑を弟子にするなど、恥ずべき行為だと分かっての愚行か?」
あからさまな軽視と侮蔑をぶつけながら、炎禍たちがこちらを睨んでくる。そこに兄弟の情はわずかも感じられない。
炎禍たちはドラマの中でも蒼翠を軽視し、見下していた。元より気質が合わなかったのもあるが、同じ邪君の子であっても後ろ盾もなければ重宝もされていない蒼翠は、炎禍たちにとって位の低い臣下と同じだからだ。
そんな血の繋がった弟を弟とも思っていない兄たちが、予告もなくやってきた。これはただごとではない。
炎禍を相手にする場合、下手に出てようが邪険に扱おうがその時の機嫌次第なので考えても意味がないとドラマで学んだ。ならばドラマの蒼翠の態度をそのまま習うのが賢明だろう。
そう判断した蒼翠は気を引き締め、しっかり前を見据える。
「これは驚きましたね。殿下ほどのお方がそれだけの理由で、ぞろぞろと引き連れて見学に来られるなんて。邪界にいる力なき者はこの子だけではないでしょうに……ああ、それとも別の思惑あってのことでしょうか?」
「尋ねているのはこっちだっ」
苛ついた様子で炎禍が怒鳴る。
「別に、ただの暇つぶしですよ。ほら、少し前にどこぞのどなたかが、聖界の将軍隊に大敗したせいで、今は国外に出るのも一苦労になりましたからね」
そう、一年前、炎禍は邪界の威光を誇示するため聖界の軍に戦を挑み、一敗地に塗れた。そのせいで邪界は聖界から厳しく監視されるようになってしまった。この失態のせいで炎禍は、邪君から酷く叱責され信用を失っている。
おそらく大した用向きもないのにここへ来たのは、鬱憤晴らしでもしたかっただけだろう。炎禍という男が常日頃から短絡的かつ短慮なのは熟知しているが、今日は特別苛立っているのが手に取るように分かる。
「なんだと貴様っ、身分の低い侍女の子の分際で、よくも私にそのような口がきけたものだ!」
分かりやすく額に血管の筋を浮き上がらせた炎禍が、右腕を大きく振り上げる。するとたちまち掌にどす黒い霊気が渦を巻始め、間もなくそれが蒼翠に向かって放たれた。
「っぅ、ぐっ!」
息を呑むよりも早く身体が衝撃に押し飛ばされ、気づいた時には蒼翠は後方にあった大木の幹に為す術もなく打ちつけられていた。
「う、っぐぅっ、はぁっ……」
背中を強く打ったことで一瞬息が止まるも、すぐに肺の奥から一気に空気が込み上げてきて、蒼翠は堪えきれず詰まらせたものを吐き出すような咳を繰り返す。
「蒼翠様っ!」
その時、無風が駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「蒼翠様、大丈夫ですかっ! 蒼翠様っ!」
「な……んともない。お前は黙っていろ」
「ですがっ」
「いいから……っ……大人しくしてろ」
ここで無風が前に出てきたら、炎禍の矛先を自分に向けた意味がなくなる。無風を手で押し退けて前に出ると、蒼翠は一息吐いてから着衣についた砂を払い、静かに炎禍に近づいた。
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