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一日目
1 * 鳥にならずに空を飛ぶ
しおりを挟む太平洋の上空、涼しげな顔で文庫本を読みながら、内心汗だくになっている女がいた。
それがわたし、すずめである。
数十分前、わたしは窓際の席に座り、ご機嫌で空の旅を楽しんでいた。
すごい速さで機体が海岸線を越え、日本が後方へ流れていくのを見た瞬間、窓際ほどすばらしい席はないと思った。
白く浮かぶ雲が海面に影を落とすさまを見て、「これは人間が見ていいものなのだろうか」「飛行機は禁断の発明なのではないか」などと、物思いにふけった。
だけど全て過去の話だ。今のわたしに物思いにふける資格はない。
とにかく、今すぐ、トイレに行きたい。
行けよ、と思うかもしれないが無理なのだ。機内がこんなにコンパクトだと知っていたら、窓際には座らなかった。ジェットコースターに乗っている錯覚を起こすくらいに前の座席が近い。隣の人が簡易テーブルを出してしまえば閉じ込められたも同然。映画館で中座するような精神な出られなさではなく、物理的に出ることが不可能だった。
仕方ない、三人席の真ん中に座る父と、通路側に座る弟に、いったん通路に出てもらおう。細身な弟だけならまたげそうな気がするが、体の大きい父をまたぐのは不可能だ。
しかし、父は簡易テーブルにスマホと本を置いたまま、うつらうつらしている。普段仕事で忙しいのだ。移動中くらいゆっくり眠りたいのだろう。起こすのがはばかられる。
そのむこうでは、弟の羽斗(はと)もうつらうつらしていた。彼は昨晩、ホテルの冷凍庫に裏切られ、シェイクのようになってしまったハーゲンダッツを「これはこれで美味しい」とすすっていた。こんなとぼけた弟は、いくらでも叩き起こせるのだけど。
そのとき、タイミングよく父が目を覚ました。寝てませんでしたよ、というような表情で、机上の本の表紙を見つめている。すかさず声をかける。
「あのー、トイレに行きたいのですが」
「ん? じゃあ一回出ようか?」
父に起こされた羽斗も目を覚まし、二人は文句一つ言わず席を立って、通路に出てくれた。やさしい。これが、前の座席で今まさに眠っている母や妹ならそうはいくまい。舌打ちかぼやきのどちらかは覚悟しなければならないはずだ。我が家の男たちは偉大だった。
トイレから戻り、通路側の席に移動させてもらったわたしは、機内食のサンドイッチを頬ばり、オレンジジュースを飲み干した。これで心置きなく水分がとれる。帰りも絶対に通路側に座ろう、と小さな決意をする。
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