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16-1、逃走
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赤い騎士は降り散る花の中、真っ赤な胸懸を締めた馬にまたがりアニエスの方へと並足でやってくる。
彼が守るのはその横の天蓋のない豪奢な馬車の、満面の笑顔の王子と姫。
夢のような、絵画のような美しい光景だった。
アニエスはセルジオを見ていた。
赤に黒の刺繍の正装がとてもよく似合っている。
酒場で友人たちとバカ騒ぎをし、酒に顔を赤くし、欲望に赤銅色の瞳の奥をちろりちろりと燃え立たせ、自分をベッドに誘う男とは全く別人だった。
セルジオが胸にリボンのブローチを付けているのが涙がでそうになるほど嬉しかった。
アリエスの正面をセルジオは通り過ぎていく。
くっきりとした横顔も、焼き付けた。
これで見納めである。
彼は本当にアニエスの手の届かないところへ行く。
情熱の全てをかけられる場所と存在を手にいれたのだから。
その時、真正面を見ていたセルジオがこちらに向いた。
目があったかと思うが、それは笑えるほど自意識過剰で哀れな願望だ。
こんな群衆の中で、真正面を見ているのにアニエスをみつけられるはずなどない。
彼にとってはいつでも抱ける女にすぎない。
身持ちの軽い自分を探しているはずもなかった。
アニエスは小さくなっていくセルジオ背中を追う。
セルジオは馬車へ体を乗り出して、姫と談笑している。
姫の顔もしっかりと見た。
遠目から見ても黄金の髪に、髪に負けないぐらい輝くばかりの笑顔の美しい、ジルコン王子が夢中になるのもわかるお姫さまだった。
お姫さまが男装して試験に参加した話は面白かった。
これからも危険などものともせず、お忍びなどもするのかもしれない。
セルジオは彼女をかれの全てをかけて守る。命でさえも、彼女のためのものだ。
それはある意味、愛ではないかと思うのだ。
アデールの姫は、セルジオの運命の女。
対するアニエスは、ちょっと拾ってみてもいいかなと思う程度の、そのあたりに転がる石ころ。手の中でしばらく転がして、ポケットの中にいれる。ポケットに穴があいていて、落としてしまっても気が付かないくらいの。
アニエスがどんなに望んでも与えられない人生の満足を、王妃になるであろう姫はセルジオに与えることができる。
セルジオが命をかけて幸せにするのは自分ではないのだ。
そこまで思ってアニエスは苦笑する。
誰かに幸せにしてもらいたいなどという発想が間違っている。
他人に期待しても自分は幸せになれないと、病気の妻をもつ男に、子だくさんの男に、思い知ったのではなかったか。
今日の晴れ舞台ほど嬉しくて、同時に悲しいことはなかった。
アニエスは鼻をすすり、パレードから背を向けた。
新居で中途半端に開いてしまった引っ越しの荷物の片付けに戻るつもりである。
その時、パレードが進んだあたりでどっと観客がざわめいた。
アリエスは振り返った。
ずっと前方の馬車ではアデールの姫が身を乗り出ししなやかな腕を伸ばして、馬の手綱を押さえているようだった。
その馬とは、セルジオが乗っていた馬である。
血の気がさがる。
何か不測の事件が起こったのだ。
その時、立ち見をするひしめく人々の層が乱れた。
「そこを空けろ!お尋ね者の女がそこにいる!」
大音声の怒声。
その迫力に驚いた群衆が左右に惑う。
目をこらせば、前方に赤い何かがちらりと見えた。
それが人々を押しのけている。
さらに「この先の道を空けてくれ!」との怒号に、気おされた人々は、今度こそくっきりと分かれた。
アリエスのすぐ前の男が左によけた。
右にいた親子連れが右へよけた。
そのようにして人ひとりが辛うじてとおれる道が、沿道からまっすぐアリエスにまで届いた。
その光が指し示す道のように空いた一本の空間に、アリエスはたじろいだ。
アリエスは左か右か咄嗟のことで迷ってしまった。
光の道の出発点には、赤銅色の双眸があった。
アリエスを貫いた。
「え?うそ」
それは姫の騎士。
不意にアリエスは悟った。
光の道は彼の道、アリエスが終着点。
彼が狙う獲物は自分。
彼は怒り、猛り狂っていた。
そうでなければ、パレードを中断するはずなどない。
自分は、彼にとっては彼の将来を踏みにじる存在だったのか。
ここで仕留めて置かなければならないほどの、過去の汚点なのか。
アニエスをこれからの誉ある人生への、彼の血のように赤い髪を一層鮮やかに染める、血の供物に捧げようとしているのか。
考える前に体が動いた。
くるりと後ろに向いた。
アリエスだけをとり残して、背後にも既に道が空いていた。
アリエスはその道へ身を躍らせた。
いきなり血相を変えて走り出した女に周囲はぎょっとする。
「お尋ねものとはこの女?」
そんなざわめきも無視をし、ぶつかってもつまづいても、転びかけても、彼に絶対に捕まってはいけないと思った。
彼を愛した思い出もなかったことにされてしまう。
人込みの中へ飛び込んだ。
背後からセルジオが追ってくる気配がある。
細い路地があった。
アリエスはそこへ飛び込んだ。
彼が守るのはその横の天蓋のない豪奢な馬車の、満面の笑顔の王子と姫。
夢のような、絵画のような美しい光景だった。
アニエスはセルジオを見ていた。
赤に黒の刺繍の正装がとてもよく似合っている。
酒場で友人たちとバカ騒ぎをし、酒に顔を赤くし、欲望に赤銅色の瞳の奥をちろりちろりと燃え立たせ、自分をベッドに誘う男とは全く別人だった。
セルジオが胸にリボンのブローチを付けているのが涙がでそうになるほど嬉しかった。
アリエスの正面をセルジオは通り過ぎていく。
くっきりとした横顔も、焼き付けた。
これで見納めである。
彼は本当にアニエスの手の届かないところへ行く。
情熱の全てをかけられる場所と存在を手にいれたのだから。
その時、真正面を見ていたセルジオがこちらに向いた。
目があったかと思うが、それは笑えるほど自意識過剰で哀れな願望だ。
こんな群衆の中で、真正面を見ているのにアニエスをみつけられるはずなどない。
彼にとってはいつでも抱ける女にすぎない。
身持ちの軽い自分を探しているはずもなかった。
アニエスは小さくなっていくセルジオ背中を追う。
セルジオは馬車へ体を乗り出して、姫と談笑している。
姫の顔もしっかりと見た。
遠目から見ても黄金の髪に、髪に負けないぐらい輝くばかりの笑顔の美しい、ジルコン王子が夢中になるのもわかるお姫さまだった。
お姫さまが男装して試験に参加した話は面白かった。
これからも危険などものともせず、お忍びなどもするのかもしれない。
セルジオは彼女をかれの全てをかけて守る。命でさえも、彼女のためのものだ。
それはある意味、愛ではないかと思うのだ。
アデールの姫は、セルジオの運命の女。
対するアニエスは、ちょっと拾ってみてもいいかなと思う程度の、そのあたりに転がる石ころ。手の中でしばらく転がして、ポケットの中にいれる。ポケットに穴があいていて、落としてしまっても気が付かないくらいの。
アニエスがどんなに望んでも与えられない人生の満足を、王妃になるであろう姫はセルジオに与えることができる。
セルジオが命をかけて幸せにするのは自分ではないのだ。
そこまで思ってアニエスは苦笑する。
誰かに幸せにしてもらいたいなどという発想が間違っている。
他人に期待しても自分は幸せになれないと、病気の妻をもつ男に、子だくさんの男に、思い知ったのではなかったか。
今日の晴れ舞台ほど嬉しくて、同時に悲しいことはなかった。
アニエスは鼻をすすり、パレードから背を向けた。
新居で中途半端に開いてしまった引っ越しの荷物の片付けに戻るつもりである。
その時、パレードが進んだあたりでどっと観客がざわめいた。
アリエスは振り返った。
ずっと前方の馬車ではアデールの姫が身を乗り出ししなやかな腕を伸ばして、馬の手綱を押さえているようだった。
その馬とは、セルジオが乗っていた馬である。
血の気がさがる。
何か不測の事件が起こったのだ。
その時、立ち見をするひしめく人々の層が乱れた。
「そこを空けろ!お尋ね者の女がそこにいる!」
大音声の怒声。
その迫力に驚いた群衆が左右に惑う。
目をこらせば、前方に赤い何かがちらりと見えた。
それが人々を押しのけている。
さらに「この先の道を空けてくれ!」との怒号に、気おされた人々は、今度こそくっきりと分かれた。
アリエスのすぐ前の男が左によけた。
右にいた親子連れが右へよけた。
そのようにして人ひとりが辛うじてとおれる道が、沿道からまっすぐアリエスにまで届いた。
その光が指し示す道のように空いた一本の空間に、アリエスはたじろいだ。
アリエスは左か右か咄嗟のことで迷ってしまった。
光の道の出発点には、赤銅色の双眸があった。
アリエスを貫いた。
「え?うそ」
それは姫の騎士。
不意にアリエスは悟った。
光の道は彼の道、アリエスが終着点。
彼が狙う獲物は自分。
彼は怒り、猛り狂っていた。
そうでなければ、パレードを中断するはずなどない。
自分は、彼にとっては彼の将来を踏みにじる存在だったのか。
ここで仕留めて置かなければならないほどの、過去の汚点なのか。
アニエスをこれからの誉ある人生への、彼の血のように赤い髪を一層鮮やかに染める、血の供物に捧げようとしているのか。
考える前に体が動いた。
くるりと後ろに向いた。
アリエスだけをとり残して、背後にも既に道が空いていた。
アリエスはその道へ身を躍らせた。
いきなり血相を変えて走り出した女に周囲はぎょっとする。
「お尋ねものとはこの女?」
そんなざわめきも無視をし、ぶつかってもつまづいても、転びかけても、彼に絶対に捕まってはいけないと思った。
彼を愛した思い出もなかったことにされてしまう。
人込みの中へ飛び込んだ。
背後からセルジオが追ってくる気配がある。
細い路地があった。
アリエスはそこへ飛び込んだ。
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