それゆけ!しろくま号

七草すずめ

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*常夏の国

常夏の夜

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「おーい、大丈夫?」
 まずは、耳に声が飛び込んできた。それで、波の音がずっと聞こえていたことを思い出す。次いで美味しそうな匂いがし、薄く目を開けたら眩しくて、もう一度ぎゅっと目を瞑った。まぶたの裏がまっかだ。
「ふたりとも、ずいぶんぐっすり眠ってたみたいだね」
 ときどき目の前が黒くなって、また赤くなったから、しろくま号があたりを動き回っているのだとわかった。気配も声も、しろくま号ひとりの分だけだった。
 まぶたを下ろしたまま、ビーチベッドにくっついてしまったような体を、無理矢理ひきはがす。時間をたっぷりかけて目を開けると、横にいるミツキは表情の作り方を忘れてしまったふうな顔で静止している。たぶん、ぼくも同じ顔をしているはずだ。
「ごめんね、せっかく遊びに来たのに、もう夕方になっちゃった」
 目の前の海がオレンジ色に染まっていて、これじゃしろくま号じゃなくて、橙くま号だ、と思う。
「そういえば、ネージュは……」
 半目のまま、ミツキが聞くと、しろくま号はテーブルの上のごみ――焼きそばのパックだ。あれをミツキが食べていたのは、ずいぶんと昔のことな気がする――をビニールにまとめながら、帰ったよ、と言った。ミツキが落胆するのが、手に取るようにわかった。

「ネージュはね、ぼくの妹なんだ」
 しろくま号に連れられた喫茶「波飛沫」で、ナポリタンを頬ばるしろくま号が言った。いもうと、というよく知る言葉とふたりが繋がらなくて、変な顔をしてしまう。
 妹がいるということは、しろくま号とネージュを産んだおかあさんがいるということだ。
「何よそれ」
 ミツキは怒っていた。ミックスサンドを、皿に叩きつけるような勢いだ。ぼくはそこまでしないけれど、なんだかさみしい気持ちなのはたしかだ。
「しろくま号って、何者なの? どうしてしろくまなのに、車に変身できるの? どこから来たの、いつまでいっしょにいてくれるの」
 一度にたくさん聞いたって、しろくま号が答えきれるはずないのに、ミツキは開いた口を動かすことをやめない。そんなに質問していたら、しろくま号は答えたくても答えられないじゃないか、とぼんやり考える。
 しろくま号は、答えるつもりなんてないのか、くるくるとフォークをまわし、もうずっと、同じパスタを巻き続けている。ぼくのとなりで、ミツキはぷるぷる震えているようだった。怒っているからではないと思う。
「ねえ、しろくま号」
 カレーを食べ終わってしまったぼくは、誰もしゃべろうとしない空間に耐えられなくなって、口を開いた。
「しろくま号の名前って、本当はなんて言うの?」
 しろくま号と、彼自身が名乗ったわけではなかった。初めて車になった彼を見たとき、ぼくとミツキが勝手につけた、ニックネームなのだ。
「どうして急に知りたくなったの? しろくま号じゃ、だめかなあ。おれ、気に入ってるんだけど」
 困ったように笑って、しろくま号はずっと巻いていたパスタをぱくりと口にした。ぼくは困惑する。そんなこと言われたって、ぼくは……。
「お友達のことを知りたいと思って、何がおかしいの?」
 ミツキがあまりにも簡単に、そして投げやりに言うものだから、ぼくは少し笑ってしまった。ほんとうに、その通りだ。
 しろくま号は、「そうか」と小さくつぶやくと、照れくさそうに自分の名前を告げた。
「おれ、ブランシュって言うんだ。でもちょっと、かっこよすぎて似合わないだろ」
「そんなことないよ、すごくしろくま号、じゃなくて、ええと……ブランシュらしいよ」
 間髪入れず、ぼくがそう言うと、しろくま号、じゃなくて、ブランシュはますます笑った。
「しろくま号って呼んでくれた方が、おれはうれしいなあ」
 そして、大きな口を開けパスタの皿をからっぽにすると、
「それならおれも、ヒナタとミツキのことが知りたいけどな。おれと出会う前に、どうやって暮らしてたかとか」
 と、ぼくたちを試すように、言った。
「ぼくたちのこと?」
 ミツキと顔を見合わせる。
「それは、ええと……」
 二人そろって、口を開けたまま固まってしまった。ぼくたちって、しろくま号に出会う前、どうやって暮らしていたんだっけ?
 しろくま号は、お水をぐいと飲み干すと、
「遅くなっちゃうから、そろそろ帰ろうか」
 と言って立ち上がった。ぼくもミツキも、黙ってうなずくと、席を立った。窓の外は、もうすっかり暗い。ミツキのホットサンドは、少し残ったままだった。
 しろくま号のしっぽが、ぼくたちの一歩先をゆく。なんだか一日、すごく疲れた気がする。はやくあの家に帰って、ゆっくり休みたいと思った。
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