お隣さんはヤのつくご職業

古亜

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貴公子の微笑み

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「そうだ、聞いてください」
「どうした?」
「佐々木さんにカフェに行かないかって誘われたんです」

鶏やニンジン、昆布など具沢山な混ぜご飯を口に運ぶ。
口の中で解ける香ばしい醤油風味のごはんとニンジンの甘みが、どこか懐かしい感じがする。続いて口に運んだ鶏肉は出汁を出し切ったはずなのにしっとりしている。
野菜もお肉も入ってるし、もうごはんは永遠にこれでもいいんじゃないかなって思える。
おかずを何も食べなくてもお茶碗一杯が少なく感じるこの不思議。
ぱくぱく食べ進めたいのをぐっと我慢して大根のお漬物で口の中をすっきりさせたところで気付いた。
あれ?吉崎さんの手が止まってる?

「佐々木?」
「あ、小原さんは知らないですよね」

今日はなぜか小原さんが吉崎さんのところに来ていたので、小原さんも一緒にごはんを食べている。
目の前にこうして並んでると見た目はすごく物騒なんだよね。何度見ても慣れな……いや、美味しい美味しいってごはん食べられてるし普通に会話してるし、慣れちゃってるね。
吉崎さんは佐々木さんのことは知ってるからか静かだ。

「私の教育係だった人で、微笑み王子なんて呼ばれてるんですよ」
「王子ぃ?てことは男か。もしかして嬢ちゃんついに男が……」

そのときなぜかガタッと音がして、音のした方を見てみると、吉崎さんが立ち上がろうとしたのか膝をぶつけていた。

「大丈夫ですか?」
「……ああ」

なぜだろう目がちょっと怖い。目線の先では小原さんがおかずのつくねに手を伸ばしていた。
あれ?小原さんそれいくつめですか……?さては美味しい混ぜご飯に夢中になってる間にけっこう食べましたね?
視線を感じたからか、小原さんはつまんだ慌ててつくねを口に放り込むと、どうぞと言わんばかりにお皿を私の方に押してくれた。

「吉崎さんのこのつくね美味しいですからね。お弁当にもよく入ってますけど、冷めても美味しいんです」

小原さんの気持ちはよくわかる。お弁当のおかず部分が全部つくねでもいいくらいだもん。

「ああ、そりゃあよかった」

気を取り直したように吉崎さんは座り直してお吸い物の入ったお椀を手に取った。それの残りをひと息で飲み干すと、なぜかため息っぽい息を吐く。

「で?行くのか?」
「せっかく誘っていただいたので……」

どうしてだろう。吉崎さんは妙なものを見るような表情だ。
まさか、私が騙されてると思われてる?
まあ私も最初何事かと思ったけど……
とりあえず簡単に経緯をお話しすることにした。

ーーーーーーーーーー

「ねぇ佐伯さん、急で悪いんだけど明日のお昼時間あるかな?」
「……え?」

印刷した書類を抱えて廊下を歩いていたら、すれ違った佐々木さんに突然そう声をかけられた。
思わず書類を落としそうになったけど、落としてばら撒いてしまったら大惨事なので気合で腕に力を込める。

「行きたいカフェがあるんだけど男一人じゃ行きづらくて。どう?」

どう、と言われてましても……
行きたいか行きたくないかで聞かれたらそれは行きたい。明日は土曜日で休み。特に大きな持ち帰りも抱えていない。
なによりあの微笑み王子、佐々木さんからのお誘いだ。お姉様方の反感を買う気しかしないけど、またとない機会なのでは……?

「明日は空いてます」
「よかった。佐伯さんなら安心だからね。長話はできないからまた詳しいことはメッセージで送るよ」

安心ってどういうこと?
そう尋ねる暇もなく、佐々木さんは爽やかな残滓を残して去っていった。持っていた鞄から察するにこれから営業に行く途中だったらしい。
……とにかく、こうして私は佐々木さんと出かけることになった。
その後の書類の判押しとホチキス留め作業が全く捗らなかったのは言うまでもなく、判子の場所を間違えたり綴じる枚数を間違えたりして何部か無駄にした。

ーーーーーーーーーー

……とまあ、そんな経緯があった。

「これがオフィスラブってやつか」

小原さんはそう言いながら大根の漬物に積極的に箸を伸ばしている。オフィスラブって、そんなんじゃないんですが……って、こっちもなくなりそう……いや、ここは我慢。この漬物は数枚でお茶碗一杯のごはんを消してしまう魔性のお漬物。
混ぜご飯にする前の白いごはんが私を呼んでる気がするけど、我慢。明日のお弁当に入れてもらおう。

「普通の色恋話なんて長いこと聞いてねぇな」
「いや、まだ色恋とかそんなのでは……」

あとで来てたメッセージを見たら、本当は佐々木さんのお姉さんと行く予定だった人気のカフェらしく、せっかく取れた予約をキャンセルするのは勿体無いから目に入った私を誘ってみたとのこと。
用は代役だ。
というか普通じゃない色恋話って、むしろそちらの方が気になる。

「某俳優の愛人が実はこっちの関係者のオンナで、早い話が美人局だったとか」

具体例を尋ねてみたらなかなかの情報が飛び出してきた。エンタメ系の情報は疎いけど、その人が、へぇ……ってなった。おそらく週刊誌にも載っていない情報では?

「アイドルがスポンサーの社長に枕しようとして本気になっちまった話とか」

小原さんは最後の一切れをひょいっと口に運びながらドロドロっとしたお話をしてくれる。
まあ知り合いに記者がいるわけでもないし、私がその辺で喋り回ったりしないことがわかってるからこんな話をしてくれるんだろう。
うんうんとひとりで納得しつつ、酔っているわけでもないはずなのに饒舌になった小原さんの話に耳を傾ける。

「変わり種だと、ゲイバーのママが客の一人に惚れ込んで商売になってねぇとか」

それは……どう反応すればいいやら。
笑い話なのはわかるのし実際面白いので笑っていたけれど、どうにもさっきから吉崎さんの様子が気になる。
あれかな、浮かれてうっかりボロを出すなってことかな。それについては気をつけます。
ああでも、もし料理の話題とかになったらどうしよう。使ってる包丁は?とか尋ねられてもわかる気がしない……

「ハーブとか覚えた方がいいんでしょうか」
「は?」

吉崎さんがすごく変な顔をする。
しまった、口に出ていた。しかも吉崎さん達の前でよりにもよってハーブって、違う情報が出てきそうだ。

「これはその、もし料理の話題になったらどうしようって話で」
「話を逸せばいいだろ」
「それもそうですけど」

お弁当、私の手作りってことに一応なってるからなぁ。うーん、けど吉崎さんのことは言えないし……
どうしたものだろうかと考えているうちに、気付けばごはんがなくなっていた。
とりあえず、この混ぜご飯とつくねの作り方を教えてもらおうかな。
メモとペンを用意して私は吉崎さんの方を見る。
吉崎さんはやれやれとため息をつきながら作り方を教えてくれた。
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