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25.王宮へ
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「おいっ! 出来損ない。
何を泣いている?」
いつの間にか、オリビアがその前に佇んでいた。
「あっ姉上」
エドガーが慌てて、その涙を拭った。
「姉上もレディーなら、ちゃんとノックをしてください」
エドガーがふいとオリビアから顔を背けた。
「何度もしたっつうの!
てめぇが気付かなかっただけだろ。
っつうか、会議だぞ!
って、何? 何で泣いてんの?」
オリビアが目を瞬かせた。
「泣いてませんっ! 花粉症なんですっ!」
そう言ってエドガーがティッシュを取り出して盛大に鼻をかんだ。
「嘘つけ! お前がそんな繊細なわけねぇだろ」
オリビアが顔を顰めて腕を組む。
(ああそうだ。この人はいつもそうなのだ。
私が自分の闇に負けそうになると、
決まってやって来て、お節介にも自分を光の中に連れ出してくれる)
形式だけの王太子であるエドガーに一人だけ、
本気で向き合って叱ってくれた人がいた。
それがこの人、自身の姉であるオリビアだった。
オリビアは幼少期からそれは厳しいスパルタ式でエドガーを教育した。
殴られて痛かったし、滅茶苦茶怖かったし、軽くトラウマになるレベルだったが、
どんな時でもオリビアだけは自分を見捨てず、その手を離さなかった。
褒めるときにはきちんと褒めてくれて、
それがすごく嬉しかったことを覚えている。
エドガーはオリビアの服の裾を掴んだ。
「嘘です。私は人を好きになってしまいました」
エドガーの言葉にオリビアが激しく目を瞬かせる。
「誰?」
素でそう尋ねると、エドガーが赤面し、下を向いた。
「ユウラ……エルドレッド……です」
オリビアが目を見開く。
「え? マジで?」
暫くの沈黙の後で、
俄かに表のグランドが騒がしくなった。
微かに女子の悲鳴も聞こえる。
エドガーとオリビアは窓に走り寄った。
グランドの中央に、
力なく倒れ伏している者がいる。
グランドの乾いた土の上に、
赤い髪が散っているが見えるや否や、
オリビアの身体が凍り付く。
「ユウラ・エルドレッドっ!!!」
エドガーがその名を叫んで駆け出した。
グランドに倒れているユウラに近づこうとするエドガーに、
オリビアがきつい眼差しをくれる。
「触るなっ! エドガー」
オリビアの底冷えのする声色に、
周囲が凍り付いた。
「ユウラはわたくしの専属騎士なのですから、
わたくしが医務室へ運びますわ」
氷の微笑をたたえて、
オリビアが軽々とユウラを抱きかかえた。
◇◇◇
「ここ……は?」
ユウラがぼんやりとした視線を彷徨わせる。
白けた蛍光灯が、少し眩しくて、
ユウラは片目を閉じた。
「アカデミーの医務室よ、ユウラ。
気が付いたのね、本当に良かった」
ひょいと視界に姿を現した美女に、
ユウラが硬直する。
「オ……オリビア皇女殿下っ!」
反射的に身体を起こそうとするユウラを、
オリビアが両手で押える。
「いきなり、身体を起こしてはダメよ。
あなた頭を打って、脳震盪を起こしたのよ?」
脳震盪……。
その単語に、ユウラの記憶が引き戻される。
そうなのだ。
自分はアカデミーの剣技の実技中に、
ペアを組んだ男子生徒の木刀を、
まともに喰らってしまったのだ。
ユウラは悔し気に、
きつくシーツを握りしめた。
「軍医の先生は、軽いものだとおしゃったけれど、
一応念のために今夜は、王宮のわたくしの部屋にお泊りなさい。
わたくしの侍医を待機させるわ。
もし何かあっても、すぐに王立の病院へ
融通が利くよう手はずを整えておきます」
ユウラはオリビアと共に、
車に乗せられて王宮に向かう。
アカデミーの塀伝いに、
満開の桜の花が咲き誇る。
はらりと花弁が舞い散る中を、アカデミーの士官たちが、
賑やかな声を上げて歩いている。
ある者は友とおどけながら、
またある者は少し緊張した面持ちで
隣に並ぶ異性と手を繋いで、
それぞれにこの桜並木を歩いていく。
きっと付き合いたてのカップルなのだろう。
そんな車窓の風景を、
ユウラは寂し気な眼差しで見つめている。
「なあに? あなた。
王宮のわたくしのところに参内するのが、
そんなに憂鬱?」
オリビアが柳眉を吊り上げる。
「そっ……そういうわけではっ……」
ユウラが必死に取り繕う。
「ねぇ、ユウラ。
今日のあなたはどこか変よ?
どうかなさって?」
オリビアの問いにユウラは小さく首を横に振る。
「いいえ……そんなことは……」
そう短く答えて、曖昧に微笑んで見せる。
そんなユウラに、オリビアは小さくため息を吐いて、
自身の手をユウラの手に重ねた。
「え?」
オリビアの手の温もりに、
ユウラがはっとしたように顔を上げる。
大きな手だった。
大きくて温かい手。
そして、美しいオリビアに似合わぬ、武骨な手。
(この手の感触を、確かに自分は知っている)
ユウラの中で何かが騒めき、
ひどく警鐘を鳴らしている。
そんなユウラの胸の高鳴りを知ってか知らずか、
車は進む。
ウォルフと共に暮らすアルフォード家とは目と鼻の先に位置するとはいえ、
ユウラがこの場所に来るのは10年振りだ。
王宮を守る衛兵がユウラの乗る車に敬礼をすると、
同時に堅固な青銅の門が開門された。
舗装された道のサイドには、よく手入れの施された芝生が
青々と広がる。
その曲がりくねった道の先に紫宸殿が見えてくる。
ユウラが生まれて初めてウォルフと出会った場所だ。
そのときも同じく問答無用で車に押し込められて、
ドレスを着せられて、結婚の意味も分からないままに、
大人たちによってウォルフとの婚約が取り決められた。
折しもそれはユウラに弟が生まれた直後で、
誰しもの注目が弟に集まり、ユウラは子供心に
てっきり自分がいらなくなったので、
よその家にやられるのだと思ったのだった。
ユウラは頑ななまでに、ウォルフに心を閉ざしたが、
ウォルフは決してユウラの手を離そうとはしなかった。
やがて車窓から石造りのアーチ橋が見えてくる。
眼鏡橋と呼ばれるこの橋は王宮のシンボルだ。
石造りの二連のアーチが、
堀の水面に反射して眼鏡のように見えるのだ。
その橋を渡ると、王家の女性たちが暮らす後宮である。
ユウラは緊張に、唇を噛み締めた。
何を泣いている?」
いつの間にか、オリビアがその前に佇んでいた。
「あっ姉上」
エドガーが慌てて、その涙を拭った。
「姉上もレディーなら、ちゃんとノックをしてください」
エドガーがふいとオリビアから顔を背けた。
「何度もしたっつうの!
てめぇが気付かなかっただけだろ。
っつうか、会議だぞ!
って、何? 何で泣いてんの?」
オリビアが目を瞬かせた。
「泣いてませんっ! 花粉症なんですっ!」
そう言ってエドガーがティッシュを取り出して盛大に鼻をかんだ。
「嘘つけ! お前がそんな繊細なわけねぇだろ」
オリビアが顔を顰めて腕を組む。
(ああそうだ。この人はいつもそうなのだ。
私が自分の闇に負けそうになると、
決まってやって来て、お節介にも自分を光の中に連れ出してくれる)
形式だけの王太子であるエドガーに一人だけ、
本気で向き合って叱ってくれた人がいた。
それがこの人、自身の姉であるオリビアだった。
オリビアは幼少期からそれは厳しいスパルタ式でエドガーを教育した。
殴られて痛かったし、滅茶苦茶怖かったし、軽くトラウマになるレベルだったが、
どんな時でもオリビアだけは自分を見捨てず、その手を離さなかった。
褒めるときにはきちんと褒めてくれて、
それがすごく嬉しかったことを覚えている。
エドガーはオリビアの服の裾を掴んだ。
「嘘です。私は人を好きになってしまいました」
エドガーの言葉にオリビアが激しく目を瞬かせる。
「誰?」
素でそう尋ねると、エドガーが赤面し、下を向いた。
「ユウラ……エルドレッド……です」
オリビアが目を見開く。
「え? マジで?」
暫くの沈黙の後で、
俄かに表のグランドが騒がしくなった。
微かに女子の悲鳴も聞こえる。
エドガーとオリビアは窓に走り寄った。
グランドの中央に、
力なく倒れ伏している者がいる。
グランドの乾いた土の上に、
赤い髪が散っているが見えるや否や、
オリビアの身体が凍り付く。
「ユウラ・エルドレッドっ!!!」
エドガーがその名を叫んで駆け出した。
グランドに倒れているユウラに近づこうとするエドガーに、
オリビアがきつい眼差しをくれる。
「触るなっ! エドガー」
オリビアの底冷えのする声色に、
周囲が凍り付いた。
「ユウラはわたくしの専属騎士なのですから、
わたくしが医務室へ運びますわ」
氷の微笑をたたえて、
オリビアが軽々とユウラを抱きかかえた。
◇◇◇
「ここ……は?」
ユウラがぼんやりとした視線を彷徨わせる。
白けた蛍光灯が、少し眩しくて、
ユウラは片目を閉じた。
「アカデミーの医務室よ、ユウラ。
気が付いたのね、本当に良かった」
ひょいと視界に姿を現した美女に、
ユウラが硬直する。
「オ……オリビア皇女殿下っ!」
反射的に身体を起こそうとするユウラを、
オリビアが両手で押える。
「いきなり、身体を起こしてはダメよ。
あなた頭を打って、脳震盪を起こしたのよ?」
脳震盪……。
その単語に、ユウラの記憶が引き戻される。
そうなのだ。
自分はアカデミーの剣技の実技中に、
ペアを組んだ男子生徒の木刀を、
まともに喰らってしまったのだ。
ユウラは悔し気に、
きつくシーツを握りしめた。
「軍医の先生は、軽いものだとおしゃったけれど、
一応念のために今夜は、王宮のわたくしの部屋にお泊りなさい。
わたくしの侍医を待機させるわ。
もし何かあっても、すぐに王立の病院へ
融通が利くよう手はずを整えておきます」
ユウラはオリビアと共に、
車に乗せられて王宮に向かう。
アカデミーの塀伝いに、
満開の桜の花が咲き誇る。
はらりと花弁が舞い散る中を、アカデミーの士官たちが、
賑やかな声を上げて歩いている。
ある者は友とおどけながら、
またある者は少し緊張した面持ちで
隣に並ぶ異性と手を繋いで、
それぞれにこの桜並木を歩いていく。
きっと付き合いたてのカップルなのだろう。
そんな車窓の風景を、
ユウラは寂し気な眼差しで見つめている。
「なあに? あなた。
王宮のわたくしのところに参内するのが、
そんなに憂鬱?」
オリビアが柳眉を吊り上げる。
「そっ……そういうわけではっ……」
ユウラが必死に取り繕う。
「ねぇ、ユウラ。
今日のあなたはどこか変よ?
どうかなさって?」
オリビアの問いにユウラは小さく首を横に振る。
「いいえ……そんなことは……」
そう短く答えて、曖昧に微笑んで見せる。
そんなユウラに、オリビアは小さくため息を吐いて、
自身の手をユウラの手に重ねた。
「え?」
オリビアの手の温もりに、
ユウラがはっとしたように顔を上げる。
大きな手だった。
大きくて温かい手。
そして、美しいオリビアに似合わぬ、武骨な手。
(この手の感触を、確かに自分は知っている)
ユウラの中で何かが騒めき、
ひどく警鐘を鳴らしている。
そんなユウラの胸の高鳴りを知ってか知らずか、
車は進む。
ウォルフと共に暮らすアルフォード家とは目と鼻の先に位置するとはいえ、
ユウラがこの場所に来るのは10年振りだ。
王宮を守る衛兵がユウラの乗る車に敬礼をすると、
同時に堅固な青銅の門が開門された。
舗装された道のサイドには、よく手入れの施された芝生が
青々と広がる。
その曲がりくねった道の先に紫宸殿が見えてくる。
ユウラが生まれて初めてウォルフと出会った場所だ。
そのときも同じく問答無用で車に押し込められて、
ドレスを着せられて、結婚の意味も分からないままに、
大人たちによってウォルフとの婚約が取り決められた。
折しもそれはユウラに弟が生まれた直後で、
誰しもの注目が弟に集まり、ユウラは子供心に
てっきり自分がいらなくなったので、
よその家にやられるのだと思ったのだった。
ユウラは頑ななまでに、ウォルフに心を閉ざしたが、
ウォルフは決してユウラの手を離そうとはしなかった。
やがて車窓から石造りのアーチ橋が見えてくる。
眼鏡橋と呼ばれるこの橋は王宮のシンボルだ。
石造りの二連のアーチが、
堀の水面に反射して眼鏡のように見えるのだ。
その橋を渡ると、王家の女性たちが暮らす後宮である。
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