舞姫の君

藤雪花(ふじゆきはな)

文字の大きさ
上 下
135 / 238
第3部 冬山離宮 第7話 盗賊

64-2、逃走

しおりを挟む
 ユーディアの取るべき選択肢は二つ。
 このまま火事とこの男から逃れて、ジプサムにモデリアが奴隷失踪に関係していることを知らせ、モデリアから犯罪組織のリーダーである「あの人」につながるすべてを引き出し、一網打尽にすること。

 もう一つは、このまま奴隷として、彼らの本拠地に逃げこむこと。
 だが、これは数々の危険を伴う。
 ユーディアがおとりになることを申し出た時、無茶はしないようにときつく言われていた。
 だがここでユーディアが逃亡を拒絶すれば、ここで口封じに殺されるかもしれなかったし、戦士の男から生きて逃れたとしても、彼らは一味だと知られたモデリアだけを切り捨てて、そのまま雲隠れすることもあり得た。

 危険だとしても、犯罪組織の本拠地を暴くにはこのまま男について逃走するのがいいと思われた。
 それに、ユーディアはモデリアがいうように、虐げられた奴隷たちが自由に自分らしく生きているという社会を見てみたいと思った。
 このまま戦士の男についていくことを、瞬時に決断する。


 男に急き立てられて煙をくぐり、店の外にでる。
 そこには、もうひとり、救出を必要とする女が待っていた。
 一緒に暗がりを走るのはあの手の荒れた細い女。
 ハンカチで口を押え、時折激しくせき込んでいる。
 苦しそうなのに、異様に目が輝いていた。
 男は走り出した。
 傷だらけの手は、ユーディアを掴んで離さない。
 女も走り出すが、咳をした拍子に足をからめて派手に転んだ。
 女は子供と手をつないでいたので、一緒に子供も転んだ。
 だが、前方の男の足は止まらない。
 彼の救出の目的はユーディアなのだ。
 女は、付け足しに過ぎない。
 
 彼の髪は、短かった。
 刈り上げられた首筋が、痛々しく感じる。
 彼が素晴らしく運動神経が良いことは、その身軽な走り方でわかった。
 肩ぐらいの高さの柵があってもゆうゆうと飛び越えられるだろうと思われた。
 共に逃げているのではなく、攫われていくような錯覚。
 
「待って、女が転んだ!」
「立ち上がれ、自由になるんだろっ」

 振り返った前方の男がムチのように鋭く女に言葉を投げつける。
 これから手に入れる自由への希望が女を鼓舞するのに十分だった。
 人通りの全くない狭くて暗い路地を走り、用意された荷馬車の荷台に押し上げられ、押し込められ、ようやく一息がつける。
 いくつもの酒樽と積み上げられた穀物の袋の隙間に入り込んだ。
 ユーディアに続いて女も押し上げられた。
 子供の存在にその時男が初めて気づき、舌打ちをするが、そのまま子供ごと押し上げる。 

「一体どこにこれから?」
「着いたらわかる。まだ安全ではない。息を殺して潜んでおけ。坊主、騒いだら殺す。俺たち全員の命がかかっているんだからな」

 子供は口を押えて何度もうなづいた。
 荷馬車のほろが閉じられると暗闇になる。
 ユーディアは目を閉じた。
 暗闇は感覚を鋭敏にする。
 行き交う馬車の車の音、がたごとと石畳の上を車輪が音を立てる。
 外の声でだいたいどういう場所を走っているのか想像する。
 軋りながらかしぐ感覚は、曲がったのだ。
 お尻に響く感覚で、荷馬車が走る地面の様子もわかる。

「これからどこに行くの?母ちゃん」
 男の子の心配げな声。
「あそこよりもずっと自由でいいところにいくのですよ」
 女は膝を抱えてじっと外の様子に耳を傾けるユーディアをうかがう。
「あの時のあんたも、奴隷だったのね。またあんたに感謝しなくちゃいけないわ」
「……どうして?」
「あたしは、逃走をすぐに手伝ってもらえる対象じゃなかったから。順番はずっと後の方だった。食堂からは持ち出せるものがないから」
「持ち出すって、逃げ出すのに対価が必要ってこと?」
「当然でしょ。あたしたちを助けてくれる人たちの組織も生活しなければならない。活動するためには元手がいる」
 女はさも当然のように言う。

 裕福な店や家が強盗にあい、虐げられた奴隷もいなくなっていたこと。
 盗まれた金目のものは奴隷が逃走するための対価なのだ。
 自由になるために、誰かが犠牲になる。
 家を焼かれたものもいる。殺された主人もいたのではなかったか。

 モデリアと話した時に感じた違和感は、ここにあった。
 助けられる奴隷と助けられない奴隷が、金品によって選別されている。
 それは違うのではないか、とユーディアは反射的に思う。
 だが、ユーディアは何も持ち出してはいないし、指示も受けなかった。

「あんたは何を引き換えにしたの?見たところ何も持ってきていなさそうだけど、見えないところに高価な装身具でも身に着けているの?何を盗んできたの?」
「何にも盗んでないよ」
「うそ」
 麻袋の隙間から女はユーディアを見た。
 人生に疲れた女の顔。
「なら、あんた自身が対価なのかもしれないわね」
「僕自身が対価?自由になりに行くのに?」

 女の目の暗さにゾクリとくる。
 彼女はユーディアの知らない地獄を見たのだ。
 女は目をそらし、その会話は立ち消えた。
 

 三人の逃亡者が潜む荷台に、御者席から黙れというようにどんどんと蹴られた。
 それっきり、女は口をつぐみ、膝を抱えて頭を伏せた。
 関所を越え、美都の外に出る気配があった。
 道が急に悪くなり、荷馬車は縦に小刻みにゆれながら左右に大きく揺れた。
 悪路のつづら折りの山道のようであった。
 緑の草木の香りや、鳥や虫が鳴く声、川の流れる涼やかな音もする。
 どれぐらい揺られていたのか、うつらうつらしては目が覚めた。
 ようやく荷馬車が止まる。

「出ろ」

 外は夕刻の日差しだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

処理中です...