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38.エドガーの焔
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「ユウラさんが大変なのっ! すぐに来て」
エマ・ユリアスの金切声に、
エドガー・レッドロラインは
心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
血相を変えて理事室を飛び出してみれば、
その危機はすでにオリビア皇女によって
無事に回避された後で、
意中の赤髪は、
大切そうにオリビア皇女の腕に抱きかかえられている。
「無事で良かった……」
遠目にそんな光景を見つめながら、
エドガーが呟いた。
ほっと胸を撫で下ろし、
同時に自分の中にひどく温かな気持ちが満ちる。
姉であるオリビアは、自身の専属騎士である
ユウラのことを心底大切に思っているらしい。
出征前にユウラが脳震盪を起こした時も、
誰にもユウラに触れさせず、
自らの手でユウラを医務室に運び、
しかもその夜は王宮の自分に部屋にユウラを泊めて、
侍医を待機させるという徹底ぶりだ。
母は違えど、
エドガーにとってオリビアはかけがえのない存在である。
ともすれば心が凍えてしまいそうになる王宮で、
温かなものは、みんなこの姉が与えてくれたように思う。
そんな姉が、ユウラを大切にしてくれていることが、
エドガーは嬉しかった。
姉に大切にされて、幸せそうに微笑むユウラを
エドガーは心から愛おしいと思った。
「ほら、姉上、ユウラ・エルドレッドが心底困っていますよ。
もうそろそろ、下してあげてください」
ユウラを抱きかかえるオリビアの前に、
エドガーが歩み寄ると、
分かりやすくオリビアの眉間に皺が寄る。
「姉上、無事のご帰還、
心よりお喜び申し上げます」
エドガーがオリビアに微笑みかけると、
オリビアは渋々ユウラをその場におろして、
手を差し延べる。
エドガーが恭しくその手を取って口づけると、
一瞬オリビアの顔が、引きつる。
「それはそうとユウラ・エルドレッド。
お前、三階から木に飛び移って、
降りられなくなったそうだな」
エドガーが視線をユウラに移し、注視すると、
ユウラが赤面して、
気まずそうに視線を彷徨わせる。
「怪我はないか? 見せて見ろ」
エドガーはそんなユウラにはお構いなしに、
ユウラの左手を掴んだ。
その薬指には、
ウォルフがユウラに贈った婚約指輪が、
冷たく輝いている。
エドガーは、
反射的にその手を離した。
「だ……大丈夫そうだな。
なんだ……心配して、損した……」
ぎこちなく、そう呟いて、
不自然に視線を彷徨わせる。
そんなエドガーの様子に、
オリビアの目が据わり、
ユウラをきつくその身に引き寄せる。
「あなたに心配していただかなくてもよろしくてよ? エドガー。
だってユウラはわたくしの専属騎士なんですもの。
ちゃんとわたくしが大切に慈しみ、教育いたします」
そう言ってオリビアは大輪の薔薇の笑みを浮かべるが、
そんなオリビアを、ユウラが心配そうな眼差しで伺っている。
オリビアがユウラをその背に庇うとき、
それは決して笑ってなどいないのだ。
笑みを張り付けて、
オリビアは必死に戦っているのだ。
ユウラを奪われまいと、オリビアは必死に虚勢を張っている。
ユウラは誰にもわからないように、
微かに震えているオリビアに手を重ねた。
オリビアは微かに驚いたように、
目を見開いて、そしてふっと表情を和らげて、
「大丈夫よ、ユウラ」
そうユウラに囁いて、その手を握り返した。
「そうですね、姉上にでしたら安心して彼女を託すことができます。
どうか私に代わって、
彼女を守り、慈しんでやってくださいますように」
そう言って、エドガーがオリビアに頭を下げた。
(はあ? なんでお前が俺に託す態になっているんだ?
ユウラはもともと俺の専属騎士だろうがっ!!!)
オリビアが心の中で白目を剥き、
血反吐を吐くように心の中で叫ぶ。
「ユウラ・エルドレッド……また、あとで……な」
エドガーはますます眼差しに熱を帯びる。
そんなエドガーに、
ユウラが不思議そうに目を瞬かせている。
「ねえ、ユウラ。
エドガーがいうところの安心って、
一体どういうことなのかしら?」
その場を立ち去るエドガーの背を見送りながら、
オリビアが呟いた。
「わたくしのことなど、眼中にないと、
つまりそういうことね」
オリビアの手が、屈辱に震えている。
「オリビア……様?」
ユウラが心配そうに、自身を窺うが、
オリビアはもはやその表情を弛めようとはしなかった。
◇◇◇
ユウラの華奢な左手の薬指に冷たく輝く、
ダイヤの指輪が、エドガーの頭から消えない。
エドガーは苦し気に、唇を噛み締めた。
『エドガー様、彼女ユウラ・エルドレッドはその……すでに国王陛下公認のもと、
婚約者がおりまして』
エドガーは執事、ハルバートンの言葉を思い出す。
「宰相家の跡取り、ウォルフ・フォン・アルフォード……」
知らず、エドガーの唇がその名を呟いた。
その名を知らぬ者は、
おそらくこのレッドロラインにはいないだろう。
漆黒の髪に闇色の瞳を持つ、
恐ろしく美しい青年だ。
社交界の華であり、またひとたび戦場に出れば、
かの鬼神ルーク・レイランドと双璧を成す戦いをやってのける。
間違いなくこの国の英雄の一人であり、非の打ちどころがない。
エドガーの心に、焔が揺らめく。
心の闇の中を、
ちりちりと音を立てて、
それはくすぶり続ける。
己を焼き尽くす、強かな熱量を孕んで。
エマ・ユリアスの金切声に、
エドガー・レッドロラインは
心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
血相を変えて理事室を飛び出してみれば、
その危機はすでにオリビア皇女によって
無事に回避された後で、
意中の赤髪は、
大切そうにオリビア皇女の腕に抱きかかえられている。
「無事で良かった……」
遠目にそんな光景を見つめながら、
エドガーが呟いた。
ほっと胸を撫で下ろし、
同時に自分の中にひどく温かな気持ちが満ちる。
姉であるオリビアは、自身の専属騎士である
ユウラのことを心底大切に思っているらしい。
出征前にユウラが脳震盪を起こした時も、
誰にもユウラに触れさせず、
自らの手でユウラを医務室に運び、
しかもその夜は王宮の自分に部屋にユウラを泊めて、
侍医を待機させるという徹底ぶりだ。
母は違えど、
エドガーにとってオリビアはかけがえのない存在である。
ともすれば心が凍えてしまいそうになる王宮で、
温かなものは、みんなこの姉が与えてくれたように思う。
そんな姉が、ユウラを大切にしてくれていることが、
エドガーは嬉しかった。
姉に大切にされて、幸せそうに微笑むユウラを
エドガーは心から愛おしいと思った。
「ほら、姉上、ユウラ・エルドレッドが心底困っていますよ。
もうそろそろ、下してあげてください」
ユウラを抱きかかえるオリビアの前に、
エドガーが歩み寄ると、
分かりやすくオリビアの眉間に皺が寄る。
「姉上、無事のご帰還、
心よりお喜び申し上げます」
エドガーがオリビアに微笑みかけると、
オリビアは渋々ユウラをその場におろして、
手を差し延べる。
エドガーが恭しくその手を取って口づけると、
一瞬オリビアの顔が、引きつる。
「それはそうとユウラ・エルドレッド。
お前、三階から木に飛び移って、
降りられなくなったそうだな」
エドガーが視線をユウラに移し、注視すると、
ユウラが赤面して、
気まずそうに視線を彷徨わせる。
「怪我はないか? 見せて見ろ」
エドガーはそんなユウラにはお構いなしに、
ユウラの左手を掴んだ。
その薬指には、
ウォルフがユウラに贈った婚約指輪が、
冷たく輝いている。
エドガーは、
反射的にその手を離した。
「だ……大丈夫そうだな。
なんだ……心配して、損した……」
ぎこちなく、そう呟いて、
不自然に視線を彷徨わせる。
そんなエドガーの様子に、
オリビアの目が据わり、
ユウラをきつくその身に引き寄せる。
「あなたに心配していただかなくてもよろしくてよ? エドガー。
だってユウラはわたくしの専属騎士なんですもの。
ちゃんとわたくしが大切に慈しみ、教育いたします」
そう言ってオリビアは大輪の薔薇の笑みを浮かべるが、
そんなオリビアを、ユウラが心配そうな眼差しで伺っている。
オリビアがユウラをその背に庇うとき、
それは決して笑ってなどいないのだ。
笑みを張り付けて、
オリビアは必死に戦っているのだ。
ユウラを奪われまいと、オリビアは必死に虚勢を張っている。
ユウラは誰にもわからないように、
微かに震えているオリビアに手を重ねた。
オリビアは微かに驚いたように、
目を見開いて、そしてふっと表情を和らげて、
「大丈夫よ、ユウラ」
そうユウラに囁いて、その手を握り返した。
「そうですね、姉上にでしたら安心して彼女を託すことができます。
どうか私に代わって、
彼女を守り、慈しんでやってくださいますように」
そう言って、エドガーがオリビアに頭を下げた。
(はあ? なんでお前が俺に託す態になっているんだ?
ユウラはもともと俺の専属騎士だろうがっ!!!)
オリビアが心の中で白目を剥き、
血反吐を吐くように心の中で叫ぶ。
「ユウラ・エルドレッド……また、あとで……な」
エドガーはますます眼差しに熱を帯びる。
そんなエドガーに、
ユウラが不思議そうに目を瞬かせている。
「ねえ、ユウラ。
エドガーがいうところの安心って、
一体どういうことなのかしら?」
その場を立ち去るエドガーの背を見送りながら、
オリビアが呟いた。
「わたくしのことなど、眼中にないと、
つまりそういうことね」
オリビアの手が、屈辱に震えている。
「オリビア……様?」
ユウラが心配そうに、自身を窺うが、
オリビアはもはやその表情を弛めようとはしなかった。
◇◇◇
ユウラの華奢な左手の薬指に冷たく輝く、
ダイヤの指輪が、エドガーの頭から消えない。
エドガーは苦し気に、唇を噛み締めた。
『エドガー様、彼女ユウラ・エルドレッドはその……すでに国王陛下公認のもと、
婚約者がおりまして』
エドガーは執事、ハルバートンの言葉を思い出す。
「宰相家の跡取り、ウォルフ・フォン・アルフォード……」
知らず、エドガーの唇がその名を呟いた。
その名を知らぬ者は、
おそらくこのレッドロラインにはいないだろう。
漆黒の髪に闇色の瞳を持つ、
恐ろしく美しい青年だ。
社交界の華であり、またひとたび戦場に出れば、
かの鬼神ルーク・レイランドと双璧を成す戦いをやってのける。
間違いなくこの国の英雄の一人であり、非の打ちどころがない。
エドガーの心に、焔が揺らめく。
心の闇の中を、
ちりちりと音を立てて、
それはくすぶり続ける。
己を焼き尽くす、強かな熱量を孕んで。
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