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10.口実がひとつ
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大学の授業は、五回の欠席で単位を落とすことになるのだと、シラバスとにらめっこしている入学したての桃葉と雪子に、通りかかった先輩が教えてくれた。そして、代返――代理で友達が返事をすることだ。学籍番号が近いと声でばれるので、幅広い学部の人と知り合うことが大切だ――をうまく使ったり、出席を取らない授業を選んだりすることが、それをくぐりぬける鍵なのだとも、教えてくれた。
桃葉は後悔している。そのアドバイスを、わたしたちはきちんと授業受けるからそんなの関係ないよね、と言い受け流したことを、後悔している。
木曜一限、生物学の授業は、もうあとがない。もう欠席四回目だよ、そう雪子に言われて最初に思ったのが、「そういえば楓くんは水曜の夜によくライブをやるな」だったことに、桃葉は自分で呆れかえった。よくそんなことが思えたものだ、単位を落とすような大学生になろうとしているのに。桃葉も雪子も至って真面目であり、不真面目な学生を下に見る節がある。
「大丈夫なの? まだ十月なのにあとがないって、結構きついんじゃないの」
雪子は、首元のストールをまき直し、桃葉に言う。今日の雪子はロングコートの下にボルドーのニットという、冬のデートのような装いだった。
「なんとかがんばるから、大丈夫。最近、調子悪かったんだもん」
ジーンズにスニーカーの桃葉は、雪子に追いつくよう小走りになりながら、息を切らす。
二限は、五号館での授業だ。あいだ十五分しかない休憩で、一号館から移動しなければならない。と言っても、一号館から移動するのは雪子だけで、桃葉は学校に到着したばかりなのだけれど。
「待って、雪子、速いよ」
雪子は少し、怒っているようだった。桃葉の顔も見ずに言う。
「ずっと様子がおかしいと思ってたけど、本当に何も話してくれないのね」
そんなつもりじゃなかった。桃葉は驚いて、早足で歩く雪子のベージュのロングコートを指でつかみ、ひっぱる。
「違うの、実は、あのね、バイトが忙しいのよ」
「バイト?」
眉をひそめ、雪子が振り返った。桃葉の言葉は止まらない。
「店の食器を、わたしに選んでほしいって言われたの。バイトがない日も、メニューにあった食器を探したり、考えたり、してて、忙しくて」
桃葉は自分の言葉を耳で聞きながら、半分はほんとうだから、と心で言い訳する。雪子は立ち止まり、桃葉をじっと見ると、へえ、と言った。
「桃葉がそんなに活躍してたなんて、知らなかった」
そして両手で桃葉の頬を挟むと、
「はやく言ってよ。そうしたら、代返だってなんだってするのに」
そう言って、にやりと笑顔をみせた。桃葉はされるがまま、唇をタコのようにとがらせる。ありがとう、と言ったつもりの言葉は、「はりはとう」にしかならず、雪子は吹き出した。
「そういうことなら協力するから、遠慮しないで。そのかわり、お店に遊びに行ったときにはサービスしてね?」
どきん、と桃葉の心臓が、一瞬はねた。雪子は過去に一度、桃葉のバイト先に食事をしにきたことがある。もしも急に行ってしまうことがあれば、臨時休業中であることがばれてしまう。
いや大丈夫だ、と桃葉は思い直す。あのとき雪子は、こう言った。ちょっとお高いから、次に来るのは特別なときかな。桃葉は笑顔を見せる。へら、という音がしそうなふうに。
「うん、雪子のためなら、サービスしちゃう」
止まっていた足を再び動かして、二人は五号館に向かう。こうやって、サークルを休む口実がひとつ、できてしまった。
桃葉は後悔している。そのアドバイスを、わたしたちはきちんと授業受けるからそんなの関係ないよね、と言い受け流したことを、後悔している。
木曜一限、生物学の授業は、もうあとがない。もう欠席四回目だよ、そう雪子に言われて最初に思ったのが、「そういえば楓くんは水曜の夜によくライブをやるな」だったことに、桃葉は自分で呆れかえった。よくそんなことが思えたものだ、単位を落とすような大学生になろうとしているのに。桃葉も雪子も至って真面目であり、不真面目な学生を下に見る節がある。
「大丈夫なの? まだ十月なのにあとがないって、結構きついんじゃないの」
雪子は、首元のストールをまき直し、桃葉に言う。今日の雪子はロングコートの下にボルドーのニットという、冬のデートのような装いだった。
「なんとかがんばるから、大丈夫。最近、調子悪かったんだもん」
ジーンズにスニーカーの桃葉は、雪子に追いつくよう小走りになりながら、息を切らす。
二限は、五号館での授業だ。あいだ十五分しかない休憩で、一号館から移動しなければならない。と言っても、一号館から移動するのは雪子だけで、桃葉は学校に到着したばかりなのだけれど。
「待って、雪子、速いよ」
雪子は少し、怒っているようだった。桃葉の顔も見ずに言う。
「ずっと様子がおかしいと思ってたけど、本当に何も話してくれないのね」
そんなつもりじゃなかった。桃葉は驚いて、早足で歩く雪子のベージュのロングコートを指でつかみ、ひっぱる。
「違うの、実は、あのね、バイトが忙しいのよ」
「バイト?」
眉をひそめ、雪子が振り返った。桃葉の言葉は止まらない。
「店の食器を、わたしに選んでほしいって言われたの。バイトがない日も、メニューにあった食器を探したり、考えたり、してて、忙しくて」
桃葉は自分の言葉を耳で聞きながら、半分はほんとうだから、と心で言い訳する。雪子は立ち止まり、桃葉をじっと見ると、へえ、と言った。
「桃葉がそんなに活躍してたなんて、知らなかった」
そして両手で桃葉の頬を挟むと、
「はやく言ってよ。そうしたら、代返だってなんだってするのに」
そう言って、にやりと笑顔をみせた。桃葉はされるがまま、唇をタコのようにとがらせる。ありがとう、と言ったつもりの言葉は、「はりはとう」にしかならず、雪子は吹き出した。
「そういうことなら協力するから、遠慮しないで。そのかわり、お店に遊びに行ったときにはサービスしてね?」
どきん、と桃葉の心臓が、一瞬はねた。雪子は過去に一度、桃葉のバイト先に食事をしにきたことがある。もしも急に行ってしまうことがあれば、臨時休業中であることがばれてしまう。
いや大丈夫だ、と桃葉は思い直す。あのとき雪子は、こう言った。ちょっとお高いから、次に来るのは特別なときかな。桃葉は笑顔を見せる。へら、という音がしそうなふうに。
「うん、雪子のためなら、サービスしちゃう」
止まっていた足を再び動かして、二人は五号館に向かう。こうやって、サークルを休む口実がひとつ、できてしまった。
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