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1章
第14話 白薔薇
しおりを挟む「トレック! トレック頼む! 戻って来てくれ!」
やけに大きな声に目を開いてみれば、目の前には俺の大好きな女性が……とはいかず。
「トレック……トレックぅぅぅ!」
髭を生やした巨漢が、滝の様な涙を流しながら俺の事を抱きしめて来た。
待て、本気で待て。
痛い痛い痛い! 普通に死ぬから! 折れそう!
「ドラグさっ……ちょ、待って……死ぬ……」
「す、すまんっ! 大丈夫かトレック!」
暑苦しい包容から解放されたのは良いが、体中がギシギシ悲鳴を上げている気がする。
これがドラグさんの腕力による後遺症ならまだ良かったのだが、明らかに違う痛みが全身を包んでいた。
「うぐっ! がぁぁっ!」
「トレック! 大丈夫か!? 今婆ちゃんが薬持って来るからな!」
へそ辺りが燃える様に熱い。
この痛みで思い出したが、さっき俺は相手の“魔女”から攻撃を受けた筈だ。
脇腹にはエレーヌさんの使っていた長剣がぶっ刺さり、腹の真ん中には植物が突っ込んできて貫通していた筈だ。
だというのに、生きている?
何故? 普通の人間なら、間違いなく致命傷だったはずなのに。
なんて事を思いながら破れた服に手を突っ込んでみれば。
「う、うぐ……って、あれ? き、傷跡は?」
掌から返って来るのは、肌の感触と血が固まったガサガサとした感触のみ。
おかしい、本来ならここに大穴が開いている筈なのに。
いくら指で穿ろうと、傷口が無い。
「大丈夫なんだよな!? 平気なんだよなトレック!?」
ガックンガックンとドラグさんから肩を揺らされる訳だが、正直俺にも事態が把握出来なかった。
俺には英雄譚の主人公の様な特殊な力は無い。
ただの商人の息子で、今ではただの日雇いの一般人。
だというのに、これは何だ?
訳が分からないまま、唖然としていれば。
「トレック、待たせたね! 痛み止めだ、飲みな!」
高齢とは思えない速度で走り寄って来たメディさんに、薬の入った瓶を口に押し込まれてしまった。
そのまま上を向かされ、喉の奥へと流れ込んでいく飲み薬。
あまりの苦さにむせ込みそうになったが、ドラグさんとメディさんに頭を掴まれている為角度を変更できず。
瓶が空になるまで不味い薬を飲まされた訳だが、腹部の傷みは随分と和らいだ気がする。
「ぶはっ! にっがぁぁ!」
「我慢しな! ホラ、腹を見せな!」
慌てた様子でメディさんが俺の服をまくり上げ、固まった血液を濡れた布でふき取っていく。
そして。
「やっぱり、塞がってるね……何なんだいこりゃ。でも無茶するんじゃないよ? なんだか普通の治り方と違う。まるで無理矢理傷を塞いで皮だけ作った様な見た目だ、下手したらすぐにパカッと開くよ?」
それだけ言って、俺の傷口があった場所をベシッと叩いて来た。
痛い、痛いけど普通の痛みだ。
俺の腹に開いていた風穴は何処へ行った?
というか、メディさんはいつからここに居たんだ?
とか何とか混乱していれば。
「婆ちゃんも心配になって見に来たんだってよ。そしたら、丁度トレックがブッ刺される所を見ちまってな。俺と一緒に駆け寄ったんだが、止血している内に傷が塞がっちまった……」
混乱しているのは、どうやら俺だけでは無かったらしい。
そんな短時間で人間が負った傷が塞がる訳がない。
もしも誰もがこれだけの回復力を持っていれば、医者や薬師なんて職業はこの世界に存在しないだろう。
だからこそ、異常。
一体何が……なんて呆けていれば、俺の服がやけに血で汚れている事に気が付いた。
腹部は多分俺の出血なんだろうけど、ここまで全身血だらけにはならない筈だ。
この血は、多分。
「エレーヌさんは、何処ですか?」
彼女の血だ。
最後に見た時、彼女は重傷だった。
俺なんかよりずっと。
今すぐ治療しないといけないくらいに、彼女は“苦しそう”な顔を浮かべていたんだ。
それにこの治癒、瞬時に傷を癒す力。
この奇跡の様な能力を、俺は以前見た事がある。
彼女の“魔女”として力だ。
エレーヌさんが俺に治癒魔法を掛けたのか、それとも別の何かか。
こればかりは本人に聞いてみないと分からないが、それでも俺を救ってくれたのは彼女なのだと直感が告げていた。
「えぇと、あの魔女様だよな? まさかお前がホレてる女が、魔女だとは思わなかったが」
そんな事を言いながら、ドラグさんが指さした先には。
「な、なんですかアレは……」
「俺達に分かる訳ねぇだろ……」
異次元が広がっていた。
そこら中から植物が伸びて来ては相手に迫り、真っ黒い長剣を振るうエレーヌさんが紅い斬撃を放っている。
見た事も無い攻撃は相手の植物をまとめて薙ぎ払い、相手の使い魔と思われる植物のゴーレムを攻撃していく。
細く素早いゴーレムと、防御に徹している巨大なゴーレム。
その二体を相手しながら、エレーヌさんはどんどんと踏み込んでいく。
どう見てもこちらが優位。
相手の魔女はゴーレムの影に隠れ、慌てた様子で植物を動かしている。
これなら勝てる。
そう、思える光景だというのに。
「駄目です、エレーヌさん……ソレは駄目だ……」
「トレック?」
思わず、彼女に向かって手を伸ばした。
物凄い速度で走り回り、相手に向かって紅い斬撃を飛ばし、どんどんと追い詰めていく“魔女”。
このままならエレーヌさんが勝つ。
傍から見れば、それは明らかだった。
だというのに。
「エレーヌさん!」
思わず、駆け出してしまった。
「トレック! 待て!」
「駄目だよ! そんな状態で無理に動くんじゃない!」
二人の声を無視して、二人の魔女に向かって全力で走った。
相手は赤い斬撃に慌てふためき、植物のゴーレムも動きが鈍くなっていく。
このままなら、エレーヌさんが負けるはずがない。
それは、分かっているのだが。
「……」
エレーヌさんの体に幾本もの蔦が突き刺さり、彼女は何でもない顔でソレを薙ぎ払う。
体に残った植物を引っこ抜いてから、再び長剣を構えて突っ込んで行く。
まるで、傷みを忘れてしまったかのように。
感情を何処かに置いて来たみたいに。
「違う、違うんですよエレーヌさん!」
叫びながらも涙が零れた。
情けない、本当に俺は情けない。
何も出来ないし、彼女の代わりに戦ってやる事も出来ない。
でも。
「痛いときは、痛いって言って欲しいんです! 俺は貴女に我慢して欲しくないんです!」
伸ばした腕は、彼女には届かない。
当たり前だ、俺はただの人間なのだから。
それでも、必死で腕を伸ばした。
彼女の背中に向かって。
「何で我慢するんですか! 何で自分の心を無視するんですか!? 貴女はもうボロボロな筈だ! だから“普通”を感じる時だけ、表情が変わるんでしょう!? 俺が初めて作った不味いご飯を食べた時でさえ、美味しいって笑ったのは貴女だ! だったらもう止めろ! 普通に生きろよ! エレーヌ!」
そう、叫んだ。
あの人は、魔女だ。
でも、一緒に居て分かった。
彼女は、ただの普通の女性と変わらない。
だというのに周りは彼女を拒絶して、距離を置いて。
記憶も無くて、自分の事も分らない癖に。
彼女は大人ぶって、それを受け入れようとするんだ。
そしていつだって、私は“平気”だって口にするんだ。
「ふざけるなよ! いつまで我慢するつもりなんだよ!? だからアンタは、眠りながら泣くんだろう!? 起きている間は泣けないから、夢の中で泣くんだろう!? もう止めろ、そんなの止めちまえ!」
彼女の家で生活し始めてから、すぐに気付いた。
この国の、“無情の魔女”は。
エレーヌ・ジュグラリスは。
眠っている時にだけ、涙を溢すのだ。
ごめんなさいと口にしながら、眠っている彼女は泣き続けるのだ。
あの長剣を抱いて、たった一人で。
ふざけるな、本当にふざけるな。
この国の連中は、今の彼女を知っても“魔女だから”という理由で迫害するのか?
こんな強敵を相手にさせて、彼女を捨て駒に使うのか?
なら滅んでしまえば良い、こんな国。
迫害されながらも国の為に戦い、何も悪くないのに眠る度に涙を溢しながら謝らせるこんな国。
彼女が守ってやる必要なんて欠片も無い。
しかも、今目の前で痛々しい程に傷付いていく彼女。
この光景を見て、お前等は未だに彼女を拒絶するのか?
間違いなくこの国を守っている“魔女”を否定するのか?
そんなの、おかしいだろ。
「エレーヌさん!」
ゴーレムを二体とも切り伏せた彼女に、背中からしがみ付いた。
もう止めてくれ、これ以上今の状態で戦わないでくれ。
今の彼女は、全てを捨ててでも剣を振るい続けそうで。
それこそ人々の恐れる“魔女”になってしまいそうで。
「お願いです、いつものエレーヌさんに戻って下さい。今の貴女は、“らしくない”ですよ。何て言うか、俺でも怖いくらいです」
ギュッと抱きしめ、ひたすらに言葉を紡いだ。
何故だか、このまま彼女を戦わせたら二度と戻ってこない気がして。
「あぁ、そういうの冷めるから。邪魔しないでくれる? ペット如きが」
それだけ言って、俺達に向かって植物が迫って来るのであった。
――――
なんか、邪魔が入った。
本当にその程度の感覚でしかなかったのだ。
何の力も無いし、すぐに死ぬ“下等生物”。
私達“魔女”にとっては視線を向ける価値すらない筈なのに。
彼女は。
「トレック……生きて、いるの?」
私と同じ存在であるはずの魔女は、涙をこぼしていた。
先程までこちらを追い詰める程の勢いで、訳の分からない斬撃を飛ばしていた筈の魔女が。
涙を流しながら、その長剣を下ろして俯いていた。
なんだ、何なんだコレは。
こんなの私は求めていない。
安っぽい恋愛劇など求めていないんだ。
魔女になったからには、世界から嫌われなければいけない。
全てから排他され、全てから憎まれる。
それが魔女であり、一人きりで生きる存在なのだ。
だというのに、この子は。
エレーヌ・ジュグラリスは。
普通の人間から、愛されている?
ふざけるな。
「しねぇぇぇぇ!」
持てる全てを使って、あの男を排除しようとした。
私たちに必要なのは救いであり、“平穏”ではない筈。
ある日突然日常がガラッと変わる様な、夢物語の様な救いが。
私達魔女には必要だったはずだ。
それくらいじゃないと、世界は変らない。
魔女という存在を否定し続け、排他し続ける世界。
その筈だったのに。
アレは、なんだ?
「ふざけるなよ! なんでお前は認められている!? お前は受け入れられている! そんなのおかしいだろ! お前は私と同じ存在の筈だ、私と同じ“魔女”の筈だ! だというのに、なんで!」
叫びながら伸ばした蔦は、先ほどから飛んで来る赤い斬撃に全て両断され、未だ後ろから抱き着かれた状態の彼女は口元を柔らかく緩めた。
「認められてなんかいないわ、受け入れられてもいない。でも、それでも。魔女の私を好きだと言ってくれる馬鹿が、ココには居た。それだけよ」
そう言いながら、彼女は長剣を横に構えた。
あぁ、なるほど。
そもそも私と彼女では前提が違ったのか。
やっぱりズルい、羨ましい。
同じ魔女でも、こちらに無かったものを向こうはみんな持っている。
色々な気持ちが渦巻きながら、彼女が振るう“魔剣”の輝きを視界に納めた。
私も、貴女の様に綺麗だったら。
私も、貴女の様に誰かを守っていれば。
誰かに愛してもらえたのかしら?
そんな想いを胸に、彼女が放つ紅い光に呑まれていくのであった。
“無情の魔女”。
本当にその通りだ。
貴女を見て、何かしら思う所があったとしても。
もう、貴女を前にした時には遅すぎる。
エレーヌ・ジュグラリス。
この魔女を敵に回した瞬間、私の物語は終わっていたのだ。
何の情けも無く、何の後腐れも無く。
物語の最後のページを引き裂く様に。
彼女は、私のストーリーに終止符を打つ存在なのだろう。
「やっぱり、貴女が羨ましいわ」
「いいでしょ? でも、あげないわ」
そんな一言共に、彼女は長剣を振り抜いた。
全てが終る、一閃を振り抜いた。
もしも神様って奴が居るとすれば、多分相当捻くれているのだろう。
たまたまこの場に来た私が、たまたま勝てそうな魔女を見つけた。
そしてたまたま人付き合いに飢えていた私が、たまたまこの国に手を出した。
全ては偶然で、全てが脚本を書いた神様の掌の上だった。
私は、踊らされただけだ。
だって今の彼女は。
「最初に見た時より、ずっと綺麗よ。エレーヌ・ジュグラリス」
「ありがとう、アイビー。貴女の言葉、墓場まで持って行くわね」
それだけ言って、彼女の魔法がこの身を包み込んだ。
真っ赤な、それこそ血の様な色の斬撃。
美しいとも思えるソレは、視界の全てを呑み込んでみせた。
彼女の名前は、エレーヌ・ジュグラリス。
またの名を、“無情の魔女”。
“寄生の魔女”を殺した、私を消滅させるであろう魔女。
その名を胸に刻みながら、私は静かに瞳を閉じるのであった。
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