執愛に甘く乱されて

かびなん

文字の大きさ
上 下
11 / 15

第11話:身代わりの偽愛

しおりを挟む

 奏人が十二歳から大学卒業まで過ごした部屋は、至極簡素なものだった。
 二十畳はある広々とした部屋なのに、室内にある家具は勉強机と本棚、そして一人部屋にしては不自然なほど大きい、キングサイズのベッドのみ。
 ここで過ごした記憶は、思い出したくないものばかり。だから、一刻も早くケイの下に帰りたい。その思いを胸に、奏人は今日も彰文に食らいついていた。

「俺の話を聞いて下さい!」
「また、その話か……」

 奏人にうんざりといった顔を見せながら、彰文が溜息を吐く。

「大切なことですから、ちゃんと聞いてくれるまで何度だって言います。彰文さんが心から必要としてるのは、俺じゃなくて母さんだ! だからこんなことをしても意味がない。貴方だって、気づいてるはずです!」

 言い放つと、目前の男の双眸が細くなった。
 恐らく今、男の脳裏には奏人の母、久住美菜の姿が過っていることだろう。
 彰文と美菜は老舗の料亭グループを営む一族に従兄妹同士という関係で生まれ、結婚の約束を交わしたほどの恋仲だった。

 しかし、経営方針の違いから親同士の関係が悪化、さらに美菜の父が事業に失敗したことから絶縁状態となり仲を引き裂かれた。特に彰文は本家の跡取りだったこともあり、親族が総意で許さなかったそうだ。
 そしてその後、美菜が父の会社を救った男性からの縁談を受けたことで、二人の関係は完全に終わりを告げる。

 ただ、それでも彰文の愛は途絶えなかった。彼は美菜の結婚後も他の女性に目を向けることなく一途に想い、彼女の生活全てを見守り続けた。
 そんな状況に変化が訪れたのは、奏人が中学に上がった頃。当時、奏人の父が家庭内暴力をはじめたことがきっかけだった。

 毎日、理由も言わないまま美菜を怒鳴りつけ、手を上げる。それを止めに入った奏人も殴られ、ある日、とうとう入院するまでの騒ぎになってしまった。

 その時、奏人達に救いの手を差し伸べたのが、彰文だったのだ。

 それから始まった、彰文との生活。その中で二人の過去と彼のひたむきさに触れた奏人は、無償の愛というものが本当に存在することを知り、心底驚かされた。

 母には父という相手がいる。それでも彰文に対して嫌悪感など一切覚えない。いや、それどころか、逆に彼の想いを否定することが間違いだとすら思えたほどだ。

 しかし―――。

「なのに俺をずっと母さんの代わりにしていたら、彰文さんは一生前に進むことはできない! そう思ったから、俺は貴方の下から離れたんです!」

 そう主張すると、彰文はあからさまに苛立ちを顔に表してこちらを睨んできた。

「俺が前に進めない? それなら逆に聞くが、俺が前に進んでどうなる!」

 強い口調で問われ、勢いを削がれる。

「お前を解放して美菜が戻ってくるなら、いつでも自由にしてやる。だが、そんなことには絶対にならない。美菜は……俺から離れるために、お前すら捨てたぐらいだからな」
「っ……」

 辛い過去を掘りかえされ、胸の中に苦しい震えが起こった。
 だが、ここで負けるわけにはいかない。

「だとしても、こんなやり方は間違ってる! 事実、俺を母さんの身代わりにした八年の間、貴方の心は一度だって満たされなかったじゃないですか!」
「奏……っ……」

 図星を突かれたからか、彰文の表情がみるみると焦りと苦しさを含んだものに変わった。
 呼吸が浅くなり、心なしか額に汗も滲み出ている。
 彰文を攻めるなら、今かもしれない。
 時機を捉えた奏人が、話を続けようとする。
 しかし口を開こうとした瞬間、奏人は逞しい腕に抱きしめられ、そのまま広いベッドの上へと押し倒された。

「う……っ……」

 二人分の体重を受け止めたスプリングが鈍い音を立てて軋む。しかし彰文の身体が覆い被さってきた割には、強い痛みや衝撃を感じない。
どうして、と目線だけで状況を確かめると、驚くべき光景が映った。
 彰文の両腕が、奏人の身体を衝撃から守るように包みこんでいたのだ。

「彰文さ……」
「…………み、な……」

 耳元で、母の名が小さく呼ばれる。

「っ!」
「美菜……美菜……」

 それは、つい数秒前の威圧的な物言いが信じられないほど弱々しい声だった。
 きっと今の彰文を見たら、誰もが奏人の形勢逆転を確信するだろう。
けれど、状況は全く逆だった。
 今、この刹那に、奏人は全ての説得を諦めるしかなくなったのだ。

「俺を……拒むな……美菜…………拒まないで……くれ」

 まるで暗闇を怖がる子供のように、奏人を抱きしめながら全身を竦ませる男は、もう説得ができるような状態ではない。 

「彰文さん……」

 小さく溜息を吐く。
 彼がこんな風に豹変するのは、今回が初めてではない。過去、もう何十回と見てきた。
原因は、美菜の失踪だ。

 美菜は彰文に奏人を預けてから三年経ったある日、何も告げないまま父と共に姿を消した。
 それを知った瞬間に、彰文は「美菜に拒絶された」と嘆き、心を壊してしまったのだ。
 それほどまでに強く、そして異常な愛。

「美菜……もう、二度と俺を……捨てないでくれ」

 奏人を抱きしめながら美菜の名を呼び、全身を震わせる。
 その身体を、奏人は何も言わずに抱き返すと、彰文がようやく顔を上げた。
こちらに向けられた顔は安堵に包まれた、幸せそうな顔だった。

「美菜、愛してる……俺にはお前だけだ……」

 何度も繰りかえされる、愛の囁き。けれど彼の目に映っているのは自分ではない。
 それでも奏人は何も言わず、広い背中を撫でた。
それは奏人の中に怒りと同じだけ、彰文に対する感謝の念があったからだ。

 あれは、奏人が引き取られた直後のこと。当時の奏人は父の虐待と、両親と離れる寂しさから憔悴しきっていて、精神的に不安定になっていた。そんな時、彰文はずっと寄り添ってくれたのだ。

 食欲がないと言えば喉越しのよい物を並べるほど用意してくれ、眠れないと泣けば朝まで隣にいてくれた。外で気分が悪くなった時も、まるでこの世の終わりでも来たような顔で迎えにきたし、学校の行事には全て保護者として参加してくれた。

 そう、彰文は父と母の代わりに、目一杯の愛情を注いでくれたのだ。
 だからこそ彰文が心を壊した時、奏人は背を向けることができなかった。日に日に弱っていく彼が、やがて自分を母の代わりとして見るようになっても抵抗しなかった。

 きっと、二人の歪な関係は誰に話しても理解なんてしてもらえないだろう。だが、あの頃は、その選択が正しいと信じていたのだ。

 大学に入って、「このままでは、自分も彰文も前に進めない」と危機感を覚えるようになるまでは。

「美菜……俺を受け入れて……くれるか?」

 奏人の頬を撫でながら母の名を繰りかえしていた彰文の唇が、不意に奏人の首筋へと降りてきた。

「んっ……」

 強く吸われ、そして甘く噛まれ、眠っていた官能を強引に引きだされる。せめてもの抗いと撫でていた背中に爪を立ててみるが、シャツを巻き上げられ胸を弄られた途端に指が滑り落ちた。

 今日の説得は、もう無理だろう。あとはもう好きなようにさせて、気分を落ち着かせた彰文が普段の姿に戻るのを待つしかない。

「ケ……イ……」

 誰にも聞こえないぐらいの小さな声で、ケイの名を呼ぶ。そして、負けそうになる心をしっかりと繋ぎ止めた。
 自分には絶対に失いたくない、大切な存在がいる。
 だから何があっても諦めたくない。今日が駄目でも何度だって説得を繰りかえし、いつか必ず分かってもらう。
 望んだ未来を掴むために。そして、大切な人と結ばれることが、どれだけ尊いことかを、彰文にも知ってもらうために――――。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お前らなんか好きになるわけないだろう

藍生らぱん
BL
幼稚舎時代、執着の激しい幼なじみ達に酷い目に合わされた主人公が10年ぶりに幼なじみ達が通う学園に戻る事になった。 身バレしてまた付きまとわれるのは絶対に阻止したい主人公とヤンデレに片足突っ込みかけている執着系イケメン達のスクールライフ。 この物語は異世界のオメガバースです。(独自設定有り。追々作中か後書きで補足します。) 現代日本に似た極東の島国・大東倭帝國にある学園が舞台になります。 不定期更新です。

元社畜の死にたがり魔王はもう復活したくない

常葉㮈枯
ファンタジー
いつまで経っても帰れない職場、毎日のコンビニおにぎり、振り込まれない残業代。ブラックの僕(しもべ)だった私を脱却、一念発起してこの世にサヨナラ! ───したはずなのに。目覚めれば知らない天井、壁、悪魔……。 あれ、もしかして私って地獄行き?しかも欧米圏の地獄?

明け方に愛される月

行原荒野
BL
幼い頃に唯一の家族である母を亡くし、叔父の家に引き取られた佳人は、養子としての負い目と、実子である義弟、誠への引け目から孤独な子供時代を過ごした。 高校卒業と同時に家を出た佳人は、板前の修業をしながら孤独な日々を送っていたが、ある日、精神的ストレスから過換気の発作を起こしたところを芳崎と名乗る男に助けられる。 芳崎にお礼の料理を振舞ったことで二人は親しくなり、次第に恋仲のようになる。芳崎の優しさに包まれ、初めての安らぎと幸せを感じていた佳人だったが、ある日、芳崎と誠が密かに会っているという噂を聞いてしまう。 「兄さん、俺、男の人を好きになった」 誰からも愛される義弟からそう告げられたとき、佳人は言葉を失うほどの衝撃を受け――。 ※ムーンライトノベルズに掲載していた作品に微修正を加えたものです。 【本編8話(シリアス)+番外編4話(ほのぼの)】お楽しみ頂けますように🌙 ※こちらには登録したばかりでまだ勝手が分かっていないのですが、お気に入り登録や「エール」などの応援をいただきありがとうございます。励みになります!((_ _))*

慟哭の螺旋(「悪役令嬢の慟哭」加筆修正版)

浜柔
ファンタジー
前世で遊んだ乙女ゲームと瓜二つの世界に転生していたエカテリーナ・ハイデルフトが前世の記憶を取り戻した時にはもう遅かった。 運命のまま彼女は命を落とす。 だが、それが終わりではない。彼女は怨霊と化した。

男は次のお預けへと為す術無く押し上げられる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

【完】死にたがりの少年は、拾われて初めて愛される幸せを知る。

唯月漣
BL
「アンタなんか産まなきゃよかった」  コレが俺の母さんの口癖だった。  生まれたときからこの世界に俺の居場所なんてなくて、生きるためには何だってやるしかなかった。  毒親に育てられた真冬にとって、この世界で生きる事は辛い事以外の何者でもなかった。一人で眠るといつも見てしまう、地獄のような悪夢。  悪夢から逃れるため、真冬は今宵も自分を抱きしめてくれる一夜限りの相手を求め、夜の街で男を漁る。  そんな折り、ひょんな事から真冬はラーメン屋の店主、常春に拾われる。  誰にでも見返りを求めずに優しくする大谷常春という人物に、真冬は衝撃を受け、段々と惹かれていく。  人間の幸せとは何かを日々教えてくれる常春に、死にたがりだった真冬は、初めて『幸せになりたい』と願う。  けれど、そんな常春には真冬の知らない秘密の過去があった。残酷な運命に翻弄される二人は、果たして幸せになれるのだろうかーーーー!? ◇◆◇◆◇◆ ★第一章【優しさ垂れ流しお兄さん✕死にたがり病み少年】  第二章【明るく元気な大学生✕年上美人のお兄さん】です。 【含まれる要素】焦らし、攻めフェ、リバ体質のキャラ、お仕置き、くすぐりプレイ、顔射】等。 ☆エロ回には*を付けています。  一部に残酷な描写があります。   ★ムーンライトノベルズにも掲載中。 ※この物語はフィクションです。実際の事件や実在の人物とは一切関係ありません。犯罪行為を容認する意図等は一切ございません。

推ししか勝たん!〜悪役令嬢?なにそれ、美味しいの?〜

みおな
恋愛
目が覚めたら、そこは前世で読んだラノベの世界で、自分が悪役令嬢だったとか、それこそラノベの中だけだと思っていた。 だけど、どう見ても私の容姿は乙女ゲーム『愛の歌を聴かせて』のラノベ版に出てくる悪役令嬢・・・もとい王太子の婚約者のアナスタシア・アデラインだ。 ええーっ。テンション下がるぅ。 私の推しって王太子じゃないんだよね。 同じ悪役令嬢なら、推しの婚約者になりたいんだけど。 これは、推しを愛でるためなら、家族も王族も攻略対象もヒロインも全部巻き込んで、好き勝手に生きる自称悪役令嬢のお話。

処理中です...