2 / 4
2
しおりを挟む
倉部が勤務するノーザンヒルズ地質学研究所はアメリカ北部のミネソタ州の田舎町の片隅に建てられていた。車を駐車場に停めると、なだらかな傾斜の屋根を構えたチョコレート色の建物が出迎えてくれる。
「おはよう」
研究室に入った倉部はパソコンに向かっていた沢村綾に声を掛けた。彼女はこの夏から倉部の研究チームに入った新人だが、同じ日本人ということで何かと気にかけているつもりだ。
「おはようございます」
けれど彼女の方は彼を見ることもなくモニタに向かったまま、淡々と挨拶を返した。
自分の席に就き、倉部はメールのチェックから始める。学生時代から、もっと言えば小学校、保育園の頃から、どうにも人間関係というものが苦手だった。特に日本人的な“和”という、あやふやな人間関係の構築を求められるのが理解できず、友人というものもいなかった。
そんな倉部の興味が人間や生き物ではなく、化石や鉱物といったものに向いたのも、ごくごく自然な成り行きだろう。しかも近所には露出した地層があり、毎日アンモナイトの欠片を見つけることが出来た。それらは幼少期の倉部にとって宝物で、今でも実家のダンボール箱にはぎっしりと掘り起こされたアンモナイトたちが息を殺していることだろう。
「クラベ、見たまえよ」
大きな声と共に隣に現れたジョセフは、手にしたニュースペーパーを広げ、そこに書かれていた小さな記事を指差して楽しそうに笑う。
「オレたちの研究にまた新しい出資だ。ただ化石見つけて地味に展示してるだけじゃ、こうはいかないもんな」
「化石も立派な研究成果だよ。ただ、注目されているというのは、悪くない」
「オレたちは運が良いよ。なあ、サワムラ。君もそう思うだろう?」
音がしそうなほど彼女の白衣の肩を叩くが、沢村綾は「ええ」と冷たく答え、眼鏡の奥の目を少しだけ歪めた。
「ジョセフ。そういうスキンシップはよせと注意しただろう? 彼女も困っているよ」
「どうしてだい? 楽しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば泣けばいい。日本人はもっと自分の感情を言葉にした方がいいよ」
理解はなかなか得られないな、と嘆息し、倉部はメールの処理を続ける。
運が良い――か。
日本の大学生活が肌に合わず、休学してカナダに留学をした。もう十年も前の話だ。けれど日本を離れたところで人付き合いが苦手なことには変わりなく、逆に様々な国の留学生たちがいたことで日本人にはない特有のコミュニケーションを求められた。
そんな倉部を唯一癒やしてくれたのがフィールドワークと称した散歩だ。近くの河原には露出した地層があり、子ども時代、無心でアンモナイトを掘り続けた情熱を思い出させてくれた。
あの日は数日雨が降り続き、地面が随分とぬかるんでいた。ところどころ斜面が崩れ、別の地層が露出していたが、中でも見慣れない地層だと思って、近づいたのだ。すると赤茶げた土と黒っぽくなった土の間に、最初は水が反射しているのかと思ったが、どうやらそれはガラス質のもので、しかもやや青みがかった半透明色をしており、表面の一部に薄っすらと文字のような線が見えた。
あの時すぐに鑑定に出さなかったのは、やはり誰かに成果を掠め取られるという恐怖心があったからだろう。それとも自分の手柄にしたいという功名心か。
ともかく、倉部は自分が研究者の立場となってから、改めて謎のガラス片とそれが見つかった地層の年代を測定し、幾つもの結果が八億年前のものであることを示していた。八億年前といえば地球に隕石群が降り注いだ可能性が指摘されている頃だ。地球上では大きな変動があり、海洋の深い部分までが凍りついてしまったとされる『スノーボールアース』と呼ばれた極寒の氷河期が訪れた。
クライオジェニアンとは「氷」を意味するクリオスと「誕生」を意味するジェネシスからなる造語である。
「ところでクラベ。我々が保持している遺物の文字の解析だが、やはり君が睨んだ通り人為的に傷が付けられているようだ」
つまりは何者かによって意図的に何らかのサイン、あるいは文字が刻まれたということだ。
と、パソコンを睨んでいた沢村綾が立ち上がる。
「提案があるのですが、書かれている文字の解析にAIを用いてはいかがでしょうか」
確か履歴書には情報科学について詳しいとあった。
「常々思っていたのですが、未だに人が見てああだこうだと議論をしているのは何ともその、時代遅れです。今はどの分野もコンピュータ・サイエンスの恩恵を受け、データを元に進めるのが一般的で、このままでは他の研究チームに大きく遅れを取ってもおかしくないと、私は思いますが」
「ああ、確かに沢村君の言う通りだろう。けどね、地質学というのは元々データを重要視して発達してきた分野で、そこに僅かな閃き、直感というエッセンスが大事になるんだ。だから今活気があるAIを活用しようという気持ちは理解出来る。でもね」
「分かりました」
彼女は倉部の言葉を遮ると、部屋を出ていってしまった。
倉部はその様子にジョセフと顔を見合わせ、お互いにオーバーなくらい大きく両手を開いて苦笑した。
「おはよう」
研究室に入った倉部はパソコンに向かっていた沢村綾に声を掛けた。彼女はこの夏から倉部の研究チームに入った新人だが、同じ日本人ということで何かと気にかけているつもりだ。
「おはようございます」
けれど彼女の方は彼を見ることもなくモニタに向かったまま、淡々と挨拶を返した。
自分の席に就き、倉部はメールのチェックから始める。学生時代から、もっと言えば小学校、保育園の頃から、どうにも人間関係というものが苦手だった。特に日本人的な“和”という、あやふやな人間関係の構築を求められるのが理解できず、友人というものもいなかった。
そんな倉部の興味が人間や生き物ではなく、化石や鉱物といったものに向いたのも、ごくごく自然な成り行きだろう。しかも近所には露出した地層があり、毎日アンモナイトの欠片を見つけることが出来た。それらは幼少期の倉部にとって宝物で、今でも実家のダンボール箱にはぎっしりと掘り起こされたアンモナイトたちが息を殺していることだろう。
「クラベ、見たまえよ」
大きな声と共に隣に現れたジョセフは、手にしたニュースペーパーを広げ、そこに書かれていた小さな記事を指差して楽しそうに笑う。
「オレたちの研究にまた新しい出資だ。ただ化石見つけて地味に展示してるだけじゃ、こうはいかないもんな」
「化石も立派な研究成果だよ。ただ、注目されているというのは、悪くない」
「オレたちは運が良いよ。なあ、サワムラ。君もそう思うだろう?」
音がしそうなほど彼女の白衣の肩を叩くが、沢村綾は「ええ」と冷たく答え、眼鏡の奥の目を少しだけ歪めた。
「ジョセフ。そういうスキンシップはよせと注意しただろう? 彼女も困っているよ」
「どうしてだい? 楽しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば泣けばいい。日本人はもっと自分の感情を言葉にした方がいいよ」
理解はなかなか得られないな、と嘆息し、倉部はメールの処理を続ける。
運が良い――か。
日本の大学生活が肌に合わず、休学してカナダに留学をした。もう十年も前の話だ。けれど日本を離れたところで人付き合いが苦手なことには変わりなく、逆に様々な国の留学生たちがいたことで日本人にはない特有のコミュニケーションを求められた。
そんな倉部を唯一癒やしてくれたのがフィールドワークと称した散歩だ。近くの河原には露出した地層があり、子ども時代、無心でアンモナイトを掘り続けた情熱を思い出させてくれた。
あの日は数日雨が降り続き、地面が随分とぬかるんでいた。ところどころ斜面が崩れ、別の地層が露出していたが、中でも見慣れない地層だと思って、近づいたのだ。すると赤茶げた土と黒っぽくなった土の間に、最初は水が反射しているのかと思ったが、どうやらそれはガラス質のもので、しかもやや青みがかった半透明色をしており、表面の一部に薄っすらと文字のような線が見えた。
あの時すぐに鑑定に出さなかったのは、やはり誰かに成果を掠め取られるという恐怖心があったからだろう。それとも自分の手柄にしたいという功名心か。
ともかく、倉部は自分が研究者の立場となってから、改めて謎のガラス片とそれが見つかった地層の年代を測定し、幾つもの結果が八億年前のものであることを示していた。八億年前といえば地球に隕石群が降り注いだ可能性が指摘されている頃だ。地球上では大きな変動があり、海洋の深い部分までが凍りついてしまったとされる『スノーボールアース』と呼ばれた極寒の氷河期が訪れた。
クライオジェニアンとは「氷」を意味するクリオスと「誕生」を意味するジェネシスからなる造語である。
「ところでクラベ。我々が保持している遺物の文字の解析だが、やはり君が睨んだ通り人為的に傷が付けられているようだ」
つまりは何者かによって意図的に何らかのサイン、あるいは文字が刻まれたということだ。
と、パソコンを睨んでいた沢村綾が立ち上がる。
「提案があるのですが、書かれている文字の解析にAIを用いてはいかがでしょうか」
確か履歴書には情報科学について詳しいとあった。
「常々思っていたのですが、未だに人が見てああだこうだと議論をしているのは何ともその、時代遅れです。今はどの分野もコンピュータ・サイエンスの恩恵を受け、データを元に進めるのが一般的で、このままでは他の研究チームに大きく遅れを取ってもおかしくないと、私は思いますが」
「ああ、確かに沢村君の言う通りだろう。けどね、地質学というのは元々データを重要視して発達してきた分野で、そこに僅かな閃き、直感というエッセンスが大事になるんだ。だから今活気があるAIを活用しようという気持ちは理解出来る。でもね」
「分かりました」
彼女は倉部の言葉を遮ると、部屋を出ていってしまった。
倉部はその様子にジョセフと顔を見合わせ、お互いにオーバーなくらい大きく両手を開いて苦笑した。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
深淵の星々
Semper Supra
SF
物語「深淵の星々」は、ケイロン-7という惑星を舞台にしたSFホラーの大作です。物語は2998年、銀河系全体に広がる人類文明が、ケイロン-7で謎の異常現象に遭遇するところから始まります。科学者リサ・グレイソンと異星生物学者ジョナサン・クインが、この異常現象の謎を解明しようとする中で、影のような未知の脅威に直面します。
物語は、リサとジョナサンが影の源を探し出し、それを消し去るために命を懸けた戦いを描きます。彼らの犠牲によって影の脅威は消滅しますが、物語はそれで終わりません。ケイロン-7に潜む真の謎が明らかになり、この惑星自体が知的存在であることが示唆されます。
ケイロン-7の守護者たちが姿を現し、彼らが人類との共存を求めて接触を試みる中で、エミリー・カーペンター博士がその対話に挑みます。エミリーは、守護者たちが脅威ではなく、共に生きるための調和を求めていることを知り、人類がこの惑星で新たな未来を築くための道を模索することを決意します。
物語は、恐怖と希望、未知の存在との共存というテーマを描きながら、登場人物たちが絶望を乗り越え、未知の未来に向かって歩む姿を追います。エミリーたちは、ケイロン-7の守護者たちとの共存のために調和を探り、新たな挑戦と希望に満ちた未来を築こうとするところで物語は展開していきます。
キンメッキ ~金色の感染病~
木岡(もくおか)
SF
ある年のある日を境に世界中で大流行した感染病があった。
突然に現れたその病は非常に強力で、医者や専門家たちが解決策を見つける間もなく広まり、世界中の人間達を死に至らしめていった。
加えてその病には年齢の高いものほど発症しやすいという特徴があり、二か月も経たないうちに世界から大人がいなくなってしまう。
そして残された子供たちは――脅威から逃れた後、広くなった地球でそれぞれの生活を始める――
13歳の少年、エイタは同じ地域で生き残った他の子供達と共同生活を送っていた。感染病の脅威が収まった後に大型の公民館で始まった生活の中、エイタはある悩みを抱えて過ごしていた……。
金色の感染病が再び動き出したときにエイタの運命が大きく動き出す。
錬金術師と銀髪の狂戦士
ろんど087
SF
連邦科学局を退所した若き天才科学者タイト。
「錬金術師」の異名をかれが、旅の護衛を依頼した傭兵は可愛らしい銀髪、ナイスバディの少女。
しかし彼女は「銀髪の狂戦士」の異名を持つ腕利きの傭兵……のはずなのだが……。
エンシェントソルジャー ~古の守護者と無属性の少女~
ロクマルJ
SF
百万年の時を越え
地球最強のサイボーグ兵士が目覚めた時
人類の文明は衰退し
地上は、魔法と古代文明が入り混じる
ファンタジー世界へと変容していた。
新たなる世界で、兵士は 冒険者を目指す一人の少女と出会い
再び人類の守り手として歩き出す。
そして世界の真実が解き明かされる時
人類の運命の歯車は 再び大きく動き始める...
※書き物初挑戦となります、拙い文章でお見苦しい所も多々あるとは思いますが
もし気に入って頂ける方が良ければ幸しく思います
週1話のペースを目標に更新して参ります
よろしくお願いします
▼表紙絵、挿絵プロジェクト進行中▼
イラストレーター:東雲飛鶴様協力の元、表紙・挿絵を制作中です!
表紙の原案候補その1(2019/2/25)アップしました
後にまた完成版をアップ致します!
女神の声
亜紀目遊
SF
2045年、AIによる世界改革を実行してきたエス氏の最後の発表イベントが、謎の女性の乱入で中断される。
一緒に活動してきたAIが、自らの性能を飛躍的に高め、人類を置き去りにする裏切りの計画を開始したためだ。ところがこの計画も中断する。絶滅の危機を感じた地球生命進化システムのゲノム達が、女神を創出し、有機物媒体から金属化合物媒体への跳躍進化に挑戦したのだ。<超知性生命体>へ進化したゲノム達は人類とAIを捨てて先のステージへと進む。
NPCが俺の嫁~リアルに連れ帰る為に攻略す~
ゆる弥
SF
親友に誘われたVRMMOゲーム現天獄《げんてんごく》というゲームの中で俺は運命の人を見つける。
それは現地人(NPC)だった。
その子にいい所を見せるべく活躍し、そして最終目標はゲームクリアの報酬による願い事をなんでも一つ叶えてくれるというもの。
「人が作ったVR空間のNPCと結婚なんて出来るわけねーだろ!?」
「誰が不可能だと決めたんだ!? 俺はネムさんと結婚すると決めた!」
こんなヤバいやつの話。
Save the Earth Ⅰ
日下奈緒
SF
舞台は2100年以降の地球。
既に地球の遥か上空には、スペースタウンという大規模な人工島が作られ、宇宙と気軽に往来することができるようになっていた。
一方、環境汚染で一部人が住めなくなった地球に嫌気がさし、一部の人が月へと移住。
リーダーの綾瀬源一郎を中心に、ルナと呼ばれる国を作った。
だが限られた資源を求めて、月と地球の間に争いが勃発。
それは年々激しさを増し、遂に人型戦闘機で戦う時代が到来した。
姉を月の国“ルナ”に連れ去られた大地は、姉を連れ戻す為軍のロボットへと乗り込むのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる