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第3部 冬山離宮 第7話 盗賊
64-2、逃走
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ユーディアの取るべき選択肢は二つ。
このまま火事とこの男から逃れて、ジプサムにモデリアが奴隷失踪に関係していることを知らせ、モデリアから犯罪組織のリーダーである「あの人」につながるすべてを引き出し、一網打尽にすること。
もう一つは、このまま奴隷として、彼らの本拠地に逃げこむこと。
だが、これは数々の危険を伴う。
ユーディアがおとりになることを申し出た時、無茶はしないようにときつく言われていた。
だがここでユーディアが逃亡を拒絶すれば、ここで口封じに殺されるかもしれなかったし、戦士の男から生きて逃れたとしても、彼らは一味だと知られたモデリアだけを切り捨てて、そのまま雲隠れすることもあり得た。
危険だとしても、犯罪組織の本拠地を暴くにはこのまま男について逃走するのがいいと思われた。
それに、ユーディアはモデリアがいうように、虐げられた奴隷たちが自由に自分らしく生きているという社会を見てみたいと思った。
このまま戦士の男についていくことを、瞬時に決断する。
男に急き立てられて煙をくぐり、店の外にでる。
そこには、もうひとり、救出を必要とする女が待っていた。
一緒に暗がりを走るのはあの手の荒れた細い女。
ハンカチで口を押え、時折激しくせき込んでいる。
苦しそうなのに、異様に目が輝いていた。
男は走り出した。
傷だらけの手は、ユーディアを掴んで離さない。
女も走り出すが、咳をした拍子に足をからめて派手に転んだ。
女は子供と手をつないでいたので、一緒に子供も転んだ。
だが、前方の男の足は止まらない。
彼の救出の目的はユーディアなのだ。
女は、付け足しに過ぎない。
彼の髪は、短かった。
刈り上げられた首筋が、痛々しく感じる。
彼が素晴らしく運動神経が良いことは、その身軽な走り方でわかった。
肩ぐらいの高さの柵があってもゆうゆうと飛び越えられるだろうと思われた。
共に逃げているのではなく、攫われていくような錯覚。
「待って、女が転んだ!」
「立ち上がれ、自由になるんだろっ」
振り返った前方の男がムチのように鋭く女に言葉を投げつける。
これから手に入れる自由への希望が女を鼓舞するのに十分だった。
人通りの全くない狭くて暗い路地を走り、用意された荷馬車の荷台に押し上げられ、押し込められ、ようやく一息がつける。
いくつもの酒樽と積み上げられた穀物の袋の隙間に入り込んだ。
ユーディアに続いて女も押し上げられた。
子供の存在にその時男が初めて気づき、舌打ちをするが、そのまま子供ごと押し上げる。
「一体どこにこれから?」
「着いたらわかる。まだ安全ではない。息を殺して潜んでおけ。坊主、騒いだら殺す。俺たち全員の命がかかっているんだからな」
子供は口を押えて何度もうなづいた。
荷馬車のほろが閉じられると暗闇になる。
ユーディアは目を閉じた。
暗闇は感覚を鋭敏にする。
行き交う馬車の車の音、がたごとと石畳の上を車輪が音を立てる。
外の声でだいたいどういう場所を走っているのか想像する。
軋りながらかしぐ感覚は、曲がったのだ。
お尻に響く感覚で、荷馬車が走る地面の様子もわかる。
「これからどこに行くの?母ちゃん」
男の子の心配げな声。
「あそこよりもずっと自由でいいところにいくのですよ」
女は膝を抱えてじっと外の様子に耳を傾けるユーディアをうかがう。
「あの時のあんたも、奴隷だったのね。またあんたに感謝しなくちゃいけないわ」
「……どうして?」
「あたしは、逃走をすぐに手伝ってもらえる対象じゃなかったから。順番はずっと後の方だった。食堂からは持ち出せるものがないから」
「持ち出すって、逃げ出すのに対価が必要ってこと?」
「当然でしょ。あたしたちを助けてくれる人たちの組織も生活しなければならない。活動するためには元手がいる」
女はさも当然のように言う。
裕福な店や家が強盗にあい、虐げられた奴隷もいなくなっていたこと。
盗まれた金目のものは奴隷が逃走するための対価なのだ。
自由になるために、誰かが犠牲になる。
家を焼かれたものもいる。殺された主人もいたのではなかったか。
モデリアと話した時に感じた違和感は、ここにあった。
助けられる奴隷と助けられない奴隷が、金品によって選別されている。
それは違うのではないか、とユーディアは反射的に思う。
だが、ユーディアは何も持ち出してはいないし、指示も受けなかった。
「あんたは何を引き換えにしたの?見たところ何も持ってきていなさそうだけど、見えないところに高価な装身具でも身に着けているの?何を盗んできたの?」
「何にも盗んでないよ」
「うそ」
麻袋の隙間から女はユーディアを見た。
人生に疲れた女の顔。
「なら、あんた自身が対価なのかもしれないわね」
「僕自身が対価?自由になりに行くのに?」
女の目の暗さにゾクリとくる。
彼女はユーディアの知らない地獄を見たのだ。
女は目をそらし、その会話は立ち消えた。
三人の逃亡者が潜む荷台に、御者席から黙れというようにどんどんと蹴られた。
それっきり、女は口をつぐみ、膝を抱えて頭を伏せた。
関所を越え、美都の外に出る気配があった。
道が急に悪くなり、荷馬車は縦に小刻みにゆれながら左右に大きく揺れた。
悪路のつづら折りの山道のようであった。
緑の草木の香りや、鳥や虫が鳴く声、川の流れる涼やかな音もする。
どれぐらい揺られていたのか、うつらうつらしては目が覚めた。
ようやく荷馬車が止まる。
「出ろ」
外は夕刻の日差しだった。
このまま火事とこの男から逃れて、ジプサムにモデリアが奴隷失踪に関係していることを知らせ、モデリアから犯罪組織のリーダーである「あの人」につながるすべてを引き出し、一網打尽にすること。
もう一つは、このまま奴隷として、彼らの本拠地に逃げこむこと。
だが、これは数々の危険を伴う。
ユーディアがおとりになることを申し出た時、無茶はしないようにときつく言われていた。
だがここでユーディアが逃亡を拒絶すれば、ここで口封じに殺されるかもしれなかったし、戦士の男から生きて逃れたとしても、彼らは一味だと知られたモデリアだけを切り捨てて、そのまま雲隠れすることもあり得た。
危険だとしても、犯罪組織の本拠地を暴くにはこのまま男について逃走するのがいいと思われた。
それに、ユーディアはモデリアがいうように、虐げられた奴隷たちが自由に自分らしく生きているという社会を見てみたいと思った。
このまま戦士の男についていくことを、瞬時に決断する。
男に急き立てられて煙をくぐり、店の外にでる。
そこには、もうひとり、救出を必要とする女が待っていた。
一緒に暗がりを走るのはあの手の荒れた細い女。
ハンカチで口を押え、時折激しくせき込んでいる。
苦しそうなのに、異様に目が輝いていた。
男は走り出した。
傷だらけの手は、ユーディアを掴んで離さない。
女も走り出すが、咳をした拍子に足をからめて派手に転んだ。
女は子供と手をつないでいたので、一緒に子供も転んだ。
だが、前方の男の足は止まらない。
彼の救出の目的はユーディアなのだ。
女は、付け足しに過ぎない。
彼の髪は、短かった。
刈り上げられた首筋が、痛々しく感じる。
彼が素晴らしく運動神経が良いことは、その身軽な走り方でわかった。
肩ぐらいの高さの柵があってもゆうゆうと飛び越えられるだろうと思われた。
共に逃げているのではなく、攫われていくような錯覚。
「待って、女が転んだ!」
「立ち上がれ、自由になるんだろっ」
振り返った前方の男がムチのように鋭く女に言葉を投げつける。
これから手に入れる自由への希望が女を鼓舞するのに十分だった。
人通りの全くない狭くて暗い路地を走り、用意された荷馬車の荷台に押し上げられ、押し込められ、ようやく一息がつける。
いくつもの酒樽と積み上げられた穀物の袋の隙間に入り込んだ。
ユーディアに続いて女も押し上げられた。
子供の存在にその時男が初めて気づき、舌打ちをするが、そのまま子供ごと押し上げる。
「一体どこにこれから?」
「着いたらわかる。まだ安全ではない。息を殺して潜んでおけ。坊主、騒いだら殺す。俺たち全員の命がかかっているんだからな」
子供は口を押えて何度もうなづいた。
荷馬車のほろが閉じられると暗闇になる。
ユーディアは目を閉じた。
暗闇は感覚を鋭敏にする。
行き交う馬車の車の音、がたごとと石畳の上を車輪が音を立てる。
外の声でだいたいどういう場所を走っているのか想像する。
軋りながらかしぐ感覚は、曲がったのだ。
お尻に響く感覚で、荷馬車が走る地面の様子もわかる。
「これからどこに行くの?母ちゃん」
男の子の心配げな声。
「あそこよりもずっと自由でいいところにいくのですよ」
女は膝を抱えてじっと外の様子に耳を傾けるユーディアをうかがう。
「あの時のあんたも、奴隷だったのね。またあんたに感謝しなくちゃいけないわ」
「……どうして?」
「あたしは、逃走をすぐに手伝ってもらえる対象じゃなかったから。順番はずっと後の方だった。食堂からは持ち出せるものがないから」
「持ち出すって、逃げ出すのに対価が必要ってこと?」
「当然でしょ。あたしたちを助けてくれる人たちの組織も生活しなければならない。活動するためには元手がいる」
女はさも当然のように言う。
裕福な店や家が強盗にあい、虐げられた奴隷もいなくなっていたこと。
盗まれた金目のものは奴隷が逃走するための対価なのだ。
自由になるために、誰かが犠牲になる。
家を焼かれたものもいる。殺された主人もいたのではなかったか。
モデリアと話した時に感じた違和感は、ここにあった。
助けられる奴隷と助けられない奴隷が、金品によって選別されている。
それは違うのではないか、とユーディアは反射的に思う。
だが、ユーディアは何も持ち出してはいないし、指示も受けなかった。
「あんたは何を引き換えにしたの?見たところ何も持ってきていなさそうだけど、見えないところに高価な装身具でも身に着けているの?何を盗んできたの?」
「何にも盗んでないよ」
「うそ」
麻袋の隙間から女はユーディアを見た。
人生に疲れた女の顔。
「なら、あんた自身が対価なのかもしれないわね」
「僕自身が対価?自由になりに行くのに?」
女の目の暗さにゾクリとくる。
彼女はユーディアの知らない地獄を見たのだ。
女は目をそらし、その会話は立ち消えた。
三人の逃亡者が潜む荷台に、御者席から黙れというようにどんどんと蹴られた。
それっきり、女は口をつぐみ、膝を抱えて頭を伏せた。
関所を越え、美都の外に出る気配があった。
道が急に悪くなり、荷馬車は縦に小刻みにゆれながら左右に大きく揺れた。
悪路のつづら折りの山道のようであった。
緑の草木の香りや、鳥や虫が鳴く声、川の流れる涼やかな音もする。
どれぐらい揺られていたのか、うつらうつらしては目が覚めた。
ようやく荷馬車が止まる。
「出ろ」
外は夕刻の日差しだった。
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