薔薇紳士の興じ事

世万江生紬

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今でも君の名前を聞くと

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 カランカラン

「いらっしゃいませ。」

「いらっしゃいませ~。」

 ここは悩みを抱えるお客様が来店される喫茶店。本日のお客様は20代後半くらいの男性。表情が暗いからなのか、どこか冴えない印象を受けます。

「こんにちは冴えないお兄さん。何かお悩み事ですか?」

「えぇ...開口一番に店員さんに冴えないとか言われたんだけど...。まあ、悩みはあるけど。」

「お悩みあるならどうぞ話してください。話したらスッキリするかもしれませんよ。こちらの席へどうぞ。」

「はぁ...。」

いちごの少し強引な接客で、男性はカウンター席に座るとぽつりぽつりと話し出しました。男性も、誰かに抱えている思いを話したかったのでしょう。

「あの...俺は榎本健一と言います。悩んでるのはシンプルに彼女に振られました。5年付きあって結婚も考えていたのにショックすぎて。」

「5年も...それは辛いですね。あ、ここの紅茶はすごく落ち着くんです。いかがですか?」

「あ、ならそれを一つ。悩んでいるのは振られたショックも大きいんですけど、それ以上に彼女のことを忘れられないんです。彼女は新しい男が出来たので、もう僕の元に戻ってくることはない...でも僕は新しい恋なんて出来ない、今でも彼女の顔がずっと頭から離れないんです。彼女の名前だって何度でも呼んでしまう...。」

健一はそう言うと俯いてしまいました。自分の中に溜めていた思いを言葉として吐き出し、そして感情を表に出しているんでしょう。いちごは何も言わずに背中をさすります。そんな中、淹れたての紅茶の良い香りがふわっと漂いました。

「榎本様、こちら淹れたての紅茶です。落ち着きますよ。どうぞ。」

「あ、あぁ、ありがとうございます。」

健一はカップを手に持ち一口こくりと飲むと「おいしい」とつぶやきました。

「榎本様、今でも彼女の名前を聞くと真っ先に彼女の顔が思い浮かぶのでしょう。それでいいと思います。あなたの中の大事な気持ちを、感情を、無理に抑える必要も忘れる必要もありません。大事にしてあげればいいんです。」

薔薇紳士がそう言うと、健一は堪えていた涙をぽろぽろと流しました。自分の気持ちを大事にして、自分の思いのままに流した涙をとがめる人はここにはいませんでした。
その日健一は目いっぱい涙を流し、スッキリした顔で店を後にしました。健一が泣いている間ずっと背中をさすってくれたいちごと、黙って温かく見守ってくれた薔薇紳士にお礼を告げて。

 
 自分の感じた思いや気持ちを無理に制御する必要なんてありません。泣きたければ泣けばいいし、笑いたければ笑えばいい。ただ、それを咎めず側にいてくれる人は大事にしなければいけません。
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