上 下
7 / 134
第1章 豊臣家の終焉 編

第6話 甲斐姫の不覚

しおりを挟む
大阪城が落城し、秀頼自決の報が四方に伝わると、その残党狩りの激しさは更に増すのだった。
二人で逃げる奈阿姫と甲斐姫の前にも徳川方の兵が立ち塞がる。

「人相書きの通りだ。あの二人を捕捉せよ」
指揮官らしき者が指示をすると、五、六人の槍を持った兵が二人に迫った。

それにしても、もう人相書きが出回っているとは、徳川の対応の早さには、さすがと言わざるを得ない。
甲斐姫は、心の中で家康の手腕を称賛した。

かといって、大人しく捕まってあげるつもりは、毛頭ないのだが・・・。
素早い動きで、二人を瞬殺すると、残りの雑兵は尻込みした状態となる。

「何をしている。相手は四十を過ぎた『ばばぁ』だ。全員で取囲め」
この指揮官は、残りの十名程度の兵も投入し、甲斐姫を捕らえようとした。
しかし、指揮官の部下への叱咤は、彼女の逆鱗に触れたようである。

「失礼な。妾は、まだ三十路前じゃ」

甲斐姫は刹那の動きで、次々と敵兵を斬り伏せていった。
兵が残りわずかとなり、旗色が悪いと見ると指揮官の男は、尻尾を巻いて逃げ出す。
それに倣って、残りの者たちも槍を捨てて走り出して行った。

見送る甲斐姫は、深追いすることはせず、自分の着衣の乱れを直すのである。
これまでに何度か襲撃にあったが、それら全てを甲斐姫は一人で撃退していた。

奈阿姫は、道中、甲斐姫が戦国最強の女傑と呼ばれていると聞いたが、その言葉に偽りはないと、感想を漏らす。
ただ、一点だけ、気になることがあった。

「あの確か甲斐姫さまは、御年四十おんとししじゅう・・・・」
奈阿姫が話している途中で、その口を甲斐姫が塞ぐ。

驚いている奈阿姫に、
「奈阿よ。女性の年齢を軽はずみに言うでない。それに人間、思い込めば、意外とその通りになるものじゃ。妾は、まだまだ二十代よ」と、甲斐姫が割と真剣な表情で諭した。

頷く奈阿姫は、それ以降、甲斐姫の年齢のことは、口のするのを止める。
まぁ、二十代といっても通用するだけの美貌と若々しさは、確かに甲斐姫にはあった。
余計な虎の尻尾は、踏まないに限るのである。

二人はあてもなく逃げていたのだが、思いがけず進路を北にとっていたようだ。
今まで、歩いた距離を勘案すると、そろそろ若狭国わかさこくに入りそうである。

そこで、甲斐姫が思い立つのは常高院じょうこういんの存在だった。
彼女は大阪の陣で豊臣の使者となり、和議を成立させた人物である。

また、奈阿姫の兄である国松丸も、一時、若狭国小浜藩おばまはんで庇護されていたと聞く。
今、この窮地を救ってくれるのではないかと思われた。

淀君と懇意にしていた甲斐姫は、常高院とも面識はある。
不慣れな長旅で疲れを見せる奈阿姫のためにも、一度、休息は必要だった。
二人は京極家に向かって足を向けることにする。

小浜城を訪れると、城主の京極忠高きょうごくただたかは上機嫌で、二人を出迎えた。
甲斐姫は、すぐに常高院との面会を求めるが、あいにくと不在という話。
いずれにせよ、しばしの逗留とうりゅうを求めると、忠高は快諾するのでる。

すぐに食事が用意され、それが済むと甲斐姫には旅塵りょじんを払うよう湯浴みが勧められた。
奈阿姫にも別に用意されているようで、二人はしばし別れることになる。

久しぶりにゆっくりとした甲斐姫は、その見事に均整がとれた肢体を湯船の中で伸ばした。
そこで旅の疲れが出たのか、軽くうたた寝をしてしまう。

顔が湯面に浸かり、溺れそうになったところで目が覚めた。
すると、若干の頭痛が残ることに、ハッとする。

「しまった。これは、忠高にしてやられたか」

甲斐姫が、慌てて浴場から飛び出すと、置いてあったはずの自分の着物がない。そして、愛刀『浪切なみきり』もなくなっているのだ。

ここに至り、完全に京極忠高に謀られたことを確信する。
そうなると奈阿姫の身が危ない。

『おのれ、薬を盛るとは卑怯な。・・・いや、これは妾の失態か』

手近にあった浴衣を羽織ると、小浜城内、大声でわめきながら闊歩した。
「卑怯者の忠高よ。今すぐ、参上し妾に、その首を差出すのじゃ」

甲斐姫に気づかれることは承知していたため、すぐに城兵たちがやって来る。
丸腰の女性相手に、遠巻きにして囲むのだ。
これも甲斐姫の伝説があってのことか、兵たちはどこか及び腰である。

「奈阿姫はすでに、この城にいない。無駄なことは止めて観念するのだ」
「無駄かどうかを決めるのは、妾の方じゃ」

甲斐姫は素手でも城兵たちを圧倒した。あっという間に歯向かった者たちは、総崩れとなる。
そして、先ほど、勧告を言い渡した男を甲斐姫は捕まえるのだった。

「それで、奈阿はどこに連れていったのじゃ?」
「そ、それは言えぬ。・・・くっ」

男は甲斐姫に腕を捻じ曲げられ、苦悶の表情を浮かべるが、口は割らない。
仕方なく、腕の一本、もらい受けようと力を込めたその時、
「お止めください。甲斐姫殿、ご無礼を申し訳ございません」と、常高院が姿を現した。

「これは常高院殿も一枚噛んでおったとは、妾の眼力も落ちたものよ」
その言葉に常高院は目を伏せる。そして、床に三つ指を揃えるのだった。

「国松丸さまの件で、京極家は苦境の立場におります。これは止むに止まれぬ処置でございました」
「淀殿の前でも、そう言い放つことができるのかえ?」

常高院は唇を噛んで、返す言葉を失う。
だが、常高院にも譲れない決意はあった。

「奈阿姫の身柄は徳川に渡しますが、そのお命は私が必ず守ります。それこそ、京極家の意地にかけて、果たします」
「ふむ」

奈阿姫がとっくに連れ去られているのであれば、今から追うのも不可能であろう。
どうやら、ここら辺が潮時のようだ。

「なれば、今は常高院殿の言葉を信じよう。・・・誰か、妾の着物と浪切を持ってくるのじゃ」

その言葉にホッとした常高院は、すぐに手配をする。
物が届くと甲斐姫は惜しげもなく、その場で溜息が出るほどに見事な裸体をさらして、身なりを整えた。

普段着に戻った甲斐姫は、浪切の一部を鞘から出して刀に誓う。
「もし、奈阿の身に何かあったら、京極家を皆殺しにして家康を討つ」
その言葉に小浜城全体がおののくのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

転娘忍法帖

あきらつかさ
歴史・時代
時は江戸、四代将軍家綱の頃。 小国に仕える忍の息子・巽丸(たつみまる)はある時、侵入した曲者を追った先で、老忍者に謎の秘術を受ける。 どうにか生還したものの、目覚めた時には女の体になっていた。 国に渦巻く陰謀と、師となった忍に預けられた書を狙う者との戦いに翻弄される、ひとりの若忍者の運命は――――

仇討浪人と座頭梅一

克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

処理中です...