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78.ピノキオ
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「良くはないな。確かに」
エドガーが苦い笑みを浮かべる。
「姉上と赤髪の主従の情はともかくとして、
彼女に婚約者がいることは知っている」
エドガーの脳裏に、ウォルフ・フォン・アルフォードの面影が過る。
漆黒の髪と闇色の瞳を持つ、ぞっとするほどに美しい男。
社交会の華であり、この国の英雄。
その男がユウラの手を取ったとき、
確かにこの胸に燻る思いがあった。
彼女をウォルフ・フォン・アルフォードから奪い取り、
王太子である自分の妻とすること。
そんな考えが浮かばなかったわけではない。
しかし……。
同時にエドガーの中に、マルーンの髪の女が過る。
(私は……ああはならない)
エドガーはぎりときつく唇を噛み締める。
『わたくしの可愛いエドガー。
あなたはわたくしのすべて……』
彼女が紡ぐ甘やかなその睦言は、
この心をむしばみ殺していった。
魂を抜き取り、意思を持つことを禁じられた自分は、
王太子という名のただの操り人形になり果てた。
エドガーはその呪縛を断ち切るように、言葉を紡ぐ。
「お前が以前私に言っただろう?
できないと最初から諦めて、
尻尾を巻いて逃げるのがこの私だと」
エドガーも姿勢を正して、エマに向き直る。
「その言葉が今も私の胸に突き刺さっている。
それからなんだか心がザワザワしてな。
だからお前が責任を持って見届けてくれるか?
この私の失恋を」
軽薄とばかり思っていた、エドガーのエメラルドの瞳が深い。
「わかりましたわ。ではわたくしが見届けますわね。
あなたの初恋の終焉を」
そう言ってエマがエドガーに微笑んで見せた。
◇◇◇
エドガーとエマがこちらに近づいてくると、
オリビアはその背にユウラを庇い、身構える。
「姉上、お久しぶりでございます」
そう言ってエドガーはオリビアの前に、
軽く会釈する。
「久しぶりね、エドガー。
それにエマ・ユリアス」
オリビアも大輪の薔薇の笑みを取り繕う。
「姉上、不肖の弟であるこの私は、この度一大決心をいたしました。
つきましては姉上にもそれを見届けていただきたく思います」
エドガーが迷いのない眼差しをオリビアに向けた。
「まあ、エドガーったらそのような真剣な顔をして、
一体何を決心したというのです?」
オリビアが艶やかに小首を傾げて見せた。
「今から私は、思い人に告白をしようと思います」
さらっとそう言ってのけたエドガーに、
オリビアが顔色を変える。
「やめろ! エドガー。
俺は怒りで核兵器の発射スイッチを押してしまうかもしれない」
立体映像のオリビアがひどく取り乱している。
「ちょっ……どさくさに紛れて、
あなた一体何を言っているの???」
そんなオリビアに怯えたユウラが、ただオロオロとするばかりだ。
「頼む、エドガー! やめてくれ。
宇宙の平和のためにっ!」
オリビアが血反吐を吐くように懇願するが、
エドガーは聞いちゃいない。
「ユウラ・エルドレッドっ! ずっとお前が好きだった」
「ごめんなさいっ!」
その間、約0.3秒。
ユウラはオリビアに、
核兵器のスイッチを押す時間を与えはしなかった。
こうして宇宙の均衡は何とか保たれたのである。
「ヤバかった~! 俺、マジでヤバかったし」
オリビアが軽く頭を振って、理性を取り戻す。
◇◇◇
一方エドガーは、
ユウラが放った言葉の衝撃波に、
吹き飛ばされる。
ズッコーン!
そんな擬音語と共に、エドガーが地面に倒れ伏す。
「俺は……ひょっとして……失恋したのか?」
エドガーの頬に涙が伝った。
「バカね……」
そういってエマが水で濡らしてきたハンカチを、エドガーの頬に当てた。
「失恋っていうのは……とんでもなく痛いものなんだな」
エドガーが感慨深げに呟いた。
「何事も経験よ。
王太子の座にふんぞり返っているだけでは
傷つかないという代償に、何も学べやしないわ。
実際に玉砕して、血と汗と涙を流して、せっせと強くなりなさい」
そういって微笑むエマの視線が優しい。
「確かに失恋とは、とんでもなく痛くて辛いものなのだが、
不思議だな。生きているという感覚がする」
エドガーがしみじみとした口調でそう言った。
「母親の操り人形でしかなかったこの私が、
今初めて、生きているということを実感している。
生まれて初めて人を好きになって、
告白して、秒殺で振られて、お前の前で泣いている」
エドガーの頬に、とめどなく涙が溢れる。
エドガーはその涙を隠さない。
「滑稽だ。ひどく滑稽だ。
だがこれは、ようやくこの私も
人としての心を得ることが出来たという事なのか?」
エドガーが幼い子供のように頼りない視線を漂わせると、
たまらずエマがエドガーをきつく抱きしめた。
「なあ、エマ。ピノキオという話を知っているか?
木で作られた人形が、人の心を求めるという滑稽な話だ。
だけど幼い頃、私はピノキオの話を読みながら毎晩涙を流した。
わがままなピノキオ、生意気なピノキオ。
だけど木で作られた操り人形は、必死に人の心を求めたのだ」
エドガーはエマの胸の中で静かに涙を流した。
「なあ、エマ、お前は最後まで見届けてくれないか?
この私がいつかピノキオのように、
人としての心を取り戻すことができるのかを。
バカでもいい、弱虫でもいい。
だけど卑怯じゃない方法で、お前に並ぶことができるのかを」
エドガーが苦い笑みを浮かべる。
「姉上と赤髪の主従の情はともかくとして、
彼女に婚約者がいることは知っている」
エドガーの脳裏に、ウォルフ・フォン・アルフォードの面影が過る。
漆黒の髪と闇色の瞳を持つ、ぞっとするほどに美しい男。
社交会の華であり、この国の英雄。
その男がユウラの手を取ったとき、
確かにこの胸に燻る思いがあった。
彼女をウォルフ・フォン・アルフォードから奪い取り、
王太子である自分の妻とすること。
そんな考えが浮かばなかったわけではない。
しかし……。
同時にエドガーの中に、マルーンの髪の女が過る。
(私は……ああはならない)
エドガーはぎりときつく唇を噛み締める。
『わたくしの可愛いエドガー。
あなたはわたくしのすべて……』
彼女が紡ぐ甘やかなその睦言は、
この心をむしばみ殺していった。
魂を抜き取り、意思を持つことを禁じられた自分は、
王太子という名のただの操り人形になり果てた。
エドガーはその呪縛を断ち切るように、言葉を紡ぐ。
「お前が以前私に言っただろう?
できないと最初から諦めて、
尻尾を巻いて逃げるのがこの私だと」
エドガーも姿勢を正して、エマに向き直る。
「その言葉が今も私の胸に突き刺さっている。
それからなんだか心がザワザワしてな。
だからお前が責任を持って見届けてくれるか?
この私の失恋を」
軽薄とばかり思っていた、エドガーのエメラルドの瞳が深い。
「わかりましたわ。ではわたくしが見届けますわね。
あなたの初恋の終焉を」
そう言ってエマがエドガーに微笑んで見せた。
◇◇◇
エドガーとエマがこちらに近づいてくると、
オリビアはその背にユウラを庇い、身構える。
「姉上、お久しぶりでございます」
そう言ってエドガーはオリビアの前に、
軽く会釈する。
「久しぶりね、エドガー。
それにエマ・ユリアス」
オリビアも大輪の薔薇の笑みを取り繕う。
「姉上、不肖の弟であるこの私は、この度一大決心をいたしました。
つきましては姉上にもそれを見届けていただきたく思います」
エドガーが迷いのない眼差しをオリビアに向けた。
「まあ、エドガーったらそのような真剣な顔をして、
一体何を決心したというのです?」
オリビアが艶やかに小首を傾げて見せた。
「今から私は、思い人に告白をしようと思います」
さらっとそう言ってのけたエドガーに、
オリビアが顔色を変える。
「やめろ! エドガー。
俺は怒りで核兵器の発射スイッチを押してしまうかもしれない」
立体映像のオリビアがひどく取り乱している。
「ちょっ……どさくさに紛れて、
あなた一体何を言っているの???」
そんなオリビアに怯えたユウラが、ただオロオロとするばかりだ。
「頼む、エドガー! やめてくれ。
宇宙の平和のためにっ!」
オリビアが血反吐を吐くように懇願するが、
エドガーは聞いちゃいない。
「ユウラ・エルドレッドっ! ずっとお前が好きだった」
「ごめんなさいっ!」
その間、約0.3秒。
ユウラはオリビアに、
核兵器のスイッチを押す時間を与えはしなかった。
こうして宇宙の均衡は何とか保たれたのである。
「ヤバかった~! 俺、マジでヤバかったし」
オリビアが軽く頭を振って、理性を取り戻す。
◇◇◇
一方エドガーは、
ユウラが放った言葉の衝撃波に、
吹き飛ばされる。
ズッコーン!
そんな擬音語と共に、エドガーが地面に倒れ伏す。
「俺は……ひょっとして……失恋したのか?」
エドガーの頬に涙が伝った。
「バカね……」
そういってエマが水で濡らしてきたハンカチを、エドガーの頬に当てた。
「失恋っていうのは……とんでもなく痛いものなんだな」
エドガーが感慨深げに呟いた。
「何事も経験よ。
王太子の座にふんぞり返っているだけでは
傷つかないという代償に、何も学べやしないわ。
実際に玉砕して、血と汗と涙を流して、せっせと強くなりなさい」
そういって微笑むエマの視線が優しい。
「確かに失恋とは、とんでもなく痛くて辛いものなのだが、
不思議だな。生きているという感覚がする」
エドガーがしみじみとした口調でそう言った。
「母親の操り人形でしかなかったこの私が、
今初めて、生きているということを実感している。
生まれて初めて人を好きになって、
告白して、秒殺で振られて、お前の前で泣いている」
エドガーの頬に、とめどなく涙が溢れる。
エドガーはその涙を隠さない。
「滑稽だ。ひどく滑稽だ。
だがこれは、ようやくこの私も
人としての心を得ることが出来たという事なのか?」
エドガーが幼い子供のように頼りない視線を漂わせると、
たまらずエマがエドガーをきつく抱きしめた。
「なあ、エマ。ピノキオという話を知っているか?
木で作られた人形が、人の心を求めるという滑稽な話だ。
だけど幼い頃、私はピノキオの話を読みながら毎晩涙を流した。
わがままなピノキオ、生意気なピノキオ。
だけど木で作られた操り人形は、必死に人の心を求めたのだ」
エドガーはエマの胸の中で静かに涙を流した。
「なあ、エマ、お前は最後まで見届けてくれないか?
この私がいつかピノキオのように、
人としての心を取り戻すことができるのかを。
バカでもいい、弱虫でもいい。
だけど卑怯じゃない方法で、お前に並ぶことができるのかを」
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