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第十九話Black Swan①『エリオット』

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移動する車の中で、エリオットはある光景を思い出していた。

「オデットはね、悪魔ロットバルトに
魔法をかけられて白鳥にされてしまうの。
その魔法を解くには、まだ誰にも愛を誓ったことのない
青年の愛の誓いが必要なのよ」

それは妹のアリスが幼かった頃、
よくせがまれては話して聞かせた物語だ。

寝台の上で安らかな寝息を立てるアリスの額に、
エリオットが愛おしそうに口づけた。
『白鳥の湖』は今は囚われの身の母が愛した作品だ。

自分につけられたエリオットという名前は本来は男の名前で、
母は本当は私をオデットと名付けたかったらしい。

母が私を身ごもったとき、
宰相家の跡取りとして誰もが男の子を望んだ。
その期待と落胆はそのまま祖父の怒りとなり、
私は男の名前をつけられた。

その四年後、母は妹アリスを産んだ。
また女の子だった。

祖父は怒り、母を幽閉した。

丁度同じころ、女王ロザリアが男の子を出産した。
ミシェル・ライネルと名付けられたその子の、
父は知れないのだという。

激した祖父は、年の離れた側妻に産ませた子を
父ハリスのもとに連れてきた。

『この子を必ず次の国王とする。それに足る教育をつけよ』と

こうして乳飲み子は、イリオスと名付けられた。

エリオットを乗せた車は夜の深い闇に飲まれていった。

◇◇◇

隣国サイファリアとの国境近くに、古城がある。
かつてはライネル公国の護りの要所として重用されたその城は、
時代の変革と共に朽ち果て、深い眠りの中にある。

しかし今やその安らかな眠りは、
軍靴の行き交う音によって踏みにじられた。
中庭には明々と松明が灯されて、
漆黒の闇の中に怒れる古城の姿を浮き上がらせている。

陣の床几に腰かけているのは、
漆黒のドレスを身に纏う美女、エリオット・エルダードンだ。

「エリオット様に御報告申し上げます。
 東宮殿よりバイクが一台出発いたしました。
 乗っているのは近衛隊エース、ミッド・ブライアンと
 サイファリア王太子ゼノア・サイファリアです」

黒の隊服に身を包んだ一人の青年が、
エリオットの前に跪き、報告した。
黒の隊服、それは王の近衛隊に並ぶ
この国の精鋭である『黒鳥部隊』の兵士を指す。

「そうですか、では手筈通りに」

エリオットは黒の洋扇子を口元に翳した。

計画は動き出したのだ。
(もう後戻りはできない)

エリオットは緊張に唇を噛んだ。

青年が一礼してエリオットの前を辞すると、

「姉上!」

漆黒の髪の少年が、エリオットを咎めるような眼差しを向けた。
エリオットは暫し瞼を閉じて、大きく息をした。

(心を殺さなくては)

幼き日に共に遊んだプラチナブロンドの髪の王子は、
本当の弟のように愛しかった。

アリスも、そしてこのイリオスも
自分にとっては同じように愛おしい存在だ。

誰かを護るために、誰かを殺す……。

そんな血塗られた刃をすでに己の手に握りながら、
躊躇い、迷う資格など、すでに自分にはありはしないのだと、
エリオットは自嘲する。

悪魔ロットバルトに魔法をかけられたオデットは、
夜になると人間の姿に戻れるが、
私は人の心を失った黒鳥になり果てるしかないのだ。

「何度もいうけど、イリオス、私はあなたの姉ではないわ。
 だから余計な情をかけてはいけない」

エリオットは諭すようにイリオスに言い聞かせた。
イリオスもまた黒の隊服に身を包んでいる。
黒の隊服の背に施された銀の水鳥のモチーフは、
隊のエースを務める者の証である。

「わかっているわね。
 私がもし仕損じたら、あなたは私を殺し、
 その任務を遂行しなければならない」

(私はエルダートンの死を前提とした捨て駒にすぎないのだから)

エリオットは少し寂し気に笑った。

母と妹を人質に取られた私には、他にどうすることもできない。

悲しくはある。しかし許しを請おうとは思わない。
この命をもって罪を償う覚悟はあるのだから。

「あなたに失敗はさせませんよ。この命に代えても」

そういった12歳のこの少年の瞳には暗い焔が揺らめいている。
どこまでも暗く、激しい漆黒の焔を、
エリオットは不吉だと思った。
死を思い起こさせる闇をイリオスに感じとって、
思わずエリオットは彼を抱きしめた。

「あなたの命など欲しくはないのっ!
 だからあなたは生きなさいっ! 
 何があっても生きると誓って!」

感情が激してしまったことをエリオットは悔いた。

「あなたが生きてくださるなら」

腕の中でイリオスが、静かに言った。
静かではあるが、そこに込められた
イリオスの意思の強さを、エリオットは理解した。

しかし今はイリオスの優しさを、
エリオットは受け止めることができない。

命をかけて心から守りたいと思ったものが、
指の中からすり抜けていくような
ひどく頼りない感覚を覚える。

「ごめんなさい。少し感情的になってしまったわ」

エリオットはイリオスを腕から離した。

「覚えていてください。
 俺はあなたを守る為だったらなんでもします」

イリオスは真っすぐにエリオットを見つめている。

「血塗られた黒鳥の運命と業は俺が負います。
 あなたには似合わない」
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