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【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている③ ~ただ一人の反逆者~】
【第十六章】 EP① ラブロック・クロンヴァール Part3
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~ flashback scene ~
次の日、夜が明けて間もなく。
クロンヴァール王女が身嗜みを整えて部屋を出ると部下の若い兵士が一人、立ち入りを許可されている境界線である王族専用のフロアに繋がる階段の下で待っていた。
兵士はその姿を確認すると敬礼し、ハキハキとした口調で挨拶を口にする。
「おはようございます、クロンヴァール兵士長」
「ああ、何か報告か?」
「はっ。起床次第顔を見せるようにと国王陛下より言伝を預かっております」
「分かった。ではカインに私の代わりに朝礼を進めるよう伝えてくれ」
「ふ、副兵士長……ですか」
「そう言っている。何か問題があるのか?」
「副兵士長は本日からしばらく休暇を取ると聞いているのですが……兵士長はご存じでありませんでしたでしょうか」
困惑した様子の兵士だったが、その言葉の通りクロンヴァール王女にそのような報告は届いていない。
副兵士長は昨日の魔王軍襲撃時には城の警護を任せていた。
負傷したということはあり得ないし、かといってカインが自分に無断で休暇を取るとようなことをするわけもなく。
何か急な事情があるのだろう。後でセラムにでも聞いてみれば解決する。
気にはなったがそう思い直し、クロンヴァール王女は兵士を下がらせることにした。
「いや、問題ない。ではロスに同じ事を伝えてくれ」
「承知しました。それでは失礼します」
兵士は一礼して去っていく。
その姿が見えなくなるとクロンヴァール王女も変更した目的地へと足を進めることにした。
カインの事は後でいい。今は父の部屋へ向かうのが優先だ。
まず間違いなく昨日の魔王軍による襲撃についての報告を聞こうというのだろう。
結局事後処理に時間が掛かったこともあって昨日のうちに国王への報告は出来なかった。
その事後処理も半壊した関所へ行き、修繕や後始末の指揮を執っていたせいで遅くなっただけのことでしかなく、そこに居た兵士数名が負傷したとはいえそれ以上の被害はない。
町を襲ってきた百余りの魔物とそれを率いていた幹部を名乗る魔族は全滅させ、民衆に怪我人の一人も出していない。
自分に加えてロスキー・セラムが居たのだ。あのレベルの敵に遅れを取るはずもないとはいえ、しっかりと町を、民を守ることが出来た。
一切の報告がされていないということはないだろうが、改めて良い報告が出来そうだ。
そんな少しの誇らしさを心に、クロンヴァール王女は父の部屋へ向かった。
「父上、私です」
扉の前に立つ二人の警備兵の敬礼と挨拶に答え、部屋の扉をノックした。
「入れ」
と、中から声がしたのを確認して扉を開けると着替えを済ませ椅子に座っている父が真っすぐに自身を見ている。
アンドリュー・クロンヴァール。
黒くオールバックの髪に整った顎髭という厳つい風貌をしており、齢五十にしてその大きな身体からは威厳や貫禄のある風格が滲み出ている。頭部には王の証である王冠が乗っていた。
この人物こそがラブロック・クロンヴァールの実父であり、尊敬出来る数少ない一人でもある大国シルクレアの国王であった。
「ラブ、座りなさい」
アンドリュー王は扉が閉まるなり、静かにそう告げた。
娘ラブロックは父の態度が想像していたものとは違うことを少なからず疑問に感じる。
怒っているというわけではないのだろうが、どこか神妙というか悲しげにしている様にも見える空気感と雰囲気を纏っていた。
「父上、何かあったのですか?」
言われるまま、同じ様に腰を下ろして問うとアンドリュー王は口をへの字に結んで一度目を瞑り、予想だにしない語りを始めた。
「ラブよ、お前は良くできた娘だ。ワシにとって誇りであると自信を持って言える」
「……父上?」
「いずれ王位を継ぐのはお前だ。しかし、どれだけの強さを身に着けようとも、若くして軍のトップに立っていようとも、お前はまだ若い。人として、戦士として、そして王女として、学ぶことは山程ある。成長しなければならない部分も海ほどある。それを忘れて欲しくはないとワシは思う。正義を貫くために辛い思いや悲しい思いをすることもあるだろう。それを乗り越える精神力も必要になるだろう。その学び、成長しようとする上で一番してはいけないことはなんだと思う?」
「…………」
クロンヴァール王女は質問の意図が分からず、返す言葉を失っていた。
一体何の話をしているのだろうか。
考えるクロンヴァール王女の答えを待たずにアンドリュー王は続ける。
「それは過信だ。どれだけの強さを持っていようとも、どんな地位にいようとも、己の器を過信してはならぬ。器を超えた能力や肩書き、或いは志、使命感、正義感は時として成長の邪魔になり、判断を誤らせる」
「父上、私には父上が何を仰りたいのか分かりません」
煮え切らない態度に思わず本音が漏れると、アンドリュー王はゆっくりと立ち上がった。
「そうだな、少し城を出るとしよう。ついてきなさい」
やはり返事を待たずに歩き出す父だったがそんな態度を問い詰めるわけにもいかず、結局クロンヴァール王女一つ間を置いてそれに続くことにした。
国王として何か自分に伝えたいことがあるのだということは分かるが、それが何であるのかが見えてこない。
それでも普段と違う様子であることは疑いようがない以上、何かそうするだけの事情があることは間違いなさそうだ。
どこに行こうとしているのかは分からないものの『ついて来れば分かる』そう語っているかの様な父の大きな背中を、クロンヴァール王女は一歩下がって追い掛けることにした。
そのまま部屋を出て城の外に出たかと思うと、アンドリュー王は馬車に乗り込んだ。
どうやら予め手配していたらしく、王族専用の馬車にはすでに御者の姿がある。
大きな馬車に二人向かい合って座ると、馬車はすぐに走り出した。
道中、車内に一切の会話はなく重苦しい空気が充満しているだけだ。
窓の外を眺める父の横顔は、やはり物悲しげなものだった。
会話の無い馬車はしばらく走り続け、一つ町を過ぎてしばらくしたところでようやく停止する。
父に続いて馬車を降りたクロンヴァール王女は目の前の光景に言葉を失った。
そこは小さな村だった。
否。
村だったであろう景色が、そこにあった。
二十に満たない家屋は全てが倒壊し、人の姿は一つもない。
この数年のうちに村が壊滅したなどという報告は聞いたことがない。では目の前のこれは一体なんだというのか。
父アンドリューは静かに語り始める。
「ここはリューファという村だ。ここに来たことは?」
「……通りすがりではありますが、何度かは」
「この村がこうなってしまったのは……昨日のことだ、ラブ」
「なんですって!? どういうことです父上。私はその様な話は聞いていない」
「聞いていないのも無理はなかろう。お前は魔王軍との戦闘と、その後の処理で帰りが遅かった。それは仕方のないことだ。だが、どうしてワシがお前をここに連れてきたか分かるか?」
「それは……私が防ぐべきことであったと、そういうことでしょう。しかし、原因も事情も私には伝わっていない。この村やこの村の民を守ろうにも私にはどうしようも……」
「ラブ、さっき部屋で言ったことを思い出すのだ。己が器を見誤ってはならない、と。あの時言ったのはそういう意味なのだ」
「…………」
「お前が何もかもを一人で守れる気でいるのであればそれは正しいことではない。少なくとも今のお前にそこまでの器はないとワシは思っておる。単純な戦闘力でという意味ではなく、だ」
「なぜ……そう思われるのですか。それではこの村がこうなったのは私が原因だと言っているように聞こえる!」
クロンヴァール王女は思わず声を荒げた。
未だ父の言わんとしていることは要領を得ない。
それでいてどこか責めるような口振りや己の未熟さを指摘される意味が分からない。
それでもアンドリュー王は声色を変えず、静かに冷静に、そして少し悲しそうに、真実を告げた。
「この村を滅ぼしたのはボドロ・ブランキーという男だ」
「ボドロ……ブランキー」
「そう。出来る限り早急に身柄を確保捕するように命令を出していた巷では狂人と呼ばれる男だ。覚えがあるだろう? この村のこの現状はお前が独断でカインやロスを呼び戻した結果なのだ」
「そんな…………あれは母上の命令だとばかり……」
「強く進言してきたことを否定はせぬ。だがそれは昨日よりも前の話でしかない。お前の母親にカインやロスを動かせるわけもないだろう。その後調査をさせ、決断と命令をしたのは他でもないワシだ。それほどにあの男は危険な人物だったのだ」
ボドロ・ブランキーは気性が荒く暴力的な男で周囲の者からは狂人とさえ言われていた。
捕まる前日にも酒場で一方的に他の客に因縁をつけ暴力を振るったらしい。
それだけではなく駆け付けた兵士数名を負傷させ逃げたのだ。
その場に居た客や兵士の証言では刃物を持っており、このままではいずれ取り返しの付かない事件を引き起こすだろう。
だからこそ早いうちに捕らえなければならないと判断した。
その最中。
昨日の昼頃、無銭飲食をして逃げたという通報があったためセラム総帥に捕らえるように指令を下した。
追尾していた兵士の報告でこの村の周辺に逃げ込んだことを知り、志願して同行したカイン副兵士長とセラム総帥が兵を引き連れてブランキーを追ったのだ。
「それを……私が呼び戻してしまったと? そのせいでこの村が……」
クロンヴァール王女の声は震えていた。
今ようやく、目の前の光景が自らの命令が招いたのだという事実を理解した。
しかし、現実は遙かに残酷なものだった。
「町を出てすぐに城へ帰還することになったロスはすぐに別の部隊にここに向かうよう指示を出した。だが、既に手遅れだったのだ。到着する頃には全ての家屋は破壊され、村人は一人残らず殺されていた。兵士がブランキーを発見した時、奴は小さな女の子の亡骸を手にただ立ち尽くし、狂った様に高笑いをしていたそうだ」
「………………」
「ラブ、勘違いしてはならん。ワシはお前を苦しめるために言っているのではない。だが、もう一つ伝えなければならないことがある」
「なん……でしょうか……」
クロンヴァール王女は精一杯声を絞り出した。
これ以上聞きたくない。そんな気持ちが胸を締め付けている。
後悔、そして己を愚かしく思う気持ちで呼吸すらままならない。
それでもアンドリュー王は話を続ける。
全ては未来を託すべき娘が乗り越えなければならないものだと思うがゆえのことだった。
「なぜカイン副兵士長が同行することを志願したと思う。それはここがカインの生まれ育った村だったからだ。そして、その女の子というのが……カインの娘だったそうだ」
「っっっ!?」
「その判断がお前の身勝手だと言うつもりはない、ロスも同じ意見だ。天秤に掛けるのが村一つと下手をすれば城下全てでは時に苦渋の決断も必要になるだろう。お前なりに城下の人間を守るという正義があったということも理解している。だが、間違っても冷静な判断であったとは言えぬことも事実。残る兵士で守りを固めることも出来たはずだ。魔王軍は驚異であるが、常に全軍を動員せねば戦いにならない程に軟弱な我が国ではないはずだろう。我らの住む町がこの国の全てではない。断片的な情報で感情的な判断を下し城下の者以外を後回しにした結果がこうなったことも紛れもない事実なのだ。目の前の命一つ救えぬ者に戦士を名乗る資格はないのかもしれん。だが、目の前の一つの命しか目に入らない者に人の上に立つことは出来ないのだということをお前に知っておいて欲しい」
「………………」
「お前は約束してくれた、いずれわしの後を継いで王になると。それまでは戦士として前線に立ち、ワシを、民を、国を守ってやると。その約束を守るべくお前は立派になった。誰よりも強くなった。しかし、お前の命令一つでその全てを左右する可能性があることを分かって欲しい。ワシもいる、ロスもいる。お前の助けになろうと思う人間は大勢いるのだ。お前には兵士や民の命や人生を左右する立場にあるということを学びながら大人になっていって欲しいとワシは思う。今この光景を見て自責の念に駆られろというのではない。いつか目の前の二つの命のうちどちらか一つしか選べないような状況を強いられることもあるかもしれないのだ。だからこそいつだって後悔の無い選択をして欲しいと、そう思ったからこそお前をここに連れてきた」
「………………」
クロンヴァール王女は何も言えなかった。
自分の誤った判断が村を一つ潰し、村人を殺し、そして腹心の家族をも死なせてしまった。
かつてこれほど後悔したことはない。
震えるほどの力で握った手からは爪が食い込み血が流れていた。
全ては己が未熟だったから招いた事だ。
全ては自分の弱さが生んだ犠牲だ。
父のために、民のために、国のために。
誰よりも強く、誰よりも多くの物を守れる人間になろうと一心不乱に走ってきた道の上で、初めて立ち止まりしゃがみ込んでしまいたくなっていた。
「ラブ、自分を責めてはいかんぞ。どれだけ強く、どれだけ有能な王でも全ての人間を救うことは出来ないのだ。その中で少しでも多くの者を守ろうとするお前の意志が間違っているなどと誰にも言わせはしない。守れなかった者の亡骸を踏み越えてでも進まなければならない、それが人の上に立つということだ。さあ、城に戻るとしよう」
アンドリュー王は娘の頭に手を置き、馬車へと戻っていく。
それでも、クロンヴァール王女はしばらく動くことが出来ず、虚ろな表情で俯いたままただ立ち尽くしていた。
○
そして次の日。
クロンヴァール王女は朝の仕事を済ませると、愛馬に跨り町を離れた。
行き先は昨日父と行ったリューファ村だ。
己を戒めるために、二度と同じ事を繰り返さないために、今一度あの光景を目に焼き付けておこうと思った。そういう理由だ。
クロンヴァール王女が馬から降り、破壊され木片の山と化した家屋の残骸がいくつも並ぶ村の中を進んでいくと、ふと一つの人影が目に入る。
人が住む家だった山の一つ。その前に胡座を掻いて座っている人影の正面には大小二つの十字架が立てられていた。
例え後ろ姿であれど見間違うはずもない。
クロンヴァール王女にとって最も近しい部下、カイン副兵士長だった。
近付いていくと、その二つの十字架の前に供え物があるのが目に入る。
大きい方の十字架には花束が、小さい方の十字架には……いつか見せてもらった花の形をしたキラキラと光る金属製の髪飾りが置いてあった。
クロンヴァール王女は居たたまれない気持ちのままカインのすぐ後まで来たが、カインは一度として振り返ることはなく、ただ二つの十字架を見つめている。
誰かが居ることは分かっているはずだが、今のカインにとってはどうでもいいことなのかもしれない。
そしてそう思わせているのは他でもない自分だ。
許して貰えるとも思っていない。許して貰おうとも思っていない。
それでも、クロンヴァール王女はその背中に語りかけた。
「カイン……私には謝罪の言葉を口にする資格はないし、言い訳もしない。全ては私が招いたことだ」
兵士長。と。
カインは背後に居るクロンヴァール王女の言葉を遮った。
振り返ることなく、いつもの温厚な人柄を表す様な声と口調で。
クロンヴァール王女は予想に反して言葉が返ってきたことにまず驚いている。
責められた方がどれだけ楽か。無視された方がどれだけ楽だろうか。
お前の苦しみが少しでも和らぐのなら好きなだけ罵り、恨んでくれとすら思うのに、カインが口にしたのは全く別のことだった。
「兵士長……僕をその名前で呼ばないでください。今日限り……僕はその名前を捨てる」
「名前を……捨てる?」
「僕達家族はこの村では仲良し一家だっていつも言われていたんです。カイン一家はいつも一緒。カイン一家はいつも幸せそう。そんなことをよく言われました」
「………………」
「僕がカインと呼ばれていたら向こうで妻や娘が寂しがってしまいますからね。僕のカインという名前だけでも妻子と共に居られるように、カイン一家はいつでも一緒だと娘が思える様に、その名前は妻と娘に預けます。いつか僕が向こうに行く日まで。だから、今日から僕はアルバート……ただのアルバートです」
「そうか……ではアルバート。もう一度言う、全ては私が招いたことだ。私が無能で、無力なせいだ。私は二度と同じ過ちを繰り返さない。もっと強くなって、平和を乱す奴は全て蹴散らしてやる。民の安住を妨げようとするやつは全て排除してやる。それを今ここでお前に誓う。だが、もしもその前にお前が今抱いている憎しみをぶつける相手が必要になった時は真っ直ぐに私の所へ来い。私のこの首を……いつでもお前にやる」
「…………」
アルバートは何も言わなかった。
ただ胡座を掻いて座ったまま二つの十字架を見つめ、振り返ることもなくその後ろ姿を見せている。
少しの沈黙を挟んでクロンヴァール王女はただ一言を残し、そのまま背を向けその場を後にした。
この出来事をきっかけにラブロック・クロンヴァールは更に鍛錬を重ね、戦闘技術と意志を貫く強さを培い、平和を乱す全てを敵とし敵の全てを排除することを誓う。
のちに王となり、世界一の戦士と呼ばれることになる姫騎士の原点だった。
次の日、夜が明けて間もなく。
クロンヴァール王女が身嗜みを整えて部屋を出ると部下の若い兵士が一人、立ち入りを許可されている境界線である王族専用のフロアに繋がる階段の下で待っていた。
兵士はその姿を確認すると敬礼し、ハキハキとした口調で挨拶を口にする。
「おはようございます、クロンヴァール兵士長」
「ああ、何か報告か?」
「はっ。起床次第顔を見せるようにと国王陛下より言伝を預かっております」
「分かった。ではカインに私の代わりに朝礼を進めるよう伝えてくれ」
「ふ、副兵士長……ですか」
「そう言っている。何か問題があるのか?」
「副兵士長は本日からしばらく休暇を取ると聞いているのですが……兵士長はご存じでありませんでしたでしょうか」
困惑した様子の兵士だったが、その言葉の通りクロンヴァール王女にそのような報告は届いていない。
副兵士長は昨日の魔王軍襲撃時には城の警護を任せていた。
負傷したということはあり得ないし、かといってカインが自分に無断で休暇を取るとようなことをするわけもなく。
何か急な事情があるのだろう。後でセラムにでも聞いてみれば解決する。
気にはなったがそう思い直し、クロンヴァール王女は兵士を下がらせることにした。
「いや、問題ない。ではロスに同じ事を伝えてくれ」
「承知しました。それでは失礼します」
兵士は一礼して去っていく。
その姿が見えなくなるとクロンヴァール王女も変更した目的地へと足を進めることにした。
カインの事は後でいい。今は父の部屋へ向かうのが優先だ。
まず間違いなく昨日の魔王軍による襲撃についての報告を聞こうというのだろう。
結局事後処理に時間が掛かったこともあって昨日のうちに国王への報告は出来なかった。
その事後処理も半壊した関所へ行き、修繕や後始末の指揮を執っていたせいで遅くなっただけのことでしかなく、そこに居た兵士数名が負傷したとはいえそれ以上の被害はない。
町を襲ってきた百余りの魔物とそれを率いていた幹部を名乗る魔族は全滅させ、民衆に怪我人の一人も出していない。
自分に加えてロスキー・セラムが居たのだ。あのレベルの敵に遅れを取るはずもないとはいえ、しっかりと町を、民を守ることが出来た。
一切の報告がされていないということはないだろうが、改めて良い報告が出来そうだ。
そんな少しの誇らしさを心に、クロンヴァール王女は父の部屋へ向かった。
「父上、私です」
扉の前に立つ二人の警備兵の敬礼と挨拶に答え、部屋の扉をノックした。
「入れ」
と、中から声がしたのを確認して扉を開けると着替えを済ませ椅子に座っている父が真っすぐに自身を見ている。
アンドリュー・クロンヴァール。
黒くオールバックの髪に整った顎髭という厳つい風貌をしており、齢五十にしてその大きな身体からは威厳や貫禄のある風格が滲み出ている。頭部には王の証である王冠が乗っていた。
この人物こそがラブロック・クロンヴァールの実父であり、尊敬出来る数少ない一人でもある大国シルクレアの国王であった。
「ラブ、座りなさい」
アンドリュー王は扉が閉まるなり、静かにそう告げた。
娘ラブロックは父の態度が想像していたものとは違うことを少なからず疑問に感じる。
怒っているというわけではないのだろうが、どこか神妙というか悲しげにしている様にも見える空気感と雰囲気を纏っていた。
「父上、何かあったのですか?」
言われるまま、同じ様に腰を下ろして問うとアンドリュー王は口をへの字に結んで一度目を瞑り、予想だにしない語りを始めた。
「ラブよ、お前は良くできた娘だ。ワシにとって誇りであると自信を持って言える」
「……父上?」
「いずれ王位を継ぐのはお前だ。しかし、どれだけの強さを身に着けようとも、若くして軍のトップに立っていようとも、お前はまだ若い。人として、戦士として、そして王女として、学ぶことは山程ある。成長しなければならない部分も海ほどある。それを忘れて欲しくはないとワシは思う。正義を貫くために辛い思いや悲しい思いをすることもあるだろう。それを乗り越える精神力も必要になるだろう。その学び、成長しようとする上で一番してはいけないことはなんだと思う?」
「…………」
クロンヴァール王女は質問の意図が分からず、返す言葉を失っていた。
一体何の話をしているのだろうか。
考えるクロンヴァール王女の答えを待たずにアンドリュー王は続ける。
「それは過信だ。どれだけの強さを持っていようとも、どんな地位にいようとも、己の器を過信してはならぬ。器を超えた能力や肩書き、或いは志、使命感、正義感は時として成長の邪魔になり、判断を誤らせる」
「父上、私には父上が何を仰りたいのか分かりません」
煮え切らない態度に思わず本音が漏れると、アンドリュー王はゆっくりと立ち上がった。
「そうだな、少し城を出るとしよう。ついてきなさい」
やはり返事を待たずに歩き出す父だったがそんな態度を問い詰めるわけにもいかず、結局クロンヴァール王女一つ間を置いてそれに続くことにした。
国王として何か自分に伝えたいことがあるのだということは分かるが、それが何であるのかが見えてこない。
それでも普段と違う様子であることは疑いようがない以上、何かそうするだけの事情があることは間違いなさそうだ。
どこに行こうとしているのかは分からないものの『ついて来れば分かる』そう語っているかの様な父の大きな背中を、クロンヴァール王女は一歩下がって追い掛けることにした。
そのまま部屋を出て城の外に出たかと思うと、アンドリュー王は馬車に乗り込んだ。
どうやら予め手配していたらしく、王族専用の馬車にはすでに御者の姿がある。
大きな馬車に二人向かい合って座ると、馬車はすぐに走り出した。
道中、車内に一切の会話はなく重苦しい空気が充満しているだけだ。
窓の外を眺める父の横顔は、やはり物悲しげなものだった。
会話の無い馬車はしばらく走り続け、一つ町を過ぎてしばらくしたところでようやく停止する。
父に続いて馬車を降りたクロンヴァール王女は目の前の光景に言葉を失った。
そこは小さな村だった。
否。
村だったであろう景色が、そこにあった。
二十に満たない家屋は全てが倒壊し、人の姿は一つもない。
この数年のうちに村が壊滅したなどという報告は聞いたことがない。では目の前のこれは一体なんだというのか。
父アンドリューは静かに語り始める。
「ここはリューファという村だ。ここに来たことは?」
「……通りすがりではありますが、何度かは」
「この村がこうなってしまったのは……昨日のことだ、ラブ」
「なんですって!? どういうことです父上。私はその様な話は聞いていない」
「聞いていないのも無理はなかろう。お前は魔王軍との戦闘と、その後の処理で帰りが遅かった。それは仕方のないことだ。だが、どうしてワシがお前をここに連れてきたか分かるか?」
「それは……私が防ぐべきことであったと、そういうことでしょう。しかし、原因も事情も私には伝わっていない。この村やこの村の民を守ろうにも私にはどうしようも……」
「ラブ、さっき部屋で言ったことを思い出すのだ。己が器を見誤ってはならない、と。あの時言ったのはそういう意味なのだ」
「…………」
「お前が何もかもを一人で守れる気でいるのであればそれは正しいことではない。少なくとも今のお前にそこまでの器はないとワシは思っておる。単純な戦闘力でという意味ではなく、だ」
「なぜ……そう思われるのですか。それではこの村がこうなったのは私が原因だと言っているように聞こえる!」
クロンヴァール王女は思わず声を荒げた。
未だ父の言わんとしていることは要領を得ない。
それでいてどこか責めるような口振りや己の未熟さを指摘される意味が分からない。
それでもアンドリュー王は声色を変えず、静かに冷静に、そして少し悲しそうに、真実を告げた。
「この村を滅ぼしたのはボドロ・ブランキーという男だ」
「ボドロ……ブランキー」
「そう。出来る限り早急に身柄を確保捕するように命令を出していた巷では狂人と呼ばれる男だ。覚えがあるだろう? この村のこの現状はお前が独断でカインやロスを呼び戻した結果なのだ」
「そんな…………あれは母上の命令だとばかり……」
「強く進言してきたことを否定はせぬ。だがそれは昨日よりも前の話でしかない。お前の母親にカインやロスを動かせるわけもないだろう。その後調査をさせ、決断と命令をしたのは他でもないワシだ。それほどにあの男は危険な人物だったのだ」
ボドロ・ブランキーは気性が荒く暴力的な男で周囲の者からは狂人とさえ言われていた。
捕まる前日にも酒場で一方的に他の客に因縁をつけ暴力を振るったらしい。
それだけではなく駆け付けた兵士数名を負傷させ逃げたのだ。
その場に居た客や兵士の証言では刃物を持っており、このままではいずれ取り返しの付かない事件を引き起こすだろう。
だからこそ早いうちに捕らえなければならないと判断した。
その最中。
昨日の昼頃、無銭飲食をして逃げたという通報があったためセラム総帥に捕らえるように指令を下した。
追尾していた兵士の報告でこの村の周辺に逃げ込んだことを知り、志願して同行したカイン副兵士長とセラム総帥が兵を引き連れてブランキーを追ったのだ。
「それを……私が呼び戻してしまったと? そのせいでこの村が……」
クロンヴァール王女の声は震えていた。
今ようやく、目の前の光景が自らの命令が招いたのだという事実を理解した。
しかし、現実は遙かに残酷なものだった。
「町を出てすぐに城へ帰還することになったロスはすぐに別の部隊にここに向かうよう指示を出した。だが、既に手遅れだったのだ。到着する頃には全ての家屋は破壊され、村人は一人残らず殺されていた。兵士がブランキーを発見した時、奴は小さな女の子の亡骸を手にただ立ち尽くし、狂った様に高笑いをしていたそうだ」
「………………」
「ラブ、勘違いしてはならん。ワシはお前を苦しめるために言っているのではない。だが、もう一つ伝えなければならないことがある」
「なん……でしょうか……」
クロンヴァール王女は精一杯声を絞り出した。
これ以上聞きたくない。そんな気持ちが胸を締め付けている。
後悔、そして己を愚かしく思う気持ちで呼吸すらままならない。
それでもアンドリュー王は話を続ける。
全ては未来を託すべき娘が乗り越えなければならないものだと思うがゆえのことだった。
「なぜカイン副兵士長が同行することを志願したと思う。それはここがカインの生まれ育った村だったからだ。そして、その女の子というのが……カインの娘だったそうだ」
「っっっ!?」
「その判断がお前の身勝手だと言うつもりはない、ロスも同じ意見だ。天秤に掛けるのが村一つと下手をすれば城下全てでは時に苦渋の決断も必要になるだろう。お前なりに城下の人間を守るという正義があったということも理解している。だが、間違っても冷静な判断であったとは言えぬことも事実。残る兵士で守りを固めることも出来たはずだ。魔王軍は驚異であるが、常に全軍を動員せねば戦いにならない程に軟弱な我が国ではないはずだろう。我らの住む町がこの国の全てではない。断片的な情報で感情的な判断を下し城下の者以外を後回しにした結果がこうなったことも紛れもない事実なのだ。目の前の命一つ救えぬ者に戦士を名乗る資格はないのかもしれん。だが、目の前の一つの命しか目に入らない者に人の上に立つことは出来ないのだということをお前に知っておいて欲しい」
「………………」
「お前は約束してくれた、いずれわしの後を継いで王になると。それまでは戦士として前線に立ち、ワシを、民を、国を守ってやると。その約束を守るべくお前は立派になった。誰よりも強くなった。しかし、お前の命令一つでその全てを左右する可能性があることを分かって欲しい。ワシもいる、ロスもいる。お前の助けになろうと思う人間は大勢いるのだ。お前には兵士や民の命や人生を左右する立場にあるということを学びながら大人になっていって欲しいとワシは思う。今この光景を見て自責の念に駆られろというのではない。いつか目の前の二つの命のうちどちらか一つしか選べないような状況を強いられることもあるかもしれないのだ。だからこそいつだって後悔の無い選択をして欲しいと、そう思ったからこそお前をここに連れてきた」
「………………」
クロンヴァール王女は何も言えなかった。
自分の誤った判断が村を一つ潰し、村人を殺し、そして腹心の家族をも死なせてしまった。
かつてこれほど後悔したことはない。
震えるほどの力で握った手からは爪が食い込み血が流れていた。
全ては己が未熟だったから招いた事だ。
全ては自分の弱さが生んだ犠牲だ。
父のために、民のために、国のために。
誰よりも強く、誰よりも多くの物を守れる人間になろうと一心不乱に走ってきた道の上で、初めて立ち止まりしゃがみ込んでしまいたくなっていた。
「ラブ、自分を責めてはいかんぞ。どれだけ強く、どれだけ有能な王でも全ての人間を救うことは出来ないのだ。その中で少しでも多くの者を守ろうとするお前の意志が間違っているなどと誰にも言わせはしない。守れなかった者の亡骸を踏み越えてでも進まなければならない、それが人の上に立つということだ。さあ、城に戻るとしよう」
アンドリュー王は娘の頭に手を置き、馬車へと戻っていく。
それでも、クロンヴァール王女はしばらく動くことが出来ず、虚ろな表情で俯いたままただ立ち尽くしていた。
○
そして次の日。
クロンヴァール王女は朝の仕事を済ませると、愛馬に跨り町を離れた。
行き先は昨日父と行ったリューファ村だ。
己を戒めるために、二度と同じ事を繰り返さないために、今一度あの光景を目に焼き付けておこうと思った。そういう理由だ。
クロンヴァール王女が馬から降り、破壊され木片の山と化した家屋の残骸がいくつも並ぶ村の中を進んでいくと、ふと一つの人影が目に入る。
人が住む家だった山の一つ。その前に胡座を掻いて座っている人影の正面には大小二つの十字架が立てられていた。
例え後ろ姿であれど見間違うはずもない。
クロンヴァール王女にとって最も近しい部下、カイン副兵士長だった。
近付いていくと、その二つの十字架の前に供え物があるのが目に入る。
大きい方の十字架には花束が、小さい方の十字架には……いつか見せてもらった花の形をしたキラキラと光る金属製の髪飾りが置いてあった。
クロンヴァール王女は居たたまれない気持ちのままカインのすぐ後まで来たが、カインは一度として振り返ることはなく、ただ二つの十字架を見つめている。
誰かが居ることは分かっているはずだが、今のカインにとってはどうでもいいことなのかもしれない。
そしてそう思わせているのは他でもない自分だ。
許して貰えるとも思っていない。許して貰おうとも思っていない。
それでも、クロンヴァール王女はその背中に語りかけた。
「カイン……私には謝罪の言葉を口にする資格はないし、言い訳もしない。全ては私が招いたことだ」
兵士長。と。
カインは背後に居るクロンヴァール王女の言葉を遮った。
振り返ることなく、いつもの温厚な人柄を表す様な声と口調で。
クロンヴァール王女は予想に反して言葉が返ってきたことにまず驚いている。
責められた方がどれだけ楽か。無視された方がどれだけ楽だろうか。
お前の苦しみが少しでも和らぐのなら好きなだけ罵り、恨んでくれとすら思うのに、カインが口にしたのは全く別のことだった。
「兵士長……僕をその名前で呼ばないでください。今日限り……僕はその名前を捨てる」
「名前を……捨てる?」
「僕達家族はこの村では仲良し一家だっていつも言われていたんです。カイン一家はいつも一緒。カイン一家はいつも幸せそう。そんなことをよく言われました」
「………………」
「僕がカインと呼ばれていたら向こうで妻や娘が寂しがってしまいますからね。僕のカインという名前だけでも妻子と共に居られるように、カイン一家はいつでも一緒だと娘が思える様に、その名前は妻と娘に預けます。いつか僕が向こうに行く日まで。だから、今日から僕はアルバート……ただのアルバートです」
「そうか……ではアルバート。もう一度言う、全ては私が招いたことだ。私が無能で、無力なせいだ。私は二度と同じ過ちを繰り返さない。もっと強くなって、平和を乱す奴は全て蹴散らしてやる。民の安住を妨げようとするやつは全て排除してやる。それを今ここでお前に誓う。だが、もしもその前にお前が今抱いている憎しみをぶつける相手が必要になった時は真っ直ぐに私の所へ来い。私のこの首を……いつでもお前にやる」
「…………」
アルバートは何も言わなかった。
ただ胡座を掻いて座ったまま二つの十字架を見つめ、振り返ることもなくその後ろ姿を見せている。
少しの沈黙を挟んでクロンヴァール王女はただ一言を残し、そのまま背を向けその場を後にした。
この出来事をきっかけにラブロック・クロンヴァールは更に鍛錬を重ね、戦闘技術と意志を貫く強さを培い、平和を乱す全てを敵とし敵の全てを排除することを誓う。
のちに王となり、世界一の戦士と呼ばれることになる姫騎士の原点だった。
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