夢の骨

戸禮

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7章 闇市八丁荒

92 第六圏

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 目が覚めた。

 夢の世界で目が覚めた。

 うつらうつらとした感覚の奥底で、どこか遠い世界で久遠の旅をしていた気がする。
 遠出、或いは、巡礼?

 細やかな事は思い出せない。或るのは只、胡乱な脳が悲鳴を上げるような痛みのみ。
 多くの人間たちが寝覚めの褥で藻掻き苦しむように、起床という行為に伴う痛烈なストレスが彼を襲った。
 体調は万全。睡眠時間だって遊びのある快適な範囲に収まっていたような気がする。
 しかし、やはりただ一つ。夢から這い出るその一瞬に凝縮された苦悩がこの世の全ての災厄を超越してくるのだ。


「ここは……?」

「目覚めたか」


〇ニーズランド_第六圏

 自我を以てこの世に生まれ落ちてから幾何。ボイジャーとしての役割を科されてより一年と数カ月。
 人間が幼少から培うべき知識獲得のプロセスを省略して生み出された兵器である彼は、他者からの伝聞により己が知覚する世界の形を形成していき、物語のページを一枚一枚捲るようにしてその目を通して得た現実から世界の形を理の海に落し込んでいった。

 ボイジャーに関すること。軍部に所属する上での規律とドクトリン。敵たる存在に関する情報。
 年相応の知識や能力が十全に備わっているとはとても言い難い彼であっても、ことTD2Pという閉鎖的な組織の内部に纏わるあれやこれやは人一倍と吸収し、独自の成長曲線を描いていった。

 そして、その知識の末席には、今現在彼が対面している世界によく似た空間のことも含まれていた。


「……夢想世界闇市アンダーブラックオークションっ…‼」

「ほう。若いのによく知っているものだ。いや、済まない。精神年齢で言えば、君の方が遥かに上か」

 マーリンは己の傍らに立つ男を静かにねめつけた。
 屈強な体格を持ちながらもその佇まいからは理知的なものを感じさせる独特な風貌。視線をマーリンにではなく、眼前に拡がる町に向けていることからくる何処とない飄々さが在りながら、どんな所作をも見逃さないような刺さるような警戒心が発せられている。
 
 TD2Pにおける史上最強のボイジャーがプリマヴェッラ号だとするならば、彼は現代のボイジャーの頂点。
 アンブロシア号が望まれた最強のボイジャーへの道は、彼を超えること一つの基準としてロッツ博士に設けられた。

 米国が買い上げた300億の価値を持つボイジャー。
 その実力は最強の名を冠するまでの折り紙付き、されど能力は超特級機密。
 数多の悪魔の僕を葬り去ってきた人類の英雄。
 プリマヴェッラ亡き後の対悪魔戦線を先頭で引っ張ってきた怪物である、ボイジャー:クロノシア号その人だった。

 クリルタイに席を与えられるの参謀としての能力を持つ彼だが、当の大討伐軍は第四圏にて”蝿の王”ユーデンとの対峙の際に壊滅している。それ以前にクロノシア号は第ニ圏を過ぎたあたりから筐艦から姿を消し、単独先行によるニーズランドの遊撃に打って出ていたという。

 彼が大討伐軍本隊に残り、筐艦内にてクラウンから送り込まれた暴走状態のグラトン号を討伐していたならば、現在の大討伐軍全体の運命も違うものとなっていたことだろう。


夢想世界闇市アンダーブラックオークション
 これは、夢想世界に数多に展開された反社会・反政府・反体制的組織マーケットの中でも群を抜いた知名度と規模を持った闇組織の総本山として知られる特殊冠域を指した総称だ。
 夢想世界上に存在する固有冠域はその本来の用途。つまり、己こそが最強たらんという境地に至らしめるという前提条件の中には他者の侵害という概念が絡むため、基本的に冠域は構造的対立によって協調性を持つことは無い。戦闘時によくみられる空間の侵食と押し合いが生じることは勿論、夢想世界に産まれた空間不和は座標に対応した現実世界の空間に歪みを齎しめる。空間の歪みは人類に対して強烈な精神汚染を引き起こすことは周知の通りであり、歪みに触れた人間はそれだけで命を落とすこともあるという。
 その観点で見た時、夢想世界闇市の構造は冠域という既定の概念を覆す画期的な発明だった。大陸軍が世界を揺るがすより以前に、ペン・イスファハーンと呼ばれる強力な悪魔の僕が、夢想世界上における悪魔の僕や別解犯罪者の協調による"犯罪者たちの楽園"の創出の儲け話を広め出した。
 奴の冠域。詰まるところ夢の骨は『大金持ちの夢』だった。最初は見向き去れなかった奴の儲け話も、闇社会の大物たちが奴の冠域の特性でもある他者とのビジネスにより利益を生み出すという効果に目を付け、冠域効果による己らへの侵害効果の希薄さに気付いた頃から風潮が変わった。
 いつからか何名かの悪魔の僕がペン・イスファハーンの冠域内に寄りつくようになり、それどころか奴の冠域内に自分たちの冠域を展開しだした。冠域の内側に冠域を展開するという行為は、外郭となる冠域の効果や対立構造に影響を受けて不成立になるか、強引に展開した際に発生する空間不和によって強力な圧力を発生させることに繋がる。だが、ペン・イスファハーンの冠域は巨大な内部構造にあらかじめ他者冠域を挿入可能とする機構を定義しており、サンドボックスゲームの町づくりのように、他者の冠域による外郭冠域の機能強化が成り立つように作られていた。
 対立の発生しない冠域の集合区域を求めていた悪魔の僕は案外多い。好き勝手やりたいが、自分が最強になるために他者を皆殺しにしたいとすぐに結び付ける人間は少数派だったわけだ。無法の世界にもそれなりの流儀とフレンドリーシップがあり、ペン・イスファハーンの冠域は対立構造を望まない悪魔の僕たちの格好の拠り所となった」

 そこでマーリンが口を挟む。

「なるほど。組成としてはニーズランドも同じ構造を持っているわけですね。夢想世界に展開したニーズランドは圏域の王たちを起点とした広大な冠域の集合体であり、六つの圏域冠域とニーズランドそのものを成す全域冠域が存在する。ニーズランドの機能は"昏山羊の望みを叶える"という効力を持つため、それに反しない圏域の王たちの冠域は独立して密接に存在しあえると」

 それを聞いてクロノシア号はどこか虚ろな表情で指を鳴らした。想像力による物質の生成によって、既に火の付いたすぐに吸い始められる状態の葉巻を手に取り、マーリンに差し出す。

「いるか?」

「いえ」

 マーリンは手元に水の入った透明の瓶を生み出し、それを目を瞑りながら飲み始める。
 クロノシアは差し出した葉巻を自身の口に運び、もごもごと口の中で暫く煙を遊ばせていた。

「夢想世界闇市に所属していた勢力図については、その外観的な観測の難易度から未だなお判然としていない部分が多い。
 “姦淫のゼブファキラ”、”挑戦者”、”九罪残党勢力”等々。TD2Pが所在を掴み損ねて久しかった強力な悪魔の僕も多い。そして、その中には現在のニーズランドの勢力でもある”クラウン”や”美食帝:ドナルド・グッドフェイス”も含まれている。
 それ故にニーズランドの空間構成を夢想世界闇市を倣っていることは予めクリルタイは想定していただろうな。……いや、それ以前に大討伐軍の首魁たる東郷有正、もとい"青い本"も一時期は夢想世界闇市に通じているという噂もあったわけだから、むしろクリルタイがそれを知らないという方が無理な話だな。
 だが、流石にニーズランドの第六圏が夢想世界闇市を内包した外郭世界だとは思わなかった。ニーズランドが巨大な包括空間であることは承知していたが、まさかここまでの規模だとはな」

「となると、第六圏の最終的な戦闘能力は夢想世界闇市の勢力も加算されると見た方が良いのでしょうね。
 残る厄介者はクラウンと鯵ヶ沢露樹くらいのものだと想定していましたが、案内に面倒事は増えそうだ」

「そうとも限らんさ。夢想世界闇市は栄枯盛衰の習いの通り、最盛期には現実世界の経済バランスに甚大な影響を与える程の闇社会の隆盛を生み出したが、夢想世界闇市そのものを敵と扱う他の悪魔の僕の襲撃が後を絶たなかった。有名どころであれば"金星喰い:ドルファー"、"不死腐狼"は挑戦者と熾烈な衝突を繰り広げ、夢想世界闇市は長期間に及ぶ防衛戦を強いられた。それ以外にも叢雨禍神の詰問、TD2P機密特務部の大討伐敢行を経て既に夢想世界闇市は事実上の崩壊を経験している。
 結果として夢想世界闇市を隠れ蓑にしていた大物たちが独立する契機にもなったが、協調性を欠いた大物たちはTD2P/AD2Pの敢闘によってその半分以上は討伐に成功している」

 そこでクロノシア号はどこか後ろめたそうな貌を浮かべた。
 堪能していた葉巻を宙に放り投げた。

「まぁ、何かと美談に持っていこうとするのはズルいよな。大物たちを仕留めるのにボイジャー:リューギ号、アフロディア号、ドレイク号、パーシヴァル号が死んだ。大陸軍の出現に伴ってさらにディアバラック号、ヘラクレス号、アルデバラン号、ヴァジュラ号、ヒミコ号、フガク号が死に、大陸軍と夢想世界闇市の複合的原因では大英雄プリマヴェッラ号が自死の道を歩んだ」

 マーリンはクロノシア号から零れたあまりにも寂しそうなその声音を耳にし、眼を丸くして彼を見つめた。

「全部。俺の所為だ」

「は?」

「そうだな。いきなりこんなむさ苦しい男の自戒を聞かされてもお前にとっては詰まらないだろう」

 クロノシア号の瞳が紫色に爆ぜる。
 スチームパンクの世界のような、機械的で不気味な光と煙に包まれた夢想世界闇市の廃都市にどこか似合っているような殺気の在り様だった。
 

「こうしよう。俺は君を殺しにかかる。君はこれまでそうしてきたように、俺の力を手に入れて屍の先へ進むんだ。
 その間、耳障りでも聞いてくれないか、愚かで惨めな最弱のボイジャーたる俺の話を」

―――
―――
―――

 身体が浮く。力強い圧力を正面から受け、マーリンが左右に大きく手を拡げた姿勢で急激に空間を押し飛ばされる。
 いずれ背中が巨大なガラスのようなものに触れた。
 大きな音を立てて破壊されるガラスの正体はマーリンが常に体を晒している"大気"そのものだった。

 夢想世界闇市は奇妙奇天烈なスチームパンクの世界観を持ち、あちこちに目まぐるしく張り巡らされた錆びたパイプ管や歪んだ建物に埋め尽くされている。人の往来など眼中にないような狭苦しい小道が犇めいているかと思えば、どこからともなく大口を開けて姿を現したトンネルには四次元的な鉄道路線が蜘蛛の巣のように展開されている。

 煌びやかな街灯に照らされ、仄かな暗がりが跋扈する巨大なトンネルの中で身体を立て直したマーリン。僅かに斬れた息を整えているうちにも左右上下に世話しなく蒸気機関車チックな地下電鉄が行ったり来たりし、反響した音が騒々しく心臓の鼓動を捲くし立てる。

 首を振りながら眼球を左右に回して周囲を伺う彼の警戒心を他所に、次なる攻撃が彼の身体に強烈な衝撃を与え、身体の内部から空間の炸裂を引き起こした。
 殺気に敏感なマーリンが気取ることすら叶わなかったクロノシア号の姿は存外にも目と鼻の位置までに接近を果たしており、彼を視界に捉えるや否や発生した強力な圧力によって彼はトンネルの地下空間の岩盤諸共崩落していく。
 彼は落下の最中にあり、身悶えするような頭痛を背負いながらも、制空権を得るために人蜂形態への夢想解像を展開する。
  
 しかし、一瞬先の意識の中で見た光景は自身の認識と大きく乖離したものだった。
 崩落する岩盤の下にもさらに広がっている異常なほどに広い空間。先程のスチームパンクの世界観とそこまで違ってはいないが、大地を埋め尽くす大量の小屋とその合間から突き出た煙突の群れが何とも形容し難い不気味さを演出していた。

 そして、黒煙吹き荒れるその煙突のうちの一本の上にマーリンは立っていた。
 着陸した記憶も、まして人蜂形態で飛翔した記憶すらない。
 空間と自我を認識する一貫性を改竄されたような、不可解な感覚からくる認識齟齬。
 次いで襲い掛かってくる強力な圧力と頭痛によってマーリンの身体は周囲の建造物を抉るような衝撃波の中で数秒間の怒涛を凌ぐ試練を与えられた。

(能力の全容が判らない。……記憶の改竄や意識の転送なんかが濃厚だが、冠域の能力については個人の心情や想像力に裏付けされる何でもありの世界。そんな曖昧なものと完全に特定することに固執するよりは、こちら側の出力を上げて一気に斃してしまうか)

 マーリンが黒煙に塗れて冠域展開のための数舜の余白を要する中、クロノシア号は品定めするような面持ちで空中に制止していた。彼の身体の周りには薄緑色に発光する木簡が五つ浮遊しており、時折彼はその木簡に描かれている文字に視線を流している。
 文字を読み取るクロノシア号が感じた凄まじい闘気。全身を刺すような圧力が空間を書き込むような冠域空間の侵食と共に発露した。クロノシア号は冠域内部に発生した凄まじいエネルギー及びその総力を肌で感じ取り、絶句した。

「究極冠域展開:極点・三千世界等活」

 かつての世界最強たる叢雨禍神の虎の子。災害の主としての破壊権能の発現による一気呵成の猛攻が開始される。
 人造人間にして改造人間。
 学習装置にして夢想兵器。
 楽園への道中に蒐集した数多の権能の中でも群を抜いた究極の破壊の力は、既に彼の手中に在った。

「これは……叢雨禍神の…」

―――
―――
―――

 揺らめく足元。
 僅かに空いた認識の穴。

 確立させたはずの冠域がいつの間にか崩壊している。
 いや、そのもの固有冠域展開が実行されていない。しかし、断片的な意識の裡には確かに叢雨禍神の究極冠域を展開した記憶が見え隠れしている。

「また、何かしたな。ボイジャー:クロノシア号」

「ああ。わかるか、ボイジャー:アンブロシア号」

 クロノシア号は再び自身の周囲を浮遊する五つの木簡に視線を投げている。
 三千世界等活の発動が無効化されてしまったとはいえ、一度は眼にした自分の攻撃出力を前に無暗に視線を外すとは流石にマーリンも思わなかった。クロノシアの虚を突くような攻撃の仕掛けは戦闘中にわざわざ視線を向ける木簡にあると狙いをつける。

「固有冠域展開:蒐集謄本ナイツ・ブック
 マーリンの手に壮麗な白銀の刃を矯めた片手剣が握られる。

「攫え、雷剣ッ‼‼」

 生み出す火力の奔流。反英雄の代表的な攻撃手法である、剣先から放つ雷撃による木簡の破壊を狙う。

「力に奢るなよ。アーカマクナ」

 剣がなくなっていた。さらに、剣を手にしていた右手が肩までの肉体がいつの間にか欠損している。
 腕が存在するはずの虚空を凝視するマーリン。失われた肩から血が噴き出すより先に、次の冠域を展開する。
 固有冠域展開時の肉体最適化効果により、身体の修復を果たした。

「固有冠域展開:魔醯し…」

 ボイジャー:スカンダ号の持つ韋駄天の脚が、冠域効果により生成を果たすと共に爆ぜた。
 両脚がほぼ同時に炸裂したことによりマーリンは跳躍しようとしていた体勢を大きく崩し、貌から転倒した。
 
 そこに襲い掛かる再度の重力。煙突たちをみるみるへし曲げていく強力な圧によって、先程のトンネルの崩落よろしく、今度は煙突町もろとも岩盤から崩落していった。

 第六圏:夢想世界闇市はその成り立ち故に崩壊後も数多の内包冠域によって成立している空間。いわば、無数の芸術家のアトリエが飽和したデザイナーズマンションのようなものだった。
 たとえそれが完結した一つの世界であっても、地下岩盤を撃ち砕いて進めばその先にはまた別の世界が広がっている。それ故に冠域同士を結び付ける"十四系の扉アルルカン・ゲート"の異能を有したクラウンの地位が闇社会で確固たるものとなっているのは、ある意味で妥当なことなのだろうとマーリンは感じた。

 次に辿りついたのは、第一圏を彷彿とさせる大海原の冠域だった。
 落下の最中に自身を取り巻く重力が弱まったのを感じたマーリンは、全身を人蜂形態へと夢想解像を果たし、宙に身を預けた。再び不可視の攻撃を喰らって身体を捥がれるよりも先に加速状態に入ってしまおうと、自身の出せる最高速度に加え、反英雄を模したエネルギー噴射による推進力を最大限に利用する。
 
 しかし、その一瞬に紛れ込む意識の乖離。
 駆ける様に飛翔していた大海を望む空が、いつしか至る所に巨大な石柱が切り立った仙境のような空間に塗り替えられている。
 障害物のない空から急に視界のそこら中に石柱が聳える空間に変化したことで、マーリンの反応速度に姿勢制御が追い付かず、石柱の一つに激突してしまう。彼の貌が一瞬でぐちゃぐちゃになり、吹き出た血に塗れて身体の至るところの肉と骨が飛び散っていく。
 とはいえ、夢想解像時の身体修復性能がずば抜けて高い彼のこと、身体の一部が減り込んだ石柱の内部から身体を再生し、眼から溢れ出る燃え上がるような光と共に石柱を持ち上げながら立ち上がってみせた。
 
 背丈が同じ程の石柱の天辺に座しているクロノシアと視線を交錯させ、彼は口から血の固まった唾を吐きだして嫌悪感を露わにした。

「参ったな。どうにも弄ばれている気分だ」

「全く、頑丈な奴だな君は」

「……ライカと同じだ。アンタは痛めつけるだけ痛みつけて俺を殺さない」

「安心しろ。俺はお前を殺したいわけでもなければ、殺せるだけの力を持っているわけでもない。
 それに、まだまだ俺の話が出来ていないからな……。さっきも言った通り、君に俺の話を聞いてもらいたいんだ」

「なら、痛みつける必要はないでしょうに。…なんでどいつもこいつも、こう嗜虐趣味なんだか」

「君に俺の力を教えるためだ。技術的特異点として人類の最果てを歩む君には、是非とも俺のこの力を獲得してこの先に進んで欲しい」

「趣味が悪い。私は自分で欲したものしか要らないんだ。アンタに恵んでもらうものなんて一つもない」

「そう突き放すな。……どうだ?俺の能力に関しては何か掴めたか?」

 マーリンは肩を竦めて否定を表す。

「出自故の知識の偏りか、意外と疎いのだな」

 クロノシア号の全面に並んだ木簡が薄緑色に淡く輝く。

「ボイジャーは兵器としての役割を与えられたTD2P/AD2Pにおける戦力の象徴。それ故に全てのボイジャーの登記に用いられる機体名は必然的に象徴として想起されやすい歴史的、文化的、宗教的に強い意味合いを持ったものとなる。
 増長天の八将の一神。韋天将軍から準えたスカンダ号。
 七つの罪源が一つ。暴食の名を体で表すグラトン号。
 人類に悪夢の冬を齎した大陸軍に対するアンチテーゼとなる”春”の名を持つプリマヴェッラ号。
 君の名もそうだ。ブリタニア列王史に登場するアーサー王に仕えた魔術師アンブロウス・メルリヌス=アンブローズ・マーリンから付けられている」

 そこで生じる意識の乖離。視界のピントがブレると同時にクロノシア号がマーリンの眼前に姿を顕す。

「俺は名はギリシア神話に由来した、全宇宙を統べた"時の神:クロノス"から与えられている」

 クロノシア号の目が紫色に燃える。

「ボイジャーには大別して二種類ある。一つはスカンダ号、キンコル号を代表とする自らの夢の強さ故にボイジャー適正を獲得し、その長所を生かすべくして兵器へと転身していく者。もう一つはボイジャー化実験のため、研究者たちが恣意的に押し付けた夢の骨により醸成された与えられた夢を持つものたち。
 近年のボイジャー化実験で前者はそこまで成功例が無い。というより、己の持つ夢が強大であればある程、多くの者らはボイジャーなどという人類暗黒史に名を列ねるような最悪の人体実験に寄与したりなどせず、悪魔の僕として他者を顧みずに暴れるのが常という前提が存在するのが大きいのだろう。
 後者の最たる例はボイジャー:プリマヴェッラ号だな。日本における知名度が高い桃太郎童話をベースとした能力調整は観懲三臣顕現の副次的効果も相まって、シンプルかつ非常に強力な能力を彼女に授けた。澐仙の強力と対大陸軍戦での相性補完もあって、劇的な活躍から英雄としての地位を確立したのも、結局はTD2Pの研究者たちの邪知暴虐な研究の産物だ。
 プリマヴェッラ号が童話レベルの英雄譚で大成したが、これは極めて稀有なケースだ。夢の世界における戦場が夢の骨に紐づけられた"固有冠域"という技術が主体となっていることから、研究者たちが何より情熱を燃やしたのはより洗練されて強力な固有冠域の兵器化だった。固有の枕言葉が付くように、夢想世界上には同一効果が付与された固有冠域は同時期に存在しないという特性がある。それ故に、より強力な冠域をボイジャーに紐付いた能力として保有することは、同じ能力を持った悪魔の僕を世界に発生させないという抑止力としての効果も立証されていた。
 時には本人の成熟度や精神性に反した夢であっても、それがTD2P/AD2Pの管轄外で自然発生するリスクを回避するために強制的にボイジャーに夢の骨を与えることもあった。グラトン号が良い例だな。奴はボイジャー:ドレイク号の持つ"悪食の夢"があまりにも強力だったことから、TD2Pの夢の骨の強制移管プログラムによって"悪食の夢"の設計図を流用された悲劇の体現者だった。
 彼を悪魔の盗人と誹る声もあったそうだが……。そう断じるには余りに彼の存在は寓意と悪意に晒された被害者としての側面が強い。個人の手に余る強大な力を精神的に未熟な鴇田裕田に押し付けた過失が……巡り巡って大討伐軍の崩壊という結末に辿り着いたのだから、やはり運命は全て相応の結末を辿るものだと実感させられるよ」

 クロノシア号は自身の前面に浮遊する木簡の一つを手に取った。

「少し話が逸れたな。……まぁ要は大は小を兼ねるという話だ。
 スルト号の巨人。オルトリンデ号の制空権。グラトン号の悪食。プリマヴェッラ号の英雄。
 強力な夢の骨の力は即ち、それを醸成させた研究者たちの羨望と畏敬に裏打ちされたものである。その能力を持ったボイジャーを作りたいという望みは、その能力を持った悪魔の僕を世界に生み出したくないという願いでもある。
 その観点で行くと、そりゃあ世界に"時を操る悪魔の僕"なんて発生して欲しくないというのはある意味で自然の感覚なんだろうよ。実際、神話体系の力は人間の文化や宗教に根差している場合も多く、それを強く想起させるような悪魔の僕も少なくは無かった。ギリシア神話のゼウスに夢見た齢十歳の少年にTD2Pが大討伐軍を派遣して容赦なく殺害したのは、それだけ夢の骨のポテンシャルを脅威と捉えていたからだ。
 俺の実験は急ピッチで進められ、能力としての指向性を排除した固有冠域の構築を至上命題としたプロジェクトによって、晴れてこの世界に"時を操るボイジャー"が誕生した。お陰でこんな物騒な力を持った悪魔の僕は今日に至るまで発生することは無かったし、TD2Pはこの力を極秘に売り込んだアメリカから支払われた金によって一時の隆盛を見せたわけだ」

 そこでマーリンが抱いた感覚。
 戦闘時に決して感じてはならないモノ。絶望だった。

 彼はこれまでの闘いの中で、叢雨禍神の持つ特権を駆使していた。

 『解承』

 澐仙が対反英雄戦の最終衝突で発動させた権能。
 マーリンは自身の有する収斂進化の特権により、手ほどきも解説もなしにその神髄を理解し、モノにしていた。
 解承とは、夢想世界の管理者たる叢雨禍神に赦された冠域構成の初期化の技術だった。
 澐仙が虎の子として温存しているだけに、使用時には自身に向けられる精神汚染というペナルティを受けるものの、反英雄のような時間経過で冠域効果が膨れ上がるものに対しては絶対的な効力を持つ。

 それがクロノシア号には通用しなかったのだ。

「時間を操る……ね」

 マーリンの中で不可解だった解承の不発の原因が紐解かれる。
 解体すべき冠域そのものが、クロノシア号とその他では根本的に異なっているのだ。

 通常、冠域は規模の大小を問わず展開・延長・固定のフェーズを辿って固有能力の付与と発動が行われる。
 解承による後手のアプローチでは、クロノシア号の冠域を解体することが出来ない。
 何故なら、クロノシア号の冠域効果により、自他の存在する時間軸が乱れて効果発動後には冠域が展開される前か後の時間軸に更新されてしまっているのだ。
 その場合、解承がアプローチする冠域展開そのものがこの世界では発生していないことになってしまっている。


「そこまで便利なモノじゃない。だが、楽園を目指す君の旅路への良い土産にはなるだろう。
 どうだい?
 俺の屍を越えていく意欲は湧いてきたかな」

「素晴らしい。是非、私のために死んでください」










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