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第八話 ふたりの決断
83-1 舞台 ③
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食料は尽きた。
馬は、湧き水で顔を洗っているうちに、どこかに行ってしまった。
夜通し歩きようやく町だった。
お腹が減り過ぎておかしくなりそうだった。
シーラは井戸水を汲む女のところへふらふらと近づいた。
水が欲しかった。
食べ物をもらえるところを教えて欲しかった。
虫の這う湿った腐葉土の上ではなくふかふかのベッドで眠りたかった。
「おばさん、お水を……」
年配のおばさんは振り返りシーラをみてぎょっとする。
「汚いね!浮浪者がいるよ!病気を移さないでおくれ!」
なみなみ汲んだ手桶の水をシーラにぶつけた。
全身ずぶぬれになったシーラは外套だったものから水を滴らせ、自分に起こった出来事に理解が追い付かない。
汚い、浮浪者、病気。そして浴びせられた水。
それが自分に向けられたことだとは信じられなかった。
おばさんがなおもがなり立て拳を振り上げる。
水場には近所の女や男たちが何事かと顔を向けて集まってくる気配。
「こいつを追い出しておくれ……治安警察は何をしてるんだよ」
シーラはもつれる足を必死で前に運び逃げ出した。
どこをどう走ったのかわからない。ここがどこだかわらない。
お腹がすきすぎてめまいがする。
路地を走る。
走って逃げても行く場所もない。
何かにつまずいた。
前につんのめり、泥水の中へ身体ごと転ぶ。
汚い浮浪者と目が合った。
黒髪ははりつき、眼は腫れぼったくて、顔は汚泥に汚れていた。
「なによ、あなた。浮浪者っていうのはあなたのことをいうのよ……」
シーラは言った。
だけどそれは水たまりに写った自分なのだ。
シーラは起き上がれなかった。
自分の横を何人も町の人が往来する気配があるのに誰も手を差し伸べるものはいない。
ひそひそと、どうやってこの死にかけの浮浪者を街から追い出そうかと算段している。
10歳ぐらいの男の子が近づいてきた。
子供は純粋なのだ。警戒心をむき出しにしながらも、行き倒れるような自分を助けてくれる。
そして助かった、とシーラは思った。
「大丈夫?お姉ちゃん?どこから来たの。このあたりの人じゃないよね。あんたのこと知らないや」
子供はシーラの服を探り、ちいさな袋を探り当てた。さっと頭から袋を奪われる。踵を返し去るのは早かった。
「いいもの持ってるじゃん。後は死ぬだけだから、もういらないでしょ。もらっておくよ!」
東の貴族が持たせてくれた宝石を失ってしまった。
絶望は生きる気力を奪うものだとシーラは知る。
この街のなんでも屋のバスクには、学はないが人望はあった。
警察がしてくれないことを進んで行い街を守り、荒くれものの子分たちを養う。
死体が放置されてだれも処理しないので、住民から依頼がきたのだ。
歓楽街の女のところへ行く途中に、それを拾って、捨てて、戻ってと算段を付ける。
死体はまだ腐敗臭がしなかった。担いだ時に、バスクはうめき声に気が付いた。
汚泥にまみれた死体はかうじて生きていた。
「クソ!面倒なヤツだ。俺でなければそのまま捨てられているぞ」
バスクは己の運の悪さを呪う。
彼が、行き倒れを見逃せるはずがなかった。
そうやって、独り者の身軽なはずのバスクは、たった20年の人生にどんどん余分なものが付いていく。
この調子に拾っていけば、40になったらどんなに重い人生になるのだろうと思っていたところだったのだ。
そうしてバスクによりシーラは燃え尽きかけた命をかろうじてつないだのである。
シーラは目覚めた。
遠くで楽し気な音楽の音が聞こえる。歌声も陽気で、どこか外れている。
夜通しパーティーが開かれている。眠っていても聞こえていたような気がする。
パーティーの途中でいつの間にか眠っていたのかもしれない。
ふかふかのベッドには紗の天幕が張られている。
「水を……」
白い手がにゅっと伸びてきて顔に冷たいグラスが突きつけられた。
誰かが隣で寝ている。
シーラはごくごくと飲んだ。
飲めばのむほど喉が乾いてることに気が付いた。
同時にお腹もひどく空いている。
「何か食べるものをすぐに用意して頂戴」
「はいよ」
やわらかなパンが口に押し付けられた。これも隣の娘だった。
指が白くて長い。
爪が花の模様に彩色されて、とても綺麗だった。
姉ではない。
侍女でもない。
どこかの友人の、誰だったか。
こんなきれいな装飾された美しい指は知らない。
パンの次は、肉を巻いたサラダ。ソースが独特の味だった。
ようやく周囲を見る余裕ができた。
シーラはベッドから体を起こしていたが、同じベッドに寝そべる娘は髪を手の込んだ編み込みをして結い上げている。真っ赤な唇。妖艶に化粧をしている。胸の谷間がくっきりとわかるほどゆったりと夜着を前で合わせている。
「あなたはどなたでしたでしょうか。わたくしの記憶があいまいで申し訳ないのですが」
女は目を見開いてしげしげとシーラを見る。
ぷはっと笑い、女は横を向いた。
「ねえ、バスク!あんた何拾ってきたのよ。汚くてばっちいと思ったら風呂に入らせたら綺麗になっていくし、腰まである髪は黒髪でつやつやで、綺麗だし。どこのお嬢さまなのよ!」
「……知らん。道端で拾っただけだ」
男は顔を上げた。
「道端ですって?」
馬は、湧き水で顔を洗っているうちに、どこかに行ってしまった。
夜通し歩きようやく町だった。
お腹が減り過ぎておかしくなりそうだった。
シーラは井戸水を汲む女のところへふらふらと近づいた。
水が欲しかった。
食べ物をもらえるところを教えて欲しかった。
虫の這う湿った腐葉土の上ではなくふかふかのベッドで眠りたかった。
「おばさん、お水を……」
年配のおばさんは振り返りシーラをみてぎょっとする。
「汚いね!浮浪者がいるよ!病気を移さないでおくれ!」
なみなみ汲んだ手桶の水をシーラにぶつけた。
全身ずぶぬれになったシーラは外套だったものから水を滴らせ、自分に起こった出来事に理解が追い付かない。
汚い、浮浪者、病気。そして浴びせられた水。
それが自分に向けられたことだとは信じられなかった。
おばさんがなおもがなり立て拳を振り上げる。
水場には近所の女や男たちが何事かと顔を向けて集まってくる気配。
「こいつを追い出しておくれ……治安警察は何をしてるんだよ」
シーラはもつれる足を必死で前に運び逃げ出した。
どこをどう走ったのかわからない。ここがどこだかわらない。
お腹がすきすぎてめまいがする。
路地を走る。
走って逃げても行く場所もない。
何かにつまずいた。
前につんのめり、泥水の中へ身体ごと転ぶ。
汚い浮浪者と目が合った。
黒髪ははりつき、眼は腫れぼったくて、顔は汚泥に汚れていた。
「なによ、あなた。浮浪者っていうのはあなたのことをいうのよ……」
シーラは言った。
だけどそれは水たまりに写った自分なのだ。
シーラは起き上がれなかった。
自分の横を何人も町の人が往来する気配があるのに誰も手を差し伸べるものはいない。
ひそひそと、どうやってこの死にかけの浮浪者を街から追い出そうかと算段している。
10歳ぐらいの男の子が近づいてきた。
子供は純粋なのだ。警戒心をむき出しにしながらも、行き倒れるような自分を助けてくれる。
そして助かった、とシーラは思った。
「大丈夫?お姉ちゃん?どこから来たの。このあたりの人じゃないよね。あんたのこと知らないや」
子供はシーラの服を探り、ちいさな袋を探り当てた。さっと頭から袋を奪われる。踵を返し去るのは早かった。
「いいもの持ってるじゃん。後は死ぬだけだから、もういらないでしょ。もらっておくよ!」
東の貴族が持たせてくれた宝石を失ってしまった。
絶望は生きる気力を奪うものだとシーラは知る。
この街のなんでも屋のバスクには、学はないが人望はあった。
警察がしてくれないことを進んで行い街を守り、荒くれものの子分たちを養う。
死体が放置されてだれも処理しないので、住民から依頼がきたのだ。
歓楽街の女のところへ行く途中に、それを拾って、捨てて、戻ってと算段を付ける。
死体はまだ腐敗臭がしなかった。担いだ時に、バスクはうめき声に気が付いた。
汚泥にまみれた死体はかうじて生きていた。
「クソ!面倒なヤツだ。俺でなければそのまま捨てられているぞ」
バスクは己の運の悪さを呪う。
彼が、行き倒れを見逃せるはずがなかった。
そうやって、独り者の身軽なはずのバスクは、たった20年の人生にどんどん余分なものが付いていく。
この調子に拾っていけば、40になったらどんなに重い人生になるのだろうと思っていたところだったのだ。
そうしてバスクによりシーラは燃え尽きかけた命をかろうじてつないだのである。
シーラは目覚めた。
遠くで楽し気な音楽の音が聞こえる。歌声も陽気で、どこか外れている。
夜通しパーティーが開かれている。眠っていても聞こえていたような気がする。
パーティーの途中でいつの間にか眠っていたのかもしれない。
ふかふかのベッドには紗の天幕が張られている。
「水を……」
白い手がにゅっと伸びてきて顔に冷たいグラスが突きつけられた。
誰かが隣で寝ている。
シーラはごくごくと飲んだ。
飲めばのむほど喉が乾いてることに気が付いた。
同時にお腹もひどく空いている。
「何か食べるものをすぐに用意して頂戴」
「はいよ」
やわらかなパンが口に押し付けられた。これも隣の娘だった。
指が白くて長い。
爪が花の模様に彩色されて、とても綺麗だった。
姉ではない。
侍女でもない。
どこかの友人の、誰だったか。
こんなきれいな装飾された美しい指は知らない。
パンの次は、肉を巻いたサラダ。ソースが独特の味だった。
ようやく周囲を見る余裕ができた。
シーラはベッドから体を起こしていたが、同じベッドに寝そべる娘は髪を手の込んだ編み込みをして結い上げている。真っ赤な唇。妖艶に化粧をしている。胸の谷間がくっきりとわかるほどゆったりと夜着を前で合わせている。
「あなたはどなたでしたでしょうか。わたくしの記憶があいまいで申し訳ないのですが」
女は目を見開いてしげしげとシーラを見る。
ぷはっと笑い、女は横を向いた。
「ねえ、バスク!あんた何拾ってきたのよ。汚くてばっちいと思ったら風呂に入らせたら綺麗になっていくし、腰まである髪は黒髪でつやつやで、綺麗だし。どこのお嬢さまなのよ!」
「……知らん。道端で拾っただけだ」
男は顔を上げた。
「道端ですって?」
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