転生彼女の付き合い方

凪司工房

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転生1

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 何とか彼女を二階の自室まで運び込むと、首筋から背中にかけてじっとりと汗をかいていた。それでも押入れから布団を出して広げ、何とか彼女をその上に寝かせる。
 名も知らぬ金髪の女性は穏やかに寝息を立てていて、まだ目覚める様子はない。俺はその彼女の首筋に指を当て、脈を見る。
 できれば救急車を呼ぶ事態は避けたい。ついでに言えば警察も呼びたくはない。もし第三者に彼女を拾った状況を説明してもとても信じてもらえないだろうし、それよりは俺が拉致監禁の犯罪者だとして理解される可能性の方が高いからだ。
 品行方正な人生を歩んできたとは言い難いが、そんなこととは無関係に奴らは勝手にレッテルを貼り、無実の人間でも容易に犯罪者に仕立て上げる。

「飲み物を取ってくる」

 眠っている彼女に言っても聞こえていないだろう。
 それでもわざわざ断ると、一旦部屋を出た。
 古民家とは言わないまでも明治期に建てられたものを修繕しながら使っている我が凰寺家おうじけの屋敷は、住心地が良いとは言えない。今時二階に下りるのに覗き込んだらそのまま落下しそうなほど傾斜の厳しい階段をそのままにしている家が、どの程度残っているだろうか。となりの何とかも真っ青な階段具合に、これを初めて目にした知人は「何時代を生きてるんだ?」と尋ねる。

 一段一段きしませながら一階に下りると、廊下の左手奥に台所が見えた。
 台所には冷蔵庫が二台並んでいる。一台は新しい家庭用の四リットルほど入る大型の冷蔵庫だが、その脇にちんまり居座っているもう一台は昭和と呼ばれる時代に製造された骨董品だ。
 古いものを大事にするという家訓が、後生大事にされている。
 その小さい方の冷蔵庫を開けると、麦茶が冷やされていた。今朝母親が出張に出かける前に作っておいてくれものだ。
 それをありがたく頂戴ちょうだいし、二つのコップに注ぐ。一つはすぐに俺の疲労を癒やす一杯となったが、もう一つはお盆に載せる。
 果たして彼女の国には麦茶という文化はあるだろうか。
 ひと心地着いた俺は改めて、あの光から現れた女性が何者なのかについて思考を始めていた。見た目こそ日本人離れしているものの、口を開いた時に発した言葉は俺がよく知る日本語そのものだった。いや、一部英語も含まれていたな。

 ――マイロード。

 それは君主、あるいは領主に対して用いられる敬称だ。もっと俗っぽく言い換えれば「ご主人様」というのが相応しいだろう。
 ただ俺は彼女とは初対面だし、そもそも誰かを従えたり、どこかの領主だったりはしない。この家の中ですら、親父には頭が上がらないし、クラスでも悪い意味で目を付けられてはいるが、崇拝される対象にはなっていない。
 もしそれでも彼女にとって俺がご主人様であるというのなら、それは人違いの可能性を考えた方が良いだろう。
 この世界には三人、自分に似た人間がいると云われている。それを想像すると反吐を吐きたくなるが、仮にそっくりさんがどこかの国にいたとして、果たして瞬時に見分けがつかないほどの類似性がそこに存在するのだろうか。
 人間の感覚というのは自分たちが考えるよりもずっと鋭敏だ。ちょっとした差を違和感として捉え、思考に待ったを掛ける。
 彼女はその前に『やっと』それから『会えた』と言っていた。単純に会えただけではなく、何かそこには苦労なりすれ違いなりがあったと思わせる言葉だ。

 俺は階段を慣れた足つきで登りながら、彼女の勘違い説を有力候補の一つに指定する。
 そもそも、彼女は光の中から現れた。それは正に“現れた”という表現が適切で、一体どんな手品を仕込めばああいった風な登場の仕方が可能か考えてみたが、どうにも設備が簡単に仕掛けられるようなものにはならず、また周囲にもそれらしき人影は見つけられなかったことから、信じたくはないが、本当に光の球から人間が落ちてきたという可能性を有力視せざるを得なかった。
 非現実的な話はどうも苦手だ。
 よく同級生たちが話している中に、異世界だとか魔法だとか出てくるのだが、そういったものに対して何の偏見も持たず、あの能力が欲しいとか、あの魔法があればこんなことが可能だとか、お気楽な思考ゲームに純粋に興じれる神経が羨ましい。
 そういったものに対し“危険だ”という思考は彼らにはない。それは彼らのこれまでの人生が平和そのものの中で紡がれてきたからに過ぎない。少なくとも命を失いそうな経験を一度でもしていれば、たとえ自分の身にそう安々とは降り掛かってこない火の粉だったとしても、事前に対策し、近寄らないよう気をつけるだろう。
 そういう意味では何故彼女を拾ってしまったのか、という後悔があった。

 ――偽善者か。

 決して悪人にはなれない自分を少し呪い、浮かんだ苦笑をかき消してから、ドアをノックした。
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