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第2部 ベルゼラ国 第5話 色小姓
34-2、愚図な子②
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人混みをかきわけながら、そこだけだれもいないユーディアのもとへ飛びだし、馬から引き離すように腕をつかんだのは侍女のアリサである。愛馬がユーディアを見つけたために、見つかりたくない者たちに見つかってしまった。
侍女はぎろりとユーディアを睨みつけた。
その目つきは、朝の100倍ほど恐ろしく思え、肩が竦む。
「…はい。わかりました。申し訳ございません。そのようにいたします……」
その場を収めようと、念仏のような決まり文句を口にする。
何事かといくつもの視線がユーディアに注がれている。
みじめな自分が居たたまれなくなった。
「愚図なんだから、あなたは人より多く働かなくては仕事も覚えられないのよ。早く、行きなさい」
「はい。わかりました。ベッカムさま、申し訳ございません……」
ふたたび繰り返しはじめたユーディアの目の前に風が切った。
ピシャリという音と共に悲鳴を上げたのはアリサ。
ユーディアの手を放し、腕を押さえている。
ベッカムの手にはムチが握られていた。
騎乗時の馬用のムチはよくしなり、派手な音をたてる。
「な、何をなさるのですか!ベッカムさま!」
「失礼なのはお前の方だろう。俺とこの者が話しているところを邪魔をするのは、礼儀に反することだとは思わないのか?」
「あ……、それは、申し訳ございません」
アリサはベッカムの剣幕と打たれた衝撃に真っ青になっていた。
慌てた他の侍女たちが彼女を庇うように、後ろに引いて退けた。
ユーディアは安堵した。
もう少し馬と触れていたかった。
馬上のベッカムの正面にはユーディアが残された。
ベッカムはなかなか去ろうとはしなかった。
ユーディアの愛馬ががんとして動こうとしなかったこともあるのだけれど。
「……おまえ、馬の仕事に関わっているのではないのか」
「得意なことよりもそうじゃないところを学ぶことから始めた方がいいとサニジンさまがおっしゃられておりましたから、近づけませんでした。今日は、たまたま」
「そうか。俺なら好きなだけお前の得意なことをさせてやれたのにな。史上最高の……」
ベッカムは再び言かけてやめた。
「そうだ、時間があるのならお前の知恵を貸して欲しい。モルガンの馬は思うように走ってくれない。どうしてだろうか?」
ベッカムはこの場にモルガンの馬を3頭しか連れてきていない。
愛馬を眺めた。ベッカム以外が乗る2頭も観察する。
「ベルゼラの鞍はモルガンのものに比べて重くて大きすぎる。それを胴ベルトできつく締めているから苦しいのだと思う。さらに、僕たちよりも身体が大きく重いベルゼラ人を乗せて、嫌がっている。たぶん、あなたたちはこの子の気持ちに寄り添わず、命令してばかりなんだろう。馬の気持ちに寄り添わなくてはならない。それに、この子たちを思いっきり走らせていないのかも?思うように走れないストレスで、苛立っているようにも見える」
「そうなのか?」
ベッカムは馬から飛び降りて胴回りを確認する。
「比べると少し重く、素材が固いとは思っていたが。胴回りはきつそうに思えないが、直接見てくれないか?」
頼まれるともう、ユーディアは我慢できなかった。
柵をくぐって愛馬の横にたちその筋肉の躍動を感じる毛並みに手で触れれば、ユーディアは胸の奥に閉じ込めていたものが蠢きだす。
灼熱の太陽の元で喉を潤す水を渇望するものに差し出された水。
手を伸ばして受け取らずにはいられない。
ベッカムの手袋を押しやり、胴ベルトを外して重い鞍を取り、その胸に押し付けた。
「鞍の重さは徐々にならしていけばいいと思う。でも今は存分に走らせ、満足させる方がいいように思える」
愛馬はぶるると重しから解放された喜びに鼻を鳴らした。
「確かに喜んでいるような気がする。だが、鞍なしでは走れないだろ」
それはベッカムからの挑戦。
そうであるなら、東のモルガンとしてユーディアは応えなければならなかった。
ひらりと愛馬にとびのった。
鞍がないということは足をかけるあぶみもない。
裸馬を乗りこなすモルガン族には何の問題もなかった。
ユーディアは愛馬に存分に走って、ついでにあの障害物を越えようと語りかけた。
思いっきり空へ飛べば気持ちが晴れるはず。
弾む胴体を両脚で強く挟み込んだ。
本当ははみだっていらない。
たてがみにしがみつけばいいのだ。
身体を低くして体を馬と一体化させる。
大地を蹴る足はユーディア自身の足のようだ。
ユーディアが振り落とされることはない。
初めから一体のものを振り落とすことなどできないからだ。
思いっきり飛んだ。空が近くなる。
雲に届きそうだった。
障害物の全てを飛び終えた。
ベッカムの元へ戻るときには愛馬は機嫌が良くなっていた。
同時にユーディアの気持ちも軽くなっていた。
「ユーディア!そんなところで何をしている!」
ジプサムが馬を降りたユーディアに向かって大股で歩いてくる。
あわててユーディアは馬から飛び降り顔を伏せた。
「申し訳ありません」
機械的に口についた。
ベッカムは眉を寄せ、その隻眼が異様な光を帯びてジプサムとユーディアの様子をみていた。
「ジプサム王子、少し、彼を借りてもよいでしょうか。馬のことについて、彼にアドバイスをいただきたいのですが」
慇懃丁寧な口調にジプサムは口を引き結んだ。
「いいだろう。それが終わったら速やかに返してくれ」
「もちろんです。彼は、あなたのものですから」
ユーディアは皮肉のように聞こえた。
ベッカムは怒っているようだったが、ジプサムのものであることは事実で、そんな口調になるのはどうしてなのか、その理由を推し測れるほど彼の事を知っているわけではない。
ベッカムはユーディアの腕をつかんで馬場を離れた。
ベッカムの足は止まらない。
誰もいない庭の中へ入っていく。
振り払おうにも強い力でつかまれていて、ユーディアは振りほどけなかった。
侍女はぎろりとユーディアを睨みつけた。
その目つきは、朝の100倍ほど恐ろしく思え、肩が竦む。
「…はい。わかりました。申し訳ございません。そのようにいたします……」
その場を収めようと、念仏のような決まり文句を口にする。
何事かといくつもの視線がユーディアに注がれている。
みじめな自分が居たたまれなくなった。
「愚図なんだから、あなたは人より多く働かなくては仕事も覚えられないのよ。早く、行きなさい」
「はい。わかりました。ベッカムさま、申し訳ございません……」
ふたたび繰り返しはじめたユーディアの目の前に風が切った。
ピシャリという音と共に悲鳴を上げたのはアリサ。
ユーディアの手を放し、腕を押さえている。
ベッカムの手にはムチが握られていた。
騎乗時の馬用のムチはよくしなり、派手な音をたてる。
「な、何をなさるのですか!ベッカムさま!」
「失礼なのはお前の方だろう。俺とこの者が話しているところを邪魔をするのは、礼儀に反することだとは思わないのか?」
「あ……、それは、申し訳ございません」
アリサはベッカムの剣幕と打たれた衝撃に真っ青になっていた。
慌てた他の侍女たちが彼女を庇うように、後ろに引いて退けた。
ユーディアは安堵した。
もう少し馬と触れていたかった。
馬上のベッカムの正面にはユーディアが残された。
ベッカムはなかなか去ろうとはしなかった。
ユーディアの愛馬ががんとして動こうとしなかったこともあるのだけれど。
「……おまえ、馬の仕事に関わっているのではないのか」
「得意なことよりもそうじゃないところを学ぶことから始めた方がいいとサニジンさまがおっしゃられておりましたから、近づけませんでした。今日は、たまたま」
「そうか。俺なら好きなだけお前の得意なことをさせてやれたのにな。史上最高の……」
ベッカムは再び言かけてやめた。
「そうだ、時間があるのならお前の知恵を貸して欲しい。モルガンの馬は思うように走ってくれない。どうしてだろうか?」
ベッカムはこの場にモルガンの馬を3頭しか連れてきていない。
愛馬を眺めた。ベッカム以外が乗る2頭も観察する。
「ベルゼラの鞍はモルガンのものに比べて重くて大きすぎる。それを胴ベルトできつく締めているから苦しいのだと思う。さらに、僕たちよりも身体が大きく重いベルゼラ人を乗せて、嫌がっている。たぶん、あなたたちはこの子の気持ちに寄り添わず、命令してばかりなんだろう。馬の気持ちに寄り添わなくてはならない。それに、この子たちを思いっきり走らせていないのかも?思うように走れないストレスで、苛立っているようにも見える」
「そうなのか?」
ベッカムは馬から飛び降りて胴回りを確認する。
「比べると少し重く、素材が固いとは思っていたが。胴回りはきつそうに思えないが、直接見てくれないか?」
頼まれるともう、ユーディアは我慢できなかった。
柵をくぐって愛馬の横にたちその筋肉の躍動を感じる毛並みに手で触れれば、ユーディアは胸の奥に閉じ込めていたものが蠢きだす。
灼熱の太陽の元で喉を潤す水を渇望するものに差し出された水。
手を伸ばして受け取らずにはいられない。
ベッカムの手袋を押しやり、胴ベルトを外して重い鞍を取り、その胸に押し付けた。
「鞍の重さは徐々にならしていけばいいと思う。でも今は存分に走らせ、満足させる方がいいように思える」
愛馬はぶるると重しから解放された喜びに鼻を鳴らした。
「確かに喜んでいるような気がする。だが、鞍なしでは走れないだろ」
それはベッカムからの挑戦。
そうであるなら、東のモルガンとしてユーディアは応えなければならなかった。
ひらりと愛馬にとびのった。
鞍がないということは足をかけるあぶみもない。
裸馬を乗りこなすモルガン族には何の問題もなかった。
ユーディアは愛馬に存分に走って、ついでにあの障害物を越えようと語りかけた。
思いっきり空へ飛べば気持ちが晴れるはず。
弾む胴体を両脚で強く挟み込んだ。
本当ははみだっていらない。
たてがみにしがみつけばいいのだ。
身体を低くして体を馬と一体化させる。
大地を蹴る足はユーディア自身の足のようだ。
ユーディアが振り落とされることはない。
初めから一体のものを振り落とすことなどできないからだ。
思いっきり飛んだ。空が近くなる。
雲に届きそうだった。
障害物の全てを飛び終えた。
ベッカムの元へ戻るときには愛馬は機嫌が良くなっていた。
同時にユーディアの気持ちも軽くなっていた。
「ユーディア!そんなところで何をしている!」
ジプサムが馬を降りたユーディアに向かって大股で歩いてくる。
あわててユーディアは馬から飛び降り顔を伏せた。
「申し訳ありません」
機械的に口についた。
ベッカムは眉を寄せ、その隻眼が異様な光を帯びてジプサムとユーディアの様子をみていた。
「ジプサム王子、少し、彼を借りてもよいでしょうか。馬のことについて、彼にアドバイスをいただきたいのですが」
慇懃丁寧な口調にジプサムは口を引き結んだ。
「いいだろう。それが終わったら速やかに返してくれ」
「もちろんです。彼は、あなたのものですから」
ユーディアは皮肉のように聞こえた。
ベッカムは怒っているようだったが、ジプサムのものであることは事実で、そんな口調になるのはどうしてなのか、その理由を推し測れるほど彼の事を知っているわけではない。
ベッカムはユーディアの腕をつかんで馬場を離れた。
ベッカムの足は止まらない。
誰もいない庭の中へ入っていく。
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