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第十三話 成婚

131、略奪者

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 エールの夜が更けていく。
 雨も断続的に降ったりやんだりしている。
 こうして数日の間、一歩も部屋の外にでないで籠っていると、男でいることに限界を感じたあの時を思い出す。
 もちろんあの時とは違う。
 ララが世話をしてくれて、友人たちもしょっちゅう訪れる。
 そしてあの時よりも部屋は大きくて豪華。
 それでも、天蓋の紗の幕を下ろしてベッドにひとり体を投げ出し、同じ景色を何日も見るともなしに見ていると、あの時と同じ、自分は繭のなかの蚕になったかのような、殻にこもったさなぎになったような気する。

 前は、閉じた繭からアンジュの皮を脱いで、アデールの姫のロゼリアになって這い出した。そしてロゼリアとしてがむしゃらに頑張った。
 だけど、その結末は、もう夏スクールが終わるというだけ。
 この白い繭を出るときは、自分は何になるのだろう?
 そんな朝はこないかもしれない。
 眼を閉じて雨の音を遠くに聞きながら、目覚めないかもしれない。
 繭の中で、このまま誰にも省みられずに朽ちていくこともあるかもしれない。
 そんな不安がある。
 不安は、吐く息とともに糸となって身体に絡まっていく。
 透明な糸にがんじがらめになって自分だけでは抜け出せない。
 ロゼリアはこの繭を破る、強い存在を欲していた。
 そして、眼を閉じて待っていた。


 カツン。
 小さくガラスの割れる音。
 続いてバルコニーの窓が苦し気に軋む。


 風が鳴く。
 誰かが侵入する気配。
 リビングを横切り寝室の扉からロゼリアの近くに進み入る。
 それは、ロゼリアの希求した変化なのか。

 紗幕が風に揺れた。
 ロゼリアは息を殺し、シーツを掴んで体を起こす。
 寝室には灯りがなく、侵入者の手に灯りはない。
 闇の中を見通せる目を持っている。
 ベッドの紗幕の向こうにおぼろな人影がゆれる。

「……女たちが噂をしていた。神事で妻役を果たしたのにも関わらず、あなたはあいつから結婚の申し込みをされていないそうじゃないか。あいつを待っても、あなたの望む答えは与えられない。わたしたちは明日の朝ここを立つ。あなたも共に行かないか?」

 ロゼリアを繭の外へ連れ出そうとする静かな声。
 今夜、彼が訪れることをロゼリアは予感していた。
 彼を、待っていたともいえるのかもしれない。
 彼は、陰ひなたになりロゼリアを見守っていてくれていた。
 彼は、ロゼリアを欲してくれている。

「わたしは、あいつがあなたに与えてやれないものを与えてやれる。わたしと一緒ならば、ここよりも自由に生きていける。わたしはあなたがあなたでありさえすればいい。男装しても、大きな足音をたてて歩いたとしても誰にもそしらせない」

 紗の幕に指がかかる。
 ひらかれた。
 男の膝がベッドに沈む。
 闇の中でも見通せる目が、ロゼリアをじっと見つめているのがわかった。

「ラシャール、わたしの返事は変わらない。あなたと共には行けないわ」
 ロゼリアの声がかすれた。
 ラシャールの手を取れば、あらたな人生が始まる。 
 想像もしていなかった人生が。
 だが、ロゼリアがつかみたい手は、ラシャールの手ではない。

「ロズ、そうだとしても、わたしの愛を受け入れてくれることを願う。何度もあなたに猶予を与え、逃してあげた。わたしは随分待った。だけどいつまでも待てるわけではない。だから、今ここであなたを奪う。そして、連れていく。あなたが嫌がるのなら、縛ってでも連れていく」

 彼からは広い大地をかけ抜ける草いきれと、わずかに異国のスパイスの匂いがする。
 その手がロゼリアの脚に触れた。すりあがる。
 繭の中にはどこにも逃げ場などない。
 繭を破り、自力で動けないロゼリアを連れ出すのはラシャールなのか。

「ラシャールを愛せれば、こんなに悩むこともなかった。もっと楽だったと思う。そして、冒険に満ちた人生を歩めたのかもしれない。縄が文字の文明や、古代の遺跡、とても心が惹かれたわ。あなたといるとわたしも風のように自由になれそう。そうだとしても行けない。わたしの心は別にある。本当に、ごめんなさい。ラシャール。手を離して。離してもらえなければ、これで喉をついて死ぬ」

 ロゼリアの手には懐剣があった。
 眠る前に枕の下に置いていたものだ。
 だが、それは見せかけ。
 鋭い刃は鞘の中に納まっている。
 懐剣の鞘を抜く余裕はなかった。
 ラシャールがその気になりさえすれば、ロゼリアから武器を奪い去るのは一瞬だろう。
 ロゼリアの身体を今ここで奪うのは容易い。

 草原の民は熱い血潮が流れる。
 美しい女を略奪することだって厭わないというではないか。

「ロズ、わたしの……」

 こたえられない愛に、与えられない愛に、ロゼリアの眼に涙がにじみ、頬を流れた。
 ロゼリアの脚に触れる男の声が、その手が震えた。





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