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3話:出世と株と結婚
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斎藤渉は、外勤セールスをしているので公衆電話から直ぐにAB証券の内藤に売買の指示が出来、株投資もやりやすかった。とりあえず海藤は内藤に借りた金80万円を104万円にして返すと言い、内藤の口座に送金し残金が1400万円となった。これには、海藤、斎藤、池上も信じられないと驚いていた。そうして定時制高校を出てから10年が経ち1976年頃、4人そろって500万円以上の預金を作った。
その年の忘年会で、内藤哲人が、かなり飲んだ後、
「おい、みんな、1回きりの人生、勝負して、勝負に勝って大金を掴んで、夢を実現しようと言い出した」。俺は、株の世界に入って10年、これから日本株の黄金期が必ず来る、その波に遅れるべきではないと断言した。その話しを聞いていた池上智惠が、私も,その意見には賛成だと言い、銀行にいても景気の良い波が押し寄せてきているのを感じると言った。
そして数日後、内藤が、実は、海藤は、1967年12月から株投資を始めて既に1500万円も稼いだと言うと斎藤渉、池上智惠に話した。すると池上がホントなのと、海藤に聞くと、ついてただけさと、笑いながら言った。そんなことはない、ちゃんとしっかり調査して堅実な企業としてソニーに目をつけてソニー株だけを3回売買して儲けたと驚いた様に言った。
そして池上が笑いながら、実は、私も海藤君に投資しているんだけどねと苦笑いした。海藤君は、私の打ち出の小槌なのと告げた。この話をして池上智惠が、一番先に、私が株で儲けるつもりだったと残念そうに言った。
池上智惠が内藤君が言ったじゃない1度きりの人生、勝負しなくてどうするのよ、それでも、あんた達、日本男児と檄を飛ばすのを聞いて、最後には斎藤が、わかった、やろうぜと言い、この計画を実行する事にした。じゃー、これで、内藤君に連絡して彼の証券会社で株式口座を開くと連絡しますと言った。
数日後、池上智惠から、電話で、今晩、いつもの居酒屋で、19時に集合と連絡が入った。海藤が行くと、もう既に、3人が来ていて、まず、乾杯しようと言って、ビールのジョッキで、乾杯。その後、内藤が、真面目な顔で、皆さん、我が社で株式口座を開いてくれて、誠にありがとうございますと頭を下げ、決して損させないようにいたしますと言った。
飲みながら、いくら入金したら良いかなど、実務的なことを話し、最初100万円入れておいて欲しいと言われ,全員が了解した。株の売買については池上智惠と内藤が調べて指示しますので、最初は,それで、株の種銭として300万円を目標にしていきましょうと言った。そして4人が、それぞれの夢について多くのことを語り合って実に愉快な飲み会だった。
1976年2月から仕事を続けながら株投資を開始した。1976年4月、海藤努が、池上智惠と結婚するっという話が舞い込んで、
1976年6月に、東京のホテルで結婚式をして、内藤哲人、斎藤渉を始め、会社の関係者、親族、合計50人が参加した。8月の夏休みに、北海道へ、1週間の新婚旅行に行く事にした。その年の9月には、内藤哲人が職場の同僚の早乙女さおりさん、と、東京で結婚式を挙げた。その年の10月に、斎藤渉も、トヨタの総務課の姫島保子さんと結婚式を挙げた。
1977年に1月に、海藤智惠さんの妊娠がわかり、6月中旬に出産予定と決まった。内藤さおりさんも、8月中旬に出産予定とわかった。更に、12月初旬に、斎藤保子さんも出産する事がわかった。そうして、今年は、めでたい1年となったが、旅行にも行けず、大変な1年となりそうだ。しかし、3人とも、大きな問題も無く、無事、出産を終えた。
海藤智惠さんの所では、男女の双子、一郎君と和子さんが誕生して、の実の母が1ケ月、手伝いに来て、その後、義理の母が1ヶ月、子供の面倒を見てもらい、仕事を続けながら、育児と、智惠さんは、頑張っていた。そうして、1977年が終わり、1978年を迎えた。1978年1月にソニー株が下げてると見て615円で2万株を1230万円で購入し残金が170万円となった。
その年の忘年会で、内藤哲人が、かなり飲んだ後、
「おい、みんな、1回きりの人生、勝負して、勝負に勝って大金を掴んで、夢を実現しようと言い出した」。俺は、株の世界に入って10年、これから日本株の黄金期が必ず来る、その波に遅れるべきではないと断言した。その話しを聞いていた池上智惠が、私も,その意見には賛成だと言い、銀行にいても景気の良い波が押し寄せてきているのを感じると言った。
そして数日後、内藤が、実は、海藤は、1967年12月から株投資を始めて既に1500万円も稼いだと言うと斎藤渉、池上智惠に話した。すると池上がホントなのと、海藤に聞くと、ついてただけさと、笑いながら言った。そんなことはない、ちゃんとしっかり調査して堅実な企業としてソニーに目をつけてソニー株だけを3回売買して儲けたと驚いた様に言った。
そして池上が笑いながら、実は、私も海藤君に投資しているんだけどねと苦笑いした。海藤君は、私の打ち出の小槌なのと告げた。この話をして池上智惠が、一番先に、私が株で儲けるつもりだったと残念そうに言った。
池上智惠が内藤君が言ったじゃない1度きりの人生、勝負しなくてどうするのよ、それでも、あんた達、日本男児と檄を飛ばすのを聞いて、最後には斎藤が、わかった、やろうぜと言い、この計画を実行する事にした。じゃー、これで、内藤君に連絡して彼の証券会社で株式口座を開くと連絡しますと言った。
数日後、池上智惠から、電話で、今晩、いつもの居酒屋で、19時に集合と連絡が入った。海藤が行くと、もう既に、3人が来ていて、まず、乾杯しようと言って、ビールのジョッキで、乾杯。その後、内藤が、真面目な顔で、皆さん、我が社で株式口座を開いてくれて、誠にありがとうございますと頭を下げ、決して損させないようにいたしますと言った。
飲みながら、いくら入金したら良いかなど、実務的なことを話し、最初100万円入れておいて欲しいと言われ,全員が了解した。株の売買については池上智惠と内藤が調べて指示しますので、最初は,それで、株の種銭として300万円を目標にしていきましょうと言った。そして4人が、それぞれの夢について多くのことを語り合って実に愉快な飲み会だった。
1976年2月から仕事を続けながら株投資を開始した。1976年4月、海藤努が、池上智惠と結婚するっという話が舞い込んで、
1976年6月に、東京のホテルで結婚式をして、内藤哲人、斎藤渉を始め、会社の関係者、親族、合計50人が参加した。8月の夏休みに、北海道へ、1週間の新婚旅行に行く事にした。その年の9月には、内藤哲人が職場の同僚の早乙女さおりさん、と、東京で結婚式を挙げた。その年の10月に、斎藤渉も、トヨタの総務課の姫島保子さんと結婚式を挙げた。
1977年に1月に、海藤智惠さんの妊娠がわかり、6月中旬に出産予定と決まった。内藤さおりさんも、8月中旬に出産予定とわかった。更に、12月初旬に、斎藤保子さんも出産する事がわかった。そうして、今年は、めでたい1年となったが、旅行にも行けず、大変な1年となりそうだ。しかし、3人とも、大きな問題も無く、無事、出産を終えた。
海藤智惠さんの所では、男女の双子、一郎君と和子さんが誕生して、の実の母が1ケ月、手伝いに来て、その後、義理の母が1ヶ月、子供の面倒を見てもらい、仕事を続けながら、育児と、智惠さんは、頑張っていた。そうして、1977年が終わり、1978年を迎えた。1978年1月にソニー株が下げてると見て615円で2万株を1230万円で購入し残金が170万円となった。
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