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皇国の栄光
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1944年、8月1日。
石原は尼崎にいた。
戦争が終わり、その影響で中止されていた全国選抜高校野球の試合を見るためだった。
石原は甲子園駅から人の流れに身を任せて甲子園球場に向かった。
久しぶりの高校野球であるのと、このごろは戦争特需によって景気が良いのも相まって球場周辺は活気が満ちていた。
中に入って何とか見つけた席に座った。
少し経つと選手たちの入場が始まった。
それぞれの校名の入った札を掲げ、堂々と行進する。
先日、内地に編入された台湾や朝鮮からも10を超える高校が出場した。
そして選手宣誓が行われる。
関根潤三という日本大学第三中学校・高等学校の選手が宣誓台に立った。
「宣誓!我々は正々堂々、同じ国の仲間として互いの持てるすべての力を出し切り、戦い抜くことを誓います!」
彼が言い終えると観客席からは歓声と拍手が上がった。
よく見ると、観客の中にも日本人とは顔立ちが違う人がかなりいた。
関東大震災の事案もあり、暴力沙汰があると踏んでいた石原だったがその予測は外れた。
彼らは一緒に試合を観戦したり、お互いの息子の顔を見せ合ったりなど和気あいあいとしていた。
ここで石原は気づいた。
自らの民族協和の考えが達成されていたことに。
彼は皆が熱狂的に応援する中、うれし涙を流した。
1944年8月12日。
岩本と樫出はヘルシンキの空港に愛機とともにいた。
ポーランドでの動乱に対応するためだった。
すでに部下のポーランドパイロットには自分たちが教えれる限りのことを叩きこんだ。
「ついに明日か。」
岩本が発進準備にかかるポーランド人達を横目に岩本はそう言った。
「そうだな。これでスカルスキに面目が立つ。」
「全くだ。」
その12時間後、ワルシャワにて数万のポーランド人達が蜂起。
その1時間後に日本から武器などを大量に購入、供与されたイギリスを中核とする連合軍がノルマンディーに上陸を開始。
その情報がドイツ占領地に広がり、蜂起が拡大していく。
また東からはソビエト連邦が着実に前線を押し上げていた。
ドイツ国防軍は東部補給線が寸断されかねないポーランド蜂起を鎮圧することを最優先目標として数少ない航空部隊を送った。
だが、岩本たちのポーランド亡命空軍がそれらを撃破。
ここでポーランド亡命政府がワルシャワに帰還。
ドイツに1939年9月1日の領土に戻すことを条件に講和を打診。
すでに戦力が払底していたドイツはこれを了承。
ポーランドは再び欧州に復帰した。
これにより中華民国に避難していたポーランド人たちの帰還の動きが強くなった。
その後、パリが陥落したことをきっかけにヴィシー政府が自由政府に合流。
イタリアでもクーデターが発生し、ムッソリーニが殺害された。
東部でもキエフが奪還され
3方向からの攻撃をドイツは受けることになった。
それはとても凄惨のものだった。
そしてついに英軍がベルリン市内に突入。
ゲッベルスは最後まで徹底抗戦を叫んだもののあえなく陥落。
ヒトラー総統は地下壕にて自殺。
1945年6月22日。
独ソ戦開戦と同じ夏至の日。
ドイツ国防軍最高司令部司令長官としてカイテル元帥が降伏文書に調印。
長きにわたって続いた第二次世界大戦はここに終焉した。
だが、戦勝国は勢力を確定させるために一歩でも前進しようとしていた。
ただソ連は自国領土を解放したばかりでハンガリーやルーマニアの北部にしか進駐できなかった。
また、独ソ不可侵条約にて併合されたポーランド東部は日本の影響下であるポーランド共和国の領土とされていた。
スターリンは攻撃を命令しようとしたが、今日本と戦うのは得策ではないとジューコフが進言したため、思いとどまった。
1949年8月15日。
戦争が終戦してから6年が経ったこの日、安藤と金成柱は高瀬村の西山農場に訪れていた。
「閣下、参りました。」
「私も。」
彼らは布団に横たわるかつての上官、石原莞爾にそう言った。。
「…来たか。」
そういうと石原は力なく起き上がろうとする。
「閣下、無理をなさらないでください。」
安藤がそう諭す。
「最期くらい、勝手にやらせてくれ。」
石原はそういうと2人を見据えて話し始めた。
「君たちには私ができなかったことをしてもらいたい。それは女性参政権の付与、財閥解体、農地改革、大規模軍縮、イギリスとの協調だ。」
「分かりました。安藤、心身をささげて使命を全ういたします。」
「私も、安藤中将を補佐し、人民の平和を守って見せます。」
安藤と金がそう言うと石原は安心した顔をした。
「言い心意気だ。困ったら東条閣下に協力を仰げ。私からはそれだけだ。」
そう言い終わると石原は咳き込んだ。
「もう一度言う。」
咳が収まった石原が強い口調で言った。
「皇国の栄光を末代まで保て。私がこの戦争での死者の無念を全て三途の向こう側に持っていく。心配はするな。これが私からの最後の命令だ。」
「了解いたしました。」
「必ず全ういたします。」
安藤と金はそう言って石原の元を後にした。
その1時間後、皇国に栄光をもたらした者の一人である石原莞爾は肺炎によってその生涯に幕を閉じた。
彼の死はすぐに国内に駆け巡り、朝鮮や台湾も含む日本全土に悲しみが訪れた。
ただ、石原の死に顔はとても穏やかだった。
子供のころからの夢であった陸軍大将になることをかなえて、よき部下に囲まれて、後顧の憂いなく旅立てることに彼は一番の幸せを感じたからだった。
この後、岡田の後を引き継いだ東久邇宮成彦王が軍縮を実行。
財閥解体や農地改革も着実に進んでいる。
皇国の栄光は今や太平洋のみならず世界を照らそうとしている。
また、臣民の犠牲が伴うかもしれない。
それでも、彼らは四海の人を導いて正しき平和を打ち立てようと邁進していくだろう。
(完)
石原は尼崎にいた。
戦争が終わり、その影響で中止されていた全国選抜高校野球の試合を見るためだった。
石原は甲子園駅から人の流れに身を任せて甲子園球場に向かった。
久しぶりの高校野球であるのと、このごろは戦争特需によって景気が良いのも相まって球場周辺は活気が満ちていた。
中に入って何とか見つけた席に座った。
少し経つと選手たちの入場が始まった。
それぞれの校名の入った札を掲げ、堂々と行進する。
先日、内地に編入された台湾や朝鮮からも10を超える高校が出場した。
そして選手宣誓が行われる。
関根潤三という日本大学第三中学校・高等学校の選手が宣誓台に立った。
「宣誓!我々は正々堂々、同じ国の仲間として互いの持てるすべての力を出し切り、戦い抜くことを誓います!」
彼が言い終えると観客席からは歓声と拍手が上がった。
よく見ると、観客の中にも日本人とは顔立ちが違う人がかなりいた。
関東大震災の事案もあり、暴力沙汰があると踏んでいた石原だったがその予測は外れた。
彼らは一緒に試合を観戦したり、お互いの息子の顔を見せ合ったりなど和気あいあいとしていた。
ここで石原は気づいた。
自らの民族協和の考えが達成されていたことに。
彼は皆が熱狂的に応援する中、うれし涙を流した。
1944年8月12日。
岩本と樫出はヘルシンキの空港に愛機とともにいた。
ポーランドでの動乱に対応するためだった。
すでに部下のポーランドパイロットには自分たちが教えれる限りのことを叩きこんだ。
「ついに明日か。」
岩本が発進準備にかかるポーランド人達を横目に岩本はそう言った。
「そうだな。これでスカルスキに面目が立つ。」
「全くだ。」
その12時間後、ワルシャワにて数万のポーランド人達が蜂起。
その1時間後に日本から武器などを大量に購入、供与されたイギリスを中核とする連合軍がノルマンディーに上陸を開始。
その情報がドイツ占領地に広がり、蜂起が拡大していく。
また東からはソビエト連邦が着実に前線を押し上げていた。
ドイツ国防軍は東部補給線が寸断されかねないポーランド蜂起を鎮圧することを最優先目標として数少ない航空部隊を送った。
だが、岩本たちのポーランド亡命空軍がそれらを撃破。
ここでポーランド亡命政府がワルシャワに帰還。
ドイツに1939年9月1日の領土に戻すことを条件に講和を打診。
すでに戦力が払底していたドイツはこれを了承。
ポーランドは再び欧州に復帰した。
これにより中華民国に避難していたポーランド人たちの帰還の動きが強くなった。
その後、パリが陥落したことをきっかけにヴィシー政府が自由政府に合流。
イタリアでもクーデターが発生し、ムッソリーニが殺害された。
東部でもキエフが奪還され
3方向からの攻撃をドイツは受けることになった。
それはとても凄惨のものだった。
そしてついに英軍がベルリン市内に突入。
ゲッベルスは最後まで徹底抗戦を叫んだもののあえなく陥落。
ヒトラー総統は地下壕にて自殺。
1945年6月22日。
独ソ戦開戦と同じ夏至の日。
ドイツ国防軍最高司令部司令長官としてカイテル元帥が降伏文書に調印。
長きにわたって続いた第二次世界大戦はここに終焉した。
だが、戦勝国は勢力を確定させるために一歩でも前進しようとしていた。
ただソ連は自国領土を解放したばかりでハンガリーやルーマニアの北部にしか進駐できなかった。
また、独ソ不可侵条約にて併合されたポーランド東部は日本の影響下であるポーランド共和国の領土とされていた。
スターリンは攻撃を命令しようとしたが、今日本と戦うのは得策ではないとジューコフが進言したため、思いとどまった。
1949年8月15日。
戦争が終戦してから6年が経ったこの日、安藤と金成柱は高瀬村の西山農場に訪れていた。
「閣下、参りました。」
「私も。」
彼らは布団に横たわるかつての上官、石原莞爾にそう言った。。
「…来たか。」
そういうと石原は力なく起き上がろうとする。
「閣下、無理をなさらないでください。」
安藤がそう諭す。
「最期くらい、勝手にやらせてくれ。」
石原はそういうと2人を見据えて話し始めた。
「君たちには私ができなかったことをしてもらいたい。それは女性参政権の付与、財閥解体、農地改革、大規模軍縮、イギリスとの協調だ。」
「分かりました。安藤、心身をささげて使命を全ういたします。」
「私も、安藤中将を補佐し、人民の平和を守って見せます。」
安藤と金がそう言うと石原は安心した顔をした。
「言い心意気だ。困ったら東条閣下に協力を仰げ。私からはそれだけだ。」
そう言い終わると石原は咳き込んだ。
「もう一度言う。」
咳が収まった石原が強い口調で言った。
「皇国の栄光を末代まで保て。私がこの戦争での死者の無念を全て三途の向こう側に持っていく。心配はするな。これが私からの最後の命令だ。」
「了解いたしました。」
「必ず全ういたします。」
安藤と金はそう言って石原の元を後にした。
その1時間後、皇国に栄光をもたらした者の一人である石原莞爾は肺炎によってその生涯に幕を閉じた。
彼の死はすぐに国内に駆け巡り、朝鮮や台湾も含む日本全土に悲しみが訪れた。
ただ、石原の死に顔はとても穏やかだった。
子供のころからの夢であった陸軍大将になることをかなえて、よき部下に囲まれて、後顧の憂いなく旅立てることに彼は一番の幸せを感じたからだった。
この後、岡田の後を引き継いだ東久邇宮成彦王が軍縮を実行。
財閥解体や農地改革も着実に進んでいる。
皇国の栄光は今や太平洋のみならず世界を照らそうとしている。
また、臣民の犠牲が伴うかもしれない。
それでも、彼らは四海の人を導いて正しき平和を打ち立てようと邁進していくだろう。
(完)
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ypaaaaaaa
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