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第4章 茶器と美しい姉妹 編

第36話 駆け込み女の正体

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「いつもご贔屓ひいきいただきまして、ありがとうございます」
威勢のいい権兵衛の声が山村屋に響きわたる。

たった今、常連の上客が帰るのを見送ったところだった。
顔は笑顔だったが、心の中では、『もっと高い品を買っていけよ』と毒づいている。

そんな権兵衛の元に丁稚でっちの少年がやって来た。
どうやら、接客が終わるのを待っていた様子で、少年はお店の外、少々、建物の陰になっているところを指さす。

「東慶寺の飛脚の方が旦那さまにご用のようで、あちらでお待ちです」
「東慶寺だと?」

権兵衛は、まったく身に覚えがないため、怪訝な表情をした。
ただ、丁稚の方は、最近、見かけない女将、紫乃がついに東慶寺に駆け込んだのだと、勝手に連想する。
その丁稚に案内させて、権兵衛は飛脚に会うことにした。

「私に何用でございましょう」
「お忙しい中、申しわけありません。東慶寺・寺役人、小栗右衛門殿より、この一週間以内に東慶寺に参られるよう書状が出ております。内容の検めお願いします」

権兵衛は飛脚から書簡を受け取ると、その表情が徐々に険しくなっていく。
書簡の中身を見ることは出来ないが、その状況から丁稚の連想は確信に変わるのだった。
飛脚が立ち去った後も権兵衛の近くで、所在なさげにしていた丁稚は、つい余計な一言を言ってしまう。

「旦那さま、やはり、女将さんが・・・」
「黙れ」

その丁稚の言葉を遮ると、権兵衛は書簡を握り潰した。
そして、東慶寺から飛脚が来たことを誰にも話すなと少年に念押しする。

権兵衛の異常なまでに凄みがある表情を、初めて見た丁稚は、必要以上に何度も頷くのだった。
息が止まる思いをしていると、権兵衛は店の中へと消えて行く。
そこで、やっと息を吹き返した。

「怖かったぁ」

山村屋に奉公に出て二年目となるが、こんな恐怖体験は初めてのことだった。
まだ、心臓がドキドキしながらも、いいネタを仕入れたとほくそ笑む。
切り替えの早い、この丁稚は、先ほどの怖い思いや権兵衛から口止めされていることなど、もう忘れていた。

好意を寄せる女中の娘へ、いい土産話が出来たと喜ぶのである。
これで、少しでも気が惹けたら、儲けもの。
少年は軽く口笛を吹きながら、仕事に戻るのだった。


奥座敷の中で権兵衛は、もう一度、東慶寺からの書簡をじっくりと見つめる。
その中身は、あの丁稚が想像した通り、紫乃が東慶寺に駆け込みを行ったことと関係していた。

しかし、そんなことはあり得ない事を権兵衛は、知っている。
何故なら、紫乃が東慶寺に行くことは、絶対に不可能だからだ。

では、誰かが紫乃の名を語って、駆け込みを行っていることになる。
権兵衛は考え込むが、思い浮かぶ人物は一人しかいなかった。

それは三日ほど前になるが、山村屋を訪れたという紫乃の妹、卯花うつぎで他ならない。
権兵衛は、丁度、留守にしていて会えなかったのだが、こんなことをするのは彼女以外では、考えられなかった。

紫乃と卯花は、非常に中の良い姉妹。
常に文で、連絡を取り合っているようだった。
その紫乃の手紙が止まったことを不審に思い、山村屋を訪ねて来たのだろう。

「くっくっく」

権兵衛は笑いが止まらなくなった。
飛んで火にいる夏の虫とは、まさにこのことである。

権兵衛が欲している茶器の片方は、卯花が所持しているはずだからだ。
向こうから近づいてくるのであれば、喜んで掠め取ってやろうと算段する。

東慶寺に駆け込んだということで、卯花の所在は知れた。
この書状では、柏屋に行くよう指示があるため、そこにいるので間違いない。

となれば、いかようにも打つ手はあるのだ。
権兵衛は、もう茶器を手に入れた気になって、有頂天となる。
思わず鼻歌まで出る始末。

『おっと、優しい俺は、あいつにこの事を教えてやらないとな』

何かを思いついた権兵衛は、この山村屋、代々の店主しか知らない隠し扉の前に立った。
近くに誰もいないことを確認して、そっと扉を開くと、そのまま奥へと消えて行く。
その奥にいる人物に会いに行ったのだ。

格子越しに人の気配を感じ、その場にいた人物は身構える。
すると、権兵衛がため息を漏らした。

「おいおい、亭主が会いに来てやったというのに、何て顔をするんだよ」
「このような仕打ちをしておいて、今さら、亭主面をするのですか」

権兵衛を非難したのは、座敷牢に入れられている紫乃だった。
紫乃は大切な茶器を権兵衛に取り上げられた後、この座敷牢に放り込まれたのである。

そうなったのは、妹を呼び出せという権兵衛の要求に応じなかったという、あまりにも身勝手な理由からだった。
だが・・・

「無駄な抵抗だったな」

権兵衛は、そう言って東慶寺からの書簡を紫乃に見せる。
そこには東慶寺にいるはずのない自分の名前で、権兵衛を呼び出す内容が書かれていた。
紫乃は、すぐに卯花の仕業だと気付く。

「あの子、無茶なことをして・・・」

できれば、権兵衛の手の届かない遠くに逃げてほしかったが、その連絡の手段がなかった。
逆に、その連絡がとれないことで、卯花を近づけてしまったのだろう。

「どうか、お願いいたします。妹にだけは、乱暴なことをしないで下さい」
「まぁ、それは相手次第だ」

権兵衛の下品な笑い声が、座敷牢の中にこだまするのだった。
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