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3話:ラッセルという男

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 周囲を湖で囲まれたレイストリックは豊かな国だ。昔から澄んだ水を持つ土地は発展すると言われているとおり、この国は建国千年で農業、畜産、医療、軍事など、あらゆる面で目覚ましい発展を遂げた。貿易面でも強い影響力を有していて、今では周辺の国々から「レイストリックに逆らえば流通が止まり、民が飢える」と言われるほどまでになっている。


 そんな所謂向かうところ敵なしの王国だが、都は少々特殊な形をしていた。
 

 外からの侵入を防ぐため築かれた城壁で四方を囲まれている都は中央部で大きく二つの階層に分けられていて、その上下層は見上げるほどの高さのある大階段でのみ行き来ができるようになっている。そしてそこには昼夜問わず多くの兵が配置され、常に通行人を厳しく監視している。なぜかといえば街の上部層は王族や貴族、そして主要な王立施設が集まっているから。
 ようはやんごとなき人々を守るためだ。

 レイストリックを知らない人間からすればなぜこんな形に、と疑問に思うかもしれないが元々小高い山に初代国王が建国を決めたため、そういった形になったのだという。


 リュスカ=ランゼルが暮らすのは、そんな奇妙な都の下層階にある庶民の住居区西端にある小さな家だ。そしてそこは漆黒の蝶の隠れ家でもある。

 粗悪な煉瓦を組んで建てた小さな家は、築四十年は軽く経っているだろう。広さは先ほどまでいたマーグ公爵邸の十分の一、もしかすると一部屋分にも満たないかもしれないがそれでもこの部屋は歴としたリュスカの城である。

「いーーーーっでぇぇぇーーーー!」

 その小さな城に響いたのは、主の情けない叫び声だった。
 リュスカが大きく動いたせいで風が起きたのか、部屋を照らす蝋燭の火がゆらりと揺れる。

「騒がないでよ。僕の耳が壊れるでしょ?」

 耳元でリュスカの悲鳴を聞いたラッセル=クランが眉根をグッと顰め、眉間に綺麗な皺を作りながら文句を吐く。

「痛いんだから仕方ないだろ!」
 
 艶やかな白い肌が目を引く麗しい男は怒った顔も綺麗だと出会ったばかりの頃は思ったが、今では嫌味な鬼にしか見えない。勿論、ラッセルのことだ。

 あれからすぐに部屋に戻ったリュスカは、待機していたラッセルの治療を受けたのだが、膝に塗られた薬が予想以上に激痛を生んで声を抑えられなかった。戻る前にあれだけ覚悟を決めたのに尋常ではない激痛を体感した途端、リュスカの心は見事に折れた。

「男なんだから少しぐらい痛くても我慢して。格好悪いよ」
「それができたら叫んでねぇよ! ってかこの薬、前に使った時より染みるぞ。ラッセル、お前わざと染みる成分強くしてるだろっ」
「人聞きの悪いこと言わないで。これでもリュスカには研究所でも滅多に使えない貴重な薬草を使ってあげてるんだから」

 恩着せがましく言われても、薬草の価値なんて分からないリュスカにはありがたみが少しも湧かない。それよりも未だ心臓の鼓動と連動する足の痛みに、今夜眠れなくなったらどうしてくれるんという恨みのほうが強かった。

「絶対嘘だ。ラッセルのことだから、俺に染みる薬をわざと使って実験記録でも取ってるんだろ」

 叫ぶか文句を吐き出していないと痛みに負けそうで、リュスカは思いつく限りの言葉をラッセルにぶつける。と、瞬間、目の前に真冬並の凍てつく風が吹いた。――――ような気がした。
 リュスカはおそるおそる怜悧な殺気が放たれる方向に目を向ける。

「へぇ……そんなふうに言うんだ」

 ラッセルが満面の笑顔を浮かべていた。
 だが、その目はまったく笑っていない。
 黒に近い紺色の、少し長めの前髪が笑顔に傾けた顔の動きに合わせてサラサラと揺れる。気位の高い高級猫のような切れ長の美しい瞳は綺麗な弧を描いているものの、奥から覗く翡翠色の双眸は獲物を確実に仕留める獰猛な獅子の目と同じで、睨まれたリュスカの背中は一瞬固まってしまった。

「そこまで言うなら、次は目の前で染みる成分をたっぷりと配合した薬を作ってあげる。それを使ってみてから判断したら?」
「だ、誰が、そんなもの使うか。ってかラッセルになんか、今後一切世話になんねーよ」

 今以上に染みる薬なんて、想像しただけでも震えが起こる。リュスカは内心動揺しながらもこれまでで一番大きな声で高らかに宣言した。

「だから耳元で騒がないでって。それと薬を使う、使わない云々は僕に言うよりも向こうに言って」

 ニヤリと意地悪そうに口角を上げたラッセルが、白い指でリュスカの背後を差す。
 あ、そういえば、とリュスカが思い出して振り返ると、まるで難問にでもぶつかったかのよう顰めっ面をしたアランがこちらを向いていた。

「ア……ラン?」

 ラッセルとの会話に夢中になって、完全にアランの存在を忘れていた。
 頬が綺麗に引き攣っていくのが、リュスカにも分かった。

「リュスカ、傷が痛むのは可哀想だと思うが、そこまで言うのもどうかと思うぞ。ラッセルが貴重な薬草を使ってくれているのは確かだし、わざと染みる薬を配合するなんて無駄をするはずがない。お前だってラッセルが性格に似合わず真面目なことぐらい知っているだろう?」
「……は? ちょっと待って。何、その持ち上げるだけ持ち上げて一気に落とす説明」


 アランに窘められるリュスカを見て、クスクス笑っていたラッセルがムッと頬を膨らませる。納得できないという様子だ。しかし、そんなラッセルに視線を向けたアランは、すぐさまリュスカに見せたものと同じ顔を浮かべた。

「お前もお前だ。リュスカが反抗しやすい性格だと知っているなら、大人であるお前が先に引いてやるべきだろう」

 同い年のアランに叱責され決まりが悪くなったのか、ラッセルの表情がどんどん苦いものになっていく。
 リュスカは内心「ざまぁみろ」と思ったが、すぐさまアランに厳しい目で睨まれ双肩を竦ませた。

「二人とも仲間なんだから、もう少し仲よくしてくれ。こんなことで喧嘩ばかりして、任務に影響がでたらどうするんだ」

 と、アランが懸念を零す。この男は真面目の中の真面目と言われるぐらい真面目だ。なんて説明すると少々ややこしいが、ようは真面目過ぎて頭が固い。ゆえにリュスカやラッセルにとっては軽口や冗談の域を出ない掛け合いも、文面どおりまま受け止めてしまいがちだ。

 つまりこのままいくと、今からアランによる厄介な説教が始まる。一度始まると朝までコースも不思議ではない悪夢の時間が。
 それでなくても片方は漆黒の蝶の任務と傷薬の痛みで疲労困憊、もう片方は体力仕事はなかったにせよ早朝から研究所の勤務があるというのに、長時間お小言を聞かされるなんてたまったものではない。

 リュスカがラッセルにちらりと目配せをする。
 すると向こうはわずかも迷うことなく意図を読んで小さく頷いた。
 次の瞬間、二人が弾かれるように顔を上げる。

「わ、分かったよ、もうラッセルを悪く言わないし、薬も嫌がらないって約束する! 喧嘩だってしないよ!」
「そうだね、僕も少々大人気なかったかな。今度からなるべく染みないを作ってみるよ」

 リュスカとラッセルは、自尊心を殴り捨てて互いの手を取り合う。

「……本当か?」

 二人の様子をじっと見つめながらアランが問う。
 仕方のない話かもしれないが、まだ疑いが強いようだ。が、説教コースの回避が最優先課題のリュスカたちは懸命に話を合わせる。

「そりゃあ、な? ラッセル」
「勿論だよ。ね、リュスカ」

 取り合った手で、二人が仲直りを示す熱い握手を交す。ぶんぶんと大きく振られる二人の手を見てアランはふむ、漸く納得したように頷いたが、どうやら絵に描いたような笑顔の下で繋がれたリュスカたち手に渾身の力が込められていたことには気づかなかったようだ。
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