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第5章 宇都宮の陰謀 編

第57話 宇都宮の城外で

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正純は突如、現れた根来組同心の生き残りと名乗る男を、まるで幽霊が出没したかのように見つめた。

「お前が、根来組同心だと?」
「そうさ。不穏な空気を感じ取った親父たちが、捕縛される前に俺だけを逃がしくれた。あんたの悪行を地元の仲間たちに伝えるよう、託されてな」

与五郎は、顔を真っ赤にしている。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。これまでの苦労が思い出されたのかもしれない。

「生き残った俺だけど、不思議だったのは、この町では根来組同心のことなど、すっかり、なかったことにされていたことさ。あんたを訴えようにも、誰も取り合ってくれない」

紀伊国の仲間に事のあらましを伝えた後、与五郎は正純への復讐の機会を探すため、宇都宮に潜伏した。
しかし、本多正純という巨大な権力の前に、なす術がなく打ちひしがれたのだろうとしのばれる。そんな時、お稲と出会ったのかもしれない。

「だけど、やっと・・・やっと、苦渋を味わった日々が終わる。これで、あんたはお終いだ」
「そうだ。ここで、根来組同心の無念を晴らす」

そう言うと、今まで黙っていた津田算孝が正純めがけて走り出した。
手には短刀を持っている。

「残念じゃが、ここで、こやつを殺させるわけにいかぬ」

瞬時に甲斐姫が間に立ち、算孝の短刀を払い落とした。その流れのまま、投げを打つ。
算孝が地に転がるのだった。

「ごめんなさい。あなたが本多さまを恨んでいることは分かっていました。でも、彼はきちんとした裁きを受けるべきなのです」

倒れる算孝を起こすために天秀が手を差し伸べる。その笑顔に算孝は、肩を落とした。
正純殺害は、どうあっても許してもらえないようだ。

「いや、あの悪漢に近づくため、私はあなた方を利用させてもらった。命を奪うことは出来ませんが、人生を奪ったと思えば・・・」

利用という意味では、算孝や与五郎が正純を追い込む最後の決め手になると天秀たちは、見込んでいた。
その点から、「お互いさまです」と、謝罪する。

「根来組同心の件、よくご存知でしたね?」
「算孝さんは探しているという割に、与五郎さんのことをあまり聞こうとしないので、城の中にいることはすでに確信しているのだと思いました。では、根来組の与五郎さんが宇都宮に留まる理由が何かあるのだろうと思って、福さまに調べてもらったんです」

聞けば納得するが、よくぞ気づいたものだと思う。止めた甲斐姫にも慌てた様子はなかったため、算孝の最後の行動まで事前に読み切っていたのだろう。

ここまで、組んだ相手の方が上手では、もう笑うしかない。算孝は、この場で正純に天誅を食らわすことを完全に諦めた。

「それでは、福さま。後はお願いいたします」
「承知しましたよ。これで切腹と言いたいですが、正純殿は功臣。減封止まりでしょう」
「馬鹿を言うな。私は本田正純だぞ。これまでどれだけ、徳川に尽くしてきたと思っている」

最後の悪あがきとも言える、無駄な虚勢を正純がはる。だが、武家諸法度に照らし合わせれば、どう考えても減封は免れないのだ。
法令の草案には正純も関わったであろうに・・・

今回、正純に言い渡される罪状は三つ。
一つ目は、幕府に無断での鉄砲の購入。
二つ目は、宇都宮城の隠し通路、無断工事。
三つ目は、幕府直属である根来組同心を了解なく殺害した件。

これだけ、揃えばいかに本多正純といえど、言い逃れは出来ない。

「一つ、忠告いたしますが、素直に減封をお受けになった方がよろしいですよ。受けないとなると、それこそ幕府の命に従わぬ慮外者りょがいものとなります」
「黙れ、小娘。お前さえ、出しゃばってこなければ、全てうまくいったものを」

正純は八つ当たりを天秀にするが、近くには甲斐姫がいる。
迂闊に手を出すこともできず、ただ、歯噛みするだけに留まった。

これは、後日談となるが、天秀の忠告を聞かなかったばかりに、正純は減封だけでは済まず奥州出羽国おうしゅうでわのくにで幽閉の身となる。
権勢を誇った正純にとって、何とも憐れな末期だった。

一件落着し、宇都宮城を出ると、そこには与五郎の帰りを待つお稲の姿がある。
二人は抱き合うのだが、すぐに与五郎は浮かない顔をした。
話さなければならないことがあると、秘密があることを打ち明けるのである。

「お稲さん。俺の本当の名は津田義郎つだよしろう。実は紀伊国の根来組同心の一人なんだ」
「お武家さんってこと?」
「そんないいもんじゃない。雇われ兵みたいなものさ」

そう話した後、宇都宮に居ついた理由を話す。父親や同志の仇を討つためだったと聞かされると、さすがにお稲は驚いた。

「でも、それも済んだ。このまま宇都宮で暮らそうと思うよ」
「良かった。紀伊国に一緒に行かなければいけないかと思った」
「隠し事をしていた俺を、まだ、好いてくれるのかい?」

それには、お稲も怒った顔をする。名前が変わろうと何をしようと、その中身まで変わる訳ではないのだ。

「与五郎・・・いえ、義郎さん。私はあなたの名前を好きになった訳ではなく、人柄に惚れたのよ。それに宇都宮に留まるって言うのに、何が問題あるの?」
「いや、そうだけど・・・」
「それに、あなたは年末には父親になるの」

お稲の言葉を理解できず、義郎は目をパチクリとさせる。それは、つまり・・・

「子を授かったのかい?」
「その通りよ」

驚きと嬉しさで、どう表現していいか分からないが、義郎は有頂天となった。
そんな義郎を算孝が優しく見守る。

「根来組同心には戻らぬようじゃが、いいのかえ?」
「まぁ、あいつが決めた第二の人生。叔父としては、素直に祝福してあげますよ」

少し、寂しそうな顔をする算孝だったが、間違いなく義郎の幸せを考えれば、それが一番だ。身内としては、甥の決断を応援するのが筋だと思われる。
そんな算孝に天秀も甲斐姫も賛辞を送った。

城外で、談笑しているところ、正純に城内で蟄居謹慎することを告げた福がやって来る。

「今回は、あなたたちのおかげで正純の悪行を暴くことができました。言葉だけでは言い尽くせぬほど、感謝の気持ちでいっぱいです」
「いえ、福さまが信頼なさってくれたことが分かったので、精一杯、頑張っただけです。それにお義母さまを安心させたかったのもありますし」

天秀の真っすぐな目に見つめられ、福はしこりを持っていた自分が馬鹿らしくなった。
以前、甲斐姫にも指摘されたが、いつまで過去の事にこだわり続けるつもりなのか・・・

「どうやら、私はあなたのことを穿った目で見ていたようです。これからは、真っ新な気落ちで、あなたと接することにいたします」
「それは、ありがとうざいます」
「何じゃ、天秀が感謝するのでは、あべこべじゃ」

確かにそうである。天秀、甲斐姫、福が笑顔で笑い合うのだった。
それから、二週間後、家光は家康の七回忌を主催し、その大役を無事終える。

翌年、宣下される予定の征夷大将軍への道が大きく拓けたのだった。
その道を安心して進むことができるようになった陰に、天秀たちの活躍があったのである。
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