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3話

『友達』の目から見た、隼士という男。

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 グツグツと煮え立った鍋の中に、ぷりぷりとした牡蠣を一気に放り込む。そして、すぐに鍋に蓋を被せた。

「これで次に沸騰したら、出来上がりっすよ」
「マジか! 早く煮えねぇかなぁ」

 喜々とした顔をしながら、光太が箸を持って食べる準備を整える。その様子に微笑みを浮かべながら、朝陽は使い終わった皿と調理具を纏めて脇に置いた。

「やっぱさ、冬と言ったら鍋だよな! 野菜はいっぱい取れるし、身体温まるし、もう最高だな」
「ですねー。もう鍋は最強料理だと思います」

 小さな沸騰を始めた鍋の前で、幸せそうに鍋の魅力を語る。そんな二人は今日、夜が一段と冷え込むという予報を悲観し、朝陽の部屋で二人だけの鍋パーティーを開いていた。
 朝陽と光太は関係的に言えば隼士を介した友人というものだが、こうして二人で食事をするほど仲がいい。そのきっかけとなったのは、朝陽が隼士のために作った弁当だった。

 あれは二年前だったか、朝陽は隼士と共に現れた光太に突然頭を下げられ、「レシピを作って欲しい」と頼まれた。話に聞くところによると、どうやら光太の恋人は殺人レベルで料理が苦手らしく、作る物全てが悲惨な代物になるのだという。そんな食事事情に悩んでいた最中に出会った朝陽の完璧な弁当に、光太は光明を見出したのだそうだ。
 それから朝陽は光太の恋人のためのレシピを作るようになり、今に至る。

「しっかし隼士の奴、こんな日に残業とはつくづくついてないよな」
「本当ですね。あ、でも怒ってませんでした? アイツも鍋大好きだから」
「ああ、帰り際にじとーっとした目で睨んでたっけな。でもザマァって笑って帰ってきたやった」

 その時の様子がありありと頭に浮かんで、笑いが噴き出てしまう。もしもこれが記憶をなくす前の隼士なら、後々まで「朝陽の恋人は俺なのに、どうしてご飯が一緒に食べられないんだ」とふて腐れていただろう。

「あっ、そういやお前さ、隼士の恋人探しの協力すんだって?」
「おっ、話早いですねぇ」
「だってアイツ、絶対に恋人を見つけるんだって毎日うるせぇもん」

 げんなりしながら光太が所内での隼士の様子を語る。
「それは大変っすね。あー、そういえば光太さんに会ったら、仕事でのこと聞こうと思ってたんですけど、隼士どうですか?」
「どうって、記憶が仕事に影響してないかってことか?」
「ええ。だってあいつ、裁判官目指してるでしょ? 仕事の方面でも記憶障害出たらやばいと思って……」

 今の隼士は何を覚えていて何を忘れているか分からない状態で、医者にもその日その日を過ごしながら探っていくしかないと言われている。しかし将来、裁判官になるという夢を持つ隼士にとって、仕事のことを忘れるのは痛い損失だ。だからこそ、そちらの方面で忘れていることがないか心配だった。

「んー、今のところは問題ないと思うぜ。担当してる案件も支障なくこなしてるし」
「そうですか、それならよかった」
「そこら辺はアイツの執念じゃねぇの。まぁ偏食とか色々面倒な奴だけど、仕事に対する熱意だけは一番だからな」
「その部分に関しては俺も尊敬しますよ。ただ……それで親友と恋人を忘れるってところが、隼士の残念さを物語ってますけどね」
「だな」

 苦笑を零し合ったところで、目の前の鍋が本格的な沸騰を始める。朝陽は蓋を取り、中の煮え具合を確認すると完成の声を光太にかけた。

「光太さん、もう食べていいですよ」
「っしゃ、じゃあ早速いっただきまぁす!」

 目を輝かせた光太が出来上がった鍋から具を取っていく。それから暫し二人は、海鮮の香りをふんだんに含んだ白い湯気を囲んだ。

「なぁ、ちょっと変なこと聞いていいか?」
「ん、何すか?」
「俺さ、隼士から恋人の話聞いた時、一番に朝陽の顔が浮かんだんだよな」

 白菜と牡蠣を一緒に頬張り、美味しいと咀嚼していた光太がサラリと爆弾を投下する。
 朝陽は思わず吹き出してしまった。

「ブッ! ちょっ、光太さん、いきなり何言うんすか! 俺、男っすよ?」
「んなもん、見りゃ分かる。でも隼士の奴、朝陽のこと大好きじゃん。弁当持ってくれば『朝陽が俺のために作ってくれた』ってリア充発言ばかりするし、俺が朝陽と二人で出かけるって言うとあからさまな嫉妬してくるし。悪いけど、俺はお前以上の存在って聞かれても答えられねぇよ」
「いやいやいや、それは単に飯当番がいて助かってるー的な発言でしょ? 嫉妬っていったって、多分ご飯取られたぐらいのもんだろうし……」

 まさか事務所でそんなことを言っていると知らなかった朝陽は、内心焦りながら繕う。

「アホか。普通、飯だけであそこまでなんねぇって。ってかさ、ぶっちゃけマジで朝陽が恋人なんじゃねぇの?」
「ちがいますよっ。隼士とは正真正銘の友達です。それ以上のことなんてないっすから!」
「なーんか、慌ててねぇか? 怪しいな……」

 高校卒業時からずっと付かず離れずで、食事の世話までする関係。これだけ見れば完全に恋人同士でしかない。だが、いつか誰かにこの質問をされると予想していた朝陽は、ちゃんと答えを用意していた。

「もう、勘弁してくださいよぉ。俺、アイツと一緒に居すぎて、逆に否定要素が浮かばないんですから」

 辟易とした顔で朝陽は嘆く。
 そう、過剰に否定すれば余計に疑われる。ならば、その逆手を取ってやればいい。

「もしもですよ? 俺以上に恋人に該当する人間がいないからって、隼士が『いっそのこと、もう恋人は朝陽でいい』なんて言い出したら、俺どうすればいいんです」

 困ったという表情を前面に押し出しながら、項垂れる。すると、光太がふむふむと考えこんだ。

「それは……十分有り得るかもな。けど、それはそれで癪だな」
「へ? どうしてです?」
「アイツのことだ、朝陽と付き合い始めたら『朝陽の料理を食べていいのは、恋人である俺だけだ』なんてクソむかつくこと言って、絶対に独り占めしようとするに決まってる」
「うわぁ、そうなったら俺、光太さんの食事どころか、仕事も辞めなきゃいけなくなりますねー」

 本当の隼士はそんなことを言わないと分かっているし、実際、記憶をなくす前もそんなことは言わなかった。けれど、ここは光太を騙すために話を合わせる。無論、心の中では無実の隼士に平謝りだ。

「ということで、朝陽が隼士の恋人説は俺が却下。アイツには頑張って真の恋人を探して貰おう」

 そう決め、話を終わらせた光太が不意に席を立つ。

「ん、どうしたんです? トイレっすか?」
「違ぇよ。ちょっと寒い。悪いけど、何か羽織るもん貸してくんねぇ?」
「いいですよ。上着なら寝室のクローゼットに…………って、うわぁっ、光太さん、駄目っす!」

 何度もこの部屋を訪れている光太は、間取りもほぼ熟知している。寝室と一言説明すれば、あとは勝手に漁って必要な物を持ってくるだろう。が、朝陽はすぐに重大なことに気づいて、寝室へと向かう光太を引き止めた。

「あ? 何だよ、いきなり大声上げて」
「すんませんっ、でも、ちょっと今、寝室は駄目です!」
「何で? まさか、いかがわしいDVDや本が積んであるのか?」
「そんなんじゃなくって、今、寝室は大掃除の途中でグッチャグチャなんです。足元に画鋲とか落ちてる可能性があって……だから光太さんは、ここで待っていて下さい!」

 自分が持ってきますと、咄嗟に思い浮かんだ理由をぶつけてみる。そして恐る恐る反応を窺うと、足に画鋲が刺さるのは嫌だと、光太が歩みを止めた。

「……分かった。んじゃ、頼むわ」
「了解ー。光太さんは鍋食べててください」

 光太の背を押し、ダイニングへと戻す。それから朝陽は寝室へと向かい、扉を開けた。
 電気のついていない室内は、窓から入る淡い月明かりに照らされている。しかし、室内の床は朝陽が言うように物が散乱しているわけでも、画鋲が落ちているわけでもなかった。ただただベッドの横に、両手で抱えるほどの大きさの段ボール箱がひっそりと置かれている。それだけ。

 ゆっくり部屋の奥へと進んで、上から箱を覗きこむ。
 この中に入っているものは全て、あの日、隼士の部屋から持ち帰った二人の思い出ばかりだ。揃いのカップや歯ブラシは、隼士からのプレゼント。これが食器棚や脱衣所にあると、同棲しているような気分になれるからと言って買ってきてくれた。

 写真は二人だけで旅行に行った時のもの。誰もいない冬の海の砂浜で携帯のカメラを二人に向けていたら、シャッターを押す瞬間にキスされた。
 そして――――朝陽はフフッと苦笑を浮かべながら、一冊の本を手に取る。

 裸の女性が表紙に載る、扇情的な冊子。これは隼士との関係に不安を抱いた朝陽が、本当は女性の方がいいのではないかと確認するために贈ったものだった。しかし勢い勇んで渡したものの、結果は『抱くなら朝陽の方がいい』とあっさり言われ、さらに愛を信じなかった罰として本と同じ内容のお仕置きをされるというものになった。

 ただ、それでも朝陽からのプレゼントということで、隼士は残してくれていた。
 そういえば、隼士が事故で入院した時、慌てさせたのもこの本だったと、思い出して笑う。そんな物も含めて、箱の中にはたくさんの思い出が詰まっている。どれも見ているだけで涙が出そうなものばかりだ。

 きっと聡い光太がこれを見たら、一発で二人の過去に勘付いてしまうだろう。だから、この部屋に彼を入れることができなかった。
 今夜、光太が帰ったら、荷物を見えないところに移さなければ。そう考えながら、朝陽は徐に一番上に乗っていた濃紺の箱を手に取った。そっと上蓋を開けると、月明かりを受けてキラリと銀色が光る。

「…………ごめんな、隼士」

 プロポーズと共に受け取った指輪を真綿に触れるよう優しく撫で、謝る。
 本当に自分は勝手な人間だ。必死に恋人の痕跡を探す隼士に、嘘を吐き続けるなんて最低以外の何物でもない。
 だが、ここで自分が恋人だったと名乗り出て元の関係に収まったとしても、きっとまた同じ不安に苛まれる。何かしらの理由をつけては、隼士から離れようとするに違いない。
とどのつまり、何があっても自分に自信が持てないのだ。

 こんな弱い人間と将来を共にするより、隼士はちゃんとした女性と結婚して幸せに暮らした方がいいに決まってる。朝陽は現実の辛さから目を背けるように、リングケースを元の場所に戻すと、光太のための上着を持ってダイニングへと戻った。

「光太さん、お待たせっす」
「お、ちょうどいいところで戻ってきた。オイ朝陽、電話ー」

 ダイニングに着いた途端、携帯電話を片手にした光太にこっちへ来いと手招きされる。

「誰からです?」
「隼士だよ。お前の携帯にかけても出ないから、俺んところにかけたんだと」
「そうだったんですか、すんませんっ」

 そういえば、携帯は鞄の中に入れたままだった。慌てて光太に近寄ると、朝陽は持っていた上着を渡して、代わりに電話を受け取った。

「もしもし? 隼士、どうした?」

 食事をしている真横で電話は失礼かと、朝陽は話しながら光太に断って廊下へと出る。

『いや、別に大した用はないんだが、今夜は二人で鍋と聞いたから羨ましくなってな。そちらは楽しんでるか?』
「うん、今日は牡蠣鍋作った。今、光太さんが凄い勢いで食べてるよ」
『それは羨ましいな。俺も食べたかった』
「仕事だから仕方ねぇだろ。まぁ、でも落ちこむなって。今日の夕方、隼士の部屋に寄って酢豚とかき玉スープ作っておいたから、もし飯食べてないならそれ食べろよ」

 勿論、酢豚は酸っぱさが苦手な隼士用に酸味を抑えたものを作ったと伝えると、電話の向こうの声が途端に明るくなった。

『本当かっ? それはありがたいっ!』
「仕事頑張ってる隼士クンのために、特別サービスだよ」

 冗談を交ぜながら、隼士を労う。
 だが、実はそうは言いつつも本心は、一人寂しくコンビニのお握りを食べる姿を想像したら可哀想になったというもので、朝陽は最後まで「これはあくまで仕事が忙しい親友に対する情だ」と自分に言い聞かせながら料理を作った。

『本当に嬉しい。早々に合鍵を渡したのは正解だったな』

 言われて合鍵の存在を思い出す。
 元から持っていた合鍵は今も寝室の思い出ボックスに入ったままだが、それとは別の合鍵を先日、隼士から渡された。曰く、「俺が仕事で遅くなった時、外で待たせるわけにいかないから」だそうだが、結局隼士公認の合鍵を再び持ってしまった状況に、朝陽は苦笑いするしかできなかった。

『でも……』
「ん、どうした? 急に暗い声出して」
『思いがけなく朝陽のご飯を食べられるのは嬉しいが、隣に朝陽がいないのは少し寂しい』
「なっ、何言ってんだよ、いきなり!」

 出し抜けに爆弾を落とされ、息が喉に詰まりかける。

『俺の中で朝陽と朝陽のご飯は二つでセットなんだ。朝陽の話を聞きながら食べると、楽しくて普段よりも美味しく感じるからな』

 そんなことを言われたら、自分だって同じだと言ってしまいそうになるではないか。朝陽の料理は、隼士のためにあるもの。だから朝陽も美味しそうに食べてくれる隼士の顔を見られないのは寂しい。その気持ちを必死に抑えているというのに、どうしてこの男はその我慢をいとも簡単に崩すようなことを言ってくれるのだ。

「ったく、ガキみたいに甘えん坊だな。まぁ明日、もし残業にならなかったら帰宅時間に合わせてご飯作りに行ってやるよ。それならいいだろ?」

 ただ、そんな言葉に容易く絆されて、甘やかせてしまう自分も単純極まりないが。

『そうしてくれると嬉しい。俺も早く仕事を終えられるよう、頑張るから』
「ん、応援してるわ」
『それじゃあ、電話切るな。今日は冷えるから温かくして寝るんだぞ』
「はーい」

 おやすみ、と言い合ってから通話終了のボタンを押す。
 それから、朝陽はふぅっと長い息を吐いた。
 通話中、唐突に落とされた甘い言葉のせいで、なかなか心臓の高鳴りが治まらない。
 しかし――――十年恋人をやっていたからこそ気づかなかったが、隼士は常からあんな勘違いしそうな言葉を囁いているのか。

 何だか、もやもやする。

 隼士という男は、道端ですれ違い様に格好いいと注目されるほど男前だ。そんな男に「一緒にいると楽しい」なんて言われたら、どんな女性でも心を奪われるはず。恐らく恋人探しを諦めたと知られれば、即座に新しい恋人への立候補者が殺到するだろう。
 新しい恋人。

「っ……」

 想像した瞬間、胃の辺りが重く痛んだ。脳裏に浮かぶ、隼士と仲睦まじく笑い合う名も知らない女性の姿を、醜い感情があっという間に黒く塗り潰していく。更に、追いかけるようにして「もしも隼士の恋人になるなら、最低限自分よりも料理が上手くなくてはダメ」とか「隼士の偏食を全て受け入れ、否定する人間はダメ」などという条件が頭の中に次々と浮かんできた。

 まるで、大切な息子をお嫁さんに取られることを怖がる母親のようだ。
けれど、こうでも考えていないと御門違いの嫉妬に全身を焼き尽くされてしまいそうになる。
まさか、自分の中にこんな賤しい妬心が生まれるとは。朝陽は新たに発見してしまった自身の醜悪に、吐き気を覚えた。


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