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それから三十分ほど祖母は私を相手に近所の人の病気や怪我、中には亡くなった人の話を楽しそうにしてから、用事があると出かけていった。
居間には私と、結局一つとして手をつけなかった落花生のお菓子がある。お茶はほとんどなくなっていて、急須には冷めたお茶がまだ残っているのだろうけれど、私はそれを自分の湯呑みに注ぐ気力もなくなっていた。
思い出し、携帯電話を取ってくる。自分の部屋でメッセージを作成すればいいのに、何となくまた居間に戻ってきて、さて何て書こうと思いながら、そのチョコレートがまぶされた落花生のお菓子を手に取る。見た目は金平糖が大きく長くなったようなものだ。落花生と呼ぶときはあの瓢箪にも似た殻が付いた状態を思い浮かべるけれど、中身は結局ピーナッツなのだ。
一口齧るとビターな甘さとピーナッツ特有の、鼻に抜ける風味が香った。私はそれがあまり好きじゃない。ただ食感はピーナッツそのものを食べるよりは悪くなかった。
特に問題なく元気そうだと書いてメッセージを送ろうとしたところで、逆に母親からLINEが届いていた。もう一日、二日くらい泊まってきてもいいよ、という、よく分からないものだ。確かに高校生じゃなくなった私には、塾に行く以外の予定というのはない。規則正しく毎日のように電車で学校に行き来していた時代は終わってしまった。
――それを自由と楽しめる人格なら良かったのに。
私はメッセージを送ることをやめ、大きく後ろに倒れる。お尻の座布団をずらして頭の下に移動させると、そのまま目を閉じた。
本当なら今頃大学生としてサークルやら知らないところからやってきた同級生やらと、楽しそうにファミレスやファーストフードでお喋りしていたのだろう。ただ試験に落ちただけで、そういったものは手に入らなくなった。浪人生として来年大学に通えたとしても、きっと現役のままストレートで合格した人生とは全然違うものになってしまうだろう。
だからだろうか。私はいまいち勉強に身が入らない。
受験ブルー。
そんな言葉を思い描く。
と、誰かが上がってきた。足音はずかずかと近づき、居間の襖が開く。
目を開けると、帽子にサングラスをした祖父が、やはりむすりとした表情で私を見下ろしていた。
「ねえ、お祖父ちゃん」
「何じゃ」
「落花生って、なんで落花生。落ちるの?」
「知らんのか」
「うん」
短い言葉のやり取り。それがいつも私と祖父の会話だった。でも別に怒っているとか、嫌いだとか、どちらもそういう感情はない。祖父は私とだけでなく、祖母とも、うちの母親とも同じようなやり取りしかしない。
「落花生がどこにできるか、わしも知らなんだ」
「そうなんだ」
「育ててみて、初めて分かった。ありゃ、土の中にできる」
「これが?」
私は体を起こし、落花生のお菓子をつまんで持ち上げる。
「そりゃ中身だ。殻のついたあれがな、土の中にこう束になって埋まってる」
「それじゃあ根っこなの?」
「いや」
「じゃあ地下茎とか、そういうの?」
「あれでも実だ。植物が花をつけて実を作るのは習ったな?」
「うん」
「最初は花が落ちて、それに実がつくのかと思っとった」
「花は落ちるの?」
「ああ。黄色い小さいのが成るが、それが枯れてぽとりと落ちる」
「うん」
「だが肝心な部分は花がついとった方だった。そこに小さい突起ができ、それが下へと伸びていって土に潜る」
私は祖父の言うことを想像してみた。
「ちょうど、こう、紐みたいなものが垂れ下がっとって、その先に落花生が一つできる」
「じゃあ、いっぱいその落花生の元が下がってるの?」
「ああ」
「蜘蛛の巣みたいに?」
「んー、もっとこう、わさわさというか」
説明が面倒になったのか、祖父は私の携帯電話を寄越すように言った。一分ほど操作をしているのを見ていると「ん」とだけ言って、私の手に戻した。
「ああ、ふーん」
写真には手に持った収穫したての落花生があった。緑色の茎と葉が上にあり、下には根っこの先に付いたみたいに大量の落花生がぶら下がっている。これだと祖父の説明してくれた、紐みたいなものが土に潜ってその先に実が成っているというのがよく分からない。
ただ、伝えたいことはよく分かったし、それ以前に祖父がスマートフォンを操作できたことに驚いた。
「落花生は落ちないと実がつかん」
「そうだね」
「人生も、そんなもんだ」
――うん。
私は手にした落花生のお菓子を口に放り入れる。噛み締めると甘い中によく分からない酸味を感じて、私はお茶で流し込もうとしたけれど、もう湯呑みには何も残っていなくて、急須を傾けたら、勢い良く入りすぎて零れてしまった。
祖父はむすっとしたまま、私を見ると、同じように落花生のお菓子をつまみ、口に入れる。歯のない祖父はもぞもぞと口を動かしながら、
「こりゃあ噛めん」
と、笑った。だから私も祖父に続いて、笑い声を上げた。それは落第してから二ヶ月ぶりの、笑い声だった。(了)
居間には私と、結局一つとして手をつけなかった落花生のお菓子がある。お茶はほとんどなくなっていて、急須には冷めたお茶がまだ残っているのだろうけれど、私はそれを自分の湯呑みに注ぐ気力もなくなっていた。
思い出し、携帯電話を取ってくる。自分の部屋でメッセージを作成すればいいのに、何となくまた居間に戻ってきて、さて何て書こうと思いながら、そのチョコレートがまぶされた落花生のお菓子を手に取る。見た目は金平糖が大きく長くなったようなものだ。落花生と呼ぶときはあの瓢箪にも似た殻が付いた状態を思い浮かべるけれど、中身は結局ピーナッツなのだ。
一口齧るとビターな甘さとピーナッツ特有の、鼻に抜ける風味が香った。私はそれがあまり好きじゃない。ただ食感はピーナッツそのものを食べるよりは悪くなかった。
特に問題なく元気そうだと書いてメッセージを送ろうとしたところで、逆に母親からLINEが届いていた。もう一日、二日くらい泊まってきてもいいよ、という、よく分からないものだ。確かに高校生じゃなくなった私には、塾に行く以外の予定というのはない。規則正しく毎日のように電車で学校に行き来していた時代は終わってしまった。
――それを自由と楽しめる人格なら良かったのに。
私はメッセージを送ることをやめ、大きく後ろに倒れる。お尻の座布団をずらして頭の下に移動させると、そのまま目を閉じた。
本当なら今頃大学生としてサークルやら知らないところからやってきた同級生やらと、楽しそうにファミレスやファーストフードでお喋りしていたのだろう。ただ試験に落ちただけで、そういったものは手に入らなくなった。浪人生として来年大学に通えたとしても、きっと現役のままストレートで合格した人生とは全然違うものになってしまうだろう。
だからだろうか。私はいまいち勉強に身が入らない。
受験ブルー。
そんな言葉を思い描く。
と、誰かが上がってきた。足音はずかずかと近づき、居間の襖が開く。
目を開けると、帽子にサングラスをした祖父が、やはりむすりとした表情で私を見下ろしていた。
「ねえ、お祖父ちゃん」
「何じゃ」
「落花生って、なんで落花生。落ちるの?」
「知らんのか」
「うん」
短い言葉のやり取り。それがいつも私と祖父の会話だった。でも別に怒っているとか、嫌いだとか、どちらもそういう感情はない。祖父は私とだけでなく、祖母とも、うちの母親とも同じようなやり取りしかしない。
「落花生がどこにできるか、わしも知らなんだ」
「そうなんだ」
「育ててみて、初めて分かった。ありゃ、土の中にできる」
「これが?」
私は体を起こし、落花生のお菓子をつまんで持ち上げる。
「そりゃ中身だ。殻のついたあれがな、土の中にこう束になって埋まってる」
「それじゃあ根っこなの?」
「いや」
「じゃあ地下茎とか、そういうの?」
「あれでも実だ。植物が花をつけて実を作るのは習ったな?」
「うん」
「最初は花が落ちて、それに実がつくのかと思っとった」
「花は落ちるの?」
「ああ。黄色い小さいのが成るが、それが枯れてぽとりと落ちる」
「うん」
「だが肝心な部分は花がついとった方だった。そこに小さい突起ができ、それが下へと伸びていって土に潜る」
私は祖父の言うことを想像してみた。
「ちょうど、こう、紐みたいなものが垂れ下がっとって、その先に落花生が一つできる」
「じゃあ、いっぱいその落花生の元が下がってるの?」
「ああ」
「蜘蛛の巣みたいに?」
「んー、もっとこう、わさわさというか」
説明が面倒になったのか、祖父は私の携帯電話を寄越すように言った。一分ほど操作をしているのを見ていると「ん」とだけ言って、私の手に戻した。
「ああ、ふーん」
写真には手に持った収穫したての落花生があった。緑色の茎と葉が上にあり、下には根っこの先に付いたみたいに大量の落花生がぶら下がっている。これだと祖父の説明してくれた、紐みたいなものが土に潜ってその先に実が成っているというのがよく分からない。
ただ、伝えたいことはよく分かったし、それ以前に祖父がスマートフォンを操作できたことに驚いた。
「落花生は落ちないと実がつかん」
「そうだね」
「人生も、そんなもんだ」
――うん。
私は手にした落花生のお菓子を口に放り入れる。噛み締めると甘い中によく分からない酸味を感じて、私はお茶で流し込もうとしたけれど、もう湯呑みには何も残っていなくて、急須を傾けたら、勢い良く入りすぎて零れてしまった。
祖父はむすっとしたまま、私を見ると、同じように落花生のお菓子をつまみ、口に入れる。歯のない祖父はもぞもぞと口を動かしながら、
「こりゃあ噛めん」
と、笑った。だから私も祖父に続いて、笑い声を上げた。それは落第してから二ヶ月ぶりの、笑い声だった。(了)
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