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第六章 追求、暴漢、記憶の蓋。

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 確信を込めた視線を突き刺した。しばらく汚いうめき声を漏らしていた教授は、苦々しげに舌打ちを打った。
「はっ。可愛くない女だ。ったく」
 瞼にまで肉が乗った細目で恨みがましく睨まれる。それもこちらが物怖じしないことを見るや否や、不本意そうに顎をしゃくった。
「そこの下の棚戸だ。本の奥に古い箱がある。出してみろ」
「……失礼します」
 本棚の下にしゃがみ込んだ私は、そっと備え付けの引き戸を開け放つ。
 すると言われたとおり、レジュメで隠されていた奥から色のくすんだ箱が姿を現した。お菓子の缶だろうか。彩り豊かなその箱までようやく行き着き、私は両手で箱を抱える。
「……? んっ!」
 何だこれ。むちゃくちゃ重い。
 両手を今一度棚の奥に突っ込み、力一杯に後ろに重心をかける。まるで動かない。どんだけ重いものを詰め込んでるんだ。
「っ、はっ? ちょ……!」
「動かないかい? 可笑しいなぁ、もっと奥を持ち上げたらいい」
 背後から覆いかぶさるような体勢で白々しく指示する。そして先程よりも無遠慮に触れられた手のぬくもりに鳥肌が立った。
「どこを触って……っ、どいてください!」
「君自身は可愛くないがね。魅力的なお尻があったもんでついね。ぐははっ」
 ようやく察しが付き、問題の箱を見遣る。そして目についたものは、箱と棚の間に僅かにはみ出した接着剤の跡だった。
 こいつ、騙しやがったな……!
 このトラップにはまったのは、私が初めてではないだろう。同じ被害者を思って胸にひびが入りそうだったが、おぞましい感触が再び腰あたりに走り、私は声を荒げた。
「止めてくださいっ! 本気で問題にしますよ……!」
「はっ、身体を売る相手がひとり増えるだけじゃねぇか。今更純情ぶるなよカマトトが」
「!!」
 先日の中傷文の内容を示唆する発言に、一層の屈辱を抱いた。
 腰から尻をたどり、肉厚の醜い手が太股を美味しそうに撫で回す。自衛本能だろうか。身体が一気に熱く燃え上がる。触るな。気持ち悪い。呼吸がうまくできない。
「や……っ、とう」
「テメェ!!」
 突如、室内に凄まじい叫び声と騒音が轟いた。直後、痰が絡むような咳音が室内に響き渡る。
「な、なんだお前はっ!?」
「……! か、」
 薫。そう言いかけて、咄嗟に口を噤んだ。
 このセクハラ馬鹿に、名を知られたら後が面倒だ。
 戸棚から這い出た私は、繰り広げられていた光景にぎょっとする。バスケをやるための薫の手が、今は動きの鈍い教授をいとも簡単にしめ上げていた。
「てめぇ……きったねぇ手で杏姉に触りやがって」
「は、ははっ、なんだお前もこの女の見かけに騙されていた若造か? 残念だったなぁ小僧。青臭い幻想が壊れちまったなぁ……っ?」
「殺す」
「ひいいっ!」
「ちょ、やめなさい!」
 教授の胸ぐらを掴む薫の腕が、やすやすとその高さを上げる。更に捻り上げられた首に苦しそうにジタバタする教授の姿に、私は慌てて声を上げた。
「――今の教授の問題行動! ちゃんと写真は撮ってくれたよね、『田中君』!」
 咄嗟に口走った偽名だった。
「田中?」と首を傾げる薫の背中をぎゅっと抓り上げた。あんたも少しは空気を読むことを覚えなさい。
 何とか弾む呼吸を落ち着けた私は、いまだ酸素を求めて息を荒くする教授に向きなおる。
「この子には……万一の時のために私が頼んでいたんです。必要があれば、室内の様子を写真を撮っておいてほしい、と」
 瞬く間に適当な話をでっち上げた。
 ようやく状況に合点がいったらしい薫が、したり顔でズボンからスマホをちらつかせる。
「彼が撮ってくれた写真、どこに飛ばしてやりましょうね。尾沢教授?」
 まるで意見を伺うように首を傾げてみせる。人の血の気が引く瞬間を、私は初めて目の当たりにした。
「あー、やっぱあれだ杏姉。学内とか、家族とか?」
「小僧! わ、わわ、私を脅す気かっ!」
「そうね。あと娘さんのクラス全員のアドレスを調べて一斉送信しましょうか」
「た、頼むっ! 勘弁してくれ! そんなことをされたら私は、私はぁ……!」
「あんたに好き勝手もてあそばれた女の子たちもきっと、今のあんたと同じく助けを求めたでしょうにね」
 私の発言に、教授は大きく喘ぐように息を飲んだ。
 初めて己の愚考に気付いたのか、急速に冷えきった口調に絶望を見たのか、そんなことはどうでも良い。
 私は項垂れたままの教授の前にしゃがむと、そのネクタイを力任せに引っ張り上げた。自分でも驚くほどの力に、教授は息苦しそうにむせ返る。
「それで?」
 真っ直ぐに見据える。今度こそ、言い逃れは許さない。
「旧字の『澤』は――いったい何に使われているの?」
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