宝生の樹

丸家れい

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第三章

かけがえのないもの

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 どれだけ眠っただろうか。

 幾許か、全身を覆っていた不快さが抜けてきた青はゆっくりと目を開けた。

「幸子の気に当てられたようだな」

 そう困惑気に、しかし気遣わしげな笑みを湛えていたのは東だった。瞳に飛び込んできた悠然と腰を据える東の姿に青は飛び起きた。

 畳の上で横になっていたのに、いつの間にか自分の蒲団で眠っていた。
 東が布団に運んでくれたのだろうと察した青は案ずるように東の顔を覗き込んだ。
 辺りはすっかり日が暮れて高灯台の灯りだけが東の顔を薄く照らしている。

「起きて大丈夫なのか?」

 東は意地悪く笑う。

「誰かさんの祈りが通じたからな」

「え?」

 先ほど、東が寝ていると思って額を重ねたことを思い出した青は顔を赤くした。羞恥心から思わず顔を逸らしたが、幸いにも東の瞳は自分を映さない。

 顔を逸らしたまま平静を装って青は素っ気なく言う。

「それはよかったな」

 声の調子が強張っていたが、東に気付かれてはいないだろうか。早鐘を打つ心臓の音を押さえるように喉を上下させていると、東が何かを差し出して来た。

「これ、何? 俺の蒲団の脇にあったけど」

 東の方へ首を巡らすと、青が縫い終えた巾着が握られていた。正確にはまだ巾着になっていないただの袋だ。

 話が逸れたことに安堵しながら、青は立ち上がって東の部屋からあるものを取ってきた。

「これはだな。東が作った地蔵もどきを、このように巾着に入れて」

「地蔵もどきってひどいな」

 肩を竦めて苦笑する東に青は、

「本当のことだ。……まあ、聞け。まだ紐はないが、紐を括り付けて首から下げていたら落とすこともないだろう。私が身に着けているお守りと同じだ」

 そう言って、青は地蔵もどき三体を東の手の中にある小袋に入れてあげた。手で感触を確かめる東の顔が険しくなっていく。

「袋? なんか斜めになってる気がする。俺の方が上手いんじゃないか」

「やかましい。初めて裁縫をしたのだ。紐を括ってしまえばわからん」

 はは、と東は朗らかに笑っていた。
 東が楽しそうに笑うので、青もつられて笑う。
 
 青が縫った巾着の感触を噛み締めるように手で撫でながら、東は改まったように静かに口を開いた。

「……青、話がある」

「なんだ」

「もう少ししたら、身体も回復しそうだ。体力と能力が戻れば、最後の杭を抜きに行く」

「わかった。無理はするなよ」

 そして、東は深紅の瞳に柔和な色を滲ませて微笑んだ。

「そしたら、俺はここを――美弥藤を出ていくよ」

 思わぬ言葉に青は目を見開いた。

「……何故?」

「俺は人里離れた静かなところに行こうと思う。そうだな……森とか」

 と冗談めかして笑う東に青は笑えなかった。

「母上か? 母上には、東に近づかぬよう言っておいたぞ」

 東は緩く首を振る。

「幸子は関係ない」

「では、……やはり、私が頼りないからか?」

「違う。断じて違う」

 東は真顔で確然と言いきり、ひとつ息をついて口を開いた。

「俺が、そうしたいんだ」

 穏やかな響きを纏いながらも、東の言葉には揺るぎないものが宿っている。必死に引き留めようとしている自分に気が付いた青は幸子の言葉を思い出した。

『青の小間使いでもないぞ』

 決して東を小間使いだなんて思ってなんかいない。だが、自ら望んで美弥藤から出ようとしている東を引き留めようとするのは自分の身勝手な欲でしかない。

 これは、私の我儘だ。

 青は唇を噛み締めて、溢れそうになる自分の想いに蓋をする。同時に、蓮水家から東を連れだしたときのこと、常世のことを教えてくれるときの東の得意げな顔、自分の腕の中で泣いていた東の姿が、青の脳裏を巡っていった。

「そうか……寂しくなるな」

 青は微笑んで見せるが、東の瞳に映ることはない。
 本当に自分は欲張りだな、と青は切なげに瞳を揺らした。

 この日を境に、東の体調は見る見るうちに回復した。
 食事も粥から、玄米、煮魚など御代わりするほど元気になり肌の色艶も良くなった。

 東と食事を共にすること、何気ない会話を交わすこと、農村の偵察に行くこと。
 東と過ごす日々は、当たり前のようで、当たり前じゃなくなった。自分の人生を彩る大切なもので、心の底から青は幸福感を感じていた。

 だが、それも今日まで。

 東は龍神の瞳に刺さっている杭を抜きに行く。もうそのまま戻らないと告げられたのは三日前の夜のことだった。

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