上 下
126 / 134
最終章 会津騒動 編

第125話 主水の行方

しおりを挟む
東慶寺に入寺した堀主水の妻子、お葉と千代は、御用宿での身元調べを終えた後、第二十世住持である天秀尼の前に通された。

「これからお世話になるお葉と千代です。どうぞ、よろしくお願いいたします」

二人、揃って三つ指をつく姿に、武家としての礼儀作法が小さな娘にまで、しっかりと行き届いているのだと感心する。
さぞや、堀主水という方は、立派な方なのだと想像できた。

ただ、東慶寺の中では、もう少し肩の力を抜いていただいて構わない。畏まって挨拶するお葉と千代に、そう助言した。
自分の家と言えば、少々、大袈裟だが、東慶寺で預かった以上、何の心配もせず、気楽に生活してほしいのである。

「御用宿のお多江さんから聞いています。会津から鎌倉まで、さぞ大変だったでしょう。まずは、旅の疲れを癒して下さい」
「ありがとうございます。ただ、私どもは、追われている身ですが、よろしいのですか?」

お葉が一番気にしていたのは、その点であった。東慶寺の立場に立つと、厄介者を預かってしまったという、煩わしさを感じても致し方のない状況。

しかし、天秀尼には、そういった様子はまったく見られなかった。
当初、上辺だけ、そう繕っているのかと疑ったが、話していく内に、そうではないとお葉は気づく。

「この寺を頼りにされる女性のほとんどは、誰かに追われてやって参ります。お葉さんだけでは、ありませんのでご安心ください」

妻に未練を抱く亭主の類と四十万石の大大名を同じく言うとは・・・
本当に理解しているのか疑いたくなるのだが、天秀尼の微笑は、何故か安心感を与えるのだ。
それだけで、お葉は東慶寺にやって来てよかったと考える。

「それにしても心配なのは、堀さまのことですね。無事に高野山に辿り着けばいいのですが・・・」
「あの人は高い堀から落ちても怪我をするでもなく、敵を討ち取って、武功を上げた人です。運だけは、いいはずですから・・・」

気丈に振舞う姿に、そうは言っても心配なのだろうと慮った。そんなお葉の心情を安んじる方法はないものかと天秀尼は思案する。
紀州には、以前、宇都宮城の事件の時に協力してくれた根来衆ねごろしゅうの本拠・根来寺ねごろじがあるはずだ。

根来寺は、高野山と同じ真言宗を教義としている。
但し、この二つの宗教都市は対立関係にあった。

それは、空海以来の才と謳われた覚鑁かくばんが、弘法太子亡き後、堕落した高野山を立てなそうとした際に、反対反勢力によって焼き討ちを受けたことから始まる。

きりもみの乱』と呼ばれた事件で、命からがらお山を下りた覚鑁が、豊福寺ぶふくじ円明寺えんみょうじを中心として仏門に励んだのが、根来寺の開山につながったのだ。
これは五百年近く前の話なのだが、双方の対立は、今も根強く残っている。

そういった間柄であればこそ、高野山の情報を掴んでいる可能性が高いと踏んだのだ。
天秀尼は、久しぶりに津田算孝つだかずたかと連絡を取ってみる。

すると、返って来た返事には、天秀尼の住持就任への言祝ことほぎと与五郎、お稲の間に子が三人も授かっていることなどが書かれており、天秀尼の顔をほころばせた。

肝心の主水の行方だが、漏れなく、その点も記載がされており、二百から三百の集団が高野山に入山したという情報は、根来寺でも掴んでいるのこと。

はっきり、主水たちであるという確証はないが、時期や人数からいって、まず間違いがないと思われる。
その報告をお葉にすると、一安心している様子だった。

普通に考えれば、これで加藤明成は主水に手を出せなくなったはずなのだが、天秀尼は、何故かすっきりとしない。
お葉から聞く明成像では、執拗に追いすがる粘着質な人物に思えたからだ。

果たして、この後、明成はどう出てくるのか?
天秀尼は、目を光らせることにした。

江戸にいる明成に主水の行方について報告が上がったのは、丁度、天秀尼が情報を掴んだのと、ほぼ同時期であった。
相手は『無縁』の高野山。まともに考えれば分が悪い。

そこで明成が考えついたのは、幕府を巻き込むことだった。
さすがの高野山も時の権力者に対しては、従順な対応を示すことが多い。
幕府の圧力によって、主水を炙り出そうとしたのだ。

ただ、ここで問題なのは、そうなるとお家騒動。つまり、城内の醜聞も報告しなければならないことである。
下手をすれば、明成まで叱責を受ける可能性が高い。
間違っても、そんな事態となっては、本末転倒なのだ。

明成は、何とか自分の失態を報告せずに幕府を巻き込む方法に頭脳を費やす。
そして、悪魔のひらめきが舞い降りるのだった。

「至急、主水が通った橋と関所の修復に取りかかるのだ」
「はて、一切、壊れておりませんが?」
「直して新しくしておけば、主水が壊していったのだと、いくらでも言いつくろうことができるであろうが!」

明成に怒鳴られた家臣は、慌てて、指示通りの手配を始める。

「できるだけ、急がすのだぞ」
「承知いたしました」

追加の指示もしっかりと行い、これで、明成は工事完了の報告を待って、幕府に上申するだけとなった。
主水を徹底的に非道な人物に仕立て上げることで、自分の失政には目を行かぬようにしたのである。

「ふっふっふ。高野山に入り、さぞ、安心しているところだろうが、そうはいかぬ。主水、お前の首は必ず、手に入れてみせるぞ」

明成の狂気じみた笑い声が、会津藩上屋敷の中に響きわたるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

転娘忍法帖

あきらつかさ
歴史・時代
時は江戸、四代将軍家綱の頃。 小国に仕える忍の息子・巽丸(たつみまる)はある時、侵入した曲者を追った先で、老忍者に謎の秘術を受ける。 どうにか生還したものの、目覚めた時には女の体になっていた。 国に渦巻く陰謀と、師となった忍に預けられた書を狙う者との戦いに翻弄される、ひとりの若忍者の運命は――――

仇討浪人と座頭梅一

克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

処理中です...