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117.ウォルフの剣

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「フレイア様、ウォルフ様、ご婚約おめでとうございます」

広間の上客たちが口々に二人に祝福の言葉を投げかける。

フレイアはウォルフの腕に手を添えて、ひどく幸せそうに笑みを浮かべるが、
ウォルフの顔に笑みはない。

その闇色の瞳は凍えたままである。

会場を野外に移すと、特設の小さなコロセウムが松明の明かりに照らされている。

ウォルフはフレイアとともに特別席に座して、闘技場を見つめる。

地下のゲートから幾人かの奴隷たちが姿を現すと、
客席が興奮に満ちた歓声に覆われる。

「随分と悪趣味なんだな」

ウォルフはフレイアの方を見ようともせずに、
顔を背ける。

「だから今後は改めるわよ」

フレイアが唇を尖らせた。

正門からアーザス国の代表剣士が姿を現すと、会場は更なる怒号に包まれた。
鉄の鎧を身に纏う大男だ。

代表剣士は会場の歓声に応えるように、腰に薙いだ大きな剣を振り回した。

奴隷たちはその場に跪き、神に祈りを捧げる。

「父なる神、子なる神、聖霊なる神よ、
 今こそ我らの魂を贖い、天の御国に導き入れ給え」

奴隷たちには武器は与えられていない。

「なあに、恐れる必要はない。
 それは一瞬だ。その後は神が我らを天の御国に導いてくださるのだから」

年長の奴隷が、他者を励ますように微笑んで見せる。

戦いのドラが鳴ると、代表剣士の振り回す剣唸る。

「みんな、退がって!」

そこに一人の奴隷が躍り出た。

ウォルフの心臓が跳ねる。

それは鉄の仮面を被った、ユウラと同じ声を持つ少女だった。

「大丈夫。私が守って見せる。
 誰一人、命を失いさせはしないから」

少女が決意のこもった声色でそういうと、代表剣士はそれを大声で笑い飛ばして、
残酷な剣を少女に向かって振り下ろす。

「やっ……やめろ!」

ウォルフが思わず席を立ちあがり、声を上げた。

剣は唸り声を上げて、少女に向かって振り下ろされるが、
少女は冷静にその軌道を見極めて、軽く躱す。

少女に剣を躱された代表剣士は、頭に血が上り闇雲に剣を繰り出すが、
少女はことごとくそれを躱していく。

「私たちは、たしかあなたを倒せは無罪放免となるのでしたっけ?」

少女は無機質な声色で代表剣士にそう問うと、
その答えを待たずに男の鳩尾に拳を繰り出した。

男は場外に吹っ飛んで、泡を吹いている。

(コイツ……ただの奴隷じゃない。
 これは軍で正式に訓練を受けた者の動きだ)

ウォルフが目を細める。

(しかもこの拳の繰り出し方は、ルークを彷彿とさせないわけでもない。
 だとしたら、コイツはやっぱり……)

ウォルフの心がひどく騒めき、戸惑う。

(いや、だが、あの少女は俺のことを知りはしない)

ウォルフは先ほどの自分を見た時の不思議そうな少女の視線を思い出した。

そんなウォルフの葛藤をよそに、
闘技場から見える教会の時計が刻々と午前0時に近づいてくる。

「そんなに気になるのなら、
 あなたが直接彼女の相手をなさればよろしいのよ」

フレイアが危うい眼差しでウォルフを煽る。

「あなたがもし情けなく負けて帰ってきたなら、
 わたくしが思いっきりあなたを笑い飛ばして差し上げるわ」

そう言ってフレイアはウォルフに剣を差し出した。

「あーあー、左様でございますか。
 せいぜい道化を装って、うまく負けて参りますよ」

ウォルフは唇を尖らせて、憎たらし気に鼻の頭に皺を寄せた。
そしてフレイアの差し出した剣を受け取る。

手に馴染む冷たい剣の重さが、少し悲しいとウォルフは思った。

「あなたは、負けないわ」

フレイアの硬質の金色の瞳も、悲し気に揺れている。

「あなたにそんな可愛げはない」

ウォルフの姿をその瞼に焼き付けようと、
フレイアがじっとウォルフを見つめた。

「フレイア、やっぱりお前を愛することはできそうにない。
 だから、ここでさようならだ」

ウォルフはフレイアの頬に口付けて、
闘技場に向かう。

ウォルフの背中を見つめるフレイアの頬に涙が伝う。
フレイアは気丈に唇を噛み締めて、ウォルフに気づかれないようにと嗚咽を堪えた。

ウォルフは闘技場立ち、鞘から剣を引き抜く。
鈍く輝く銀の刃が、闘技場を照らす松明の焔を映して緋色に染まる。

「おい! お前! 気に入った。この俺の専属騎士になれ!」

そう言ってウォルフは少女に一振りの剣を放って寄越す。
少女は面食らったようにその剣を受け取るが、

「嫌だと言ったら?」

ウォルフに対する警戒を解こうとはしない。

「お前が俺に勝ったら、自由にしてやる。
 だが俺がお前に勝ったら、お前は俺の専属騎士になれ」

そう言ってウォルフは不敵に笑って見せる。

「そうですか、わかりました」

少女も腹を括ったのであろう。
鞘から剣を引き抜く。

ドラの音とともに二人の剣が切り結ぶ。

(重っ!)

ウォルフの剣を受けた少女が、驚きに目を見開く。
ただの一撃で手首が痺れている。

少女が苦しげに顔を顰めると、ウォルフの顔色が変わる。

「あっ……ああああのっ! ごめんっ! 俺、手加減したつもりなんだけど、
 重かったか? そりゃあそうだろうな、君、女の子だものな。
 手首大丈夫? 怪我してない?」

ウォルフの過保護モードが全開になり、
本気で少女のことを心配している。

(なんという屈辱!)

少女は仮面の下で唇を噛み締めた。

記憶を失ったとはいえ、少女は腕に覚えがあった。
ゆえにレーナの専属騎士に取り立てられて、側近として仕えることができているのだ。

ミレニス公国最強の剣士であるクライスにだって、
決して引けを取ることはない、この自分がである。

目の前の漆黒の髪の優男相手に、防一戦の試合展開に持ち込まれ、
尚且つ滅茶苦茶手加減されている上に、思いっきり気を使われているのだ。

怪我こそはしていないが、
少女の騎士としてのプライドはズタズタである。

「大丈夫ですぅ! そんなに気を使わないでくださいぃぃぃ! グスッ!」

少し涙声になってしまった。

「え? ええええ? お、俺、泣かしちゃったの? マジで?
 詫びる? 土下座して詫びた方がいい?」

少女の反応にウォルフの挙動不審が止まらない。

「もう! 謝らないでください! かえってプライドが傷ついちゃうじゃないですか!
 バカバカバカバカバカ! 超鈍感!」

少女が半ばヤケクソ気味に叫ぶと
ウォルフの目が半眼になる。

(やっぱりユウラじゃねぇか! この怒り方)

ウォルフの疑念は確信に変わる。

(認めよう。はっきり言って、コイツの剣筋はよくわからねぇ。
なぜなら、今まで俺はユウラに剣術を教えたことがないからだ。

まあ、そのルーツにハルマ殿やルークを微かに感じないわけではないが、
実力としてはエマ以上エドガー以下といったところだ。

そうするとレッドロラインのアカデミーで赤服を纏える程度の実力はあると言えるのか)

ウォルフは少女の剣の実力を冷静に判断する。
それと同時に在りし日のユウラとの日々に思いを馳せる。

ウォルフは未だかつてユウラとゲーム事をして、負けたことがない。

『ウォルフのバカバカバカ! 超鈍感!』

そしてこれは連戦連敗のユウラが半泣きになって最後にウォルフに言う台詞なのである。

やはり目の前のこの少女は、ユウラかもしれない。
ウォルフの疑念は確信へと変わる。

「お前、ちょっと痛いかもんしんねぇけど、我慢しろよ?
 一瞬で終わるからな」

ウォルフはそう言って剣を握りしめた。




 




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