薔薇紳士の興じ事

世万江生紬

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忘れられない思い出だけは

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 カランカラン

「いらっしゃいませ~。」

「いらっしゃいませ。」

 ここは悩みを抱えるお客様だけが来店される喫茶店。本日のお客様は40代くらいでしょうか、主婦の方のようです。どこか疲れたような顔をしています。

「お席こちらへどうぞ~。」

「ありがとうございます。」

いちごは女性をカウンター席に案内します。

「ここのおすすめはこの紅茶なんですけどいかがですか?」

「あぁ、じゃあそれを。」

女性は紅茶を注文すると、肘をついてはぁっとため息を吐きます。

「なにかお疲れ...お悩みですか?」

「え?ええそうね。疲れているから雰囲気のいい喫茶店で落ち着きたくて。...良ければお話聞いてもらえる?なぜだか不思議と、このお店に入ったら全部吐き出したくなっちゃった。」

「もちろんです!聞きますよ!」

いちごは元気いっぱいに返事をします。あまりにも元気な返事に、女性はふふっと笑います。

「ありがと。じゃあ...貴方名前は?」

「自分いちごです!」

「そう、いちごさん。私は中山透子と言います。いちごさん、貴方今いくつ?」

「今17ですね。」

「そう...将来のこととか考えていたりするかしら?その、一人暮らしとか。」

「んー、今はまだ何も。もしかしてお子さんが家を出るとかですか?」

「そう。思春期反抗期だからね、こんな家嫌だ、みたいな感じでね。去年出たんだけど...一回も帰ってこなくてね。お盆も正月も。寂しいのよ。あの子がまだ小さかった時のことだって覚えているのにね。」

「そうだったんですか...。」

透子が力なくそう吐きだした時、淹れたての紅茶の香りがふわっと漂いました。

「こちら、どうぞ。落ち着きますよ。」

「あ、ありがとうございます。...うん、確かに、落ち着く味ね。」

「光栄です。時に中山様、お子様が巣立たれたとお聞きしましたが。」

「えぇ。まあこれだけ近くにいれば聞こえるわよね。」

「忘れられない思い出は今もしっかり覚えているのですね。お子様のこと、大切に育てられたのだと思います。愛情いっぱいに育った子は、今はまだ気づけていなくても、その愛にいつか気づくと私は思いますよ。子育て、お疲れさまでした。」

薔薇紳士はそう言うと、深々と頭を下げます。お疲れさまでした、よく頑張りました、と言われているようで、透子は目頭に涙を浮かべます。しかし、決してその涙を流すことはありませんでした。

「確かに。私頑張ったわ!あんなに大変で、手がかかって、てんやわんやで、一生懸命頑張ったんだもの!反抗期ごときで音を上げないし、いつか私の頑張りも帰ってくるわ!」

「透子さん、いいお母さんですね。」

「いちごさん、可愛いこと言ってくれるわね。私の子どもになる?」

「自分にも大好きな母がいるので!」

「ふふ、それは残念。」


 どんなに目の前がつらくても、上手く思い出せないことがあっても、忘れられない思い出だけは今もしっかりと覚えています。その思い出は、今の自分を応援してくれる、奮い立たせてくれる、寄り添ってくれる、大切な宝物なのです。
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