38 / 134
第4章 茶器と美しい姉妹 編
第37話 卯花の作戦
しおりを挟む
紫乃と名乗る女性が東慶寺に駆け込みを行う二日前。
山村屋の前に、一人の女性が立っていた。それは紫乃の妹、卯花である。
店の人に声をかけようかと、山村屋に入ろうとする瞬間、逆に声をかけられて驚いた。
「女将さん、今までどちらにいらしてたんですか?心配しましたよ」
声の主を見ると、若い女の子である。山村屋の女中のようで、何かのお使いから帰ってきたところのように見受けられた。
卯花の事を『女将さん』と呼ぶあたり、どうやら、紫乃と勘違いしているようだ。
まぁ、それも致し方ない。
紫乃と卯花は、年子なのだが、昔から双子と間違われるほどそっくりで、地元では有名な美人姉妹だった。
「残念ながら、人違いよ」
「えっ、ごめんなさい」
女中は、自分の早とちりをすぐに謝罪した。確かに言われてみれば、目の前の女性は、いつも紫乃が着ている着物とは、様相が異なる。
「今のお話では、こちらの女将さんは、いらっしゃらないのかしら?」
「ええ。最近はお見掛けになっていません。体調が悪くて休んでいるのかとも思ったのですが、旦那さまの様子では、そうとも考えられないんですよ」
この女中の言葉に卯花は、やっぱりと納得した。
紫乃と卯花は、姉が婚姻した今でも、文通でお互いの近況を報告し合っている。
その姉からの便りが二週間ほど前で、ピタっと止まってしまった。
卯花が書いた手紙の返事もないため、心配になって山村屋を訪れたのである。
この女中の証言を信じれば、姉は山村屋にいないのだろうか?
ここはやはり、権兵衛に確認する必要があるように思われた。
ただ、卯花はこの義理の兄のことをあまり好きではない。
老舗呉服屋のぼんぼんであることを鼻にかけ、いつも言動が高圧的なのだ。
とはいえ、そうも言っていられないのが現実。
卯花は、話のついでに、この女中に権兵衛を呼んでもらうことにする。
「女将さんがいないのであれば、こちらのご主人はご在宅でしょうか?」
「少々、お待ちください」
返事良く、女中が店の中に入って行くのだが、ほどなくして戻ってくると、「申し訳ございません。旦那さまも、ただ今、外出中でございます。」との返答だった。
何とも間が悪いことだが、こればかりは仕方ない。
戻るまで、待たせていただこうか卯花が迷っているところ、女中の様子がおかしいことに気づいた。
「何かあったのですか?」
「あの・・・他人の空似とは思えません。失礼ですが女将さんの縁戚の方でしょうか?」
別に隠すこともないので、卯花は素直に紫乃の妹だということを告げると、女中は、「そうですよね」と、納得する。
すると、周囲を見渡した後、少し声を落とすのだった。
「実は、旦那さまと女将さんが揉めていたようで・・・思えば、その後から姿が見えなくなっているんです」
「喧嘩になるような原因があったのかしら?」
「そこまでは、分かりませんが。茶器はどこだ?とかって、旦那さまが大声を出していたそうです」
姉に茶器のことを尋ねるとしたら、それは間違いなく父親の形見、『紫白一対の茶器』のことに違いない。
権兵衛は、その茶器をどうしようとしたのだろうか?
卯月は、直感的に、今、権兵衛に会わない方がいいような気がした。
女中に礼を言うと、急いで山村屋を後にする。
何か姉の身によくないことが起こっているのでないかと、漠然とした不安が広がっていくのだった。
しかし、現状、何をどうしていいか分からない。
情報がまったく足りていないのだ。
卯花が山村屋を離れて、角を曲がったところで、不意に男に声をかけられる。
柔和な顔つきだが、何とも怪しい雰囲気を漂わせている男だった。
「驚かせて、すません。私、烏屋という店で高利貸しを生業としている坂堂平次郎という者でございます」
高利貸しなどに用はない。卯花はますます警戒心を強めた。
「いやいや、何もあなたに危害を加えようって気はありません。ただ、紫乃さんにそっくりなお姉さんが山村屋さんから逃げるように離れて行ったもんで、ちょいとばかし気になりましてね」
「姉のことを知っているのですか?」
卯花がようやく聞く耳を持ってくれたようで、平次郎は順を追って話し始める。
紫乃のことを直接知っているわけではないが、どういった事情に巻き込まれているのかを説明するのだ。
「権兵衛さんと私の商売敵が手を組んで、さる御仁に取り入ろうとしているんですが、それが上手くいくと、私としては、あまり嬉しくないんですよ」
「それが姉と関係あるのですか?」
「ええ。何でも紫乃さんと貴方がお持ちの『紫白一対の茶器』を献上しようとしているんでございます」
これで、女中が言っていた話と一致した。また、狙いは紫乃だけではなく、卯花が持つ茶器もということになる。
だが、それでは姉は、どうしてしまったのだろうか?
まさか・・・
卯花は最悪の事態を想像するが、平次郎が否定する。
「仮に私が権兵衛さんの立場でしたら、貴方との最終交渉のために生かしておくはずです。ですから、そこは大丈夫だと思いますよ」
蛇の道は蛇ということか。平次郎の言うことには説得力があった。
だが、この男も自分を上手く利用して、『紫白一対の茶器』を手に入れようと企んでいる恐れが、一気に膨らむ。
「貴方を利用しようとしているのは確かですが、無体な真似はいたしませんよ。ここら辺で、女性相手にあくどいことをすれば、東慶寺さんが黙っていやせんから」
自身、それで一度、痛い目を見ていると、平次郎は正直に話した。
「東慶寺ですか」
「おおそうだ。東慶寺さんを上手いこと、巻き込みましょう。きっと、力になってくれるはずですよ」
東慶寺の噂は、卯花も聞いたことがある。弱い女性の味方をしてくれるという、幕府公認の縁切寺。
平次郎のことは、まだ、半信半疑だが東慶寺ならば、信用できると考えた。
そこで、卯花と平次郎は、どのようにして東慶寺の協力を得るか相談する。
その結果、卯花は紫乃と偽って、東慶寺に駆け込む作戦を取ることにしたのだった。
山村屋の前に、一人の女性が立っていた。それは紫乃の妹、卯花である。
店の人に声をかけようかと、山村屋に入ろうとする瞬間、逆に声をかけられて驚いた。
「女将さん、今までどちらにいらしてたんですか?心配しましたよ」
声の主を見ると、若い女の子である。山村屋の女中のようで、何かのお使いから帰ってきたところのように見受けられた。
卯花の事を『女将さん』と呼ぶあたり、どうやら、紫乃と勘違いしているようだ。
まぁ、それも致し方ない。
紫乃と卯花は、年子なのだが、昔から双子と間違われるほどそっくりで、地元では有名な美人姉妹だった。
「残念ながら、人違いよ」
「えっ、ごめんなさい」
女中は、自分の早とちりをすぐに謝罪した。確かに言われてみれば、目の前の女性は、いつも紫乃が着ている着物とは、様相が異なる。
「今のお話では、こちらの女将さんは、いらっしゃらないのかしら?」
「ええ。最近はお見掛けになっていません。体調が悪くて休んでいるのかとも思ったのですが、旦那さまの様子では、そうとも考えられないんですよ」
この女中の言葉に卯花は、やっぱりと納得した。
紫乃と卯花は、姉が婚姻した今でも、文通でお互いの近況を報告し合っている。
その姉からの便りが二週間ほど前で、ピタっと止まってしまった。
卯花が書いた手紙の返事もないため、心配になって山村屋を訪れたのである。
この女中の証言を信じれば、姉は山村屋にいないのだろうか?
ここはやはり、権兵衛に確認する必要があるように思われた。
ただ、卯花はこの義理の兄のことをあまり好きではない。
老舗呉服屋のぼんぼんであることを鼻にかけ、いつも言動が高圧的なのだ。
とはいえ、そうも言っていられないのが現実。
卯花は、話のついでに、この女中に権兵衛を呼んでもらうことにする。
「女将さんがいないのであれば、こちらのご主人はご在宅でしょうか?」
「少々、お待ちください」
返事良く、女中が店の中に入って行くのだが、ほどなくして戻ってくると、「申し訳ございません。旦那さまも、ただ今、外出中でございます。」との返答だった。
何とも間が悪いことだが、こればかりは仕方ない。
戻るまで、待たせていただこうか卯花が迷っているところ、女中の様子がおかしいことに気づいた。
「何かあったのですか?」
「あの・・・他人の空似とは思えません。失礼ですが女将さんの縁戚の方でしょうか?」
別に隠すこともないので、卯花は素直に紫乃の妹だということを告げると、女中は、「そうですよね」と、納得する。
すると、周囲を見渡した後、少し声を落とすのだった。
「実は、旦那さまと女将さんが揉めていたようで・・・思えば、その後から姿が見えなくなっているんです」
「喧嘩になるような原因があったのかしら?」
「そこまでは、分かりませんが。茶器はどこだ?とかって、旦那さまが大声を出していたそうです」
姉に茶器のことを尋ねるとしたら、それは間違いなく父親の形見、『紫白一対の茶器』のことに違いない。
権兵衛は、その茶器をどうしようとしたのだろうか?
卯月は、直感的に、今、権兵衛に会わない方がいいような気がした。
女中に礼を言うと、急いで山村屋を後にする。
何か姉の身によくないことが起こっているのでないかと、漠然とした不安が広がっていくのだった。
しかし、現状、何をどうしていいか分からない。
情報がまったく足りていないのだ。
卯花が山村屋を離れて、角を曲がったところで、不意に男に声をかけられる。
柔和な顔つきだが、何とも怪しい雰囲気を漂わせている男だった。
「驚かせて、すません。私、烏屋という店で高利貸しを生業としている坂堂平次郎という者でございます」
高利貸しなどに用はない。卯花はますます警戒心を強めた。
「いやいや、何もあなたに危害を加えようって気はありません。ただ、紫乃さんにそっくりなお姉さんが山村屋さんから逃げるように離れて行ったもんで、ちょいとばかし気になりましてね」
「姉のことを知っているのですか?」
卯花がようやく聞く耳を持ってくれたようで、平次郎は順を追って話し始める。
紫乃のことを直接知っているわけではないが、どういった事情に巻き込まれているのかを説明するのだ。
「権兵衛さんと私の商売敵が手を組んで、さる御仁に取り入ろうとしているんですが、それが上手くいくと、私としては、あまり嬉しくないんですよ」
「それが姉と関係あるのですか?」
「ええ。何でも紫乃さんと貴方がお持ちの『紫白一対の茶器』を献上しようとしているんでございます」
これで、女中が言っていた話と一致した。また、狙いは紫乃だけではなく、卯花が持つ茶器もということになる。
だが、それでは姉は、どうしてしまったのだろうか?
まさか・・・
卯花は最悪の事態を想像するが、平次郎が否定する。
「仮に私が権兵衛さんの立場でしたら、貴方との最終交渉のために生かしておくはずです。ですから、そこは大丈夫だと思いますよ」
蛇の道は蛇ということか。平次郎の言うことには説得力があった。
だが、この男も自分を上手く利用して、『紫白一対の茶器』を手に入れようと企んでいる恐れが、一気に膨らむ。
「貴方を利用しようとしているのは確かですが、無体な真似はいたしませんよ。ここら辺で、女性相手にあくどいことをすれば、東慶寺さんが黙っていやせんから」
自身、それで一度、痛い目を見ていると、平次郎は正直に話した。
「東慶寺ですか」
「おおそうだ。東慶寺さんを上手いこと、巻き込みましょう。きっと、力になってくれるはずですよ」
東慶寺の噂は、卯花も聞いたことがある。弱い女性の味方をしてくれるという、幕府公認の縁切寺。
平次郎のことは、まだ、半信半疑だが東慶寺ならば、信用できると考えた。
そこで、卯花と平次郎は、どのようにして東慶寺の協力を得るか相談する。
その結果、卯花は紫乃と偽って、東慶寺に駆け込む作戦を取ることにしたのだった。
3
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
戦国の華と徒花
三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。
付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。
そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。
二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。
しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。
悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。
※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません
【他サイト掲載:NOVEL DAYS】
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
転娘忍法帖
あきらつかさ
歴史・時代
時は江戸、四代将軍家綱の頃。
小国に仕える忍の息子・巽丸(たつみまる)はある時、侵入した曲者を追った先で、老忍者に謎の秘術を受ける。
どうにか生還したものの、目覚めた時には女の体になっていた。
国に渦巻く陰謀と、師となった忍に預けられた書を狙う者との戦いに翻弄される、ひとりの若忍者の運命は――――
渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)
牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる