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第3章 家光の元服 編

第23話 竹千代を狙う刺客

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天秀との対話の後、竹千代の顔が明らかに晴れやかなものに変わった。
何か自分の目指す先をみつけたかのように感じる。
それは、いつも一緒にいる信綱や正勝が、そう確信するほど明らかな変化であった。

当初、天秀と会うことに疑問を感じていた信綱や正勝も、わざわざ鎌倉まで、足を運んだ甲斐があったと納得する。
短い会談ではあったが、苦労に見合う、いやそれ以上の収穫を得たのだった。

「それでは、世話になったな」

柏屋の外で竹千代からの挨拶を受けて、一堂、深くお辞儀をする。
来訪時には、随分、驚かされたが、何とも気持ちのいい別れとなった。

天秀が顔を上げた時、東慶寺の帰りにすれ違った薬売りが、丁度、歩いてくるのが見える。
そう言えば、あの時、感じた違和感は・・・・と思い出して、ハッとした。

『あの人から、薬草の匂いがまったくしなかった・・・』

妙な胸騒ぎが起こり、その薬売りを凝視すると、何か不自然な動作を始める。
手にしていた杖の持ち方を変えたのだ。

「危ない。お逃げください」
その杖は、仕込み杖なのか、竹千代に近づいた瞬間、光輝く。抜き身に陽の光が反射したのだ。

その刹那、甲斐姫が人とは思えぬ早さで飛び出す。
「信綱、正勝。竹千代を守れ」

甲斐姫の声に反応した信綱と正勝は、咄嗟に刀を抜いて周囲を見渡した。そこで、薬売りの接近に気づいた正勝が初撃を防ぐ。

「よう、やった」

甲斐姫が薬売りに斬撃を食らわしながら、正勝を褒めた。しかし、刺客はこの薬売りだけではなかったのである。
町人に扮していた者たちが、次々と刀を抜いて構えだした。その人数は、七人。

しかも相当の手練れたちのようだ。
甲斐姫の一撃を、この薬売りが見事に受け止めたことで、相手方の技量が相当高いと推量できる。

「妾がこやつを仕留めるまで、持ちこたえるのじゃ」

信綱と正勝は竹千代を囲んで、何とか防御に徹するのだが、この人数の差を埋めるのは、どう見ても至難の技だ。
仕方なく、天秀も帯から短刀を抜き取る。

「天秀、お主じゃ、まだ無理じゃ。こやつら、恐らく裏柳生ぞ。佐与、右衛門を呼べ」

甲斐姫自ら、増援を求めるのは珍しいことだ。よほどの相手なのだろう。
佐与は指示に従って、寺役所へと走り出した。

天秀は、手を出せない自分をもどかしく感じる。
だが、足手まといとなれば、更に状況が悪化するのだ。
今回ばかりは、指をくわえて見ているしかない。

白昼の刃傷沙汰に、辺りは騒然としだし、やじ馬が増えて来た。
侍たちのちゃんばら劇を遠巻きにして、観戦し始めるのである。

「危ないから、皆さん、後ろに下がって」

人が増えたせいか、押されるように観衆の輪が、段々と小さくなっていく。
これでは、巻き込まれて、怪我をする人が出るかもしれなかった。

天秀が周りに気を配る中、観衆の列を移動して徐々に竹千代に近づく人物がいるのに気がつく。
信綱も正勝も、その人物の接近には反応していない様子。

天秀は、注意を促す声を上げるが、観衆の喧騒にかき消されてしまった。
こうなれば、他に手はない。天秀は意を決して、輪の中心に飛び込んだ。

そして、その不審な男めがけて、包みに入れたままの短刀を投げつける。
それは、まさに背後から竹千代の命を狙おうと、男が一歩、踏み込んだ瞬間だった。

「うっ」

天秀が投じた短刀は、刺客の目に当たり、男がもんどりを打って倒れる。
危うく竹千代の命が取られるところ、天秀が救ったのだった。

このおとり作戦を台無しにされたことで、刺客たちの視線が天秀に集中する。
怒りに満ちた一人の男が刀を振り上げた。そのまま、天秀に向かって、突進して来たのである。
立ち向かうための得物がない天秀が、避けられないと思った瞬間、血飛沫が舞った。

「きゃあ」

誰かの悲鳴が聞こえた後、刺客の男は倒れて、宙を舞った刀が地に刺さる。

「投擲《とうてき》、見事でしたよ」

天秀の前には、駆けつけてくれた右衛門が息を弾ませていた。
凶刃が天秀に届く寸前で、応援が間に合ったのである。

右衛門は刺客の刃を刀で巻き上げた後、無防備となった胴に薙ぎ払いを決めたのだ。
甲斐姫も認める剣技の真骨頂といったところ。
右衛門が、一人、仕留めた時、丁度、甲斐姫も薬売りを葬り去る。これで、勝利がグイと近づいた。

「右衛門よ。大将首の守りは、信綱と正勝に任せて、敵を我らで殲滅するぞえ」

詳しい話を聞いていなかった右衛門が、その大将首とやらを見て驚くが、すぐに集中力を戻す。
二人の大立ち回りで、あらかた敵を斬り伏せると、任務の失敗を悟ったのか、残った刺客は毒を含んで自決した。

そんな中、天秀に目を負傷させられて苦しんでいた男が、突然、立ち上がって、走り出す。
しかし、方向が悪かった。そこには右衛門が待ち構えている。

、見逃せ」
「え?」

刺客に名を呼ばれると、右衛門の動きが止まった。その横を刺客が素通りで走り抜けて行く。
一瞬の間があった後、追っても無理と判断した右衛門は、振り返ることもせずに刀を鞘に収めるのだった。

「相手は裏柳生じゃった。知り合いかえ?」
「さあ。変装をしているので、声だけでは分かりませんでした」

裏柳生とは、柳生の厳しい稽古について来られなかった者や、師匠から破門を言い渡された者たちの集団のことである。
今日のように金で雇われて、汚い仕事などを請け負っている者たちもいるのだった。

その中に、かつての同門がいたとしてもおかしくない。
それに・・・

「天秀、助かったぞ。感謝する」

右衛門が考え込んでいると、そこに竹千代の声が響いた。
甲斐姫などの活躍も大きいが、刺客のことを最初に気づいたのは天秀であり、何と言っても直接、竹千代の命を救ったのも天秀である。

信綱は元より、天秀に対してきつく当たっていた正勝でさえ、その活躍は認めるところ。主従揃って、感謝を示した。

危機を脱した安心からか、和やかな雰囲気になった一堂、その前に観衆をかき分けて一台の豪華な籠が到着する。
その籠には、徳川の『葵の紋』がほどこされており、中から出て来た人物に皆、驚くのだった。
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