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転生3
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ささやかなお茶会の大半は未央と猛田による、蘇芳エルザへの俺の暴露話だった。半ばいい加減にしてくれと思いつつも、蘇芳さんが笑みを絶やさずに聞いていてくれたので、そこまで心のダメージは負っていない、はずだ。
人には誰でも一つや二つ、他人には話したくない過去がある。それを黒歴史なんて呼んだりするが、結局若気の至りで羞恥心を刺激される思い出の一つでしかなく、本当に話したくないことというのとはまた違うと思う。話したくない、いや、話せないことというのは、まだ本人ですらちゃんと消化できておらず、思い出にすらなっていない出来事のことだ。
俺はそういうものを持っている。そのはずだ。ただそれを思い出そうとすると記憶が曖昧で、模糊として形にならず、いつも気を失ってしまう。
「な、本能寺」
「だからその呼び名はやめろっての。聞いてる方もあまりいい思いはしないだろう?」
からかってくる相手が限度を知らないと実際に火をつけてしまうようなことも起こり得る。だからこそ俺は普段から自分だけでなく相手に対しても適度な距離を保つよう求めるのだ。痛みを知らないなら、少しくらい痛い目を見せる必要がある。そう考えている。
「ところで、その本能寺というのはどんなお寺なんでしょうか」
日本人なら誰もが耳にしたことのあるその有名な寺名も、異国の人間からすれば耳慣れない言葉だろう。
「本能寺ってどこだ?」
「京都だよ」
「えー、そうなのか?」
「織田信長が焼かれたくらいしか知らない。あー、あと明智光秀だっけ」
本能寺というのは初め『本応寺』として建てられた寺だ。その後何度か焼け、その度に再建しており、現在京都にあるものは昭和初期に建てられたものだ。場所も本能寺の変があった時とは変わっている。
よく史実としてもフィクションとしても取り上げられる本能寺の変だが、織田信長の家臣であった明智光秀の謀反により信長自らが寺に火を放ち、自害したというのが有力な一説である。
けれど信長の遺体も首も見つけられなかったことから、信長生存説もまことしやかに囁かれ、またキリスト教を庇護したという経緯からは神になったのだという言説も一部には存在した。他方で何故明智光秀が謀反に至ったのかということについては定説がなく、これもこの事件を謎めいたものにしている要因となっている。
「ただこの本能寺の変により当時最大の権力者だった織田信長が死亡し、歴史は大きく動いていく。その後豊臣秀吉、そして徳川家康と続き、長きに渡る江戸時代が始まるまで僅か十年足らずだ。歴史が大きく変わる時にはこういったやや不可解とも思える事件が起こることが多いが、そういうものなんだろうな」
ほえー、と相変わらずの馬鹿面で感心している猛田とは異なり、蘇芳エルザは真面目に俺の話を聞いていた。
「歴史」
と何度も繰り返し、眉を寄せて考え込む。
「でもさー、戦国時代って強い人が正義だったんでしょう? 喧嘩が強ければいいっていうの、なんだかすごく野蛮」
「そうは言っても正論ぶったところで相手が刀や鉄砲持ち出してきたらどうする? 武器を捨てて話し合おうじゃないかと手を差し出したところにズドンだ」
「もし、ですが」
未央が口を尖らせたところで、蘇芳さんが小さく手を挙げた。
「何だい?」
「もし凰寺さまが一国の主であったとして、他国が武力をもって攻めてきた時にはどのようにして対処なされるでしょうか。やはり力には力を?」
「仮定にしても条件が不足し過ぎていて簡単には答えられないが、基本方針は戦わずに済む方法を探す」
「それは何故?」
「犠牲のない戦いというのはあり得ない。自分の国が百名でも千名でも、もっと多くても、必ず犠牲が出る。どんなに強大な武力を有していたとしてもだ。それは相手も勿論そうで、力と力をぶつけたところで、その先にある勝利の下には山ほどの死体が埋もれることになる。そこまでして得られるものは何だろうか。残った奴らの幸せか? 平和か? それとも相手の国の領土や食料、資産か? それと犠牲者を交換したと考えれば、どれほど愚かなことだったか分かると思う」
どうだろうか。
蘇芳エルザが何故そんな質問を俺に投げ掛けたのかは分からない。ただ彼女は俺の言葉一つ一つに対し、頷き、咀嚼するように考え込み、最後には笑顔を取り戻した。
「やはり信永さまですね……あ、凰寺さま」
「いいよ、もう。信永で。こいつらも信永って呼んでるし、蘇芳さんも困るだろう?」
「だって信永は信永じゃん」
「そうだよ。信永を凰寺君なんて呼んだら、なんか背筋が痒くなる」
本当はずっとそう呼びたかったのだろう。彼女が俺の名前を口にしようとする度に一瞬考えてから発音していたことには気づいていた。
「それでは、その……信永さま」
「できれば“さま”じゃない方がいいが」
「いえ。これはお譲りできません。わたしにとっては信永さまなのですから」
何故とは、ここでは尋ねなかった。もし夢で見た内容がそのまま彼女にも当てはまるとすれば、彼女にとって俺はマイロードであり、そして彼女自身はどこかの国のお姫様だからだ。
「それで、どうする? 彼女、家まで送ってく?」
「そういや蘇芳ちゃん、家遠いの?」
そう尋ねた猛田に蘇芳エルザは照れたように微笑むと、何故か俺に視線を向けた。
人には誰でも一つや二つ、他人には話したくない過去がある。それを黒歴史なんて呼んだりするが、結局若気の至りで羞恥心を刺激される思い出の一つでしかなく、本当に話したくないことというのとはまた違うと思う。話したくない、いや、話せないことというのは、まだ本人ですらちゃんと消化できておらず、思い出にすらなっていない出来事のことだ。
俺はそういうものを持っている。そのはずだ。ただそれを思い出そうとすると記憶が曖昧で、模糊として形にならず、いつも気を失ってしまう。
「な、本能寺」
「だからその呼び名はやめろっての。聞いてる方もあまりいい思いはしないだろう?」
からかってくる相手が限度を知らないと実際に火をつけてしまうようなことも起こり得る。だからこそ俺は普段から自分だけでなく相手に対しても適度な距離を保つよう求めるのだ。痛みを知らないなら、少しくらい痛い目を見せる必要がある。そう考えている。
「ところで、その本能寺というのはどんなお寺なんでしょうか」
日本人なら誰もが耳にしたことのあるその有名な寺名も、異国の人間からすれば耳慣れない言葉だろう。
「本能寺ってどこだ?」
「京都だよ」
「えー、そうなのか?」
「織田信長が焼かれたくらいしか知らない。あー、あと明智光秀だっけ」
本能寺というのは初め『本応寺』として建てられた寺だ。その後何度か焼け、その度に再建しており、現在京都にあるものは昭和初期に建てられたものだ。場所も本能寺の変があった時とは変わっている。
よく史実としてもフィクションとしても取り上げられる本能寺の変だが、織田信長の家臣であった明智光秀の謀反により信長自らが寺に火を放ち、自害したというのが有力な一説である。
けれど信長の遺体も首も見つけられなかったことから、信長生存説もまことしやかに囁かれ、またキリスト教を庇護したという経緯からは神になったのだという言説も一部には存在した。他方で何故明智光秀が謀反に至ったのかということについては定説がなく、これもこの事件を謎めいたものにしている要因となっている。
「ただこの本能寺の変により当時最大の権力者だった織田信長が死亡し、歴史は大きく動いていく。その後豊臣秀吉、そして徳川家康と続き、長きに渡る江戸時代が始まるまで僅か十年足らずだ。歴史が大きく変わる時にはこういったやや不可解とも思える事件が起こることが多いが、そういうものなんだろうな」
ほえー、と相変わらずの馬鹿面で感心している猛田とは異なり、蘇芳エルザは真面目に俺の話を聞いていた。
「歴史」
と何度も繰り返し、眉を寄せて考え込む。
「でもさー、戦国時代って強い人が正義だったんでしょう? 喧嘩が強ければいいっていうの、なんだかすごく野蛮」
「そうは言っても正論ぶったところで相手が刀や鉄砲持ち出してきたらどうする? 武器を捨てて話し合おうじゃないかと手を差し出したところにズドンだ」
「もし、ですが」
未央が口を尖らせたところで、蘇芳さんが小さく手を挙げた。
「何だい?」
「もし凰寺さまが一国の主であったとして、他国が武力をもって攻めてきた時にはどのようにして対処なされるでしょうか。やはり力には力を?」
「仮定にしても条件が不足し過ぎていて簡単には答えられないが、基本方針は戦わずに済む方法を探す」
「それは何故?」
「犠牲のない戦いというのはあり得ない。自分の国が百名でも千名でも、もっと多くても、必ず犠牲が出る。どんなに強大な武力を有していたとしてもだ。それは相手も勿論そうで、力と力をぶつけたところで、その先にある勝利の下には山ほどの死体が埋もれることになる。そこまでして得られるものは何だろうか。残った奴らの幸せか? 平和か? それとも相手の国の領土や食料、資産か? それと犠牲者を交換したと考えれば、どれほど愚かなことだったか分かると思う」
どうだろうか。
蘇芳エルザが何故そんな質問を俺に投げ掛けたのかは分からない。ただ彼女は俺の言葉一つ一つに対し、頷き、咀嚼するように考え込み、最後には笑顔を取り戻した。
「やはり信永さまですね……あ、凰寺さま」
「いいよ、もう。信永で。こいつらも信永って呼んでるし、蘇芳さんも困るだろう?」
「だって信永は信永じゃん」
「そうだよ。信永を凰寺君なんて呼んだら、なんか背筋が痒くなる」
本当はずっとそう呼びたかったのだろう。彼女が俺の名前を口にしようとする度に一瞬考えてから発音していたことには気づいていた。
「それでは、その……信永さま」
「できれば“さま”じゃない方がいいが」
「いえ。これはお譲りできません。わたしにとっては信永さまなのですから」
何故とは、ここでは尋ねなかった。もし夢で見た内容がそのまま彼女にも当てはまるとすれば、彼女にとって俺はマイロードであり、そして彼女自身はどこかの国のお姫様だからだ。
「それで、どうする? 彼女、家まで送ってく?」
「そういや蘇芳ちゃん、家遠いの?」
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