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最終話:漆黒の蝶

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 ディーノはソワソワしていた。
 さっきから歩いては足を止め、また歩いては足を止める、の繰り返している。
 ディーノがここまで気もそぞろなのには、当然理由があった。
 今日マリクが釈放され、リュスカとディーノが待つ森へとやってくることになっている。

「まだかな、マリク……もしかして、何かあったのかな?」

 深い夜闇に包まれた森の中、本日二十四回目の落ち込みが始まる。

「何度も言ってるけど、アランがついてるんだから大丈夫だって」
「そ、そうだよね!」

 これであと十五分はもつだろう。

 ――でも漸く、マリクと会えるんだな。

 マリクを待つディーノを見て、リュスカもどんどん胸が逸り始める。
 ディーノがレイストリック王国にきてから一月半、なんだか長いようであっという間だった。おっちょこちょいで忙しなくてすぐに泣く。本当の子どもを相手にしているようだったが、それなりに楽しかった。何より部屋に帰った時に「おかえり」と言ってくれる相手がいるってことが嬉しかった。

 だが、それも今日までだ。
 マリクが戻ればディーノは国に帰ってしまう。それは分かっていたことだが、別れの時を想像すると寂しくなってしまう。そんなことを考えていた時、ふと遠くの方から足音が聞こえてきた。

「おっ、皆揃ってきたみたいだな」

 音の方向に視線をやると、その先にはレイナルドとアラン、そしてラッセルが一人の青年を連れいる姿が見えた。
 特徴的な夜空のごとく藍色の髪や着ていた服は、初めて見た時と違って綺麗に整えられている。傷の手当てもちゃんとされているようだった。

「マ……リク? マリクーーー!」
「ルカ様!」

 ディーノの割れんばかりの大声に気づいたマリクが顔に花を咲かせて駆け出し、二人は出会ったところで深く抱き合う。

「マリクだ! 本物のマリクだ!」
「ルカ様……ううっ……ルカ様ーーー!」

 声を張り上げて泣き合う二人を見て「感動の再会はいいけど、少しばかりうるさいな」とリュスカは呟いたが、その鼻はツンと痛かった。

「ルカ様、私は……ルカ様に会えなくて、寂しかったです!」
「僕も寂しかったよぉ! すぐに帰ってくると思ってたのにぃ……マリクの馬鹿ぁ!」
「はい、私は馬鹿です! ルカ様を悲しい目に遭わせるなんて、死んでお詫びします!」
「死んだらダメだよ! もっと泣くからね!」
「じゃあ、死にません!」

 しかしなんだろう、この聞いていているだけで脱力してしまいそうな会話は。呆気にとられ、開いた口を塞ぐことができなかった。
 マリクはあんな男だっただろうか。牢の中で見た時は、もっと物静かで大人の男という感じだったが。と、そう思っていたのはリュスカだけではないらしい。直線上にいるレイナルド達も、驚きのあまり唖然と立ち尽くしていた。

「あ、あのさ……感動の再会中悪いんだけど……その、『ルカ』って?」

 様々な衝撃を受ける中、一つだけ引っかかったことを抱き合う二人に問いかける。
 マリクはディーノのことをルカと呼んでいるが、この名前には聞き覚えがある。そう、確か王城での大規模火災で水の攻撃術を使った時も、ディーノは自分のことをルカだと名乗っていた。

「あ……あ、あのね、リュスカ……実は……」
 
 リュスカに名のことを問われた途端、なぜかディーノは酷い狼狽を見せ始めた。
 一体どうしたのだろう、もしかしてそれは聞いてはいけなかったことなのか。不安を覚えて眉を垂らすリュスカだったが、すぐにその答えはレイナルドから与えられた。

「ルカ=ディーノベル=ライウェン。それがディーノの本当の名前で、私たちに名乗ったのは愛称のほうだったんだよ」
「愛称? え……でもライウェンって……まさか!」

 気づいたリュスカが瞳を零れんばかりに見開くいた。
 名前に国名がついている。それは限られた者だけが許される権利だということは、誰もが知っている。
 そう、たとえばレイナルドのような。

「そう、彼はライウェン王国の第五王子なんだよ。そうですよね? ルカ王子」

 レイナルドに正体を明かされると、ディーノは花が枯れたように項垂れた。

「うん、そう……僕、王子だったんだ……」
「はぁ? 何で今まで黙ってたんだよ!」

 ずっと、ただの魔族だと思っていたディーノが一国の王子だったなんて。とんでもない驚きと同時に、騙されていたような気持ちになって、思わずディーノの胸ぐらを掴んでしまう。

「だって、僕が王子だって言ったら、皆、仲良くしてくれないと思って」
「そういう問題じゃないだろっ? ……いや、そういう問題じゃあり……ませんよね?」

 怒鳴った瞬間、マリクに鋭く睨まれたような気がしてリュスカは慌ててディーノを離し、言葉を直す。

「やめてよ! 僕は王子だけどリュスカの友達なんだから、そんな言葉使わないで!」

 今にも、というか既に泣き始めてしまったディーノを見てどうすればいいか分からなくなったリュスカは、レイナルドに助けを求める視線を送った。

「うーん、まぁ……王子本人がいいっていってるんだから、いつもどおりでいいんじゃないかな?」
「俺も、それでいいと思う」
「右に同じ。それにリュスカは元々、レイナルド様にだって敬語使ってないじゃない」

 と、各自助言をくれるが、三人の顔には「これ以上泣かれたくないから、とりあえず言うことを聞いておけ」という文字がありありと浮かんでいた。

「わ、かった。えっと、じゃあディーノ」
「ん……何?」
「とりあえず……よかったな、マリクと会えて」

 気持ちを落ち着かせてから改めて言葉を贈ると、ディーノからは満開の笑みが返ってきた。その笑顔を見たら嘘をつかれていたことなんてどうでもよくなって、リュスカは両肩を竦めながら苦笑する。

「じゃあこの国にきた目的も果たしたんだし……ディーノはライウェンに帰るんだよな?」

 少し悲しいが、やはり見送ってはやらないと。それでなくてもディーノは王子なのだ、いつまでもレイストリックにいると本当に国家間問題に発展しかねない。と、自分に言い聞かせていると。

「……え? 僕、帰らないよ」

 明日の天気は晴天よ、ぐらいの軽さで、とんでもない答えが返ってきた。

「「「「「ええぇぇーーーーーっ?」」」」」

 瞬間、五人の声が見事に重なった。
 その中には当然、マリクの声も入っている。

「ルカ様っ、何を仰ってるんですか?」

 これにはさすがのマリクも驚いた様子で、ディーノに詰め寄った。けれど当人は首を傾げて不思議そうな顔をするだけ。

「何って、僕、何か変なこと言った?」
「言ってる! マリクが釈放されたってのに、何で国に帰らないんだよ」
「だって、皆のところにいたいし、ここにいれば自分の力と向き合える気がしたから」

 確かに、ディーノはこの国にきたからこそ攻撃術と向き合えるようになった。だから言っていることは理に適っているのだが、それとこれとは大きく違うように思えるのは気のせいか。

「力に向き合えるってのはいいことだと思うけど、ディーノは黙って飛び出してきたんだろ? 親とか心配してるんじゃないか」
「あ、それなら大丈夫。昨日、風の精霊に頼んで父上にここで修行するって伝えて貰ったんだ。そしたら今朝、父上から返事が戻ってきて『そういうことなら頑張って来なさい』って」

 意外にあっさりした父親のようだ。というか、魔族の存続を一番に考え、同胞を危険から守ることに徹してきた国の王がそんなことでいいのだろうか。ここは敵国だぞ。
 ライウェンの王は一度も見たことはないが、血を継いだ子がこれだけふわふわしているのを見るからに想像に出てくるような威厳さはないように思える。
 もしかしたらライウェン王もディーノみたいに泣き虫なのかもしれない。なんて考えながらどこから突っ込めばいいのか考えていると。
 
「分かりました。ルカ様がそう決められたのなら、王子の従者である私、マリクもここに残ります!」

 本日二度目の驚愕が、森の中に響き渡る。今度は四人分だ。

「本当に? マリクが近くにいてくれるなら、百人力だよ。僕、修行がもっと頑張れそうだ」
「はい、頑張って下さい!」
「そうだね、マリクも一緒に頑張ろう!」
「いやいや、ちょっと待て! お前ら、俺のこと無視すんな!」

 二人の大男に挟まれたリュスカが間でピョコピョコ飛びながら叫ぶが、話をまったく届いていない。その姿を見たラッセルが「リュスカにもう少し身長があったら」と呟くが、即座にレイナルドとアランに口を塞がれていた。

「まだ混血ですら認められてないっていうのに、魔族がどうやって暮らすんだよ。……あ」

 最も重要な問題を言葉にした時、なぜかリュスカの胸に嫌な予感が流れた。
 こういう予感は高確率で当たる。

「リュスカ、これからもよろしくね!」
「お世話になります、リュスカ殿!」

 漸くリュスカの方を向いた二人に頭を下げられた途端、予感が的中したことを悟る。

「やっぱりお前らの滞在先は俺の部屋かよ」
「勿論、ただで厄介になるとは言いません! 炊事、洗濯、掃除、全ての生活に関して私が完全サポートいたしますので!」
「それいい考えだね。リュスカ知ってる? マリクの料理って凄く美味しいんだよ」

 手伝い云々はともかく、問題は部屋の広さだ。身体の大きいディーノだけでも許容量を超えているというのに、同じぐらいでかいマリクまで住んだら、リュスカの寝る場所がなくなってしまう。そういったことはどうするのか、と尋ねようとした時、ふと背後からラッセルとアランの声が聞こえてきた。

「ん? ちょっと待って。つまりディーノたちが残れば、二度とリュスカの壊滅料理を目にしなくて済むかもしれないってこと?」
「それは……うん、いいな」

 どうやら二人はリュスカが混血だということをすっかり忘れているようだ。混血は身体能力がいいだけでなく、聴力も秀でている。
 二人の会話を耳にしたリュスカの額に、ピキッと青い筋が浮かぶ。

「オイ、そこの二人。全部聞こえてるぞ」

 振り向いたリュスカが睨むと、ラッセルたちはあからさまに視線を逸らして何も言っていないふりを見せる。
 そんな二人に「後で料理を作って、目の前に出してやる」とリュスカは固く誓った。その中。

「うーん。それは困るなぁ……」

 レイナルドだけが一人難色を示した。

「レイナルド! そうだよな、難しいよな!」

 まさかこんなところでレイナルドが味方をしてくれるとは思わなかった。さすがは一国の王子、未だ不安定な情勢の中で魔族が居候することを、きっと王族の立場として懸念しているのだろう。
 だが、そんな淡い期待は次に続けられた言葉によって打ち砕かれた。

「今日からまたリュスカを独占する生活が復活する思ってたのに」
「はぁ? アンタも自分のことばっかかよ! ってか独占ってなんだ、独占って! 俺はアンタのもんじゃねぇぞ!」
「ええっ!? リュスカ、まさか私以外にも男がいるのかい? い、いつの間にたらし込んで……」

 どうやら、こちらの話を聞く気は毛頭ないらしい。
 もう全部が全部、どうでもよくなってきた。

「あーー! 俺はもう知らねぇ! 皆で勝手にすればいいだろ! ただし、寝床が狭いって文句は言うなよ! あとディーノは、夜中に寂しいからって俺の寝台に入ってくるのは禁止だからな!」

 一気に吐き出したせいで息切れを起こしてしまう。ハァ、ハァ、と何度も息を大きく吸って肺に空気を入れていると、目の前でリュスカ命名『お花畑コンビ』が両手を挙げて喜んだ。

「ありがとう! またリュスカと一緒に暮らせて僕、嬉しいよ!」
「ありがとうございます、リュスカ殿!」

 本当に、なんて図々しい魔族コンビなのかとため息を吐きたくなる。けれど心から歓喜している二人の姿を見ていたら、少々生活が苦しくなってもいいかなんて思えてしまった。
 それは多分、それだけディーノと暮らす生活が楽しかったからだろう。
 ひとりぼっちだった部屋に「ただいま」と「おかえりなさい」の声がまた聞こえるようになる。そんな生活を想像すると、自然と口元が緩んだのは言うまでもない。しかし。

「リュスカ」

 今日から始まる三人生活。まず心配しなくてはいけないのが食材の残りだが、大丈夫だっただろうかと考えていたところで突然地を這うような低い声で名を呼ばれ、リュスカは驚きに両肩を跳ねらせた。
 その肩を背後から強く掴まれる。
 いきなり何だ、と思って首だけで振り返ると、背後には見事なアルカイックスマイルを浮かべたレイナルドが立っていて。

「な、何だよ、そんな怖い笑顔浮かべて」
「今さっきディーノに『寝台に入るのは禁止』とか言っていたよね?」
「あ? そうだけど?」
「ということは二人で一緒に寝ていたってことかな?」
「だって、ディーノが一人で寝るのが寂しいって駄々捏ねるから」

 問われたことに正直に答えたのに、レイナルドの視線が一層冷たくなった。
 なぜ、こんな目で睨まれなければならないのだろうか。

「ふーん。だったら私も駄々を捏ねれば、一緒に寝てくれるんだね?」
「は? んなわけ……って、おわっ!」

 掴まれた肩を身体ごと一回転させられ、リュスカはレイナルドに荷物のごとく肩に担ぎ上げられる。

「おい! いきなり何するんだよ!」
「もちろん、今から私の部屋に行って一緒に寝るんだよ。――ああ、ディーノはリュスカの部屋知ってるよね? 悪いけど、先にマリクと帰っていてくれるかい?」

 リュスカはしばらく帰れないから、その間の食材はアランに運ばせる。と指示を出すとアランが無言のまま、首を縦に何度も振った。その顔には冷や汗が流れている。隣のラッセルも同じ顔をしていた。
 どうやら漆黒蝶の仲間は助けてくれないらしい。だがこのままでは嫌なことが起きそうな予感しかしない。最後の望みでリュスカはディーノに救済を求めたが「何だか、今のレイナルドには近づいちゃいけないって、精霊が言ってる」と悲しそうな顔で言われ、あっさりと逃げられた。

「ちょっと待て、何で俺がアンタと一緒に寝なきゃいけないんだよ!」

 レイナルドの肩の上で大暴れしてみたが、下半身をガッシリと押さえられてしまっているため、拘束から抜け出すことができない。

「リュスカが悪いんだよ。私がいくら一緒に寝てくれと頼んでも聞いてくれなかったのに、あっさりと他の男と浮気なんかするから」
「浮気ってなんだ、浮気って! ってかあれはアンタが俺のこと、まだ添い寝が必要なガキ扱いするから悪いんだろっ!」

 いつまで経っても出会った頃の年のままで見られていることが嫌で抵抗していただけなのに、なぜ自分は理不尽な怒りを向けられているのだろうか。

「とにかく、離せって!」
「今回ばかりはいくら頼まれたって逃さないから。逃げようとするなら手と足に枷をつけて寝台に括りつけてしまうから、そのつもりでね」

 枷やら括るやら、空恐ろしい言葉に次々と襲われ、頭が真っ白になる。
 どうにかしなければと焦るリュスカだったが、考える間にもレイナルドはどんどん前を進み、ディーノたちの姿が遠ざかっていくのが見えた。

「ああ、楽しみだよリュスカ。今夜は久々に私手ずからお風呂に入れて、すみずみまで綺麗にしてあげるからね」
「い、い、い、嫌だぁぁぁぁ!」

 闇夜に包まれる森にうら若き少年の絶叫が響き渡る。その悲痛な声は森から離れたレイストリックの街にも広く響き渡ったらしく、多くの民が耳にしたことから「森には貴族に殺された少年の幽霊が出る」との噂が翌日から広がったそうだ。
 そしてその噂はやがて貴族や国民を巻き込んだ大きなものとなったのだが――――終ぞ漆黒の蝶は動かなかったという。
 

END
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