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第八章 復帰、失恋、泣き笑い。
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「本当は、私がこんなお願いするのはお門違いだって、分かっているんです」
先ほどとは一転、落ち着いた口調で紡ぎ始めた話に、私ははっと顔を上げる。
「私が口出しすることではない。お二人が、自ら考え進めることだろうと、分かっているんです」
ふらつきながらも寄り道することなく、話の本質を進めていく。
その先に行き着くであろう「お願い」に、私はとっくに察しがついていた。
「それでも……あんな姿を連日見せられたら、もう、どうしようもなくて」
彼女はずっと辛抱して見守っていた。
私が苦しんだ以上に、彼女も苦しんでいたに違いない。そんなことは、察するに余ることだった。
「失礼を承知でお願いします。勝手なお願いとは分かっています。それでも、どうか!」
「っ、あいつともう会うなというお願いなら、お断りします……!」
耳を塞ぐために動いたのは、手ではなく口だった。
それも、自分でも驚くくらいに子供じみた。
「……え?」
「貴女が私に忠告するのは尤もです。憎まれるのも当然です。貴女はあいつの彼女なんですから……っ」
堰を切ったように口に付く言葉は、止まることを知らない。
「貴女に対するあいつの反応は違います。言葉も、表情も、感情も。心底信頼し合って、そこには付け入る隙なんてない。私にだって、そんなことくらいは分かります」
「……それは、つまり」
「でも!」
でも私は。
私にとっての、透馬の存在は。
「杏……っ」
懸命に言葉を繋げようとする最中、隣から奈緒の庇う声がする。
小さな手が自分の頬を撫でる。濡れた指先。ああやっぱり、最近の私は涙腺が可笑しい。今まで栓を閉じていた分、一気に放出しているみたいだ。
「杏さん」
平坦な声色に、警戒心が疼く。
罵声を浴びせられても仕方ない。頬を汚す涙をそのままに、私は視線をぐっと持ち上げた。
「それじゃ杏さんも……高橋(たかはし)先生のこと、好きなんですね?」
ぽかんとした表情で紡がれた質問に、私もまた、ぽかんと呆気にとられた。
――高橋先生?
「高橋先生のこと、好きなんですね? ということは、私がどうこうしなくても、おふたりは既に両想いなんですねっ!?」
「っ、アリサ、お前は……!」
栄二さんの制止も空しく、アリサさんは先ほどまでの弱々しい瞳が嘘みたいに輝かしい瞳をキラキラとこちらに向けていた。唐突に変化した彼女の様子に私は付いていけない。
というか、誰だ。高橋って。
「透馬君の苗字って……確か『関』だったよね?」
同じことを考えていたらしい親友に、私はポカン顔のままこくりと頷く。
まさか偽名を掴まされていたのだろうか。ふつふつと沸き上がってくる苛付きは、「信頼関係というのは、間違いないと自負はしていますけどね」という言葉に更に増長された。
「私、有佐(ありさ)ちえみは、高橋先生の担当編集です。個人的な何やらといった関係ではありません! ご心配なく!」
眩しいくらいの笑顔で開示された情報は、私の思考を一時停止するには十分だった。
アリサって苗字だったのか。いや、そんなことよりも。
「へん、しゅう?」
「ご存じありませんか? 『高橋ひかる』って、最近テレビにも紹介されてるんですよ。今売り出し中の小説家――っ、ぐ」
タガが外れてしまったらしい。止まることなく周囲に放たれるマシンガントークは、背後から回された大きな手によって呆気なく塞がれた。
「有佐。お前はもう本気で黙れ。これでまたこじれたらお前、間違いなく担当を外されるぞ」
「む、むぐ? むぐぐ……っ」
「杏さん。こいつが今言ったことは……」
どこか腹を決めたような栄二さんの言葉は、私の頭にまで届くことはなかった。
小説家 高橋ひかる。
ご存じない、わけがない。
その小説家は、私が「知っている」と胸を張れる数少ない作家のひとりだ。
デビュー当時からその著作は全て目に通している。数ヶ月前に出た新刊も、わざわざ三ヶ月前からスケジュール帳に発売日を書き込み、書店でサイン本が完売したと知るや否や店長に食って掛かるくらいには思い入れもあって――。
(どうぞ。お譲りします)
ああ、そうだ。
あの日、私が透馬と出逢った時も。
(お譲りいただいて、ありがとうございます……)
(うん。『こちらこそ』)
「――!」
目の前に、眩しいものが弾けたようだった。
瞬間、顔にみるみる集まってくる耐えきれないほどの熱を、私は咄嗟に両手で覆い隠す。不意に指先に触れた目尻に溜まるものが、自分を更に混乱に追いつめた。まさか。まさかまさか。
「杏ッ、逃げちゃダメ!!」
「っ!」
泣き叫ぶような、悲痛な叫びだった。無意識に浮かしかけていた腰を、元の椅子に沈める。
掴まれた服の端をたどって、その先の親友を見遣った。
その瞳もまた、眩しく濡れていた。
「後悔してたじゃない。薫君と向き合わなかったこと、ずっと後悔してたじゃない。もう同じことは繰り返したくないって……そう、思ってるでしょ……?」
「奈緒」
「行ってきて。杏」
両手をきゅっと結ばれる。相変わらずの赤ちゃん体温だ。また、溢れそうになる。
「私、ここで待ってるから。杏のこと待ってるから。だから大丈夫だよ。安心して……っ」
ふにゃりと歪んだ泣き顔で、唯一無二の親友が渡してくれた引導だ。
手放すわけにはいかない。
先ほどとは一転、落ち着いた口調で紡ぎ始めた話に、私ははっと顔を上げる。
「私が口出しすることではない。お二人が、自ら考え進めることだろうと、分かっているんです」
ふらつきながらも寄り道することなく、話の本質を進めていく。
その先に行き着くであろう「お願い」に、私はとっくに察しがついていた。
「それでも……あんな姿を連日見せられたら、もう、どうしようもなくて」
彼女はずっと辛抱して見守っていた。
私が苦しんだ以上に、彼女も苦しんでいたに違いない。そんなことは、察するに余ることだった。
「失礼を承知でお願いします。勝手なお願いとは分かっています。それでも、どうか!」
「っ、あいつともう会うなというお願いなら、お断りします……!」
耳を塞ぐために動いたのは、手ではなく口だった。
それも、自分でも驚くくらいに子供じみた。
「……え?」
「貴女が私に忠告するのは尤もです。憎まれるのも当然です。貴女はあいつの彼女なんですから……っ」
堰を切ったように口に付く言葉は、止まることを知らない。
「貴女に対するあいつの反応は違います。言葉も、表情も、感情も。心底信頼し合って、そこには付け入る隙なんてない。私にだって、そんなことくらいは分かります」
「……それは、つまり」
「でも!」
でも私は。
私にとっての、透馬の存在は。
「杏……っ」
懸命に言葉を繋げようとする最中、隣から奈緒の庇う声がする。
小さな手が自分の頬を撫でる。濡れた指先。ああやっぱり、最近の私は涙腺が可笑しい。今まで栓を閉じていた分、一気に放出しているみたいだ。
「杏さん」
平坦な声色に、警戒心が疼く。
罵声を浴びせられても仕方ない。頬を汚す涙をそのままに、私は視線をぐっと持ち上げた。
「それじゃ杏さんも……高橋(たかはし)先生のこと、好きなんですね?」
ぽかんとした表情で紡がれた質問に、私もまた、ぽかんと呆気にとられた。
――高橋先生?
「高橋先生のこと、好きなんですね? ということは、私がどうこうしなくても、おふたりは既に両想いなんですねっ!?」
「っ、アリサ、お前は……!」
栄二さんの制止も空しく、アリサさんは先ほどまでの弱々しい瞳が嘘みたいに輝かしい瞳をキラキラとこちらに向けていた。唐突に変化した彼女の様子に私は付いていけない。
というか、誰だ。高橋って。
「透馬君の苗字って……確か『関』だったよね?」
同じことを考えていたらしい親友に、私はポカン顔のままこくりと頷く。
まさか偽名を掴まされていたのだろうか。ふつふつと沸き上がってくる苛付きは、「信頼関係というのは、間違いないと自負はしていますけどね」という言葉に更に増長された。
「私、有佐(ありさ)ちえみは、高橋先生の担当編集です。個人的な何やらといった関係ではありません! ご心配なく!」
眩しいくらいの笑顔で開示された情報は、私の思考を一時停止するには十分だった。
アリサって苗字だったのか。いや、そんなことよりも。
「へん、しゅう?」
「ご存じありませんか? 『高橋ひかる』って、最近テレビにも紹介されてるんですよ。今売り出し中の小説家――っ、ぐ」
タガが外れてしまったらしい。止まることなく周囲に放たれるマシンガントークは、背後から回された大きな手によって呆気なく塞がれた。
「有佐。お前はもう本気で黙れ。これでまたこじれたらお前、間違いなく担当を外されるぞ」
「む、むぐ? むぐぐ……っ」
「杏さん。こいつが今言ったことは……」
どこか腹を決めたような栄二さんの言葉は、私の頭にまで届くことはなかった。
小説家 高橋ひかる。
ご存じない、わけがない。
その小説家は、私が「知っている」と胸を張れる数少ない作家のひとりだ。
デビュー当時からその著作は全て目に通している。数ヶ月前に出た新刊も、わざわざ三ヶ月前からスケジュール帳に発売日を書き込み、書店でサイン本が完売したと知るや否や店長に食って掛かるくらいには思い入れもあって――。
(どうぞ。お譲りします)
ああ、そうだ。
あの日、私が透馬と出逢った時も。
(お譲りいただいて、ありがとうございます……)
(うん。『こちらこそ』)
「――!」
目の前に、眩しいものが弾けたようだった。
瞬間、顔にみるみる集まってくる耐えきれないほどの熱を、私は咄嗟に両手で覆い隠す。不意に指先に触れた目尻に溜まるものが、自分を更に混乱に追いつめた。まさか。まさかまさか。
「杏ッ、逃げちゃダメ!!」
「っ!」
泣き叫ぶような、悲痛な叫びだった。無意識に浮かしかけていた腰を、元の椅子に沈める。
掴まれた服の端をたどって、その先の親友を見遣った。
その瞳もまた、眩しく濡れていた。
「後悔してたじゃない。薫君と向き合わなかったこと、ずっと後悔してたじゃない。もう同じことは繰り返したくないって……そう、思ってるでしょ……?」
「奈緒」
「行ってきて。杏」
両手をきゅっと結ばれる。相変わらずの赤ちゃん体温だ。また、溢れそうになる。
「私、ここで待ってるから。杏のこと待ってるから。だから大丈夫だよ。安心して……っ」
ふにゃりと歪んだ泣き顔で、唯一無二の親友が渡してくれた引導だ。
手放すわけにはいかない。
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