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第九話 女の作法

89-1、長雨

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 一昨日から降り出した雨はいっこうに止む気配はない。
 まだ夜も明けぬ頃、アンジュはサララと共に出立しているはずである。
 別れは昨日のうちにすませていた。
 二人は炎のように燃える男を代わりに残して行ってしまった。

「お姫さんは好きなようにしたらいいんじゃないか?面倒なことが起こったら助けてやる」

 どんな危険がまっていようともうまい話を嗅ぎつければ即旅立ちそうな雰囲気を漂わせながら、そのくせずっとアデールに腰をすえ、子供だった双子の相手になってくれたディーンである。
 懐が大きくて深くて温かい。
 
 その炎のような男も、このエールの王城にいるわけではない。
 ロゼリアの盾になり剣を抜くほど、近くいるわけではない。
 剣で立ち向かわなければならなくなるほど、この幾重にも守られた城で、身の危険が生じるとは思えないのだが。
 ロゼリアは思い直した。
 エールが全く安全であるとはいえない。
 劇場でパニックになりかけた観衆から助けてくれたのはディーンだった。
 やはり、ディーンはいてくれるだけで安心な、お守りのような存在である。
 何事もなくても、アデールにいたときと同様に、王城を抜け出して街に出さえすれば彼に会うことができるということが大事なことだと思う。
 ロゼリアはかぶりを振る。
 誰かに頼ろうとする自分の思考の修正する。

「ディーンがたとえエールの王都にいても、王城でロゼリアとして戦うのはわたし一人。彼に助けを請うことはできないわ……」

 言葉は雨音に溶け込んでいく。
 まだ、夜は明けていない。
 三階の女子寮は静まり返っている。
 ベッドから出るには早すぎる時間帯であった。
 再び睡魔が訪れることはなさそうだった。
 ロゼリアは昨日のことを思い返した。
 雨音が意識から遠ざかっていく。

※※※

 昨日、フォルス王と王妃に謁見し、ジルコンとジュリアとで歓迎の食事会が行われた。
 以前、ロゼリアがアデールの王子として歓迎されたものと同様の家族だけの食事会であった。
 その食事会には本物のアンジュとその婚約者サララも同席していた。
 ロゼリアは今回はアデールから到着した姫として参加する。
 フォルス王と王妃の歓迎は手厚いものであった。
 アンジュの顔色が優れず元気がないことをフォルス王は心配する。
 アンジュとサララはこの数日以内に帰国する予定であると告げ、非礼を詫びて早々に退席したのであった。

 派手な音を立ててアンジュを追おうと立ち上がったジルコンであったが、アメリア王妃はジルコンを目線で制した。
 不承不承ジルコンは腰を下ろした。
 ジルコンはおもむろに申し上げなければならないことがあるのですが、とフォラス王と王妃に向かう。

「アデールの姫の同意を得ることができましたので、結婚は無期限延期にすることにいたしました」
 それを聞き、驚愕したフォルス王とアメリア王妃の顔が忘れられない。
「お前っ、馬鹿を言うな。婚約は簡単に延期できるものではない。これは国と国との約束だぞ」
「無期限、延期……」

 アメリア王妃は顔面蒼白になり、言葉を失っている。
 ジュリアは眉をあげただけ。
 それから続く王とジルコンとのやり取りは平行線のままである。
 怒りに顔を真っ赤にさせている父王に対して、ジルコンは冷ややかである。
 最後に王はロゼリアに向いた。
 息子を説得できない焦燥が、その顔ににじみでる。
 王はここに座るロゼリアが、ロゼリアであると知っている。
 食事の前にうまく入れ替わったな、とでもいうような視線を送ってきていたからだ。
 だが、王や王妃や、ロゼリアが望むような展開は、現実には訪れそうにない。

「ロゼリア姫はこの馬鹿息子がいうように承知されたのか。承知されていないといわれるのならば、首に縄をつけても当初の予定通り結婚させよう」
「そうですよ。ジルコンの気まぐれの思い付きを真に受ける必要はありません!」
「愛のない結婚は……」
「黙りなさい!」
「黙れ!」

 王と王妃の声が唱和する。
 ロゼリアはナプキンで口をぬぐった。

「正確に言えば同意したとはいえません。一方的に通告されたというのが本当です」
 フォルス王は頭を抱える。
「ですが、結婚というものは両性の合意に基づきなされる対等な契約でしょう?一方が拒絶すれば成立するものではございません」
「国と国との約束だ。この馬鹿息子が目を覚ますまで時間が欲しい」
 フォルス王はなおもいう。
「いえ、結構です。無期限延長で結構です」
「無期限延長という実質的な婚約破棄だと思って欲しい」
 
 ジルコンがロゼリアに言う。ロゼリアを見るその眼は、冬の凍てつく夜空のように冷やかである。
 決して儚い望みを残させはしないと、ロゼリアを拒絶する。

「それは承知しております、フォルス王……」
 ロゼリアはジルコンから目をそらし、代わりにフォルスを見つめた。
 この目の意味を、怒りながらもフォルスは理解した。

「……何かわたしが手助けできることなら何だってやってやってやろう。それは、アンジュ王子と約束していたことでもあったのだ」


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