それゆけ!しろくま号

七草すずめ

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*夜の街

夜色の封筒

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 早朝、四時半。ポストを覗いて、わたしは思わず、悲鳴をあげてしまった。
 入っていた封筒を取り出した拍子に、他のチラシやハガキがばらばらと落下したけれど、そんなのちっとも気にならない。今わたしが見えているのは、夜色の封筒、ただひとつだった。
 少し重くて、厚みのある、封筒。たかいたかいするようにして、太陽にかざしてみる。透けて中が見えるわけではないけれど、きらきらの星空が浮かんでいるような気がする。

「今日の予定ですが、魚の島に行くのは中止になりました!」
 早く知らせてあげたほうがいいと思ったわたしは、わざわざヒナタの部屋を訪れ、これ以上ないほど朝にふさわしい、まぶしい笑顔で教えてあげたのに、ブランケットのあいだから顔をのぞかせたヒナタは、
「ああ、うん……」
 と半目でつぶやくと、再び目を閉じてしまった。それとは反対に、半開きになった口から、よだれが蜂蜜くらいの速度でたれる。
「ちょっと、なんでって聞いてよ!」
 ずかずかと部屋に入り、やわらかいブランケットごとヒナタをゆすると、「あー」というこもった声がもれる。
「あれ? ヒナタの部屋で何してるの、ミツキ」
 しろくま号が、廊下から部屋の中をのぞき、首をかしげた。
「ほら、しろくま号ですらもう起きてるんだよ? いつまで寝てるの」
 ブランケットの中からヒナタの両腕を見つけ出し、掴んでぐいとひっぱると、積んでいた本がくずれるようにして、ヒナタがベッドからすべり落ちた。
「何があったの……」
 困惑の色を浮かべるしろくま号をいったん無視して、わたしはヒナタの体を起こすと、両手で頬をはさみ、ぺちぺちと叩いて、
「重大発表があるので、五分以内にリビング集合ね」
 と宣言した。

「ほら、これ見て!」
 せなか側に隠していた夜色の封筒を、「じゃーん」と自分で言う効果音と共にかかげると、しろくま号は目をまるくして、驚きをあらわにした。
「本物、初めて見た!」
 わたしはますます得意げになり、その勢いのまま「もちろん、三人分あるよ」と言うと、あろうことか、きょとんとした顔のヒナタと目が合った。
 信じられないことに、彼は間の抜けた声を出す。
「え、それ、なに?」
 わたしは一気に体の力が抜けたような気になり、ソファにどさりと座り込んだ。この封筒を見てぴんとこない人が、この世に存在するのか。
「ヒナタ、知らないの?」
 説明する気も起きず黙ったわたしに代わって、しろくま号が口を開いた。
「それ有名なの?」
 間抜けなことを聞くヒナタの声を聞いていると、わたしの体はソファから、ずりずりとすべり落ちていきそうになる。しろくま号はその質問に答えるかわりに、小さなコンピュータをいくらか操作して、画面を見せた。
「……星空ミュージアム?」
 だめだこれ。わたしはわざとらしくため息をつく。想像では、あの封筒を見せただけでヒナタもしろくま号も驚き、大よろこびするはずだった。まさかこんなところに、あの有名な星空ミュージアムを知らない人がいるなんて。呆れて物も言えない。
 わたしの哀れむような目に気付いたのか、ヒナタは、
「ぼく、テレビとかあんまり観ないし」
 と、言い訳にもならないことを言った。わたしはそれをすべて無視し、さっきペーパーカッターで切った封筒の中身を取り出すと、ガラステーブルの上に置いた。
 正方形のパンフレットと、薄く平たい、青い石が三つ。
 うわあ、と感嘆の声をもらすヒナタに、やさしいわたしは、星空ミュージアムの説明をしてやる。
「夜の街にある、今一番話題の美術館。知らない人なんて一人もいないくらい、有名なところ」
 ヒナタはわたしの渾身の皮肉にも気付かなずに、へえ、とパンフレットをぱらぱらめくり、「素敵なところだねえ」とうっとりした。
「チケット、よく取れたね」
 しろくま号が青い石を手に取り、目の高さまで持ち上げて、まじまじと見つめる。さすが、しろくま号はよくわかっている。思わず、へへ、と笑みがこぼれた。
「抽選に、応募してたの。どうしても行ってみたくて」
「だから今日は、魚の島に行くのをやめて、そっちに行こうってことか」
「やっぱり、しろくま号はものわかりがいいね。……誰かさんとちがって」
「うわあ、ここ、行ってみたいなあ」
 目を輝かせ、のんきにパンフレットを眺めるヒナタを一瞥し、わたしは首をすくめた。しろくま号も、苦笑いをする。

 わたしがいつも首からさげている時計は、電池ではなく手巻き式のものだ。
 以前、しろくま号がお土産にくれた、球体の懐中時計。うっかり巻き忘れて、時間がずれてしまうことも、ときどきある。
 だけど、今朝は出発前にちゃんと巻いてきた。だから、朝九時なのにあたりが暗いのは、時計のせいじゃない。
 そう、ここはもう、夜の街なのだ。暗闇に、光の道が二本、浮かび上がっている。しろくま号のヘッドライトだ。それ以外、あかりは見えない。
「本当に、道、合ってるの?」
 後部座席で、ヒナタが言う。しろくま号に失礼でしょ、と思いながらも、助手席に座るわたしも、同じようなことを考えていた。
 こんなに暗くて、数m先しか見えないような道、よく走っているな、とすら思う。
「大丈夫だよ、もうすぐ街が見えてくる……あ、ほら」
 スピーカーから、しろくまの低く優しい声が響いた。しろくま号の声が聞こえると、暗い車内にほんのりとあかりが灯ったような気持ちになる。
 助手席に座りながら、わたしはちらりと右側に目をやる。
 いつも運転席には、二等身のぬいぐるみが置いてあるのだ。かわいらしい、しろくまのやつ。
 それを見てほっとしたわたしは、再び進行方向を見た。フロントガラス越しに、まぶしいビル街が見えてくる。夜中に冷蔵庫を開けたときみたいな気持ち。

「うわあ、ぼくも初めて来たよ、夜の街。東京の夜景に似ているね」
 鍵を抜き、元の姿に戻ったしろくま号が、目を輝かせて言った。わたしたちの目の前には、高いビルがいくつもそびえ立っていて、窓のひとつひとつがオレンジや、白や、黄色に灯っていた。黒い布をかけたような空が、そのあかりを、際立てる。
 しろくま号から受け取った鍵をポシェットにしまいながら、ヒナタが首をかしげた。
「トウキョウ?」
 しろくま号が言ったそれは、わたしも初めて聞く言葉だった。しろくま号は伸びをし、しっぽの具合を確認しながら、にこりとする。
「素敵なところだよ。今度、連れて行ってあげる」
 星空ミュージアムは、街のまんなかの、一番大きなビルにある。わたしが存在を知ったきっかけは、しろくま号に乗っているときに流れていた、ラジオ番組だった。
 一日にほんの少しの人数しか招かず、取材もすべて断っているという、謎に満ちたミュージアム。
 噂では、夜の街でただひとりの、星空学者が作ったものらしい。初めは小さな画廊だったのが、少しずつ規模を拡大し、今や一等地のビルの最上階から三階分を、まるまる星空ミュージアムが占めているという。
 そんなことを二人に説明しているうちに、ミュージアムに向かうエレベーターは、どんどん上昇していった。外が見えるわけでもないのに、耳の詰まったかんじでそれがわかる。
「つばをごっくんってするといいよ」
 しろくま号がのんびり言った声と、ちん、という到着音が、重なった。
「わ、がらがらだよ」
 エレベーターのドアが開いた瞬間、ロビーに飛び出したヒナタは、拍子抜けしたようにつぶやいた。しろくま号に続いて、わたしもエレベーターを降り、あたりを見わたす。
「本当だ、ちっとも人がいないね」
 ロビーの床は深い紺色で、わたしたちの足元だけが、きらきらと光っていた。試しにぴょんぴょん跳ねまわってみると、着地した地面が、またきらめく。
「こんばんは」
 声をかけられ、わたしたちは一斉にそちらを見た。ヒナタと同じくらいの大きさの、スーツを着こなしたペンギンが、かしこまった様子で頭を下げた。
「ご案内役の、アオといいます。よろしくおねがいします」
 丁寧な礼につられ、わたしまで深々とおじぎをしてしまった。ヒナタにいたっては、ラジオ体操の前屈と同じくらいに、頭を下げている。
「あの、今日は閉館しているんですか?」
 大人の礼を返したしろくま号は、きょろきょろと周りを見ながら、尋ねる。
「いえ、お客さま同士が会うことのないようにしているんです。宇宙のさみしさを感じてもらうために」
 胸元の蝶ネクタイをちょいちょいといじり、アオはにこりとわらった。
「宇宙のさみしさ」
 ぽつりとくり返したしろくま号は、たまに見せる、もの悲しい表情をしていた。わたしは何も言えず、その手をぎゅっとにぎる。そうしないと、いつかどこかへ行ってしまうような気がした。
「じゃあ、チケットを拝見しますね」
 ヒナタとしろくま号の視線が、わたしのお花ポシェットに集まる。あわてて封筒を取り出し、三つの青い石をアオに差しだした。
「ありがとうございます。……これは、お土産にどうぞ」
 アオは機械でチケットを読み込み、確認が済んだそれを、それぞれに返した。ただの青色だったはずのそれは、金色が混ざった、不思議な石に変わっていた。
「ラピスラズリだ」
 しろくま号はそうつぶやいて、左目にそれを近付けた。ヒナタは小さな声で「やったあ」と言い、小躍りしながら、お魚ポシェットにしまった。
「では、ご案内しますね」
 一礼したアオが、床をきらきら光らせながら、薄暗い奥の部屋へ、歩を進めた。ヒナタが我先にと走り出し、しろくま号はあわててヒナタを追いかけた。
 わたしは夜空のようなその石をもう一度ながめ、大切にポシェットの中にしまうと、二人の後を追った。
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