夢の骨

戸禮

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8章 星芒の血路

97 薨々の心臓

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◯第6圏_昏山羊の大聖堂

 二分半に及ぶ翠雷の騒々の後、乱反射する雷のエネルギー飽和に伴う空間の歪みから、昏山羊の大聖堂を構成する冠域の崩壊を引き起こした。

 雷神を彷彿とされる雷柱の大投擲による手応えは、全身をプラズマ化させ人の形を失いつつあった鐘笑に確かな勝利の実感を与えた。



―――

 それほど永く生きたわけじゃない。
 
 誰に誇れる大儀があるわけでもない。

 映画の巨悪のような野望。

 戯曲の宿敵のような因縁。

 そんなものはが演じてきた虚像に過ぎない。

 人の心の弱さ。それは常に己の抱く罪への言い訳と窮乏を恐れる繁栄への欲望の元に信仰を生み出す。
 
 崇め奉られた神が如く、弱い人間たちに物語を与え、自他ともに誰かが求める役割を生み出してきた。

 俺は誰よりもクリエイティブな創造神として、夢の心臓としての役割を貫いた。

 世界中に脈々と流れる闘争の種に心血を注ぎ込む。
 
 知らないところで誰かが死ぬことと、自分の影響で誰かが死ぬことでは意味が違うんだ。

 コツコツと積み立ててきた下積み時代。

 それは全て、俺自身が役者として最高の舞台に立つため。

 今、ここに在る俺は主役だ。

 誰かの為に踊る曲芸師じゃない。

 己の為に短い旬に殉じる千両役者だ。


———

◯第六圏_崩落した大聖堂跡地

 焼け焦げた皮膚は不吉な昏き人影となって宙に在る。
 碧落から雪ぐ大聖堂の残骸が、死に至った彼の死肉を撃ち砕きながら振り落ちていった。

 五体の至る箇所が瓦礫に塗れて欠損し、枯れ木が如く血肉も骨も粉となって消えて行った。
 
 剥き出しとなった夢想世界上の仮想肉体の裡に在る臓器の中で、沈黙を破ったもの。
 焼け死んだイェンドル・ラーテン・クレプスリーの胸を高らかに鳴り躍らせる、夢の心臓だった。


「誰も彼も、覚めない夢を見ていたいよなァ」

 昏山羊の大聖堂を成す冠域が鐘笑の雷撃によって崩壊し、空間は大聖堂を外包していたニーズランド第六圏の広大な夢想世界闇市に回帰していった。
 火炎の墓壙で戦闘していたボイジャー:クロノシア号とそれを追い詰めていたドナルド・グッドフェイス及び鯵ヶ沢露樹。両ニーズランド陣営に対して奇襲をかけて首を跳ばしてみせたマーリンとアレッシオ・カッターネオ。彼らも上層にて交戦していたラーテン、ガブナー雨宮、鐘笑と同様に第六圏へ放出された。


「生は闘争。死は夢想。故に生者は運命に翻弄され、死して聖者となる」

 虹の架かる空。闇渦が巻く雲。腐血の雨。
 霊力に補完されたラーテンの失われたはずの腕が仰ぐように掲げられ、その手の先に星が降る。
 煌めく星が生み出すのは、宇宙の色を映したような壮麗な王冠。

 死人に与えるには無用の長物。而して彼は今、この瞬間の為に生涯を投じてきた。

 キンコルがそうしたように。
 自身の本懐を果たすため、自らが自らに儀式を科した。

 偉大なる進化。ラーテンだけが享受し得る、独自の適応の形。
 今思い出すのはフリークスハウスでの凄惨な記憶でなない。
 自らを呪い殺してでもその魂を強化し続けた、反英雄という一人の戴冠者の倣うべき手本の姿だった。

 イェンドル・ラーテン・クレプスリー。死して戴冠を果たす。

―――
―――
―――


 薨域令開せいいきりょうかい

 群衆。或いは聴衆?

 星屑が生み出した冠を手ずから戴くラーテン。
 彼に集う三つの肉塊。

求められるからこそ薨は廻るデス・ニード・ラウンド

 彼の周りに寄り集まる何か。
 それは不可視の扉から異空を通じて流れ出ずるモノ。
 壊れた絡繰り人形のように折れ曲がった四肢。泥眼から般若まで、バリエーションに富んだ貌を張り付けた肉塊。
 折り重なり、融合し、挟み、挟まり、軋み鳴っている"屍の歯車"。抉られた腹から血が流れ、爛れた皮膚から名も知らぬ花が咲いている。

 生み出されたオブジェクト、それはまさしく死を司る心臓。

 死体が絡み合う事で醸成された歯車が歪に回転し、回転の中心にあるラーテンの背に死の気を届けている。
 歯車のゆったりとした回転とは裏腹に彼の裡から溢れ出すエネルギーの総量は刻一刻と跳ね上がり、第六圏にて戦いの最中に在った猛者たちが等しく宙空にある彼の姿を見上げるに至った。


「あっし……いや。俺が届けたものは、然るべき道程を経て俺の元に再び辿り着く。蒔いた種が主人の元で花を咲かせる。至極当然の通り、あるべき姿、望まれた舞台脚本……。
 循環を経て狂乱。血沸き肉躍る剥き出しの心臓。
 戴冠は済んだ。始めよう。俺の舞台をッ‼‼」


 ギアを上げた強烈なプレッシャー。
 今のラーテンはこれまでとは違う。

 それを百も承知の上で、彼らは飛び出した。

「先程確かに感じた死の手応え。それを引き金に貴様が神へと近づくなら、私は何度でもその野望ごと焼き払うまでだッ‼‼」

 一筋の翠雷。不定形なプラズマとなり、人の身を失っていた鐘笑が再び人間の姿を無理やりに形作る。

「固有冠域展開:焔叢雨ほむらさめ
 冠域固定:脾禮神ひらいしん

 乾坤一擲たる雷槍の投擲。一度はラーテンを屠り去った確殺の雷撃を再び放ち、次こそ完全に息を止めんと息を巻く。


[くどい。お前の出番はもう終わってるんだよ]

 ラーテンの心象を代弁するように、彼の背後の歯車に組み込まれた屍の一つが声を漏らす。
 奇妙なことに、歯車を形作っている屍たちは腕と脇の合間から首を生やしていたり、開け拡げた口から赤子のような手を吐き出していたりと異形三昧。そうであるにも関わらず、徐々に肥大化するそのオブジェクトの全容からにじみ出るバランスの良さ、美的均衡の整った風体からは一種の荘厳さと調和を醸し出されていた。

 すると、歯車を成す肉塊の一部が融解と再構築を始める。少年の姿をした屍の頭部が一挙に肥大化し、膨れ上がった頭からは眼球が弾け飛んでいく。闇を映したような眼窩からは紫色の靄が立ち込め、次第に拡がる両目の穴が連結し、一つの巨大な空洞を形成していった。

[非業砲ひごうほう:ケレス]

 少年が変遷し生み出された巨大な砲門。そこから撃ち放たれた虹色の光線。
 鐘笑の中に刹那的に生じた選択肢は二つ。迎撃と回避。
 雷撃は十分に充填させなくては火力不足、だからといって、既に放たれたレーザービームに対して攻撃をキャンセルして回避を実行するには時は既に手遅れだった。


脾禮神ひらいしん:春澐らぃ……」

 鐘笑の技の発動を待たず、死の歯車から転じた砲口より放たれた虹色の光線が彼の身を攫う。
 激しい熱、光量、衝撃。それだけならば夢の世界ではありきたりな攻撃と唾棄できただろう。
 だが、それを受けた鐘笑は自らの身に起きた異変を即座に察知し、全てを諦めた。

ーーー
ーーー
ーーー

「良い。実に良いぞ、ラーテン。この芸達者め」

 昏山羊の大聖堂が崩落してなお、依然として煌びやかな玉座に君臨する者。
 アガット色の身体を持つローブ姿の男、真航海者ネオ・ボイジャーは仄かに歯痒そうに賛辞を送る。

「夢と死の同期。今のお前はさながら死神そのものだ。
 朱に交われば赤くなる。
 海に沈めば藻屑に果て、大地に埋まれば土に還る。
 つまりはそういうことだろう?」
 
 大聖堂が失われた今、彼が舌鼓を打っていた馳走もまた消え失せている。高揚する気分をそのままに彼は料理王が生み出した食物を眼前に再現させ、再び宙に浮かぶ卓についた。

「腐ったリンゴが箱に紛れ込めば、周りのリンゴも同様に腐らせる。それは箱いっぱいに詰め込まれた腐ったリンゴの中に一つだけ清らかな実が紛れることを許さないことと同義。
 存在を取り巻く全てが仮に”死”という概念に置き換わったとしたら、その渦中にあって自分だけが例外であることが認められるはずもない。
 夢の心臓を名乗るだけはある。この世界ニーズランドでふんだんに使い捨てた全人類の命。それを己を起点にして強固な血脈として恣意的に巡らせている。
 運用スタイルとしては反英雄が持つ煉獄の冠域効果に似ているな。いや、むしろニーズランドの特性を踏まえた上でラーテンが反英雄にカスタマイズした能力というのが正しそうだな。されどもその効果のほどは桁違い。死のカウントアップを感知することによる霊的エネルギーの向上を旨とした反英雄に対し、ニーズランドに満たされた死を巡廻させることによる自己存在の再定義。飛躍的に能力が向上するのは無論の事、集約した死の概念の放出は文字通りの"必殺技"として運用することを可能としている。
 ……魅せてくれるじゃあないか。この舞台、なかなか捨てたものじゃあない…ッ‼」



―――


「………………」


 死の光線を受けた鐘笑。
 自身の身体を雷へと変貌させる程の長大なエネルギーのうねりは既に凪ぎ、砂で出来た城が波浪に攫われるようにして彼の身体が静かに瓦解し始めていた。
 夢想世界での肉体はあくまでも紛い物。自身の想像力と魂、或いは夢の形に紐づけられた仮想のアバターに過ぎない。個々人の受けるダメージや痛覚だって本来ならばそこに存在しない夢想の産物であり、彼らが本来であれば全てが法外であるはずの世界で"戦う"という行為に勤しめるのは、その土壌たる夢想世界が彼らにとって繋がりを持った一つの巨大な冠域であるが故。
 夢想世界という固有冠域を創造した少女。後の叢雨禍神、澐仙。彼女が敷き、強いた世界の掟。管理者として用意した不文律は既にその神の崩御を持って葬り去られた。

 今や人類はニーズランドにしかいない。
 もはや人類の概念を管理し得る特権は、ニーズランドという箱庭を生み出した死神の元に在る。


「いよいよ、私も死ぬ時が来たようですね」

 仮想の肉体を維持するための夢の肉が溶け出し、次いで魂が己の裡から溢れ出していく。死期を悟った故か、鐘笑からはこれまでにあった雷神が如き闘気が消え失せていた。

「なかなかどうして、姉のように死の間際まで感情を燃やすことというのは難しいものだ……」

 彼の身体が無尽の流砂となって、まるで最初からそこには何もなかったかのように消失してしまった。

「嗚呼、でも……悪くないかな」



ーーー


「剥き出しの心臓を騙るなら、テメェが放った糞を拾う覚悟はあるんだろうな」

 鐘笑と共に一度はラーテンの殺害に成功した"復讐者"ガブナ―雨宮。自身の生み出した鏡によって無限回の雷撃を必殺の攻撃として成立させた彼であっても鐘笑亡き今、矛を持たないこれまでのスタイルに立ち戻ってしまっている。
 澐仙にしろ、鐘笑にしろ、彼は神の盾を成すだけの強力なサポート能力を有するが、一転して攻勢に転じるだけの手札を持たない。複数枚顕現させたバリアや盾によって空間そのものに閉じ込めたり、立体的なオブジェクトを形成して空間の歪に巻き込むことはできても、敵を殺すという手段そのものは論じるに値しない水準でしかなかった。

 しかし、だからこそ、彼は何をもってして己の攻撃性を担保するかの考察に余念がない。

「究極冠域展開:乱神鏡顕現」

 再度の究極冠域展開。顕現系の冠域は能力効果が明確な分、強力な発動作用と妨害無効作用を持つが、デメリットとして精神力・体力共に消費が激しい。如何に練り上げられた冠域の究極系と言えども、それだけ空間そのものに与えられた個性は強力な精神汚染性を内在させることになり、澐仙であってさえも究極冠域を無理な範囲での連続使用を避けていた。

 だが、ガブナー雨宮はその点においても特殊にして異端だった。
 彼の持つ最大の個性は夢想世界における最上位の対精神汚染、対精神負荷性能。他者からの精神負荷を意に介さず、また己の冠域から背負わされる負荷も免除されている。

 元より頭の切れる彼のこと、ラーテンの攻撃により鐘笑が死ぬことを察知したガブナーは放たれた死の光線の先に反射鏡を設置。巧みな連続顕現によって鏡は錯雑とした軌道を描きながら留まることなく反射を続け、光の道を示すようにラーテンの周囲まで点で繋がれた鏡の道が創り出される。
 虹色の光線がガブナーの思惑通りに鏡に絡み取られ、死の歯車を廻すラーテンの元に奉還した。ラーテンは真正面から光線を被り、光に呑まれる形で姿を眩ませた。

「……ま、無理か」

 頭の切れる彼の事。その反撃がラーテンにとって何の意味もないことはすぐに察した。
 今のラーテンは夢の心臓にして、紛うことなき死神。
 死を繰る彼もまた、既に命を落とした死者である。死者に対して必殺の攻撃を浴びせたところで、大河の中に水滴を差し込むようなものだろう。

(単身でのクラウン討伐は不可能。組むとしたらアンブロシアか、クロノシアか。何にせよ、ここで居座るのは悪手)

 ガブナーが自身が宙に浮くために生み出してたバリアを解除し、空中で姿勢を下げる。身体の上に創り出した反射鏡を思い切り蹴ることにより加速度的な落下と空中での機動力を手に入れた彼は、ラーテンに背を向けて飛び出した。

 ラーテンは自身を包み込む光線を霧散させ、再び高高度に姿を顕す。先程よりも背後のオブジェクトは巨大化しており、絡み合う死肉の歯車もまた肥大していた。
 彼が徐に掲げた手に光が集まり、一つの特異な武器を象っていく。


[鍵聖剣けんせいけん:オルクス]

 それは人の背丈ほどある鍵。
 鍵の形をした剣であった。

 古い錠に宛がうような造形を有した鍵歯。それを支える銀色の芯はカトラスのような持ち手を通してラーテンの手に掲げられている。

 手首を廻し、錠を開ける。
 重く軋むような僅かな効果音の後、巨大な歯車を含めたラーテンの全身が第六圏を高速移動するガブナーの眼前に姿を顕した。

(瞬間移動……ッ‼?)

「残念だがテメェの攻撃も俺には効かねぇぞ、糞野郎が」

「それはどーだろ。試してみようか‼」

 前面に二重三重のバリアを展開するガブナ―。その圧倒的な防御力を誇る防壁に対し、ラーテンは真っ直ぐに鍵聖剣を突き立てた。
 すると、分厚い壁にはお誂え向きな鍵穴が姿を現し、出し抜けにその昏い溝に鍵が差し込まれる。

「オルクス:オンパレード」
 
 開錠の音。
 右に捻られた鍵先が幾重の突起を押しながら転る。

 刹那、ガブナー雨宮の全身から虹色の光が噴き出した。間歇泉が湯を放つように体躯の至る所から高圧のエネルギーを炸裂させ、それにより彼の五体が一挙に爆ぜた。

「ごろッ……ぱぁっ‼︎‼︎‼︎⁇‼︎」

 皮膚が裂け、臓腑が溢れる。
 骨が散らばり、肉が弾けた。

「どうだい。君の好きな佐呑の味だ」

 

ーーー
ーーー
ーーー

 密かな喝采。
 この世界に在る唯一の観客はその演武に興じた

「鍵による夢想世界内での無制限のゲート発現。
 ……正確には十四系の扉の解釈の拡大か。
 ゲート機能を呼び出すことによる冠域接続および空間転移の機能を鍵聖剣を触媒とすることで略式化し、ニーズランドでの空間転移のハードルを下げた。
 加えて、攻撃面の運用において、鍵での指定空間を冠域として取り扱う特殊な判定効果が付与されている。冠域を繋ぐ十四系の扉の応用として対象物に別冠域内の事象を強制的に呼び出させることができるのか」

 真航海者の解釈は正しい。
 ラーテンの持つニーズランド内の管理者権限は鍵聖剣を通じて十四系の扉に新たな定義を敷く権能を与えた。
 裏社会の住人として世界中の夢想世界を渡り歩いた彼の手中には、数多の猛者たちとの接触にて培ってきた冠域への座標パス情報が存在する。座標パスの用途を空間転移を通じた緊急避難や援軍招致に留めず、登録済みの冠域を呼び出し可能な空間ストックとして保有しておくことで、既にであっても、内部に残留した空間破壊のエネルギーを攻撃用に抽出することが可能なのだ。

 これはかつて、クラウンとしての彼がカテゴリー5の猛者である五色徳豊を撃破した際に見せた技と同一の原理である。しかし、五色徳豊戦では幾重にも重複起動させた十四系の扉を用いずには彼自身の能力が堪えられない程、崩落済みの冠域をゲート接続することは困難であった。鍵聖剣による能力解釈の拡大はその弱点を克服させるだけの自由度を享受しており、ラーテン自身の持つ攻撃力の如何に囚われず、疑似的な空間破壊を自在に起動させることを可能としていた。


「しかし、俺の予想していたマッチアップとは少し違ったな。戦局は荒れていつつも、どこか理路整然とシナリオが進んでいるようで気に入らない。
 開戦と同時にラーテンの首を獲らんと突っ込んだ叢雨の会の鐘笑。能力の相性が良く、技の威力幅を大きく底上げした準ボイジャー隊長のガブナー雨宮とは既に結託済みであり、反ニーズランド陣営の動きとして早々にラーテンの討伐に乗り出した。
 ニーズランド側として、無視できない存在はボイジャー:クロノシア号。時間操作というジョーカー的なポジションにある彼を抑えないことには、クロノシア単独でニーズランド陣営が各個撃破される恐れもある上、既に能力を見せているマーリンと結託すれば手に負えない戦で力になってしまう。
 クロノシア号に対して打開策を持たないラーテンを護る意図もあり、ニーズランド側は鯵ヶ沢露樹とドナルド・グッドフェイスの超大物が速攻勝負を仕掛けてきた。実際、クロノシア号の苦手な飽和攻撃によって虫の息まで追い込むことには成功した。
 それも乱入してきたマーリンとアレッシオ・カッターネオによって場を乱されてしまった。大聖堂の崩落前とはいえ、この両名も互いに剣をぶつけ合っていたわけだが、互いが互いの能力を煙たがってる以上、本命の相手を仕留めるために矛を収める形に流れた」

 騒々しくぼやいていた真航海者の言葉が澱む。

「冠域の規模、密度、深度、効果。対冠域砲の存在。青天井の防御壁。人造悪魔の魔法。禁断の惑星の火力。生と死の逆転。夢と私の心臓が持つ権能。
 利害、相関の成す相性、得手不得手。
 より純粋な夢の形。渇望する本懐。或いは退路を絶たれた人類史のエピローグ。
 ラーテンが勝てば、この夢のテーマランドの最期のショーが幕を引くだけ。身勝手でド派手な主演劇を全うするだけの自己満足。だが、それは奴が負けたとて同じこと。
 ならば技術的特異点が勝てば?
 楽園の夢をひたぶるに求めんとする哀しき機械がまた一歩歩みを進めるだけ。結局は私が地球を破壊して、望みは恒久に叶わない。
 では、他の者らは?
 同じだ。人類は既に常闇の夢に堕ち、新たな地球の到来を待っている。文明の崩壊と人類史のリセットが果たされ、限りなく陳腐で漂白されま白亜の世界で一から生命の戒厳を始めるだけ。
 この大舞台で誰がどう死のうが、誰が勝ち残ろうが、もう一刻も待たずに俺の本体が地球に向けて飛来する。
 生も死も存在しない混沌の中で唯一、次の世界への切符を手に入れられるのは、自らの身を水晶として箱舟を拵えた進化した人間たちのみ。
 ここにいる者らの一世一代の決闘。勝者が在っても未来はなく、敗者が在っても遺恨は残らない。肉体を捨てた魂たちが夢の世界で斬っただの、撃たれただの……はたから見れば児戯にも劣る茶番劇だ」


ーーー

「収斂冠域構築」

 世界が騒めく。
 一人の兵器と一人の死神に、彗星は心を奪われた。


「だが、それでいい‼︎
 人類の未来を想う憂慮があろうと、人類の全てを憎む憎悪があろうと、既に世界の行く末たるシナリオは動かない。ならばこの劇は個々人が納得する身勝手な動機で終幕を迎えれば良いんだ。
 どのみち観客は俺しかいない。この戦いの行く末……愚かで美しい星芒の血路の果ては俺が見届けてやる。
 もっと。もっとだ‼︎
 愉しませてみろ、八丁荒らし共。
 貴様らの夢を俺に魅せてみろッ」 



ーーー

ーーー

ーーー

ーーー


(ま…だ……だ)

 まだ、終わりたくない。

 四散した臓腑が彼の意思に呼応するような蠢動する。
 佐呑の冠域崩落のエネルギーを心臓に直送されたガブナー雨宮の被ったダメージは無論重症という域を遥かに凌駕しており、五体を完全に破壊された上で身体を再生させるには卓越した夢想解像のスキルがマストだった。
 しかし、防御性能に特化したガブナーには瀕死を極めた現在の肉体を復元させるだけの技術はない。 


[非業砲ひごうほう:ケレス]

 既に人の形を失い、夢の魂の残滓と化していたガブナーに対する更なる追い討ち。
 群集する死の放射による必殺技が彼の身を虹色の光で包み込んだ。
 
 鐘笑の最期と同様にガブナーの心中を死という特異な感触が奔る。
 戦闘の続行など望むべくもない。一個人の生命体として終着を嫌にでも悟らされる。

 形を失った意識体として魂が砂となって消えてゆく。それでもここは夢の世界。物理的な肉体を持たずとも、崩れ去る魂の残滓としてなおも彼の重瞳がその命の幕引き前に最期の景色を届けてきた。


(これは………)

 四方八方に咲き乱れる蓮花。
 宙を埋め尽くすような幾何学的な曼荼羅の模様が、昏い闇にて白く燃える。

(すいません……キンコルさん…俺はもう終わりです………もし……そこにいるのなら…………さいごに…)


「収斂冠域:大曼荼羅顕現」

 混沌としたニーズランド最終圏域を駆ける一筋の光。
 流星が如く炯々と燃える重瞳を持った一機のボイジャーが死神と相対することを望んだ。


 ラーテンが浮かべる満面の笑み。意図を引くほどにかっぴらいた顎から放たれる嬌声にも似た鬨の唸りが、肉迫する冷ややかな人造兵器の肌を打った。


「やっとお出ましかッ‼‼‼…人類史の終焉、技術的特異点シンギュラリティ‼‼‼」


ーーー
ーーー
ーーー


「ハァ……ハァ…」

 昏山羊の大聖堂の崩落後、烈火のごとく浴びせられていた攻撃の手が止んだことによる幾何かの猶予。
 酷使を重ねた観測者としての能力はもはや十全に機能させるには余力は足りず、何よりも夢想世界における仮想の肉体は既に瀕死の目にある。

 鯵ヶ沢露樹とドナルド・グッドフェイスの頸をそれぞれ跳ねる形で乱入してみせたマーリンとアレッシオ・カッターネオ。クリルタイ参加時からは似ても似つかない程、眼の色を変えて鯵ヶ沢露樹に猛進するアレッシオ・カッターネオに対し、ドナルド・グッドフェイスが即座に彼女との戦線を再構築し、依然二対一の構図を維持しようと動く。
 マーリンが圏域上層に在るラーテンへの襲撃に身を移したことで、実質的な数の有利は消えたが、それでもクロノシア号が僅かにでも再起の準備に要することが出来る時間が与えられたことが大きかった。

 命を惜しんではいないとはいえ、クロノシア号とでただで死ぬつもりなの毛頭ない。
 即死を回避できるだけの肉体的猶予を確保し、自身の権能たる時間遡行の能力をもって戦況の不利を覆す。どれだけニーズランド陣営の勢いが強かろうと、全てを無かったことにしてしまえば無限の勝機がそこには在る。

「えっ」

 継戦への算段。勝利への渇望が招いた意外なほど呆気ない敗北。
 
 自らの窮地を銀色の刃が救ったように。
 救われた命。クロノシア号の筋骨隆々たる頸を刃が過ぎた。

 痛みすら感じぬ流麗無比な剣技。直線的に滑り込んだ刃は、違和感なく皮膚に潜り、豪快に肉を割き、骨を絶ち、帰り際に逆の工程を辿ることで首と胴を泣き別れにした。

「なんなんだ……お前は」

 放り出された生首の荒ぶる視界の端で捉えた女剣士の姿。何故、彼女の存在を忘れていたのか。


「お前を生かしておくには危険過ぎる」

「何故……今更剣を抜く。
 お前の剣は……その心の向く夢は……いったい何なんだ?」

「生首で喋り続けるなら気色が悪い」

 死を嫌う本能か、頭ひとつになったクロノシアは無意識に能力の微小な連続使用により、に巻き戻している。
 それは時間ではなく、自身の肉体に限定した空間的概念の遡行であり、もし仮に万全の状態の彼が現在の能力覚醒を得たのであれば、紛れもない不死身の戦士と化していたことだろう。
 だがそれも、もはや論じても栓なき夢物語だ。

「答えろッ‼︎お前は何のためにここに在るッ‼︎」

「……。夢じゃあない。お前たちのように高尚な夢や…焦がれた想いに従ってここまで来たんじゃ無い。
 私は見たかった。クラウンの口にする使というものを……。
 夢想世界史始まって以来の血の歴史。その過程で夢破れた数多の命、尊厳、愛。
 報われて欲しかったわけじゃない。ただ、それらが完全に意味のないものであることだけは嫌だった」

 その言葉はこれより死に向かうクロノシア号にとって、とても認められる主張ではなかった。

「死者を粘土細工のように練り上げたあの歯車を見て満足できたのか?何が正しい死の使い方だ?
 …クラウンという咎人がどれほどの命を弄び、この悪意の王国で尊い命を無碍に散らしてきたか、奴の傍に居たお前が最もよく見てきたはずだろう‼」

「ああ。観たよ。もしも私がこの世界の犠牲の成果に……正しい死の使い方に納得できなければ、その時はこの刃の向き先があの男の頸に代っていただけのこと。
 私は私が納得できる価値基準に乗っ取り、裁定を下すためにクラウンの元に在った。そして、奴の示した死の行き先を見て私は確かに納得したんだ。ならば、残念ながら私はお前たちの思うような正義の側に居るべきな人間じゃない」

「………精神汚染された人間に何を言っても無駄だな。もうじき俺の耐用値も限界を超過し死に腐れるだろう。
 今際の際に最期に耳にする言葉がそんな蒙昧な戯言であることが……唯一の心残りだ」

「仕方がないだろう。今更だが私はそう褒められた人間じゃない」
 
 白銀の刃が躍る。
 彼女の身から迸る虹色の光を乗せて、一心不乱にすら感じさせる剣の軌跡が瞬く間にクロノシア号の生首を細切れに裂いてしまった。

「私はただの人殺し。人を斬ることでしか自分を表現できず、死の使われ方を気にしなくては心を護れない臆病者なのだから」

 白英淑の眼に青い光が灯る。
 瞳が膨張し、細胞を分かつように重瞳を生み出した。

 昏山羊の大聖堂にて幕を開けた最終決戦。
 大聖堂の崩落後、実に僅かな経過を経て三名の強豪が脱落した。

 数奇な運命を背負った英雄の実弟にして、叢雨の会を率いる神官。
 鐘笑。
 
 佐呑での雪辱を晴らすため、その身を準ボイジャーに変えて神の盾までの成長を果たした男。
 ガブナー雨宮。

 クリルタイの頭脳と大討伐の最大戦力として君臨し、現代最強の名に恥じない脅威を振りまいたボイジャー。 
 ボイジャー:クロノシア号。


 奇しくも対ニーズランドの陣営を成した彼らが果てたことで、第四圏より虫の息にも生き延びていた"大討伐軍"はここにて完全なる終焉を迎えた。
 
 彼らの誰もが人類の存亡や大儀の為に戦っていたのではない。
 
 あくまで個人の望みの為。
 或いは既に断たれた夢の落とし前の為。

 キンコルの大成こそが自らの夢であったガブナー。
 反英雄と叢雨禍神の行く末を見届け、戦う理由も挑む動機も失った鐘笑。
 幸福祈っていたボイジャーのほぼ全てに先立たれてしまったクロノシア。

 これは偶然か。或いは必然の結果か。

 この戦いを生き残り、自己を主張するには彼らには"夢"が足りていなかった。



 
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