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18.楓くんに導かれてるのかもしれない
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追試は、もう一週間後に迫っていた。
雪子が何人もの先輩たちに頼み込み、集めてきてくれた過去の追試問題のコピーは、書き込みすぎてぐちゃぐちゃになっていた。桃葉は時間内に小論文を書く練習を何度もした。出題される傾向も見えてきて、あとは風邪を引かずにその日を迎えるだけだと思えるくらいに、桃葉は自信をつけていた。
だから、ほんの少しのご褒美のつもりだった。SNSにアクセスして、楓がどんなことを投稿しているか、見たいと思ってしまった。楓が元気なことがわかれば、また一週間がんばれる。そして、追試が終われば、再び楓の顔を見て、声を聞き、名前を呼んでもらうことができる。それまでの、エネルギーチャージのつもりだったのだ。
その楓の投稿――日付は六日前で、すでに千件近くのリプライがついていた――を目にした瞬間から、桃葉の心拍数はあがり、頭の中から追試という言葉はもちろん、自分が大学生であることや、自分が社会と繋がっているという感覚、その他何もかもが消え去った。目の前にあるのは、自分と楓、それだけだった。
オフ会をします。そう書かれていた。
レンタルスペースなどを使い、視聴者を集めてオフ会をする配信者がいることは、知っていた。だけどそれは、ファンとの交流を好む配信者がすることであり、ファンに対し一線を引いている楓が開催するなど、夢にも思っていなかった。
【最近、私生活でちょっとした変化がありました。活動してこられているのはみなさまのおかげだと、改めて思わされました。楓から直接、その感謝と、今後の方針についてお伝えしたいと思い、今回オフ会を企画しました】……
楓に、一体何があったのだろうか。わからないが、これが滅多にない機会ということだけはわかる。千件越えのリプライの理由は、そのいくつかを見ることで、すぐにわかった。
【応募します。絶対会いたいです。】【楓くんのためなら北海道から駆けつけます!】
桃葉は息を呑む。参加できるのは、当選した五十人のみだと、楓による詳細に記載されていた。その様子はライブ配信します、ともあるが、自分のいないオフ会を平常心で見られるはずがない。
【いつも楓くんに力をもらっています。直接会ったらもっとがんばれる気がします。ご縁がありますように!】
慌てて送ったリプライをもって、桃葉の応募は完了した。あとは、当選者のみに送られるというDMが来るのを祈るしかない。送信してから締め切りを確認すると、ちょうど桃葉がリプライを送った、その一時間後に設定されていた。
こんなタイミングで気付けたなんて、楓くんに導かれてるのかもしれない。桃葉は胸をなで下ろし、勉強に戻る。
当選のDMが来たのは、翌日の夕方だった。部屋の中が薄暗くなってきて、電気をつけていないことに気がついた桃葉が、スイッチに手を伸ばしかけたとき、軽快な通知音が鳴った。
当選です、という言葉よりもまず、桃葉は楓からDMが来たという事実に、信じられない気持ちになった。そして遅れるように、当選のよろこびがおしよせる。桃葉は文字通り飛び上がった。半開きになった口から歓喜の声が漏れ出て、指先は小刻みに震えた。そのときまでは間違いなく、人生で最高の瞬間だった。桃葉は気付く。
オフ会の日時は、追試の日時とぴったり、狙ったように、重なっていた。
机にひじをつき、頭を抱える。日はすっかり落ちて、電気をつけていない桃葉の部屋は、暗闇に包まれていた。
目の前にひろげられている過去問を、ぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動に駆られる。桃葉は百度目のため息をついた。さっきまでのよろこびは、まるごと全て、憂鬱に変わっている。
いっそ、外れればよかった。いや、オフ会なんて、知らなければよかったのだ。
SNSで、ハッシュタグ「楓GAMESオフ会」を検索する。外れちゃった、悔しい、命にかえても行きたかった。楓ファンの嘆きで溢れている。
当選した権利を譲るつもりはなかった。これは、楓と自分が運命的に導かれたという証明なのだ。大丈夫、きっとまたオフ会は開かれる。そして、また当選できるはずだ。
気を紛らわそうと思った。油断すると、大声で叫んでしまいそうだったから。しばらく考えて、桃葉は雪子にラインを送った。とりとめのないことだ。
【小学生のとき、遠足で動物園行って、モルモットかわいいって言ってる子の気が知れないって思ってたんだけど、雪子はモルモットかわいいと思う?】
そういえば、しばらく雪子とくだらない話をしていないな、と思い至る。暗い部屋で、スマホの光に照らし出された桃葉の顔だけが、ぼんやり浮いている。返事はすぐに来た。
【くだらないこと考えている暇があったら、ラストスパートがんばりなさい! 来年は三年生なんだから、最後の学祭だよ! 追試終わったら、すぐに練習はじめるからね!】
雪子の皮肉な激励と、添付されていた学祭の写真。
【あ、ごめん、モルモットはかわいいと思う】
遅れて送られてきたメッセージに、桃葉は思わず吹き出した。そして、最近ずっと、SNSと動画サイトばかりを見ていたことに気付く。人とのやりとりが、久しぶりだった。
スマホを置くと、部屋の中で一番明るいのは窓だということに気付いた。カーテンを開け放した窓から、向かいに建っているアパートのあかりが差し込んでいる。
薄桃色のカーテンを閉めようと手を伸ばして、空の高いところに、膨らみかけた月を見つけた。
雪子が何人もの先輩たちに頼み込み、集めてきてくれた過去の追試問題のコピーは、書き込みすぎてぐちゃぐちゃになっていた。桃葉は時間内に小論文を書く練習を何度もした。出題される傾向も見えてきて、あとは風邪を引かずにその日を迎えるだけだと思えるくらいに、桃葉は自信をつけていた。
だから、ほんの少しのご褒美のつもりだった。SNSにアクセスして、楓がどんなことを投稿しているか、見たいと思ってしまった。楓が元気なことがわかれば、また一週間がんばれる。そして、追試が終われば、再び楓の顔を見て、声を聞き、名前を呼んでもらうことができる。それまでの、エネルギーチャージのつもりだったのだ。
その楓の投稿――日付は六日前で、すでに千件近くのリプライがついていた――を目にした瞬間から、桃葉の心拍数はあがり、頭の中から追試という言葉はもちろん、自分が大学生であることや、自分が社会と繋がっているという感覚、その他何もかもが消え去った。目の前にあるのは、自分と楓、それだけだった。
オフ会をします。そう書かれていた。
レンタルスペースなどを使い、視聴者を集めてオフ会をする配信者がいることは、知っていた。だけどそれは、ファンとの交流を好む配信者がすることであり、ファンに対し一線を引いている楓が開催するなど、夢にも思っていなかった。
【最近、私生活でちょっとした変化がありました。活動してこられているのはみなさまのおかげだと、改めて思わされました。楓から直接、その感謝と、今後の方針についてお伝えしたいと思い、今回オフ会を企画しました】……
楓に、一体何があったのだろうか。わからないが、これが滅多にない機会ということだけはわかる。千件越えのリプライの理由は、そのいくつかを見ることで、すぐにわかった。
【応募します。絶対会いたいです。】【楓くんのためなら北海道から駆けつけます!】
桃葉は息を呑む。参加できるのは、当選した五十人のみだと、楓による詳細に記載されていた。その様子はライブ配信します、ともあるが、自分のいないオフ会を平常心で見られるはずがない。
【いつも楓くんに力をもらっています。直接会ったらもっとがんばれる気がします。ご縁がありますように!】
慌てて送ったリプライをもって、桃葉の応募は完了した。あとは、当選者のみに送られるというDMが来るのを祈るしかない。送信してから締め切りを確認すると、ちょうど桃葉がリプライを送った、その一時間後に設定されていた。
こんなタイミングで気付けたなんて、楓くんに導かれてるのかもしれない。桃葉は胸をなで下ろし、勉強に戻る。
当選のDMが来たのは、翌日の夕方だった。部屋の中が薄暗くなってきて、電気をつけていないことに気がついた桃葉が、スイッチに手を伸ばしかけたとき、軽快な通知音が鳴った。
当選です、という言葉よりもまず、桃葉は楓からDMが来たという事実に、信じられない気持ちになった。そして遅れるように、当選のよろこびがおしよせる。桃葉は文字通り飛び上がった。半開きになった口から歓喜の声が漏れ出て、指先は小刻みに震えた。そのときまでは間違いなく、人生で最高の瞬間だった。桃葉は気付く。
オフ会の日時は、追試の日時とぴったり、狙ったように、重なっていた。
机にひじをつき、頭を抱える。日はすっかり落ちて、電気をつけていない桃葉の部屋は、暗闇に包まれていた。
目の前にひろげられている過去問を、ぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動に駆られる。桃葉は百度目のため息をついた。さっきまでのよろこびは、まるごと全て、憂鬱に変わっている。
いっそ、外れればよかった。いや、オフ会なんて、知らなければよかったのだ。
SNSで、ハッシュタグ「楓GAMESオフ会」を検索する。外れちゃった、悔しい、命にかえても行きたかった。楓ファンの嘆きで溢れている。
当選した権利を譲るつもりはなかった。これは、楓と自分が運命的に導かれたという証明なのだ。大丈夫、きっとまたオフ会は開かれる。そして、また当選できるはずだ。
気を紛らわそうと思った。油断すると、大声で叫んでしまいそうだったから。しばらく考えて、桃葉は雪子にラインを送った。とりとめのないことだ。
【小学生のとき、遠足で動物園行って、モルモットかわいいって言ってる子の気が知れないって思ってたんだけど、雪子はモルモットかわいいと思う?】
そういえば、しばらく雪子とくだらない話をしていないな、と思い至る。暗い部屋で、スマホの光に照らし出された桃葉の顔だけが、ぼんやり浮いている。返事はすぐに来た。
【くだらないこと考えている暇があったら、ラストスパートがんばりなさい! 来年は三年生なんだから、最後の学祭だよ! 追試終わったら、すぐに練習はじめるからね!】
雪子の皮肉な激励と、添付されていた学祭の写真。
【あ、ごめん、モルモットはかわいいと思う】
遅れて送られてきたメッセージに、桃葉は思わず吹き出した。そして、最近ずっと、SNSと動画サイトばかりを見ていたことに気付く。人とのやりとりが、久しぶりだった。
スマホを置くと、部屋の中で一番明るいのは窓だということに気付いた。カーテンを開け放した窓から、向かいに建っているアパートのあかりが差し込んでいる。
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