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第二幕 御櫛にこめた、女の決意と恋心
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「え……、七々おう」
名前を出される前に、琴美の口をそっと塞ぐ。
「お兄さんたちと違って、こっちは本気なんだ。だから今回は他を当たってよ」
「と、突然現れておいて、何言って……」
「ね? 同じ『男』なら、わかってくれるよね?」
「あ、いや、だから」
「お願い。お兄さんたち」
後ろから抱き寄せた琴美の肩に力をこめると、細い肩がかすかに揺れた。
最後のにっこり笑顔が功を奏したのか、ナンパ男二人組は気が削げたようだ。
居心地悪そうに互いを見合わせると、そそくさと退散していく。いい子たちだ。早くお家にお帰りなさい。
「さてと。お怪我はありませんか、琴美さん」
「あ、はい。すみません……っ」
抱き寄せていた肩から手を離す。
途端に、我に返った様子の琴美があたふたと言葉を探し始めた。
その頬はかすかに上気している。突然のことで驚いたのだろう。
「やっぱり。思った通りだ」
「え?」
「琴美さん、恋人がいたことがないって言ってましたよね。でもきっと、あなたに魅了されている人は、想像以上にたくさんいますよ。今のナンパがいい例だ」
安心してもらえるよう、なるべく優しくその頭に手のひらを乗せる。また、琴美の肩が小さく揺れた。
「今の二人に覚えはありますか?」
「い、いえ。今が初対面です」
「そうですか。今のはきっと純粋なナンパでしょうが、顔は覚えたので一応警戒対象にしておきましょう。では引き続き家までの道を行きましょうか。しっかりお供しますよ」
「はい」
こっくり頷いた彼女を確認して、暁は再び持ち場に戻っていく。
ぶん殴るよりよっぽど穏便に対処できたと思ったのだが、騒ぎのせいでやはり少々目立ってしまったようだ。
辺りからの──特に女性からの視線をうまく払うようにして、暁は千晶たちの元へと向かった。
少しでも見た目を変えるため、かぶっていた帽子をひとまず取った。
「お待たせ。どうやら悪目立ちしたみたいだね。今日はもう犯人も現れないかも」
「……すっご。アキちゃんマジイケメン」
抑揚のない言葉とともに、千晶がぽかんとした顔で出迎える。今のは、呪文か何かかだろうか。
「すっげー格好良かった。アキちゃん、本気で男装したら普通に女からモテモテだと思うよ。下手したら男からも」
「はあ?」
格好いい代表に格好いいと言われても何だかなあ、だ。
「まあいいや。彼女の家まであと少しだから。気を引き締めて……」
再び琴美の後を追おうとした──そのときだった。
「アキちゃん!」
「暁!」
二つの呼び名が重なったかと思うと、肩をもの凄い力で掴まれる。
意図しない方向へ体が傾いたかと思うと、暁は重力に任せてなだれ込んだ。
とはいっても、地面になだれ込んだわけではない。
目の前には見覚えのあるグレーのストールが広がり、押しつけられた胸板が熱い。
覚えがあるこの温もりは──。
「っ、千晶っ?」
「逃げたね。追って、烏丸」
「ああ」
見上げた千晶の表情は、至極大人びて映る。
指示を受けその背から黒い翼を伸ばした烏丸は、音もなく姿を消した。
あうんの呼吸のやりとりに呆然と眺めていると、頭上から優しい声が降ってくる。
「ごめんね。急に引っ張ったから、びっくりしたでしょ」
「ううん、私は平気。でも、今のは一体……?」
「うん。あやかしが出た」
あっさり告げられた事実に、一瞬フリーズする。
それはまさに今、あやかしが暁に向かって飛びかかってきたということだろうか。
それを察した二人に、咄嗟に庇われたと?
その推測を裏付けるように、一瞬視界に掠めた二人の顔は今まで見たこのなく、血相を変えたものだった。
「烏丸に追わせればきっと大丈夫。ひとまず今は、依頼主の警護だよ」
「そう、だよね」
千晶になだれた体勢を整えながら、暁は急いで琴美に視線を向けた。
幸い彼女の姿はすぐに見つけられた。こちらを振り返り、心配そうに首を傾げている。
何かあったのかと思うのも当然だ。向こうもまた、暁の声がイヤホンで聞こえているのだから。
声から動揺が伝わらないように、小さく深呼吸をして鼓動を落ち着ける。
『七々扇さん。大丈夫ですか? もしかして、何かあったんじゃ……!』
「大丈夫です琴美さん。お恥ずかしながら、少しつまずいてしまっただけです。お騒がせしました」
『そ、そうでしたか。お怪我はありませんか? 無理しないでくださいね』
ああ、失態だ。
依頼主に無用な心配を掛けることは、暁が最も避けるべきとしていることの一つだ。
なんでも屋を訪れる人のほとんどが、何かしらの悩みを抱えている。それに寄り添い少しでも悩みを軽くするのが自分の仕事だというのに。
「アキちゃんらしいね」
千晶?
琴美と通話状態にある今は、基本的に隣の甥とは会話はしない。
暁は尋ねるように視線を向けると、柔らかな笑みが返される。意味がわからず首をひねる暁だったが次の瞬間、肩が小さく跳ねた。
千晶の手が、暁の手をつないだのだ。
それはもう恋人のような自然さで。
「っ、……ちょ」
「しー。今は無駄なお喋りができないんでしょ。依頼主が混乱しちゃうもんね?」
名前を出される前に、琴美の口をそっと塞ぐ。
「お兄さんたちと違って、こっちは本気なんだ。だから今回は他を当たってよ」
「と、突然現れておいて、何言って……」
「ね? 同じ『男』なら、わかってくれるよね?」
「あ、いや、だから」
「お願い。お兄さんたち」
後ろから抱き寄せた琴美の肩に力をこめると、細い肩がかすかに揺れた。
最後のにっこり笑顔が功を奏したのか、ナンパ男二人組は気が削げたようだ。
居心地悪そうに互いを見合わせると、そそくさと退散していく。いい子たちだ。早くお家にお帰りなさい。
「さてと。お怪我はありませんか、琴美さん」
「あ、はい。すみません……っ」
抱き寄せていた肩から手を離す。
途端に、我に返った様子の琴美があたふたと言葉を探し始めた。
その頬はかすかに上気している。突然のことで驚いたのだろう。
「やっぱり。思った通りだ」
「え?」
「琴美さん、恋人がいたことがないって言ってましたよね。でもきっと、あなたに魅了されている人は、想像以上にたくさんいますよ。今のナンパがいい例だ」
安心してもらえるよう、なるべく優しくその頭に手のひらを乗せる。また、琴美の肩が小さく揺れた。
「今の二人に覚えはありますか?」
「い、いえ。今が初対面です」
「そうですか。今のはきっと純粋なナンパでしょうが、顔は覚えたので一応警戒対象にしておきましょう。では引き続き家までの道を行きましょうか。しっかりお供しますよ」
「はい」
こっくり頷いた彼女を確認して、暁は再び持ち場に戻っていく。
ぶん殴るよりよっぽど穏便に対処できたと思ったのだが、騒ぎのせいでやはり少々目立ってしまったようだ。
辺りからの──特に女性からの視線をうまく払うようにして、暁は千晶たちの元へと向かった。
少しでも見た目を変えるため、かぶっていた帽子をひとまず取った。
「お待たせ。どうやら悪目立ちしたみたいだね。今日はもう犯人も現れないかも」
「……すっご。アキちゃんマジイケメン」
抑揚のない言葉とともに、千晶がぽかんとした顔で出迎える。今のは、呪文か何かかだろうか。
「すっげー格好良かった。アキちゃん、本気で男装したら普通に女からモテモテだと思うよ。下手したら男からも」
「はあ?」
格好いい代表に格好いいと言われても何だかなあ、だ。
「まあいいや。彼女の家まであと少しだから。気を引き締めて……」
再び琴美の後を追おうとした──そのときだった。
「アキちゃん!」
「暁!」
二つの呼び名が重なったかと思うと、肩をもの凄い力で掴まれる。
意図しない方向へ体が傾いたかと思うと、暁は重力に任せてなだれ込んだ。
とはいっても、地面になだれ込んだわけではない。
目の前には見覚えのあるグレーのストールが広がり、押しつけられた胸板が熱い。
覚えがあるこの温もりは──。
「っ、千晶っ?」
「逃げたね。追って、烏丸」
「ああ」
見上げた千晶の表情は、至極大人びて映る。
指示を受けその背から黒い翼を伸ばした烏丸は、音もなく姿を消した。
あうんの呼吸のやりとりに呆然と眺めていると、頭上から優しい声が降ってくる。
「ごめんね。急に引っ張ったから、びっくりしたでしょ」
「ううん、私は平気。でも、今のは一体……?」
「うん。あやかしが出た」
あっさり告げられた事実に、一瞬フリーズする。
それはまさに今、あやかしが暁に向かって飛びかかってきたということだろうか。
それを察した二人に、咄嗟に庇われたと?
その推測を裏付けるように、一瞬視界に掠めた二人の顔は今まで見たこのなく、血相を変えたものだった。
「烏丸に追わせればきっと大丈夫。ひとまず今は、依頼主の警護だよ」
「そう、だよね」
千晶になだれた体勢を整えながら、暁は急いで琴美に視線を向けた。
幸い彼女の姿はすぐに見つけられた。こちらを振り返り、心配そうに首を傾げている。
何かあったのかと思うのも当然だ。向こうもまた、暁の声がイヤホンで聞こえているのだから。
声から動揺が伝わらないように、小さく深呼吸をして鼓動を落ち着ける。
『七々扇さん。大丈夫ですか? もしかして、何かあったんじゃ……!』
「大丈夫です琴美さん。お恥ずかしながら、少しつまずいてしまっただけです。お騒がせしました」
『そ、そうでしたか。お怪我はありませんか? 無理しないでくださいね』
ああ、失態だ。
依頼主に無用な心配を掛けることは、暁が最も避けるべきとしていることの一つだ。
なんでも屋を訪れる人のほとんどが、何かしらの悩みを抱えている。それに寄り添い少しでも悩みを軽くするのが自分の仕事だというのに。
「アキちゃんらしいね」
千晶?
琴美と通話状態にある今は、基本的に隣の甥とは会話はしない。
暁は尋ねるように視線を向けると、柔らかな笑みが返される。意味がわからず首をひねる暁だったが次の瞬間、肩が小さく跳ねた。
千晶の手が、暁の手をつないだのだ。
それはもう恋人のような自然さで。
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