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第7章 寛永御前試合 編

第75話 天秀の面目躍如

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天秀が正式に東慶寺の尼僧となり、新しい生活が始まる。
この人生の転換期に師匠から、手助けする助言がなされた。

東慶寺第十九世住持・瓊山尼に呼ばれ、天秀尼は師の前に正座する。

「天秀、寺の中の生活は、御用宿のそれとは大きく異なります。慣れるまでは、そちらの白閏はくじゅんに相談しなさい」

瓊山尼の示す先には、その名の通り色白な尼僧が座っていた。
目が合ったので、天秀は軽く会釈すると瓊山尼に向き直す。

「お気遣い、ありがとうございます。お寺の中でも、精一杯、務めさせていただきます」
「分かりました。では、下がってよろしいですよ」

天秀は瓊山尼の前を辞すと、改めて白閏尼と挨拶を交わした。
「天秀と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「あなたがね。こちらこそ、よろしく」

という言い方が気になり確認すると、天秀尼は寺の中ではかなりの有名人らしいことを知る。
その出自もさることながら、縁切り寺法を家康に認めさせた功績は、すこぶる高いとのことだった。

しかし、いい事ばかりではない。
目立つということは、自然と敵も作ることになる。

そのほとんどは、やっかみや妬みから来るものだが、天秀尼のことをよく思っていない者も意外と多くいるそうだった。
ただ、表立って天秀尼に何かする勇気のある人はいないと白閏尼は言い切る。

「それは何故でしょうか?」
その質問には白閏尼は呆れた顔を見せる。自分の立場を、まるで理解していないとのことだ。

「東慶寺は、一応、格式高い寺院なの。歴代の住持さまを考えれば分かるでしょ」

確かにこれまでの住持の多くは鎌倉公方足利氏かまくらくぼうあしかがしの子女が務めている。いわゆる名門出身者ばかりなのだ。
特に第五世の住持は後醍醐天皇ごだいごてんのうの皇女が務めたのは、有名な話である。

白閏尼が言いたいのは、東慶寺の住持は誰でもが務められる立場ではなく、次の住持に一番近いのが天秀尼だと言うことだった。

天秀は太閤殿下の孫にして、右大臣豊臣秀頼公の息女。
これに勝る格式を持った人物は、確かにそういるものではない。

「私がですか?」
「そうよ。将来、自分の上役になるかもしれない人に喧嘩を売る馬鹿はいないってこと」

東慶寺で、自分がそのように見られていることを知り、天秀尼は驚いた。
それと同時に、何か壁のようなものを作られている感じがして、心情的には嫌な気持ちになる。
まるで、腫物扱いをされているような気がするのだ。

だが、持ち前の性格とこれまでの経験から、東慶寺の輪の中に溶け込めさえすれば、そんな雰囲気などなくなるものだと決め込む。
環境は、自分の気持ちと心がけ次第で変わるはず。

天秀尼は白閏尼から、その話を聞いた翌日から、雑事も含めた仕事に対して、積極的に手を上げてこなすようにした。何とか自分に向けられる目を変えようと努力する。

秀頼の娘ということに誇りを持っているが、そのこと自体は天秀尼を示す外観の一つ。
天秀尼の本質を周囲の人に見てほしいのである。

ただ、そう簡単に人の目は変わるものではなかった。
天秀尼が変に雑事を引き受けるため、これ幸いと便利に使い、自分が楽をしようとする尼僧が数名ほど出てきたのである。

甲斐姫との稽古も引き続き行っていたため、近くで見ていた白閏尼が、その忙しさに天秀尼がいつか倒れるのではないかと心配するほどだった。

そして、ついに極めつけの厄介ごとを任される。
それは縁切り三年奉公中のある女性の世話なのだが、彼女は武家出身らしくとにかく気位が高い。

しかも剣を嗜んでいて、自分より弱い者の指示など従わないと言い放つ始末。いささか手を余す相手なのだ。
すでに数名の尼僧が彼女の餌食となっており、意地の悪い者が天秀尼に彼女を押し付けたのである。
その女性の名は静子しずこといった。

「静子さん、本日よりお世話をさせていただくことになりました天秀と申します。よろしくお願いいたします」
「あら、今度の尼さんはなかなか綺麗な方ね。でも、私、自分より弱い者と話す気はないのよ」

仕組んだ者にとって、早速、期待通りに揉めだす展開となる。
これで野試合でも始まれば、格式高いという天秀尼のこてんぱんにやられる姿を、見ることができるという寸方だ。
話は一気に進み、実際に東慶寺の本堂の前で、天秀尼と静子が立ち会うことになった。

「これは面白いのう」と、甲斐姫が審判を買って出る。すると、東慶寺の尼僧や奉公務めをしている女性たちが集まり、ちょっとした催しとなった。

瓊山尼も見学することになり、いよいよもって大々的に天秀尼の赤っ恥が見られる。そう、ほくそ笑む尼僧の姿が数名、観客の輪の中にいた。

「こんな大勢の前でいたぶる気はないわ。今の内に降参したらどう?」
「いえ、お構いなく。私は大丈夫ですから」
「知らないのなら、教えてあげるけど、私は柳生の者よ」

それを聞いて、東慶寺の尼僧の大半が納得する。
道理で強い訳なのだ。

しかし、天秀尼は「問題ありません」と、涼しい顔のまま。
その態度に静子は、カチンと来る。
多少は手加減しようと思っていたが、最初から全力で戦うことにするのだ。

「はじめ!」

甲斐姫の掛け声とともに立ち合いが開始される。
静子の気合の声とともに上段からの激しい撃ち込みが天秀尼を襲った。

ところが天秀尼は、難なく受け止めると静子の木刀を巻き上げて、宙に飛ばす。
無手となった静子の目の前に木刀の切っ先を向けた。

「勝負ありじゃ」

一瞬のことで、何が起こったか理解できない者が多かったが、ただ一つ、分かったのは静子との力量の差である。
あれほど強いと思っていた静子を赤子の手をひねるように簡単に負かした天秀尼。

これには、悪巧みを企画した者たちが冷や汗をかく。
素直に兜を脱いだのだ。

そして、それは静子も同じ。
「参りました。何度、立ち会っても勝てる気がしません」
「柳生の方の剣は、何度か受ける機会がありましたから」

普通では経験しえないことを平気で話す天秀尼に、東慶寺の尼僧から羨望のまなざしが注がれる。
これからは、天秀尼に無理を頼むのは止めようと誓う、尼僧が大勢、出て来るのだった。
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